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	<title>アラエス &#187; 十字軍</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2465</link>
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		<pubDate>Mon, 03 Feb 2014 22:06:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ギリシア正教会]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[マグナ＝カルタ]]></category>
		<category><![CDATA[ユスティニアヌス帝]]></category>
		<category><![CDATA[レコンキスタ]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ＝カトリック教会]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>
		<category><![CDATA[封建社会]]></category>
		<category><![CDATA[聖職者]]></category>

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		<description><![CDATA[ゲルマン人の一部は、フランク人として大陸西北部に王国を形成した →フランク人は、西ヨーロッパ全体に支配を広げ、フランク王国を作った ＝その結果、800年にカール大帝という人がローマ教皇からローマ皇帝という位を授かった &#038; [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2465">あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ゲルマン人の一部は、<strong>フランク人</strong>として大陸西北部に王国を形成した</p>
<p>→フランク人は、西ヨーロッパ全体に支配を広げ、<strong>フランク王国</strong>を作った</p>
<p>＝その結果、800年に<strong>カール大帝</strong>という人がローマ教皇からローマ皇帝という位を授かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>カール大帝は、<strong>ローマ＝カトリック教会</strong>の守護者になった</p>
<p>→カール大帝は守護者として西ヨーロッパを、東ローマ帝国に対抗するための統一した地域としてまとめた</p>
<p>※東ローマ帝国は、後に<strong>ビザンツ帝国</strong>になる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→その後、フランク王国は分裂し、別々の国として発展した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>時代が進むにつれ、西ヨーロッパでは社会での役割に応じた、以下のような身分制度が確立し、はっきり区別された</p>
<p>・神へ奉仕する<strong>聖職者</strong></p>
<p>・土地を支配して、武力を独占する<strong>戦士</strong></p>
<p>・土地の支配者の所有地で働く生産者（領主の荘園で労働する<strong>農奴</strong>）</p>
<p>※戦士は、国王などから土地を授かって騎馬戦士として仕える騎士（<strong>騎馬戦士</strong>）に分かれた</p>
<p>＝このような、身分階層を持った社会を、<strong>封建社会</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一方で、東ローマ帝国（ビザンツ帝国）は、西ヨーロッパ帝国が滅亡した後も、皇帝の支配のもとで続いた</p>
<p>→東ローマ帝国のトップだった<strong>ユスティニアヌス帝</strong>は、6世紀の時に東ヨーロッパを大帝国へ復興させた</p>
<p>※ただし、その後はだんだんと領土が縮小した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>東ローマ帝国は、<strong>専制君主</strong>（世俗の支配権と最高の宗教的権威を持つ制度）だった</p>
<p>→東ローマ帝国は、11世紀にローマ＝カトリック教会と完全に分けた<strong>ギリシア正教会</strong>を成立させた</p>
<p>※ギリシア正教会の成立によって、東ローマ帝国はギリシア文化を継承した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※東ヨーロッパでは、ゲルマン人が西側に移動したとき、<strong>スラヴ人</strong>という人達が入ってきた</p>
<p>→スラヴ人は、ビザンツ帝国の影響を受け、ギリシア正教会を受け入れていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>11～12世紀には、ヨーロッパの<strong>封建社会</strong>が大きく発展した</p>
<p>※この時に、ローマ＝カトリック教会の勢いも強まってきていた</p>
<p>→そのため、ローマ＝カトリック教会は、以下のようなことを行った</p>
<p>・教皇や司祭などの強固な階層組織を築いて独立した</p>
<p>・教えを整え、民衆の信仰心をローマ＝カトリック教会の教えの中に取り込んだ</p>
<p>・小さな集落に教会堂という高い塔ができ、民衆に支えられるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>教皇（ローマ＝カトリック教会のトップ）は、聖地イエルサレムをイスラームから奪うことを考えて、<strong>十字軍</strong>を作った</p>
<p>※十字軍は、何度も作られながらも、結果的に失敗した</p>
<p>→この失敗によって、教皇の権威が衰えた</p>
