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	<title>アラエス &#187; ビザンツ帝国</title>
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	<item>
		<title>あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2465</link>
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		<pubDate>Mon, 03 Feb 2014 22:06:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ギリシア正教会]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[マグナ＝カルタ]]></category>
		<category><![CDATA[ユスティニアヌス帝]]></category>
		<category><![CDATA[レコンキスタ]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ＝カトリック教会]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>
		<category><![CDATA[封建社会]]></category>
		<category><![CDATA[聖職者]]></category>

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		<description><![CDATA[ゲルマン人の一部は、フランク人として大陸西北部に王国を形成した →フランク人は、西ヨーロッパ全体に支配を広げ、フランク王国を作った ＝その結果、800年にカール大帝という人がローマ教皇からローマ皇帝という位を授かった &#038; [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2465">あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ゲルマン人の一部は、<strong>フランク人</strong>として大陸西北部に王国を形成した</p>
<p>→フランク人は、西ヨーロッパ全体に支配を広げ、<strong>フランク王国</strong>を作った</p>
<p>＝その結果、800年に<strong>カール大帝</strong>という人がローマ教皇からローマ皇帝という位を授かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>カール大帝は、<strong>ローマ＝カトリック教会</strong>の守護者になった</p>
<p>→カール大帝は守護者として西ヨーロッパを、東ローマ帝国に対抗するための統一した地域としてまとめた</p>
<p>※東ローマ帝国は、後に<strong>ビザンツ帝国</strong>になる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→その後、フランク王国は分裂し、別々の国として発展した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>時代が進むにつれ、西ヨーロッパでは社会での役割に応じた、以下のような身分制度が確立し、はっきり区別された</p>
<p>・神へ奉仕する<strong>聖職者</strong></p>
<p>・土地を支配して、武力を独占する<strong>戦士</strong></p>
<p>・土地の支配者の所有地で働く生産者（領主の荘園で労働する<strong>農奴</strong>）</p>
<p>※戦士は、国王などから土地を授かって騎馬戦士として仕える騎士（<strong>騎馬戦士</strong>）に分かれた</p>
<p>＝このような、身分階層を持った社会を、<strong>封建社会</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一方で、東ローマ帝国（ビザンツ帝国）は、西ヨーロッパ帝国が滅亡した後も、皇帝の支配のもとで続いた</p>
<p>→東ローマ帝国のトップだった<strong>ユスティニアヌス帝</strong>は、6世紀の時に東ヨーロッパを大帝国へ復興させた</p>
<p>※ただし、その後はだんだんと領土が縮小した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>東ローマ帝国は、<strong>専制君主</strong>（世俗の支配権と最高の宗教的権威を持つ制度）だった</p>
<p>→東ローマ帝国は、11世紀にローマ＝カトリック教会と完全に分けた<strong>ギリシア正教会</strong>を成立させた</p>
<p>※ギリシア正教会の成立によって、東ローマ帝国はギリシア文化を継承した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※東ヨーロッパでは、ゲルマン人が西側に移動したとき、<strong>スラヴ人</strong>という人達が入ってきた</p>
<p>→スラヴ人は、ビザンツ帝国の影響を受け、ギリシア正教会を受け入れていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>11～12世紀には、ヨーロッパの<strong>封建社会</strong>が大きく発展した</p>
<p>※この時に、ローマ＝カトリック教会の勢いも強まってきていた</p>
<p>→そのため、ローマ＝カトリック教会は、以下のようなことを行った</p>
<p>・教皇や司祭などの強固な階層組織を築いて独立した</p>
<p>・教えを整え、民衆の信仰心をローマ＝カトリック教会の教えの中に取り込んだ</p>
<p>・小さな集落に教会堂という高い塔ができ、民衆に支えられるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>教皇（ローマ＝カトリック教会のトップ）は、聖地イエルサレムをイスラームから奪うことを考えて、<strong>十字軍</strong>を作った</p>
<p>※十字軍は、何度も作られながらも、結果的に失敗した</p>
<p>→この失敗によって、教皇の権威が衰えた</p>
<p>→一方で、十字軍をきっかけとして東方との交流が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>10世紀までのヨーロッパ社会は、自給自足的な農業生活に頼ってきた</p>
<p>→11～12世紀には、農業生産力の上昇、人口増加、ヒトとモノとの活発な移動が起きた</p>
<p>※この移動によって、農村から離れる人達が出てきた</p>
<p>→農村から離れた人たちからは、職人などの専門職や商人などが多く出てきた</p>
<p>＝職人や商人などは、農村とは違う別の生活や仕組みが見られるようになり、<strong>都市</strong>が誕生した</p>
