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	<title>アラエス &#187; 大正デモクラシー</title>
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	<item>
		<title>大正デモクラシーと政党政治・軍縮について（第一次大戦後の日本の政治的な動き）をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2505</link>
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		<pubDate>Tue, 18 Feb 2014 23:21:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[五大国]]></category>
		<category><![CDATA[全国水平社]]></category>
		<category><![CDATA[労働争議]]></category>
		<category><![CDATA[原敬]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
		<category><![CDATA[小作争議]]></category>
		<category><![CDATA[日本共産党]]></category>
		<category><![CDATA[普通選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[立憲政友会]]></category>

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		<description><![CDATA[大正デモクラシーと政党政治と軍縮の動きについて &#160; &#160; &#160; 大正時代・・民主主義的な動きが進み、大正デモクラシーの風潮が盛り上がった →この背景によって、政党の力も大きくなってきた &#038;nbs [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2505">大正デモクラシーと政党政治・軍縮について（第一次大戦後の日本の政治的な動き）をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大正デモクラシーと政党政治と軍縮の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>大正時代・・民主主義的な動きが進み、<strong>大正デモクラシー</strong>の風潮が盛り上がった</p>
<p>→この背景によって、政党の力も大きくなってきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>米騒動の後、1918年9月に、<strong>立憲政友会</strong>（当時の衆議院の第一党）の総裁だった<strong>原敬</strong>という人が、内閣を作った</p>
<p>※衆議院議員の首相は初</p>
<p>→原敬は、初めての本格的な<strong>政党内閣</strong>で、政党政治を進めて選挙権を拡大した</p>
<p>※知識人や労働者の間に普通選挙の実現を目指す運動が盛り上がると、時期が早いとして原敬は反対した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦末期から戦後にかけて、民衆が様々な社会運動を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→実際に、労働組合の指導で賃上げや労働時間の短縮を求めて<strong>労働争議</strong>が何度か起きた</p>
<p>※1920年には、日本最初の<strong>メーデー</strong>も行われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→農村では、地主に対して小作料の引き下げや耕作する権利の要求などが行われた（＝<strong>小作争議</strong>）</p>
<p>※この時に、<strong>日本農民組合</strong>も作られている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→女性を社会的差別から解放し、その地位を高めようとする運動が、<strong>平塚らいてう</strong>などによって進められた</p>
<p>※大戦後は、市川房枝などによる婦人参政権の実現を目指す運動も起きていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→部落差別に苦しんでいた人々が、1922年に<strong>全国水平社</strong>を作って、団結した上で差別からの解放や自由などを求める運動を進めた</p>
<p>※1922年に、<strong>日本共産党</strong>がひっそりと結成され、労働者階級による独裁を目指す活動を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→北海道では、アイヌの人々を差別から解放する運動が起こった</p>
<p>※実際に、1930年に<strong>北海道アイヌ協会</strong>が設立された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1920年代に入って、普通選挙を求める運動が、民衆運動として活発になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→<strong>第二次護憲運動</strong>によって、1924年に護憲派の政党の連立によって加藤高明内閣が出てきた</p>
<p>※ここから五・一五事件までの8年間、衆議院を土台とする政党内閣が続いた</p>
<p>＝1925年に、加藤内閣のもとで、25歳以上の男子に選挙権を与える<strong>普通選挙法</strong>が成立した</p>
<p>※ただし、女性の参政権は認められなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→一方で、同じ1925年に、天皇中心の国の在り方を変えたり、<strong>私有財産制の廃止</strong>を目指したりする運動を取り締まろうとした</p>
<p>＝そのため、<strong>治安維持法</strong>を成立した</p>
<p>※治安維持法によって、社会主義運動が制約を受けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦の後、日本は世界の<strong>五大国</strong>の一つとなった</p>
<p>※実際に、国際社会における日本の地位と責任は大きくなった</p>
<p>→1920年代に、日本は以下のようなことを行っている</p>
<p>・日本は国際協調外交を進めた</p>
<p>・アメリカやイギリスなどと協力して軍縮を行った</p>
<p>・中国に対して、武力的干渉を避ける政策をとった</p>
<p>※ただし、日本の中国に対する外交が弱いと非難する意見が日本国内で出てきた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2505">大正デモクラシーと政党政治・軍縮について（第一次大戦後の日本の政治的な動き）をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>明治憲法とそれを取り巻く政治の様子について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2386</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2386#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 14 Jan 2014 02:54:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[大日本帝国憲法]]></category>