<p>→一方で、十字軍をきっかけとして東方との交流が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>10世紀までのヨーロッパ社会は、自給自足的な農業生活に頼ってきた</p>
<p>→11～12世紀には、農業生産力の上昇、人口増加、ヒトとモノとの活発な移動が起きた</p>
<p>※この移動によって、農村から離れる人達が出てきた</p>
<p>→農村から離れた人たちからは、職人などの専門職や商人などが多く出てきた</p>
<p>＝職人や商人などは、農村とは違う別の生活や仕組みが見られるようになり、<strong>都市</strong>が誕生した</p>
<p>※都市は周囲を巻き込んでどんどん発展し、のちのルネサンス文化の誕生に貢献した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ヨーロッパの中でもイギリスは、国王の力が強かった</p>
<p>→そのため、13世紀に国王の暴走を抑えようと考えた貴族の動きが強まった</p>
<p>＝その結果、<strong>マグナ＝カルタ</strong>が発布された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→さらに、14～15世紀になると、凶作、飢餓、<strong>ペスト</strong>の流行などによる人口の激減、民衆の反乱や百年戦争などの危機的な出来事が起きた</p>
<p>＝この結果、以下の2つの動きが見られた</p>
<p>・弱小の領主が没落した</p>
<p>・国王や大諸侯は軍事力を使って危機を克服し、領地を拡大して富と権威を増やした</p>
<p>→そして、富と権威を増やした国王や大諸侯は、<strong>中央集権的な国家</strong>を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※同時に、イベリア半島で<strong>レコンキスタ</strong>を達成した王権の力が強まった</p>
<p>→その勢いは、海外進出にも向けられた</p>
<p>※レコンキスタ・・イベリア半島からイスラーム王朝を追い出して、国土を再征服しようとした運動のこと</p>
<p>&nbsp;</p></p>
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		<item>
		<title>中世の地中海世界の交流の様子について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/874</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/874#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 19:07:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[足利]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世世界史]]></category>
		<category><![CDATA[イスラーム世界]]></category>
		<category><![CDATA[イタリア商人]]></category>
		<category><![CDATA[ムスリム商人]]></category>
		<category><![CDATA[ムスリム軍]]></category>
		<category><![CDATA[中世]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>
		<category><![CDATA[地中海世界]]></category>
		<category><![CDATA[地中海都市]]></category>

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		<description><![CDATA[中世の地中海世界の交流の様子について考えてみます &#160; &#160; ・中世の地中海世界について &#160; &#160; 　・イタリア商人は、キリスト教の様々な国が十字軍を起こしたのをきっかけに、 　　武器や [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/874">中世の地中海世界の交流の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中世の地中海世界の交流の様子について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中世の地中海世界について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イタリア商人は、キリスト教の様々な国が十字軍を起こしたのをきっかけに、</p>
<p>　　武器や食料などの物資の輸送を一手に引き受けて、大きな利益を出した</p>
<p>　　※ここでのイタリア商人は、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサなどの商人を指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→イタリア商人は、その他に以下のようなことも行った</p>
<p>　　　・１２～１５世紀の間にムスリム商人から香辛料やその他も買い付けていた</p>
<p>　　　・アレクサンドリアに商館を作って、活発な取引を行った</p>
<p>　　　・アイユーブ朝やマムルーク朝の君主に、戦争に必要な鉄や木材を供給していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、カイロのムスリム商人は以下のようなことを行っていた</p>
<p>　　→・シリア、北アフリカ、イベリア半島の海岸都市に代理人を派遣した</p>
<p>　　　・代理人を派遣した地中海都市を結んで、香辛料、砂糖、穀物、塩などの</p>
<p>　　　　取引に関わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１１～１３世紀に、十字軍とムスリム軍との戦争があった</p>