<p>※都市は周囲を巻き込んでどんどん発展し、のちのルネサンス文化の誕生に貢献した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ヨーロッパの中でもイギリスは、国王の力が強かった</p>
<p>→そのため、13世紀に国王の暴走を抑えようと考えた貴族の動きが強まった</p>
<p>＝その結果、<strong>マグナ＝カルタ</strong>が発布された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→さらに、14～15世紀になると、凶作、飢餓、<strong>ペスト</strong>の流行などによる人口の激減、民衆の反乱や百年戦争などの危機的な出来事が起きた</p>
<p>＝この結果、以下の2つの動きが見られた</p>
<p>・弱小の領主が没落した</p>
<p>・国王や大諸侯は軍事力を使って危機を克服し、領地を拡大して富と権威を増やした</p>
<p>→そして、富と権威を増やした国王や大諸侯は、<strong>中央集権的な国家</strong>を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※同時に、イベリア半島で<strong>レコンキスタ</strong>を達成した王権の力が強まった</p>
<p>→その勢いは、海外進出にも向けられた</p>
<p>※レコンキスタ・・イベリア半島からイスラーム王朝を追い出して、国土を再征服しようとした運動のこと</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2465">あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>スラヴ人と周辺民族の動きについて①　－スラヴ人の概要と東スラヴ人－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/843</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/843#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 12 Oct 2013 14:12:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[イヴァン4世]]></category>
		<category><![CDATA[ウラディミル1世]]></category>
		<category><![CDATA[キエフ公国]]></category>
		<category><![CDATA[キプチャク＝ハン国]]></category>
		<category><![CDATA[ゲルマン人]]></category>
		<category><![CDATA[スラヴ人]]></category>
		<category><![CDATA[タタールのくびき]]></category>
		<category><![CDATA[ツァーリ]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[東スラヴ人]]></category>

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		<description><![CDATA[スラヴ人と周辺民族の動きについて、スラヴ人の概要と東スラヴ人を考えてみます &#160; &#160; ・スラヴ人と周辺民族の動きについて &#160; 　※スラヴ人とは・・カルパティア山脈の北方を原住地とする民族のこと [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/843">スラヴ人と周辺民族の動きについて①　－スラヴ人の概要と東スラヴ人－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>スラヴ人と周辺民族の動きについて、スラヴ人の概要と東スラヴ人を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・スラヴ人と周辺民族の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※スラヴ人とは・・カルパティア山脈の北方を原住地とする民族のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・スラヴ人は、６世紀になると移動するまえに、</p>
<p>　　ゲルマン人が住んでいたビザンツ帝国北側の広い地域に急速に拡大した</p>
<p>　　→それぞれの地方のスラヴ人は、以下のように周辺の影響を受けつつ、</p>
<p>　　　自立と建国を目指していった</p>
<p>　　　・東スラヴと南スラヴ・・ビザンツ文化とギリシア正教の影響を受ける</p>
<p>　　　・西スラヴ・・西欧文化とローマ＝カトリックの影響を受ける</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・それぞれの地方のスラヴについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東スラヴ人について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※東スラヴ人・・ロシアのドニエプル川中流域に展開した民族のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　・東スラヴ人は、９世紀にスウェーデン系ノルマン人がノヴゴロド国を、</p>
<p>　　　その後にキエフ公国を作った</p>
<p>　　　→そして、先住民に同化してスラヴ化していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１０世紀の終わりころに、ウラディミル１世という人が周辺の民族と戦って、領土を広げた</p>
<p>　　　※この時に、キエフ公国が最盛期だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ウラディミル１世はギリシア正教に改宗し、ビザンツのような専制君主制をまねた</p>
<p>　　　※そのため、この動き以降のロシアは西欧とは別の文化圏に入ることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・その後、農民の農奴化と貴族の大土地所有が進んだ</p>
<p>　　　※ただし、その後は大土地所有者である諸侯が様々に分立したため、国内は分裂した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１３世紀にバトゥが連れているモンゴル人が南ロシアに侵入するということが起きた</p>
<p>　　　→すると、モンゴル人は南ロシアにキプチャク＝ハン国を作った</p>
<p>　　　→その後、キエフ公以下の諸侯は、キプチャク＝ハン国に屈服した</p>