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		<category><![CDATA[天皇大権]]></category>
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		<category><![CDATA[法律の留保]]></category>
		<category><![CDATA[統帥権の独立]]></category>

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		<description><![CDATA[現在の日本では、日本国憲法が用いられていますが、戦前は明治憲法（大日本帝国憲法）が用いられていました。 そこで、現在の日本を良く知るために、明治憲法とその時の政治について考えてみます。 &#160; &#160; &#038;nb [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2386">明治憲法とそれを取り巻く政治の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>現在の日本では、日本国憲法が用いられていますが、戦前は明治憲法（大日本帝国憲法）が用いられていました。</p>
<p>そこで、現在の日本を良く知るために、明治憲法とその時の政治について考えてみます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>明治憲法について</p>
<p>・明治憲法・・1889年、明治天皇によって、大日本帝国憲法が発布された（欽定憲法）</p>
<p>・「臣民の権利」が認められる（臣民の権利は、法律で制限できる）＝法律の留保</p>
<p>・立法、行政、司法のそれぞれが、天皇の名で行われる　＝　天皇大権</p>
<p>※統帥権（軍の最高指揮権）について、天皇は議会や内閣から干渉されなかった　＝　統帥権の独立</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>明治憲法の時の政治の様子について</p>
<p>・臣民・・衆議院を通して政治に参加</p>
<p>※ただし、対等の権限を持つ貴族院、枢密院、軍部が臣民の政治参加を抑制</p>
<p>・初期・・政治は元老（天皇の補佐）が中心</p>
<p>・第一次大戦後（1914～1918）・・政党内閣と政権交代が成立　＝　憲政の常道</p>
<p>・大正デモクラシー（民主主義を目指す運動）へ向けて、天皇機関説や民本主義（天皇中心の民主主義）が出てくる</p>
<p>※天皇機関説・・美濃部達吉の考えで、天皇を国家機関とする考え方、</p>
<p>→著書は右翼に攻撃され発禁</p>
<p>・1925年・・治安維持法（反国家の取り締まり）と普通選挙法（男子25歳以上）が出る</p>
<p>・1932年・・五・一五事件（海軍、犬養毅首相）</p>
<p>→五・一五事件によって、政党政治が終了</p>
<p>・1936年・・二・二六事件（陸軍）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>明治憲法とその時の政治についてまとめてみました。</p>
<p>今の日本とは違う部分が多いですが、</p>
<p>こういったことが80～90年くらい前にあったという事実は驚きです・・・</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2386">明治憲法とそれを取り巻く政治の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>憲法の歴史について②　－明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れ－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1813</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1813#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 17 Nov 2013 08:35:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[ポツダム宣言]]></category>
		<category><![CDATA[マッカーサー３原則]]></category>
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		<category><![CDATA[第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[護憲運動]]></category>

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		<description><![CDATA[明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れを考えてみます &#160; &#160; ・明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れについて &#160; &#160; 　・最初、明治憲法の時に複雑な政党政治を動かしていたのは 　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1813">憲法の歴史について②　－明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れを考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・最初、明治憲法の時に複雑な政党政治を動かしていたのは</p>
<p>　　元老（憲法には書かれていなかったが、政治の事務的な部分の決定や、</p>
<p>　　首相の決定などに関して力のあった人）だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　→大正時代になると、護憲運動などの影響で政党の力が強くなってきた</p>
<p>　　　※護憲運動・・その当時の官僚の内閣などを潰して、</p>
<p>　　　　　　　　　　政党内閣を作ろうとした運動のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→第一次世界大戦（１９１４～１９１８）の後には、</p>
<p>　　　世界的に民主主義の雰囲気が強くなっていった</p>
<p>　　　＝その影響で大正から昭和にかけて、「憲政の常道」として</p>
<p>　　　　政党内閣と政権政治が中心となった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→大正には、大正デモクラシーという運動が起き、</p>
<p>　　　天皇機関説や民本主義が大正デモクラシーの後押しをしたと言われる</p>
<p>　　　※・大正デモクラシー・・民主主義を目指す運動のこと</p>