<p>　　→その裏で、地中海を経由して先進的な知識や技術が</p>
<p>　　　イスラーム世界からヨーロッパに入ってきた</p>
<p>　　　※ヨーロッパに入ってきた、医学、化学、哲学、数学などのアラビア語の著作は</p>
<p>　　　　次々とラテン語に訳された</p>
<p>　　　　＝上のような翻訳は、ヨーロッパ近代科学の誕生に大きく貢献したと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、イスラーム教徒が中国から学んだ、製紙法、火薬、羅針盤なども</p>
<p>　　シチリア半島やイベリア半島を経由してヨーロッパに伝えられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※サトウキビ、綿花、オレンジ、ブドウなどの高度な灌漑技術を必要とする作物の栽培が</p>
<p>　　　イベリア半島に広まったのも、地中海を結ぶ活発な交流の影響だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中世の地中海での交流の様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/874">中世の地中海世界の交流の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>教皇権の衰退について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/852</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/852#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 05:20:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[アナーニ事件]]></category>
		<category><![CDATA[コンスタンツ公会議]]></category>
		<category><![CDATA[フィリップ4世]]></category>
		<category><![CDATA[フス戦争]]></category>
		<category><![CDATA[ボニファティウス8世]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>
		<category><![CDATA[教会大分裂]]></category>
		<category><![CDATA[教皇のバビロン捕囚]]></category>
		<category><![CDATA[教皇権]]></category>
		<category><![CDATA[魔女裁判]]></category>

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		<description><![CDATA[教皇権の衰退について考えてみます &#160; &#160; ・教皇権の衰退について &#160; &#160; &#160; 　・各国ごとの統一的な政治権力が弱かった時代には、西ヨーロッパ全体に及んでいた 　　教皇の権 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/852">教皇権の衰退について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>教皇権の衰退について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・教皇権の衰退について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・各国ごとの統一的な政治権力が弱かった時代には、西ヨーロッパ全体に及んでいた</p>
<p>　　教皇の権威が衰えるようになった</p>
<p>　　※衰えた理由に、十字軍の失敗と各国での王権の伸びが挙げられる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１３世紀の終わりに教皇となったボニファティウス８世という人は、</p>
<p>　　教皇権の絶対性を主張した</p>
<p>　　→そのため、聖職者への課税に反対して、イギリス国王、フランス国王と戦った</p>
<p>　　　※しかし、１３０３年に教皇がフランス国王のフィリップ４世という人に</p>
<p>　　　　とらえられるということが起きた</p>
<p>　　　　→その後は、釈放されたものの屈辱を持っていたうちに死んでしまった</p>
<p>　　　　　＝この出来事を、アナーニ事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フィリップ４世はその後、教皇庁というのを南フランスのアヴィニョンというところに移した</p>
<p>　　→その後約７０年間、教皇はフランス王の支配下に置かれることになった</p>
<p>　　　＝この出来事を、古代のバビロン捕囚になぞらえて、</p>
<p>　　　　「教皇のバビロン捕囚」（１３０９～７７年）という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらにその後、教皇がローマに戻ると、アヴィニョンにもフランスの後押しを受けて</p>
<p>　　　別の教皇が誕生した</p>
<p>　　　※そのため、両方の教皇がお互いに正統性を主張して対立するようになった</p>
<p>　　　　＝この出来事を、教会大分裂（大シスマ）という</p>
<p>　　　　</p>
<p>　※教皇大分裂について</p>
<p>　　・この出来事によって、教皇と教会の権威の衰退が決定的になった</p>
<p>　　・一方で、教会の堕落や腐敗を批判して、教会を改革しようとする運動が各地で起こった</p>
<p>　　・そこで教会は、異端審問や魔女裁判によってカトリックの教えに反する人を罰しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１４世紀後半に、イギリスのウィクリフという人が、聖書こそ信仰の最高の権威であって、</p>