<p>　　　　＝結果的に２４０年の間、モンゴル支配に従うことになった</p>
<p>　　　　　※この出来事を、タタールのくびきという</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１５世紀になると商業都市のモスクワを中心としてモスクワ大公国が急激に勢力を伸ばした</p>
<p>　　　※大公イヴァン３世の時に東北ロシアを統一した</p>
<p>　　　　＝結果的に１４８０年にモンゴルの支配から脱出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・イヴァン３世は以下のようなことを行った</p>
<p>　　　→・諸侯の力をおさえて権力を握った</p>
<p>　　　　・ビザンツ帝国の最後の皇帝の姪であるソフィアという人と結婚して</p>
<p>　　　　　ローマ帝国の後継者を自任した</p>
<p>　　　　・初めてツァーリ（皇帝）という称号を用いた</p>
<p>　　　　・農奴を土地に縛り付けて農奴制を強化した</p>
<p>　　　　・イヴァン３世の孫のイヴァン４世の中央集権化のための道を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・スラヴ人の概要をおさえる</p>
<p>・東スラヴ人についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/843">スラヴ人と周辺民族の動きについて①　－スラヴ人の概要と東スラヴ人－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>ビザンツ帝国について②　－ビザンツ帝国の社会－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/842</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/842#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 12 Oct 2013 14:02:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[イコン美術]]></category>
		<category><![CDATA[キリスト教]]></category>
		<category><![CDATA[サン＝ヴィダーレ聖堂]]></category>
		<category><![CDATA[ハギア＝ソフィア聖堂]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ様式]]></category>
		<category><![CDATA[プロノイア制]]></category>
		<category><![CDATA[大土地所有制]]></category>
		<category><![CDATA[屯田兵制度]]></category>
		<category><![CDATA[軍管区制]]></category>

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		<description><![CDATA[ビザンツ帝国の社会について考えてみます &#160; &#160; ・ビザンツ帝国の社会について &#160; &#160; 　・初期のビザンツ帝国は、コロヌスを使った大土地所有制度が中心だった 　　→しかし、７世紀以降 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/842">ビザンツ帝国について②　－ビザンツ帝国の社会－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ビザンツ帝国の社会について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ビザンツ帝国の社会について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・初期のビザンツ帝国は、コロヌスを使った大土地所有制度が中心だった</p>
<p>　　→しかし、７世紀以降に異民族の侵入への対処のために軍管区制（テマ制）が採用されて、</p>
<p>　　　中央集権化が進んだ</p>
<p>　　　※軍管区制・・帝国をいくつかの軍管区に分けて、その司令官に軍事と行政の権限を与える</p>
<p>　　　　　　　　　　という制度のこと</p>
<p>　　　※軍管区では、屯田兵制（農民に土地を与える代わりに兵役義務を課す制度）が行なわれた</p>
<p>　　　　→そのため、小土地所有の自由農民が増え、自由農民が帝国を支える基盤になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→軍管区制は１０世紀に完成したが、その後に再び貴族が農奴を使って</p>
<p>　　　経営するという大土地所有制が拡大した</p>
<p>　　→そして、１１世紀末以降から、皇帝は中央集権を維持するために、</p>
<p>　　　仕方なくプロノイア制を採用した</p>
<p>　　　※プロノイア制・・軍役の奉仕と引き換えに貴族に領地を与える制度のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ビザンツ帝国の文化には、以下のような特徴がある</p>
<p>　　→・ギリシア古典文化の遺産とギリシア正教の融合だった　</p>
<p>　　　・西欧のラテン的、ローマ＝カトリック的文化とは明らかに違う独自性を持っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→公用語は７世紀以降からギリシア語が採用された</p>
<p>　　　※ギリシア語で、ギリシアの古典が盛んに研究されて受け継がれていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→学問の中心はキリスト教神学で、聖像崇拝論争などが行なわれていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→美術の面では、ビザンツ様式の教会建築が有名</p>
<p>　　　※ビザンツ様式・・ドームとモザイク壁画が特徴の様式のこと</p>
<p>　　　※代表的なものに、ハギア＝ソフィア聖堂やサン＝ヴィダーレ聖堂などがある</p>
<p>　　　※その他の美術では、聖母子像などをえがいたイコン美術などが</p>
<p>　　　　ビザンツ帝国で特徴的な美術とされている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝世界史の視点から考えた時に、ビザンツ帝国の文化は以下のような視点で</p>
<p>　　　　重要だと言われている</p>
<p>　　　　・スラヴ人をビザンツ帝国の文化圏に取り入れた</p>