<p>　　　　・天皇機関説・・天皇を国家の機関だとする考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　美濃部達吉によって提唱されたが、右翼などに攻撃されたため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　著書は発売禁止となり、結果的に美濃部達吉は</p>
<p>　　　　　　　　　　　　貴族院の議員を辞職することになってしまった</p>
<p>　　　　・民本主義・・天皇を主権にした上で、民主主義の実現を目指す考え方のことで、</p>
<p>　　　　　　　　　　　吉野作造と言う人が主張した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→このような流れを受けて、</p>
<p>　　　１９２５年になると、普通選挙制度（普通選挙法）と治安維持法が成立した</p>
<p>　　　※・普通選挙制度（普通選挙法）・・満２５歳以上の男子全員に</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　選挙権が与えられた制度のこと</p>
<p>　　　　・治安維持法・・共産主義のための運動を制限して、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　資本主義や天皇主権以外の考え方を取り締まる法律のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１９２９年の世界恐慌以降、経済や社会などに対して日本国内での不安が増えてきた</p>
<p>　　　すると、天皇が統帥権を使って軍部を動かし、軍部の力が強くなり、</p>
<p>　　　軍部を使おうとしたため、大陸を侵略するようになった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→１９３２年には、五・一五事件が、１９３６年には、二・二六事件が起こり、</p>
<p>　　　世界各地が第二次世界大戦へ向かった　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日本国憲法が出来るまで</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年（昭和２０年）に、日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件で降伏を認めた</p>
<p>　　※ポツダム宣言では、政治を民主的にすること、軍国主義を無くすこと、</p>
<p>　　　などが考えられていた</p>
<p>　　　</p>
<p>　・そこで日本は、憲法問題調査委員会というところが松本案という憲法の改正案を作ったが、</p>
<p>　　明治憲法と内容があまり変わらないということで、却下されてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そのため、連合国軍総司令部（GHQ）がマッカーサー３原則という憲法の下書きを作り、</p>
<p>　　　それをベースに帝国議会でいろいろと修正された</p>
<p>　　　＝これが結果的に日本国憲法となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※・マッカーサー３原則：天皇をトップに置くこと、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　戦争を放棄すること、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　封建的な制度を廃止すること</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　を原則とした内容のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　※・日本国憲法は、１９４６年１１月３日に公布され、１９４７年５月３日に施行された</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1813">憲法の歴史について②　－明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>大正デモクラシーを中心とした考え方と理想主義や人道主義、当時の様々な傾向や運動について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1639</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1639#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 20:29:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想後期　－近現代－]]></category>
		<category><![CDATA[吉野作造]]></category>
		<category><![CDATA[大杉栄]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
		<category><![CDATA[平塚らいてう]]></category>
		<category><![CDATA[武者小路実篤]]></category>
		<category><![CDATA[民本主義]]></category>
		<category><![CDATA[河上肇]]></category>
		<category><![CDATA[無政府主義]]></category>
		<category><![CDATA[谷崎潤一郎]]></category>
		<category><![CDATA[阿部次郎]]></category>

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		<description><![CDATA[大正デモクラシーを中心とした考え方と理想主義・人道主義、 様々な社会の傾向と運動について考えます &#160; &#160; ※そもそも大正デモクラシーとは・・ 　→大正時代に起きた、民主主義的な社会の様子や、そのための [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1639">大正デモクラシーを中心とした考え方と理想主義や人道主義、当時の様々な傾向や運動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大正デモクラシーを中心とした考え方と理想主義・人道主義、</p>
<p>様々な社会の傾向と運動について考えます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※そもそも大正デモクラシーとは・・</p>
<p>　→大正時代に起きた、民主主義的な社会の様子や、そのための運動などのことをまとめて指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・大正デモクラシーの思想について</p>
<p>　※第一次世界大戦の前後で、都市の知識人達が大正デモクラシーという考え方を生み出した</p>
<p>　→大正デモクラシーを理論的に支えた人の代表に吉野作造がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・吉野作造と民本主義について</p>
<p>　</p>
<p>・吉野作造は、民本主義を提唱し、大正デモクラシーを理論的に支えた</p>
<p>　※民本主義とは・・</p>