<p>　　教会は聖書の教えから離れていると批判した</p>
<p>　　＝そこで、ウィクリフは聖書を英訳するなどして、</p>
<p>　　　自分の考え方を広めるための活動を行った</p>
<p>　　　→ベーメンのフスという人は、ウィクリフの考え方に共感して、</p>
<p>　　　　教皇からの破門にも負けず、教会を批判した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝上のような宗教界の混乱を落ち着かせるため、ドイツ皇帝の提唱によって、</p>
<p>　　　コンスタンツ公会議（１４１４～１８年）という会議を開いた</p>
<p>　　　→この会議では、ウィクリフとフスを異端と宣告して、フスを火刑にした</p>
<p>　　　　＝そして、ローマの教皇を正統と認めることで、教皇大分裂が終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→しかし、ベーメンではチェコ民族運動と結びついたフス派の反乱が</p>
<p>　　　　長くなるということが起きた</p>
<p>　　　　＝この出来事をフス戦争という</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　＝結果的に、教皇権の勢いはどちらもなくなってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→その後、キリスト教の革新運動は後を絶たず、結果的に近代初期の宗教改革につながっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・教皇権の衰退までの流れをおさえる</p>
<p>・教会大分裂を中心とした教皇と教会の動きをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/852">教皇権の衰退について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>十字軍の動きについて　－十字軍が出てくるまでの流れと出てきたときの社会の様子について－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/846</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/846#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 12 Oct 2013 14:41:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[アイユーブ朝]]></category>
		<category><![CDATA[イェルサレム]]></category>
		<category><![CDATA[ウルバヌス2世]]></category>
		<category><![CDATA[クレルモン宗教会議]]></category>
		<category><![CDATA[コンスタンティノープル]]></category>
		<category><![CDATA[サラディン]]></category>
		<category><![CDATA[セルジューク朝]]></category>
		<category><![CDATA[ヴェネツィア]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>

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		<description><![CDATA[十字軍の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・十字軍が出てくるまでの流れについて &#160; &#160; 　・西ヨーロッパの封建社会は西暦１０００年ころから、３００年ほど 　　安定と成長が続く時代に [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/846">十字軍の動きについて　－十字軍が出てくるまでの流れと出てきたときの社会の様子について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>十字軍の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・十字軍が出てくるまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ヨーロッパの封建社会は西暦１０００年ころから、３００年ほど</p>
<p>　　安定と成長が続く時代になった</p>
<p>　　→そのため、この時代には以下のような特徴がある</p>
<p>　　　・当時は気候が温暖で、三圃制の普及や水車の改良など農業技術の進歩によって</p>
<p>　　　　農業生産が拡大した</p>
<p>　　　・農業の影響もあって、人口が飛躍的に増えた</p>
<p>　　　・人口の増加の影響によって、西ヨーロッパ世界が次第に</p>
<p>　　　　内側でも外側でも拡大していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※どのような拡大の動きがあったのか</p>
<p>　　　　・修道院を中心にした開墾運動　</p>
<p>　　　　・オランダの干拓</p>
<p>　　　　・エルベ川以東への東方の植民</p>
<p>　　　　・イベリア半島の国土回復運動</p>
<p>　　　　・巡礼の流行　　など</p>
<p>　　　　　→中でも大規模な西ヨーロッパの拡大が、十字軍だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・１１世紀に、セルジューク朝が東地中海沿岸に進出し、</p>
<p>　　聖地イェルサレムを支配下に置くということが起きた</p>
<p>　　※セルジューク朝は、ビザンツ帝国をおびやかすほどの力があった</p>
<p>　　　→そのため、ビザンツの皇帝は教皇に助けてもらうことをお願いした</p>
<p>　　　→そこで、当時の教皇のウルバヌス２世は１０９５年にクレルモン宗教会議を行って、</p>
