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	<title>アラエス &#187; ピューリタン革命</title>
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	<item>
		<title>社会は法が支配しているのか</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2375</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2375#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 10 Jan 2014 04:27:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[政治全般]]></category>
		<category><![CDATA[エドワード・コーク]]></category>
		<category><![CDATA[コモン・ロー]]></category>
		<category><![CDATA[ピューリタン革命]]></category>
		<category><![CDATA[ボーダン]]></category>
		<category><![CDATA[マグナカルタ]]></category>
		<category><![CDATA[モンテスキュー]]></category>
		<category><![CDATA[基本的人権]]></category>
		<category><![CDATA[法の支配]]></category>
		<category><![CDATA[王権神授説]]></category>
		<category><![CDATA[絶対王政]]></category>

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		<description><![CDATA[社会は法が支配しているという考え方があるので、 ちょっと調べてみました。 &#160; &#160; 一般的に、法が国を絶対的に支配することを、法の支配と言います （反対を人の支配といいます。） &#160; &#038;nbsp [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2375">社会は法が支配しているのか</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>社会は法が支配しているという考え方があるので、</p>
<p>ちょっと調べてみました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一般的に、法が国を絶対的に支配することを、法の支配と言います</p>
<p>（反対を人の支配といいます。）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>法の支配のスタートは、イギリスのマグナカルタです</p>
<p>（マグナカルタは、法の支配といいながら、身分制でした）</p>
<p>→マグナカルタをきっかけに、法の支配から抜け出す考えが出てきました</p>
<p>＝そのときに出た考え方が、絶対王政です</p>
<p>※絶対王政・・王が国を絶対的に支配すること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>絶対王政は、2種類ありました。</p>
<p>①ボーダンという人の主権論＝王権神授説</p>
<p>②エドワード・コークという人のコモン・ロー＋法の支配</p>
<p>　＝神と法の下に王は立つという考え方</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→このように、法の支配について様々な考え方があったので、</p>
<p>　法の支配でもめました</p>
<p>＝その代表的なのが、ピューリタン革命や清教徒革命でした</p>
<p>※結局、「法の支配」は権利章典で確認されています</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ただし、法の支配は時代が進むにつれて性格が違いました</p>
<p>〇昔・・特権論</p>
<p>→伝統や歴史を土台に、一部の人だけが権利を持つ</p>
<p>（法の支配は、身分制度とセットという考え方）</p>
<p>〇その後・・人権論</p>
<p>→人間は生まれながらに自由かつ平等で、様々な自然権がある</p>
<p>（法の支配は、基本的人権とセットという考え方）</p>
<p>※その後の人権論は、バージニア権利章典、アメリカ独立宣言、フランス革命の人権宣言などが影響を受けています</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみにですが、法の支配について、権力をコントロールするという考え方もあります。</p>
<p>代表的な人を２人紹介しておきます。</p>
<p>・ロック</p>
<p>→権力は立法、執行、同盟に分けるべき　※ただし、立法優先</p>
<p>・モンテスキュー</p>
<p>→三権分立にすべき（立法、司法、行政）</p>
<p>※三権分立＋人民主義が土台となっているもの</p>
<p>＝アメリカ合衆国憲法（1787年）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>法の支配について考えてみましたが、</p>
<p>実際は誰が社会を支配するのがいいのでしょうか？</p>
<p>神、王、法、国民、その他いろいろですが、</p>
<p>難しいところです。</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2375">社会は法が支配しているのか</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>戦争と税金―戦争は税金の生みの親(イギリスの例)</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2343</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2343#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 26 Dec 2013 01:36:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ルーブル]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[世界史全般]]></category>
		<category><![CDATA[ピューリタン革命]]></category>
		<category><![CDATA[内国消費税]]></category>
		<category><![CDATA[名誉革命]]></category>
		<category><![CDATA[査定課税]]></category>
		<category><![CDATA[権利章典]]></category>