<p>　　　　・古代ギリシアの文化遺産を受けついでイタリア＝ルネサンスに影響を与えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ビザンツ帝国の社会の様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/842">ビザンツ帝国について②　－ビザンツ帝国の社会－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>ビザンツ帝国について①　－ビザンツ帝国の歴史－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/841</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/841#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 12 Oct 2013 13:49:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[オスマン帝国]]></category>
		<category><![CDATA[ギリシア正教会]]></category>
		<category><![CDATA[コンスタンティノープル]]></category>
		<category><![CDATA[ハギア＝ソフィア聖堂]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[ユスティニアス大帝]]></category>
		<category><![CDATA[ヴァンダル王国]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>
		<category><![CDATA[東ローマ帝国]]></category>

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		<description><![CDATA[ビザンツ帝国について、歴史を中心に考えてみます &#160; &#160; ・ビザンツ帝国の歴史について &#160; &#160; 　・西ヨーロッパがカール大帝のころまで一つの世界として自立する一方で、 　　東ヨーロッ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/841">ビザンツ帝国について①　－ビザンツ帝国の歴史－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ビザンツ帝国について、歴史を中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ビザンツ帝国の歴史について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ヨーロッパがカール大帝のころまで一つの世界として自立する一方で、</p>
<p>　　東ヨーロッパではビザンツ帝国（東ローマ帝国）がギリシア正教と</p>
<p>　　ギリシア古典文化を融合した独自の文化的世界を作った</p>
<p>　　→ビザンツ帝国は、西ヨーロッパに対して経済的かつ文化的な</p>
<p>　　　先進文明圏として優位を保った</p>
<p>　　　</p>
<p>　・ビザンツ帝国は、西ヨーロッパとは違い、ゲルマン人の大移動による</p>
<p>　　深刻な打撃を受けなかった</p>
<p>　　→そのため、商業と貨幣経済は繁栄し続けた</p>
<p>　　　※首都のコンスタンティノープル（旧名ビザンティウム）は、</p>
<p>　　　　ヨーロッパ世界最大の貿易都市として、中世の間栄えていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・政治面では、ローマ帝政末期以来の巨大な官僚制による皇帝専制支配が維持されていた</p>
<p>　　※西ヨーロッパでは、皇帝と教皇という２つの権力が並んでいたが、</p>
<p>　　　ビザンツ皇帝は、地上でのキリスト教の代理人として、</p>
<p>　　　ギリシア正教会を支配する立場にあった</p>
<p>　　　＝そのため、ビザンツ皇帝は政治と宗教の両面で最高の権力者だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ローマ帝国が滅亡してからしばらくは、西方のゲルマンの様々な国家も、</p>
<p>　　ローマ帝国唯一の後継者であるビザンツ皇帝の権威を認めて服従していた</p>
<p>　　→特に、ユスティニアス大帝は地中海帝国の復興を目指し、</p>
<p>　　　北アフリカのヴァンダル王国やイタリアの東ゴート王国を滅ぼして、</p>
<p>　　　一時的に地中海のほぼ全域にローマ帝国を復活させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・内政については、「ローマ法大全」の編纂や、ハギア（セント）＝ソフィア聖堂の</p>
<p>　　建立などの事業に力を注ぎ、中国から養蚕技術を取り入れて、</p>
<p>　　絹織物産業の発展の基礎を築いていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、長期間の征服戦争によって国力は低下していってしまった</p>
<p>　　→そのため、ユスティニアヌス大帝が死んだ後に、</p>
<p>　　　イタリアがランゴバルド王国やフランク王国に奪われてしまった</p>
<p>　　→また、７世紀にササン朝が、その後にアラブ人ムスリムが進出してきたことによって、</p>
<p>　　　シリア・エジプトが奪われた</p>
<p>　　→さらに、スラヴ人が大量にバルカン半島に移住した</p>
<p>　　→そして、北方でトルコ系のブルガール人がブルガリア帝国を作った</p>
<p>　　　＝このように、ビザンツ帝国は段々と支配権を小さくしていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１０世紀から１１世紀前半は、異民族を撃退して一時的に勢力を回復した</p>
<p>　　→しかし、１１世紀の後半に東方からセルジューク朝の侵入を受けた</p>
<p>　　→そして、１３世紀の前半に第４回十字軍が首都を奪ってラテン帝国という帝国を作った</p>
<p>　　　＝このように、国内はどんどん混乱していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、一度ビザンツ帝国が復活した</p>
<p>　　　※しかし、昔のような勢いが戻ることはなかった</p>
<p>　　　　＝そのため、結果的に１４５３年にオスマン帝国に滅ぼされてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ビザンツ帝国の歴史についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/841">ビザンツ帝国について①　－ビザンツ帝国の歴史－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>イスラーム教の誕生について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/812</link>