<p>　　　　聖地回復の聖戦を起こすということを提唱した</p>
<p>　　　　＝その結果、１０９６年に諸侯や騎士によって作られた第１回十字軍が出発した</p>
<p>　　　　　→そして、１０９９年にイェルサレムを占領して、イェルサレム王国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、イスラーム勢力が勢いを盛りかえしてくるということが起きた</p>
<p>　　　※そのため、イスラーム勢力に対して第２回十字軍が誕生した</p>
<p>　</p>
<p>　　→その後、アイユーブ朝のサラディンという人に聖地を再び奪われた</p>
<p>　　　※そこで、聖地を回復するために、ドイツ皇帝、フランス国王、イギリス国王が参加して</p>
<p>　　　　第３回十字軍が作られた</p>
<p>　　　　＝しかし、第２回十字軍も第３回十字軍も成功しなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・その後、第４回十字軍が誕生した</p>
<p>　　→しかし、第４回十字軍はヴェネツィア商人の要求があったため、聖地の回復という目的を</p>
<p>　　　捨てて、ヴェネツィアの商業上のライバルであるコンスタンティノープルを占領した</p>
<p>　　　＝その結果、第４回十字軍はラテン帝国というところを作った</p>
<p>　　　　※その後も第７回まで十字軍は続いたが、聖地回復という目的が達成されることはなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※十字軍の動きによって、以下のような動きも見られるようになった</p>
<p>　　・聖地への巡礼の保護を目的として、ドイツ騎士団などの宗教騎士団が</p>
<p>　　　各地で活躍するようになった</p>
<p>　　・少年十字軍という軍のように、熱狂的動機によって誕生し、</p>
<p>　　　悲劇的な結末に終わった運動もあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・十字軍の動きによる周辺への影響について</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※十字軍は前提として、民衆の宗教的な情熱だけでなく、参加者それぞれの動機が</p>
<p>　　複雑に絡んで誕生したものである、ということをおさえておく必要がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・教皇は、十字軍の登場を機会に、東西の両方の教会を統一しようという計画を作った</p>
<p>　　→そこで、諸侯は領地や戦利品を期待し、イタリアの様々な都市は商業の利益を</p>
<p>　　　拡大しようとした</p>
<p>　　　※十字軍は結果的に失敗したものの、その後の西ヨーロッパ世界に</p>
<p>　　　　大きな影響を与えたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、十字軍の何度もの失敗は、教皇の権威が揺らぐことになった</p>
<p>　　※そのため、遠征を指揮した国王の権威は高まることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・十字軍の輸送によって、イタリアの様々な都市は繁栄した</p>
<p>　　→そのため、地中海貿易による東方との交易がもう一度盛んになっていった</p>
<p>　　　＝この動きによって、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・東西の間で人とものとの交流が活発になった</p>
<p>　　　　・東方の先進文明圏であるビザンツ帝国やイスラームから文物が流入してきた</p>
<p>　　　　・西ヨーロッパ人の視野が広がった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　　→以上のような動きが十字軍をきっかけにして起こり、</p>
<p>　　　結果的に中世西ヨーロッパが大きく変わることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・十字軍についておさえる</p>
<p>・十字軍までの流れについておさえる</p>
<p>・十字軍の周辺の動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです　　　　</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/846">十字軍の動きについて　－十字軍が出てくるまでの流れと出てきたときの社会の様子について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>ビザンツ帝国について①　－ビザンツ帝国の歴史－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/841</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/841#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 12 Oct 2013 13:49:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[オスマン帝国]]></category>
		<category><![CDATA[ギリシア正教会]]></category>
		<category><![CDATA[コンスタンティノープル]]></category>
		<category><![CDATA[ハギア＝ソフィア聖堂]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[ユスティニアス大帝]]></category>
		<category><![CDATA[ヴァンダル王国]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>
		<category><![CDATA[東ローマ帝国]]></category>