<p>　　→国民の考えを尊重して、国民の利益と幸福を目的とした政治を行う考え方のこと</p>
<p>　　　ただし、主権は天皇で、多くの国民が政治に参加することが大切だと考えた</p>
<p>　　　→この考え方が支持されたことにより、普通選挙制や政党内閣制の実現のための道が</p>
<p>　　　　開かれたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※民本主義と民主主義の違い</p>
<p>　　・民本主義・・明治憲法を前提として、天皇を主権と考えた</p>
<p>　　・民主主義・・国民が主権だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・理想主義と人道主義について</p>
<p>　</p>
<p>　※当時、理想主義や人道主義が提唱され、阿部次郎や白樺派などの人達が中心だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・阿部次郎－人格主義などを提唱し、「三太郎の日記」などを書いた</p>
<p>　　　　　　　→人格主義とは・・自分の中にある人格を、様々な文化を吸収して</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　発展させるべき、という考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　※阿部次郎の「三太郎の日記」は、倉田百三の「愛と認識との出発」と一緒に</p>
<p>　　　　　　　　「青春の古典」と言われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・白樺派－教養を重視し、個性を自由に伸ばすべきだという考え方を提唱した</p>
<p>　　　　　　＝この考え方を人道主義と言い、</p>
<p>　　　　　　　代表的な人に武者小路実篤や有島武郎などがいる</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・武者小路実篤－・「新しき村」を建設し、「友情」や「その妹」などの本を書いた</p>
<p>　　　　　　　　　　　※「新しき村」・・自分をすべて生かす理想の共同体のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　・本当の利己（自分の利益を追求して、他人の利益を気にしないこと）</p>
<p>　　　　　　　　　　　を行えば、それが人類のためになるように人間が作られている部分に</p>
<p>　　　　　　　　　　　人間の価値があると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・有島武郎－・上流階級の身分でありながら、自分が社会主義のような人道主義である</p>
<p>　　　　　　　　　という矛盾に苦しんだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・その他に、永井荷風や谷崎潤一郎などがいる</p>
<p>　　　・永井荷風や谷崎潤一郎・・文明開化が肉体を無視していることを批判して</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　自分の肉体の官能の美しさを提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→理想主義や人道主義の人達の特徴</p>
<p>　　・西洋近代の考え方に触れることをベースにした</p>
<p>　　・明るく伸びやかに自我を肯定した</p>
<p>　　・理想の核心は自我だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・さまざまな風潮と社会運動について</p>
<p>　・大杉栄－・無政府主義（アナーキズム）を提唱した</p>
<p>　　　　　　　→政府や政党などの全ての権力を否定し、</p>
<p>　　　　　　　　個人の自由な意志が全てのモノの上位に来ると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・河上肇－・「貧乏物語」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　　→元々は非利己主義を目指す人道主義者だったが、</p>
<p>　　　　　　　　「貧乏物語」で貧困の対策を立てて以来、マルクス主義に変わっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・女性解放運動について</p>
<p>　</p>
<p>　・女性解放運動のスタート・・福田英子という人が女性の権利を拡張するべきだと訴えた</p>
<p>　</p>
<p>　・女性解放運動の発展・・平塚らいてうが発展に影響を与えた</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・平塚らいてう－・「青鞜」という雑誌を作り、「元始、女性は実に太陽であった」</p>
<p>　　　　　　　　　　　と宣言した</p>
<p>　　　　　　　　　　　→結果的に、女性の自我の確立に大きな影響を与えた</p>
<p>　　　　　　　　　　・平塚らいてうは、「新しい女」と呼ばれ、非難されていたが、</p>
<p>　　　　　　　　　　　婦人参政権の要求や、母性保護などを提唱し、</p>
<p>　　　　　　　　　　　女性の社会的な解放に力を注いだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※１９２２年には、全国水平社が創立された</p>
<p>　　→「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と訴える水平社宣言というものが出された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・吉野作造が民本主義を提唱し、大正デモクラシーを理論的に支えた</p>
<p>・阿部次郎が人格主義を提唱し、白樺派が人道主義を提唱した</p>
<p>・武者小路実篤、有島武郎、永井荷風、谷崎潤一郎などの考え方を押さえる</p>
<p>・理想主義や人道主義の人達の特徴を押さえる</p>
<p>・大杉栄が無政府主義を提唱し、河上肇が「貧乏物語」を書いて思想が変わった</p>
<p>・福田英子が女性解放運動のスタートを切った</p>
<p>・平塚らいてうが女性の自我の確立に大きな影響を与えた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1639">大正デモクラシーを中心とした考え方と理想主義や人道主義、当時の様々な傾向や運動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>政党内閣の誕生について</title>
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		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 04:12:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[原敬]]></category>
		<category><![CDATA[吉野作造]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[寺内正毅]]></category>
		<category><![CDATA[憲政会]]></category>
		<category><![CDATA[民本主義]]></category>