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		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 15:29:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イスラム世界史]]></category>
		<category><![CDATA[アラビア半島]]></category>
		<category><![CDATA[アラブ人]]></category>
		<category><![CDATA[イスラーム教]]></category>
		<category><![CDATA[オアシス]]></category>
		<category><![CDATA[コーラン]]></category>
		<category><![CDATA[ササン朝]]></category>
		<category><![CDATA[ヒジュラ]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[ムハンマド]]></category>
		<category><![CDATA[紅海貿易]]></category>

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		<description><![CDATA[イスラーム教の誕生について考えてみます &#160; &#160; ・イスラーム教の誕生について &#160; 　※イスラーム教の流れは、アラビア半島から始まった 　 &#160; &#160; 　・イスラーム教誕生まで [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/812">イスラーム教の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>イスラーム教の誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イスラーム教の誕生について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※イスラーム教の流れは、アラビア半島から始まった</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イスラーム教誕生までの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・アラビア半島は、多くが砂漠に覆われていた</p>
<p>　　　→アラビア半島には、アラブ人と呼ばれる人達が住んでいて、</p>
<p>　　　　以下のような行動がされていた</p>
<p>　　　　・各地に点在するオアシスを中心に、昔から遊牧や農業生活を営んでいた</p>
<p>　　　　・隊商による商業活動が行なわれていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・６世紀の後半に、ササン朝とビザンツ帝国というところが戦いを繰り返すということが起きた</p>
<p>　　　→すると、絹の道と呼ばれる道が２つの国の国境で途切れてしまった</p>
<p>　　　　＝結果的に、ビザンツ帝国の国力の低下と、ビザンツ帝国が支配していた</p>
<p>　　　　　紅海貿易という貿易も衰退した</p>
<p>　　　　　※そのため、絹の道や海の道と呼ばれる道を通って運ばれていた商品は、</p>
<p>　　　　　　アラビア半島西部を通るようになった</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　　→この流れの結果、アラビア半島にあったメッカという都市の大商人が</p>
<p>　　　　利益を上げるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、メッカに生まれたクライシュ族という民族の商人であるムハンマドという人が出てきた</p>
<p>　　→ムハンマドは、６１０年ころに唯一神であるアッラーの言葉を</p>
<p>　　　さずけられた預言者だと自覚した</p>
<p>　　　＝その結果、ムハンマドは多神教にかわり、一神教であるイスラーム教を</p>
<p>　　　　唱えるようになっていった　　　　　</p>
<p>　　　　※アッラーは、イスラーム教が成立する前から、メッカの人々によって</p>
<p>　　　　　神の中の最高神として信仰されていた</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→ムハンマドは、富を独占していたメッカの大商人を批判していた</p>
<p>　　　※そのため、ムハンマドはメッカの大商人による迫害を受け、</p>
<p>　　　　６２２年に少数の信者を連れて</p>
<p>　　　　メディナというところに移住し、メディナにイスラーム教徒（ムスリム）の</p>
<p>　　　　共同体（ウンマ）を作った</p>
<p>　　　　＝この移住のことを、ヒジュラ（聖遷）という</p>
<p>　　　　　※ヒジュラは太陰暦だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・６３０年に、ムハンマドは死者を出すことなく、メッカを征服した</p>
<p>　　※この時に、多神教の神殿だったカーバを、イスラーム教の聖殿に定めた</p>
<p>　　　→その後、アラブの様々な部族がどんどんとムハンマドの支配下にはいっていった</p>
<p>　　　　＝結果的に、ムハンマドの権威のもとにアラビア半島がゆるやかに統一されていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イスラーム教は、「コーラン」という教典があった</p>
<p>　　※「コーラン」は、ムハンマドにくだされた神の言葉を集めたものであり、</p>
<p>　　　アラビア語で記されていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ムハンマドは、「旧約聖書」と「新約聖書」を、イスラーム教の前段階の神の啓示の書と</p>
<p>　　　みなしたから、ユダヤ教徒とキリスト教徒は、信仰の自由を認められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※コーランの教義の中心は、アッラーへの絶対的な服従（イスラーム）だった</p>
<p>　　　→その掟は、信仰生活に加えて、政治、社会、文化の活動の</p>
<p>　　　　全てに影響を与えている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・イスラーム教の成立過程をおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/812">イスラーム教の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>西ローマ帝国の滅亡について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/690</link>