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		<description><![CDATA[ビザンツ帝国について、歴史を中心に考えてみます &#160; &#160; ・ビザンツ帝国の歴史について &#160; &#160; 　・西ヨーロッパがカール大帝のころまで一つの世界として自立する一方で、 　　東ヨーロッ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/841">ビザンツ帝国について①　－ビザンツ帝国の歴史－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ビザンツ帝国について、歴史を中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ビザンツ帝国の歴史について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ヨーロッパがカール大帝のころまで一つの世界として自立する一方で、</p>
<p>　　東ヨーロッパではビザンツ帝国（東ローマ帝国）がギリシア正教と</p>
<p>　　ギリシア古典文化を融合した独自の文化的世界を作った</p>
<p>　　→ビザンツ帝国は、西ヨーロッパに対して経済的かつ文化的な</p>
<p>　　　先進文明圏として優位を保った</p>
<p>　　　</p>
<p>　・ビザンツ帝国は、西ヨーロッパとは違い、ゲルマン人の大移動による</p>
<p>　　深刻な打撃を受けなかった</p>
<p>　　→そのため、商業と貨幣経済は繁栄し続けた</p>
<p>　　　※首都のコンスタンティノープル（旧名ビザンティウム）は、</p>
<p>　　　　ヨーロッパ世界最大の貿易都市として、中世の間栄えていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・政治面では、ローマ帝政末期以来の巨大な官僚制による皇帝専制支配が維持されていた</p>
<p>　　※西ヨーロッパでは、皇帝と教皇という２つの権力が並んでいたが、</p>
<p>　　　ビザンツ皇帝は、地上でのキリスト教の代理人として、</p>
<p>　　　ギリシア正教会を支配する立場にあった</p>
<p>　　　＝そのため、ビザンツ皇帝は政治と宗教の両面で最高の権力者だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ローマ帝国が滅亡してからしばらくは、西方のゲルマンの様々な国家も、</p>
<p>　　ローマ帝国唯一の後継者であるビザンツ皇帝の権威を認めて服従していた</p>
<p>　　→特に、ユスティニアス大帝は地中海帝国の復興を目指し、</p>
<p>　　　北アフリカのヴァンダル王国やイタリアの東ゴート王国を滅ぼして、</p>
<p>　　　一時的に地中海のほぼ全域にローマ帝国を復活させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・内政については、「ローマ法大全」の編纂や、ハギア（セント）＝ソフィア聖堂の</p>
<p>　　建立などの事業に力を注ぎ、中国から養蚕技術を取り入れて、</p>
<p>　　絹織物産業の発展の基礎を築いていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、長期間の征服戦争によって国力は低下していってしまった</p>
<p>　　→そのため、ユスティニアヌス大帝が死んだ後に、</p>
<p>　　　イタリアがランゴバルド王国やフランク王国に奪われてしまった</p>
<p>　　→また、７世紀にササン朝が、その後にアラブ人ムスリムが進出してきたことによって、</p>
<p>　　　シリア・エジプトが奪われた</p>
<p>　　→さらに、スラヴ人が大量にバルカン半島に移住した</p>
<p>　　→そして、北方でトルコ系のブルガール人がブルガリア帝国を作った</p>
<p>　　　＝このように、ビザンツ帝国は段々と支配権を小さくしていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１０世紀から１１世紀前半は、異民族を撃退して一時的に勢力を回復した</p>
<p>　　→しかし、１１世紀の後半に東方からセルジューク朝の侵入を受けた</p>
<p>　　→そして、１３世紀の前半に第４回十字軍が首都を奪ってラテン帝国という帝国を作った</p>
<p>　　　＝このように、国内はどんどん混乱していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、一度ビザンツ帝国が復活した</p>
<p>　　　※しかし、昔のような勢いが戻ることはなかった</p>
<p>　　　　＝そのため、結果的に１４５３年にオスマン帝国に滅ぼされてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ビザンツ帝国の歴史についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/841">ビザンツ帝国について①　－ビザンツ帝国の歴史－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>バグダードからカイロへの流れについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/816</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/816#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 15:58:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イスラム世界史]]></category>
		<category><![CDATA[アイユーブ朝]]></category>
		<category><![CDATA[アズハル学院]]></category>
		<category><![CDATA[アッバース朝]]></category>
		<category><![CDATA[カイロ]]></category>
		<category><![CDATA[サラディン]]></category>