		<category><![CDATA[男子普通選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[米騒動]]></category>
		<category><![CDATA[超然内閣]]></category>

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		<description><![CDATA[政党内閣の誕生について考えてみます &#160; &#160; ・政党内閣の誕生について &#160; 　 　・１９１６年に、吉野作造という人が民本主義という考え方を提唱した &#160; &#160; 　　※民本主義に [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1288">政党内閣の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>政党内閣の誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・政党内閣の誕生について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・１９１６年に、吉野作造という人が民本主義という考え方を提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※民本主義について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・民本主義・・国民の考えを尊重して、国民の利益と幸福を目的とした政治を行う</p>
<p>　　　　　　　　　　考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　※ただし、主権は天皇で、多くの国民が政治に参加することが</p>
<p>　　　　　　　　　　　大切だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※民本主義と民主主義の違い</p>
<p>　　　　・民本主義・・明治憲法を前提として、天皇を主権と考えた</p>
<p>　　　　・民主主義・・国民が主権だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　　・民本主義は、天皇機関説と一緒に、大正デモクラシーを理論的に支えることになった</p>
<p>　　　　※大正デモクラシー・・大正時代に起きた、民主主義的な社会の様子や、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　そのための運動などのことをまとめて指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・吉野作造は、普通選挙制や政党内閣制の実現をして、下の階級の人達の</p>
<p>　　　　経済的な不平等を直していくべきだと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→吉野作造の民本主義の提唱によって、政治で民主化を要求する国民の声が増えてきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、１９１６年に第２次大隈重信内閣が総辞職するという出来事が起きた</p>
<p>　　→その次に寺内正毅という人が出てきて、超然内閣を作るという行動を取った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・寺内正毅内閣の超然内閣については、立憲同志会などの第２次大隈内閣の時の与党の</p>
<p>　　それぞれの派閥が集まり、憲政会という団体を作って、寺内正毅内閣に対抗した</p>
<p>　　→この結果、寺内正毅内閣は１９１７年に衆議院を解散させた</p>
<p>　</p>
<p>　　　※この解散の後の選挙で、立憲政友会が衆議院の第一党になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次世界大戦によって日本の経済が急激に発展したことによって、</p>
<p>　　米騒動という出来事が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※日本経済の成長が、なぜ米騒動を引き起こしたのか</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・大戦の時に、日本の経済が急成長した</p>
<p>　　　　→この時に、工業労働者が増え、都市に人々が集まるようになった</p>
<p>　　　　　＝その結果、お米の消費量が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・しかし、当時は農業が停滞したこともあり、お米の消費量が増えるにつれて、</p>
<p>　　　　お米の値段が上昇した</p>
<p>　　　　→そのため、都市で働く人や貧乏な農民の生活が苦しくなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・さらに、１９１８年にシベリア出兵のために地主や商人がお米を買い込んだため、</p>
<p>　　　　お米の値段がさらに上昇した</p>
<p>　　　　→すると、富山県の漁村の女性をきっかけにして、都市の人々や貧乏な農民などが、</p>
<p>　　　　　お米の安売りを求めて買い占めの反対を叫ぶようになった　</p>
<p>　　　　　※中には、お米の商人や精米会社などを襲って、警察とぶつかる人達もいた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→このようにして大騒動になり、政府が軍隊を出して抑えつけるまでになった</p>
<p>　　　　　＝この出来事を米騒動という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→米騒動が落ち着いた時に、寺内正毅内閣は責任を取って総辞職をした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・米騒動に驚いた元老たちは、とうとう政党内閣を認めることを決めた</p>
<p>　　→そこで、１９１８年９月に立憲政友会の総裁の原敬という人を首相に指名した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※原敬は、今までの首相と違い、華族や藩閥の出身者でなく、平民の衆議院議員だった</p>
<p>　　　　→そのため、原敬は「平民宰相」として国民に歓迎された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・原敬は、国民の期待とは反対で、普通選挙制を取り入れることに積極的ではなかった</p>
<p>　　→そのため、選挙権としての税金を３円に引き下げ、</p>
<p>　　　小選挙区制という制度を取り入れるだけで終わってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、普通選挙を求める運動はどんどん高まっていった</p>
<p>　　→そのため、１９２０年には数万人のデモが行われるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この動きを見て、憲政会などの野党は衆議院に男子普通選挙法を提出した</p>
<p>　　　※しかし、政府は時期が早すぎるという理由で拒否して、さらに衆議院を解散させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・与党の立憲政友会は、大戦景気があったため、立憲政友会のかねてからの政策だった</p>