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		<pubDate>Fri, 04 Oct 2013 20:39:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[オリエント地中海古代史]]></category>
		<category><![CDATA[ゲルマン人の大移動]]></category>
		<category><![CDATA[コロヌス]]></category>
		<category><![CDATA[コンスタンティヌス帝]]></category>
		<category><![CDATA[コンスタンティノープル]]></category>
		<category><![CDATA[テオドシウス帝]]></category>
		<category><![CDATA[テトラルキア（四帝分治制）]]></category>
		<category><![CDATA[ディオクレティアヌス帝]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[専制君主制]]></category>

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		<description><![CDATA[西ローマ帝国の滅亡について考えてみます &#160; &#160; ・西ローマ帝国の滅亡について &#160; &#160; 　・２８４年にディオクレティアヌス帝が即位した &#160; 　　→ディオクレティアヌス帝は、 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/690">西ローマ帝国の滅亡について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>西ローマ帝国の滅亡について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・西ローマ帝国の滅亡について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・２８４年にディオクレティアヌス帝が即位した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→ディオクレティアヌス帝は、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・四帝分治制（テトラルキア）という制度を使って、政治的な秩序を回復した</p>
<p>　　　　※四帝分治制・・帝国を４つに分け、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　正帝と副帝を２人ずつたてて統治させる制度のこと</p>
<p>　　　・軍の兵員を増やして、徴税の仕組みを新しくするなどの様々な改革を行った</p>
<p>　　　　→上のような改革によって、分裂の危機をとりあえず回避した</p>
<p>　　　・皇帝を神として礼拝させ、専制君主として支配した</p>
<p>　　　　＝結果的に、政治体制が元首政から専制君主政（ドミナトゥス）へと変化していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ディオクレティアヌス帝の政策を、コンスタンティヌス帝という人が引き継いだ</p>
<p>　　→コンスタンティヌス帝は、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・今まで迫害されていたキリスト教を公認することで、帝国の統一を狙った</p>
<p>　　　・軍隊をさらに増強して、帝国の支配を安定させようとした</p>
<p>　　　・財政基盤を整備するために、コロヌスを土地に縛り付けて税の収入を確保した</p>
<p>　　　・下層民の身分や職業を世襲化させた</p>
<p>　　　・３３０年に新しい首都を、ビザンティウムというところに建設した</p>
<p>　　　　※この都市は、コンスタンティノープルと名前を変えた</p>
<p>　　　　→財政基盤の整備や世襲化などを使って、巨大な官僚体制を作っていった</p>
<p>　　　・官吏の力を強め、皇帝が官吏を使って帝国を専制支配する体制を作っていった</p>
<p>　　　・ローマを官僚制を土台とした階層社会にした</p>
<p>　　　　→そのため、人々は官吏としての出世が目標になっていった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　＝こうして、ポリス以来の市民の自由は完全に失われてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・コンスタンティヌス帝が改革したのにも関わらず、膨大な数の軍隊と官僚を支えるための</p>
<p>　　重い税金は相次ぐ属州の反乱を招くことになった</p>
<p>　　→そして、３７５年にゲルマン人の大移動ということが起きたため、帝国内部が混乱した</p>
<p>　　　＝そのため、帝国の分裂を防ぐことは難しかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで、３９５年にテオドシウス帝は帝国を東西に分割して２人の子どもに分け与えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東西の分割によって、東ローマ帝国（ビザンツ帝国）と西ローマ帝国が出て来た</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東ローマ帝国は、コンスタンティノープルを首都とし、都市経済が比較的に順調だった</p>
<p>　　→そのため、その後１４５３年まで東ローマ帝国は続いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ローマ帝国は、ローマを首都とし、ゲルマン人の侵入によって混乱してしまった</p>
<p>　　→そのため、４７６年にゲルマン人傭兵隊長のオドアケルという人によって、</p>
<p>　　　西ヨーロッパ皇帝が退位させられた</p>
<p>　　　＝その結果、西ヨーロッパ帝国は滅亡してしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ディオクレティアヌス帝の動きについておさえる</p>
<p>・コンスタンティヌス帝の動きについておさえる</p>
<p>・東ローマ帝国と西ローマ帝国の様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/690">西ローマ帝国の滅亡について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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