		<category><![CDATA[バグダード]]></category>
		<category><![CDATA[ファーティマ朝]]></category>
		<category><![CDATA[マムルーク朝]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>

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		<description><![CDATA[バグダードからカイロへの動きについて考えてみます &#160; &#160; ・バグダードからカイロへの動きと流れについて &#160; &#160; 　・クルド人のサラディン（サラーフ＝アッディーン）という人が以下のよ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/816">バグダードからカイロへの流れについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>バグダードからカイロへの動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・バグダードからカイロへの動きと流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・クルド人のサラディン（サラーフ＝アッディーン）という人が以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・エジプトにアイユーブ朝という王朝を作った</p>
<p>　　　・サラディンは、ファーティマ朝を倒してスンナ派の信仰を回復した</p>
<p>　　　・１１８７年に十字軍を破って、聖地のイェルサレムを奪い返した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、第３回十字軍は聖地の征服を再び目指したが、成功しなかった</p>
<p>　　→そこで、十字軍はサラディンと和解して帰国した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アイユーブ朝のスルタンも、トルコ人の奴隷を買ってマムルーク軍団を作ったが、</p>
<p>　　段々とその勢いが活発になった</p>
<p>　　→その後、スルタンが１２５０年にアイユーブ朝を倒して</p>
<p>　　　エジプト・シリアにマムルーク朝という王朝を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※第５代スルタンだったバイバルスという人は以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・シリアに侵入したモンゴル軍を撃退した</p>
<p>　　　・アッバース朝のカリフをカイロに復活させた</p>
<p>　　　・メッカ・メディナの両方の聖都を保護した</p>
<p>　　　　＝これらの内容を行うことで、イスラーム国家としてのマムルーク朝の権威を高めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アイユーブ朝からマムルーク朝中期へかけてのエジプトでは、以下のようなことが起きていた</p>
<p>　　→・ナイル川が順調に増水していた</p>
<p>　　　・安定した政治が行なわれていた</p>
<p>　　　　＝この２つによって、小麦や大豆などの主要作物の生産が増え、</p>
<p>　　　　　商品作物としてのサトウキビ栽培が普及した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その他にも、以下のような動きが見られた</p>
<p>　　　・歴代のスルタンは、国家が統制する中で、地中海・インド洋貿易の利潤を独占していた</p>
<p>　　　・首都のカイロは、バグダードのかわりに、</p>
<p>　　　　イスラーム世界の政治、経済、文化の中心地として繁栄した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ファーティマ朝時代に建設されたアズハル学院が、この時代にスンナ派イスラーム教の信仰と</p>
<p>　　　学問活動の分野で中心的な役割を果たすようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・バグダードからカイロへの流れと動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/816">バグダードからカイロへの流れについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>東方イスラーム世界の動きについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/815</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/815#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 15:55:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マミ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[イスラム世界史]]></category>
		<category><![CDATA[アッバース朝]]></category>
		<category><![CDATA[カザン＝ハン]]></category>
		<category><![CDATA[ガズナ朝]]></category>
		<category><![CDATA[スルタン]]></category>
		<category><![CDATA[セルジューク朝]]></category>
		<category><![CDATA[トゥグリル＝ベク]]></category>
		<category><![CDATA[ニザーミーヤ学院]]></category>
		<category><![CDATA[マムルーク]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>