		<category><![CDATA[権利請願]]></category>
		<category><![CDATA[租税協賛権]]></category>

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		<description><![CDATA[  タイトル通り、戦争と税金は切っても切れない関係にあります。先に大まかなポイントと流れだけ示しておきます。先にポイントを抑えることで理解が早まるかと思います。 &#160; ☆☆☆ 戦争→財政危機→国王の増税路線→議会 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2343">戦争と税金―戦争は税金の生みの親(イギリスの例)</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p align="center"> </p>
<p>タイトル通り、戦争と税金は切っても切れない関係にあります。先に大まかなポイントと流れだけ示しておきます。先にポイントを抑えることで理解が早まるかと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆☆☆</p>
<p>戦争→財政危機→国王の増税路線→議会権力(国民側)の強化→勢力を増した議会が分裂→新たな戦争(内戦)へ→またしても税金論へ・・・</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>更に下記も合わせて(というより先に読んだほうが？)読んでいただけると、より理解が進むかと思います。↓↓↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p> <a href="http://ahlaes.com/post/2341">租税問題が国家を揺るがす―「家産国家」から「租税国家」へ</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それでは中身に入っていきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・17Cの財政危機</p>
<p>17C、スチュアート王政は財政危機に悩んでいた</p>
<p>⇒背景は30年戦争の一環である対スペイン戦争</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そこで、臨時税が必要となった。しかし、当時のイギリスでの臨時税はその都度議会の承認が必要だった。そんな中で1625年、国王チャールズ1世が即位。</p>
<p>⇒思っていたほどの税額の承認を得られず・・・</p>
<p>⇒王はふざけるな！ということで議会を解散、承認なしに徴税を実施</p>
<p>⇒1628年、こうした王の対応に不満を持った議会は「権利請願」を起草、王に提出。その第1項が「議会の同意なき課税の禁止」であった。</p>
<p>⇒しぶしぶ裁可したものの、王と議会の関係は次第に悪化</p>
<p>さらに1640年にはまたしても議会を招集せざるを得なくなるも(対スコットランドとの主教戦争)、議会の不満は噴出、法案は議会によって次々に廃止された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・1643年の新税―査定課税と内国消費税</p>
<p>このように当時のイギリスは、議会の発言力が高まっている状況だった。</p>
<p>⇒こうした背景から議会は徐々に過激化し、1641年には「大抗議文」という王の悪政批判を書き連ねた文書を出すまでになった。これは僅差で可決。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※僅差だったのは「大抗議文」の強硬路線についていけなかった穏健派(ここまでやるとは思っていませんでした、というグループ)が反対に回ったため。</p>
<p>⇒ここから議会内部の勢力も「議会派(強硬派)」と「国王派(穏健派)」に分裂</p>
<p>⇒今度はこの2つが戦争を始めるように(内戦)。議会軍と国王軍は1642年についに衝突。決着はつかなかったものの、その後は議会軍が劣勢に。なぜか？軍費を調達する財政基盤を欠いていたから。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆ここで新たな税金が登場するわけです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>議会：「査定課税」の導入</p>
<p>⇒一定の財源調達額を各地域に割り振り、財産の査定(評価)額に応じた課税を各戸に対して行うというもの。現代で言えば資産課税(相続税や固定資産税など)のことだと考えてよいと思います。この直接税は、後年のイギリス所得税の先駆けとなります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>査定課税は、徴税機構の不備もあり、とても公平課税とは言い難かった。また、地域的にはロンドンに負担が集中したこともあり、その不満を避けるために間接税の導入が検討されました。「内国消費税」のことです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>内国消費税：現代日本でいう消費税。査定課税が財産保有者に対する課税であったのに対して、内国消費税は生活必需品課税の色彩が強く、庶民も負担を強いられた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>内国消費税はあくまで戦争のための臨時課税であって、内戦が終わり次第廃止されるという説明があったが、現実には内戦後も国家財政の窮乏を救うため、むしろ課税対象を拡大し、恒久化された。</p>
<p>⇒イギリスの財政基盤の確立</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・名誉革命へ</p>
<p>こうして財政基盤が整うと、次は軍備です。</p>
<p>1645年、イギリス議会は議会軍の再編強化を図った。→46年、議会軍は国王を降伏させて第1次内乱を終結→47年、国王を捕虜に→48年、第2次内乱も終結→49年、国王チャールズ1世も処刑</p>
<p>⇒これがピューリタン革命です。合わせて読むなら↓↓↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/932">イギリス革命について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その後、チャールズ2世による王政復古もあったが、失墜</p>
<p>⇒「権利章典」の原型である「権利宣言」が出された=名誉革命</p>
<p>名誉革命については↓↓↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p> <a href="http://ahlaes.com/post/933">名誉革命について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>権利宣言の中身：国王の守るべき規範が13項目にわたって列記</p>
<p>☆税関係で重要なのは、「国王は議会の同意なしに課税しない」(租税協賛権)という項目</p>