<p>　　鉄道の拡充や高等学校の増加などの積極政策を公約にして、選挙で大勝した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、立憲政友会の積極政策は、１９２０年の恐慌によって</p>
<p>　　政府の財政が厳しくなったため、行うことが難しくなってきた</p>
<p>　　※さらに、この時に立憲政友会の関連する汚職事件が大量に発生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・おまけに、１９２１年に原敬が、政党政治がダメになっている状況に</p>
<p>　　怒った一人の青年に、刺殺されるという出来事も起きた</p>
<p>　　→この後に、立憲政友会の高橋是清という人が後を継いだがすぐに終了した</p>
<p>　　→さらにこの後に、海軍の大将だった加藤友三郎という人が</p>
<p>　　　立憲政友会を与党と扱って、内閣を作った</p>
<p>　　　＝ここから、約２年は３代にわたって、非政党内閣が続いた</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・政党内閣とその状況について、米騒動や原敬などを中心に押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
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		<title>第一次世界大戦と東アジアとの関係について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1030</link>
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		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 08:05:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
		<category><![CDATA[政党内閣]]></category>
		<category><![CDATA[文学革命]]></category>
		<category><![CDATA[東アジア]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[男性普通選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[社会主義]]></category>
		<category><![CDATA[米騒動]]></category>
		<category><![CDATA[都市労働者]]></category>
		<category><![CDATA[青年知識人]]></category>

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		<description><![CDATA[第一次世界大戦と東アジアとの関係について考えてみます &#160; &#160; ・第一次世界大戦と東アジアとの関係について &#160; &#160; 　※第一次世界大戦によって、列強資本主義勢力の勢いが弱くなっていっ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1030">第一次世界大戦と東アジアとの関係について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>第一次世界大戦と東アジアとの関係について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・第一次世界大戦と東アジアとの関係について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※第一次世界大戦によって、列強資本主義勢力の勢いが弱くなっていった</p>
<p>　　→この動きが、東アジアに空前の好景気をもたらしたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、日本の工業生産が、重工業を含めて大幅に伸び、農業生産を上回った</p>
<p>　・当時、中国では民族資本が成長したため、大きな紡績工場などが作られた</p>
<p>　　※日本でも中国でも、都市労働者の数が増え、学生などの青年知識人が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次大戦によって起きた以下のようなことは、知識人や労働者に大きな影響を与えた</p>
<p>　　→・第一次大戦で帝政国家が敗北した</p>
<p>　　　・戦後処理の時に、民族自決原則の提唱</p>
<p>　　　・ロシア革命の成功　　など</p>
<p>　　　　＝これらは、東アジア各地で社会運動や民族運動を活発化させるきっかけになった</p>
<p>　　　　　と言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次大戦の時の中国の知識人の間では、辛亥革命後の政治の混乱に失望していた</p>
<p>　　→そこで、文学革命と言われる啓蒙運動が始まった</p>
<p>　　　※文学革命・・民衆の自覚にもとづく根本的な社会改革を目指す立場を、</p>
<p>　　　　　　　　　　文学で作っていこうとする考え方のこと</p>
<p>　</p>
<p>　　　※文学革命について</p>
<p>　　　　・陳独秀という人が出した「新青年」は、「民衆と科学」を土台に儒教道徳を批判した</p>
<p>　　　　　→そのため、「新青年」は青年知識人層に支持された</p>
<p>　　　　・胡適という人が、１９１７年に「新青年」で白話（口語）文学を提唱した</p>
<p>　　　　・魯迅という人が、「狂人日記」「阿Ｑ正伝」などの小説で、</p>
<p>　　　　　中国人の心理の黒い部分を書いた</p>
<p>　　　　・文学革命の中心となったのが北京大学だった</p>
<p>　　　　　→北京大学では、ロシア革命後に、李大釗などによって</p>
<p>　　　　　　マルクス主義の研究が始められた</p>
<p>　　　　　　※この研究には、陳独秀という人もこれに参加した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本では、国民の政治参加の拡大を求める大正デモクラシーという運動が起きた</p>
<p>　　※この時に、社会主義への関心に加えて、労働運動や農民運動が活発になった</p>
<p>　　　→大正デモクラシーの流れの中で、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・１９１８年に米騒動や政党内閣の誕生などが起きた</p>
<p>　　　　・１９２５年に男性普通選挙法が出来た</p>
<p>　　　→しかし、政府は上のような動きを警戒した</p>
<p>　　　　＝そのため、普通選挙法と同時に治安維持法という法律を成立させて、</p>
<p>　　　　　大正デモクラシーの流れを止めようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・第一次大戦の時の東アジアの概要についておさえる</p>
<p>・第一次大戦の時の中国についておさえる</p>
<p>・第一次大戦の時の中国についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1030">第一次世界大戦と東アジアとの関係について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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