		<category><![CDATA[東方イスラーム世界]]></category>

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		<description><![CDATA[東方イスラーム世界の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・東方イスラーム世界の動きについて &#160; &#160; 　・アッバース朝のカリフは、９世紀の初めころからマムルークと呼ばれる 　　トルコ人 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/815">東方イスラーム世界の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東方イスラーム世界の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東方イスラーム世界の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アッバース朝のカリフは、９世紀の初めころからマムルークと呼ばれる</p>
<p>　　トルコ人奴隷を親衛隊として使うようになった</p>
<p>　　※遊牧民だったトルコ人は騎馬戦士として優れていた</p>
<p>　　※親衛隊として使ってた時、マムルーク勢力が拡大するにつれて、</p>
<p>　　　カリフの権力が低下していくことになった</p>
<p>　　　→しかし、他の地域からマムルークを買って軍事力の中心とする動きが、</p>
<p>　　　　イスラーム世界で一般的になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・セルジューク朝について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・トルコ人のセルジューク朝という王朝が中央アジアから西方に進出していった</p>
<p>　　　※セルジューク朝もマムルークを使った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・セルジューク朝はトゥグリル＝ベクという人が作った</p>
<p>　　　→トゥグリル＝ベクは、１０５５年にブワイフ朝を倒してバグダードに入城した</p>
<p>　　　　※この時に、アッバース朝のカリフからスルタン（支配者）の称号を授けられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・セルジューク朝はスンナ派を信仰していたため、シーア派を信仰していた</p>
<p>　　　ファーティマ朝に対抗する形で、セルジューク朝の土地内部の主要な都市に</p>
<p>　　　学院（マドラサ）を作った</p>
<p>　　　＝学院を作ることで、スンナ派の神学と法学を奨励して学問の育成を行った</p>
<p>　　　　※これらの学院は、建設の指導を行ったニザーム＝アルムルクという人にちなんで、</p>
<p>　　　　　ニザーミーヤ学院と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・セルジューク朝は、シリアの海岸地帯にも進出していき、ビザンツ領を圧迫していった</p>
<p>　　　※この動きは、後にヨーロッパのキリスト教団が十字軍を誕生させるきっかけになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　</p>
<p>　・カラ＝ハン朝とガズナ朝について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・トルコ人のカラ＝ハン朝は、東と西のトルキスタンを組み合わせて、</p>
<p>　　　この地方にイスラーム文化を導入した</p>
<p>　　</p>
<p>　　・アフガニスタンのガズナ朝は１０世紀の終わりから北インドへの侵入を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝イスラーム世界は分裂していたにも関わらず、上のようなトルコ人の活躍があったために、</p>
<p>　　　　イスラーム世界が着実に拡大していったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような動きの後、モンゴルの勢力が発展していった</p>
<p>　　→フラグという人が連れていたモンゴル軍は、西アジアに進出して、</p>
<p>　　　１２５８年にバグダードを陥れた</p>
<p>　　　＝その結果、アッバース朝は滅亡し、カリフの制度が一度消滅した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フラグは、イランとイラクを領有してイル＝ハン国という国を作った</p>
<p>　　→イル＝ハン国はエジプトのマムルーク朝と敵対した</p>
<p>　　　＝結果的にカザン＝ハンという人の時にイル＝ハン国はイスラーム教を国教に定めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カザン＝ハンは、地租を中心とするイスラーム式の税制を導入した</p>
<p>　　→この税制の導入によって、農村の復興を目指した</p>
<p>　　→一方で、イスラーム文化の保護も目指した</p>
<p>　　　＝そのため、モンゴル人の支配のもとにイラン＝イスラーム文化が成長していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東方のイスラーム世界の概況をおさえる</p>
<p>・セルジューク朝についておさえる</p>
<p>・カラ＝ハン朝とガズナ朝についておさえる</p>
<p>・モンゴル勢力の発達の様子とイル＝ハン国についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/815">東方イスラーム世界の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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