<p>⇒議会(国民)による「租税協賛権」の獲得</p>
<p>⇒現代の税のあり方の原型が確立</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆☆☆</p>
<p>このように現代にみられる税のあり方は、戦争がキーポイントになっていたことがよくわかります。これはイギリスだけでなく、アメリカでも同じです。これについては改めて。</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2343">戦争と税金―戦争は税金の生みの親(イギリスの例)</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>ホッブズについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1652</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1652#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 07:08:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[宮下]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[西洋思想]]></category>
		<category><![CDATA[ピューリタン革命]]></category>
		<category><![CDATA[ホッブズ]]></category>
		<category><![CDATA[リヴァイアサン]]></category>
		<category><![CDATA[万人の万人に対する戦い]]></category>
		<category><![CDATA[君主制]]></category>
		<category><![CDATA[社会契約説]]></category>
		<category><![CDATA[自己保存]]></category>
		<category><![CDATA[自然権]]></category>
		<category><![CDATA[自然状態]]></category>
		<category><![CDATA[譲渡]]></category>

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		<description><![CDATA[ホッブズについて考えてみます &#160; &#160; ・ホッブズについて 　※ホッブズがいた時代のイギリスは、ピューリタン革命という出来事の時の時代であり、 　　その時に「リヴァイアサン」という本を書いたという背景が [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1652">ホッブズについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ホッブズについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ホッブズについて</p>
<p>　※ホッブズがいた時代のイギリスは、ピューリタン革命という出来事の時の時代であり、</p>
<p>　　その時に「リヴァイアサン」という本を書いたという背景がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ホッブズの考え方について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ホッブズは、人間を「自己保存の欲望をどこまでも追求する利己的存在」だと考えた</p>
<p>　　　＝要は、一人一人が自分の欲望を満たすために自然権を使うことが出来る状態が、</p>
<p>　　　　自然状態だと考えた</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※しかし、自然権が人々全員が持っていても、自然状態自体は</p>
<p>　　　　権利を何も持っていないと考えた</p>
<p>　　　　→そのため、人々は欲望を求めたとしても、統制する環境が無い状態になるので</p>
<p>　　　　　危険だと考えた</p>
<p>　　　　　＝このような考え方を「万人の万人に対する戦い」という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・上のような考え方からホッブズは、</p>
<p>　　　　一人一人が個人や団体に自分の全ての権利と意志を譲渡するべきだ</p>
<p>　　　　という考えを生み出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・また、譲渡することが人々によって認められ、人々がお互いの譲渡という</p>
<p>　　　　社会契約によって作られたものが国家だと考えた</p>
<p>　</p>
<p>　　　　※ホッブズは、社会と一度契約したから、人々が社会に反抗することは</p>
<p>　　　　　許されないと考えた</p>
<p>　　　　　＝ということは、国家はリヴァイアサン（「旧約聖書」に出てくる怪獣のこと）の</p>
<p>　　　　　　ような強い力が無いと社会をまとめることはできないと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→以上のような考え方から、ホッブズは、</p>
<p>　　　君主制を肯定しつつ、国家は個人の自然権を土台に、個人同士の契約からできたと考えた</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1652">ホッブズについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>イギリス革命について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/932</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/932#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 13:00:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[赤長のいちご]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史前期]]></category>
		<category><![CDATA[イギリス革命]]></category>
		<category><![CDATA[カルヴァン派]]></category>
		<category><![CDATA[クロムウェル]]></category>
		<category><![CDATA[チャールズ1世]]></category>
		<category><![CDATA[ピューリタン革命]]></category>
		<category><![CDATA[市民革命]]></category>
		<category><![CDATA[毛織物マニュファクチュア]]></category>
		<category><![CDATA[王権神授説]]></category>
		<category><![CDATA[短期議会]]></category>
		<category><![CDATA[英蘭戦争]]></category>

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		<description><![CDATA[イギリス革命について考えてみます &#160; &#160; ・イギリス革命について &#160; &#160; 　 　・イギリスでは、１６０３年にスコットランド出身のステュアート家が 　　王位を継ぐということが起きた  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/932">イギリス革命について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>イギリス革命について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イギリス革命について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・イギリスでは、１６０３年にスコットランド出身のステュアート家が</p>
<p>　　王位を継ぐということが起きた</p>
<p>　　</p>
<p>　　※当時は、大地主の貴族やジェントリが地方の行政や議会で重要な役割を演じていた</p>
<p>　　　→その背後では、商工業の発達で市民層が力を伸ばしていた</p>
<p>　　　→一方で農村では、今までの領主層が力を失い、独立自営農民（ヨーマン）が活躍した</p>
<p>　　　→富農の一部は、副業として毛織物マニュファクチュアを営んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝しかし、結果的に国王のジェームズ１世という人は、</p>
<p>　　　王権神授説を提唱して専制政治を行った</p>
<p>　　　※王権神授説・・神から授かった王権は人民にコントロールされないという考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→国民のあいだでは、以下のような動きに対して批判が起きた</p>
<p>　　　　　・国王が議会を無視して新しい税を取り立てた</p>
<p>　　　　　・少数の大商人に独占権を与えた</p>
<p>　　　　　※このような批判があったため、国教会に対する</p>
<p>　　　　　　カルヴァン派（ピューリタン、清教徒）の不満も強くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１６２８年に、国王の専制政治を国民の歴史的な権利にもとづいて批判した権利の</p>
<p>　　請願が可決された</p>
<p>　　※しかし、１６２９年に議会を解散したチャールズ１世という人は、</p>
<p>　　　その後１１年間は議会を開かなかった</p>
<p>　　　→その後、同君連合の関係にあったスコットランドで１６３０年代の終わりに反乱が起きた</p>
<p>　　　→そこで、国王は、１６４０年の春に１１年間の沈黙を破って議会を開いた</p>
<p>　　　　＝これが、イギリス革命（ピューリタン革命）の発端になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国王は、１６４０年の春に議会と対立するとすぐに議会を解散した</p>
<p>　　※この議会を短期議会という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、同じ年の秋に再び議会を招集した</p>
<p>　　※この議会を長期議会という</p>
<p>　　　→長期議会でも国王は激しく批判された</p>
<p>　　　　＝結果的に、１６４２年には王党派と議会派との間で</p>
<p>　　　　　内戦が起こるようになった</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　　　※議会派は、独立派と長老派に分かれた（この２つは、</p>
<p>　　　　　教会制度についても考え方が違っていた）　</p>
<p>　　　　　・独立派・・国王との戦いを徹底しようとする派閥</p>
<p>　　　　　・長老派・・より穏健的で、立憲王政をめざす派閥</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→独立派のクロムウェルという人は、ピューリタンを中心によく統率された鉄騎隊を編制し、</p>
<p>　　　議会派を勝利させた</p>
<p>　　　＝その後、クロムウェルは以下のようなことを行った</p>
<p>　　　　・議会から長老派を追放した</p>
<p>　　　　・１６４９年にチャールズ１世を処刑して、共和政を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・ジェントリ出身のクロムウェルは、共和政を作った後に以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・財産と参政権の平等を求めて、議会派の軍隊内で支持を広めていた水平派を弾圧した</p>
<p>　　　・一方で、王党派の拠点となったという理由でアイルランドやスコットランドを征服した</p>
<p>　　　　※特に、大規模な土地の没収が強行されたアイルランドは、事実上植民地化された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような動きがあった時でも、イギリスの重商主義政策は推進された</p>
<p>　　　※中でも１６５１年に制定された航海法は、イギリスとその植民地への輸入品を</p>
<p>　　　　イギリスか原産国の船で輸送することを定めた</p>
<p>　　　　→航海法は、中継貿易を中心とするオランダに打撃を与えた</p>
<p>　　　　　＝そのため、イギリスとオランダとの間で、</p>
<p>　　　　　　第１次のイギリス＝オランダ（英蘭）戦争が起きた</p>
<p>　　　　　　※イギリスとオランダとの戦いは、その後１６６０年代と１６７０年代にもあったが、</p>
<p>　　　　　　　イギリスが優勢のうちに終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝結果的にイギリス革命は、資本主義経済の自由な発展を妨げる特権商人の</p>
<p>　　独占権を廃止するなど、市民層の立場を強めていった</p>
<p>　　※このような変革を「市民革命」という</p>
<p>　　　→市民革命は、アメリカ独立戦争やフランス革命とも共通する面があったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・イギリス革命までの流れと背景についておさえる</p>
<p>・イギリス革命の内容とその後、英蘭戦争についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/932">イギリス革命について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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