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	<title>アラエス &#187; 日英同盟</title>
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	<item>
		<title>日本の海外展開と日露戦争についてまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2461</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2461#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 02 Feb 2014 17:29:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[ポーツマス条約]]></category>
		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[日露講和条約]]></category>
		<category><![CDATA[満州]]></category>
		<category><![CDATA[社会主義者]]></category>
		<category><![CDATA[義和団事件]]></category>
		<category><![CDATA[開戦論]]></category>
		<category><![CDATA[非戦論]]></category>

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		<description><![CDATA[日露戦争前後の動き &#160; &#160; 日清戦争後に清の力は衰え、欧米の国々が清に力を伸ばしてきた →欧米の国々の清への進出に対抗するため、清の国内で政治の実現など改革を目指す動きが起きた ※ただし、保守派の反撃 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2461">日本の海外展開と日露戦争についてまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日露戦争前後の動き</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日清戦争後に清の力は衰え、欧米の国々が清に力を伸ばしてきた</p>
<p>→欧米の国々の清への進出に対抗するため、清の国内で政治の実現など改革を目指す動きが起きた</p>
<p>※ただし、保守派の反撃で改革は失敗した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→上記の流れの後、1900年に中国各地で義和団（反キリスト教の伝統的な宗教の流れをうけた組織）を中心とする外国人排斥運動が激しくなった</p>
<p>※この時に、鉄道やキリスト教の破壊、宣教師や外交官が殺される、など起きた</p>
<p>→そのため、欧米と日本が共同で軍隊を送って、義和団の動きをしずめた</p>
<p>→1901年には、清は賠償金の支払いと外国軍隊の駐留を認めた</p>
<p>＝これら一連の流れによる事件を、<strong>義和団事件</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日清戦争後に、ロシアは三国干渉によって日本が清に返還したリヤオトン半島の一部を借り、強大な軍事基地を作った</p>
<p>※ロシアは同時に、義和団事件の時に<strong>満州</strong>（中国の東北部）を占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>当時の日本は、韓国（元朝鮮）を支配しようとしていたため、ロシアの満州占領は恐れていた</p>
<p>→そこで日本は、ロシアの動きを恐れていたイギリスと手を組むことを考えた</p>
<p>＝結果的に、1902年に<strong>日英同盟</strong>が成立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>当時のロシアは、満州から撤兵せず、韓国にも勢力をのばそうとした</p>
<p>※そこで日本は、ロシアに以下の２つの交渉をした</p>
<p>・ロシアの満州での権益の拡大を認めさせる</p>
<p>・日本の韓国への支配権を認めさせる</p>
<p>→ロシアの動きを見て、日本国内ではロシアへの反感が高まり、大きく3つの考え方が出てきた</p>
<p>・多くの新聞：<strong>開戦論</strong>（すぐにロシアと戦うべき）</p>
<p>・政府系の新聞と財界：慎重論</p>
<p>・キリスト教徒（内村鑑三）や<strong>社会主義者</strong>（幸徳秋水）：<strong>非戦論</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→結果的に日本は、開戦に踏み切った（＝<strong>日露戦争</strong>）</p>
<p>※戦争は韓国と満州を戦場として行われた</p>
<p>※戦争は基本的に日本に有利だったが、日本もロシアも戦争を続けるゆとりがなくなった</p>
<p>→そこで日本は、アメリカに仲介を求め、1905年9月にアメリカのポーツマスで、日本とロシアとの間で<strong>ポーツマス条約</strong>（<strong>日露講和条約</strong>）を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日露戦争によって、以下の影響が見られた</p>
<p>・日本は大きな犠牲をはらったのに、賠償金が無かったため、国内で不満の声が上がった</p>
<p>・講和反対と戦争継続をさけぶ群集が、大臣の家、講和を支持する政府系新聞社などを襲撃する事件などを起こした</p>
<p>・日露戦争の勝利で、日本の東アジアでの影響力が大きくなった</p>
<p>・欧米が日本の力に対して警戒するようになった</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2461">日本の海外展開と日露戦争についてまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>第一次世界大戦の時の日本と中国について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1286</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1286#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 04:00:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[シベリア出兵]]></category>
		<category><![CDATA[ブレスト＝リトフスク条約]]></category>
		<category><![CDATA[ロシア革命]]></category>
		<category><![CDATA[二十一カ条の要求]]></category>
		<category><![CDATA[国恥記念日]]></category>
		<category><![CDATA[寺内正毅]]></category>
		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[石井・ランシング協定]]></category>
		<category><![CDATA[第4次日露協約]]></category>
		<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>

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		<description><![CDATA[第一次世界大戦の時の日本と中国について考えてみます &#160; &#160; ・当時の日本と中国について &#160; &#160; 　・イギリスがドイツに戦争を仕掛けた時、日本（第２次大隈内閣）は 　　日英同盟を理由 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1286">第一次世界大戦の時の日本と中国について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>第一次世界大戦の時の日本と中国について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の日本と中国について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリスがドイツに戦争を仕掛けた時、日本（第２次大隈内閣）は</p>
<p>　　日英同盟を理由にして、軍事行動の範囲をイギリスが納得してしない</p>
<p>　　という状況にも関わらず、ドイツに宣戦布告した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、中国にあるドイツが拠点としていた青島と山東省のドイツの利益を奪った</p>
<p>　　※この時一緒に、赤道よりも北側のドイツ領の南洋諸島というところの一部を占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、第一次世界大戦で忙しく、ヨーロッパの国々が中国の問題に関わっている</p>
<p>　　暇がないことを理由にして１９１５年に中国の袁世凱政府に、</p>
<p>　　二十一カ条の要求という要求を出した</p>
<p>　　※日本はこの要求を中国に文書でつきつけて、二十一カ条の要求の多くを認めさせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※二十一カ条の要求の内容</p>
<p>　　　　・山東省にあるドイツの利益を日本がそのまま引き継ぐ</p>
<p>　　　　・南満州と東部内蒙古というところの利益を強化していく</p>
<p>　　　　・福建省が他国に領土の一部を渡さないことを再確認</p>
<p>　　　　・日中合弁事業という事業の承認　　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※二十一カ条の要求に対する中国国民の反発は強かった</p>
<p>　　　　→そのため、中国が二十一カ条を受け入れた５月９日を、中国は国恥記念日とした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次大隈重信内閣の後に、寺内正毅内閣が出てきた</p>
<p>　　→寺内正毅は、袁世凱の後を継いだ段祺瑞という人の内閣に、大量のお金を貸し付けた</p>
<p>　　　＝この貸し付けを、西原借款という</p>
<p>　　　　※日本は、貸し付けを行うことで政治経済、軍事などの面で</p>
<p>　　　　　中国における日本の利益を広げて行こうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、中国での利益を拡大する時に、周りの国からの反感を買わないように気を配った</p>
<p>　</p>
<p>　　→そのため、日本は以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９１６年に、第４次日露協約を結んで、極東（≒東アジア）での</p>
<p>　　　　日本とロシアとの特別な権益を擁護しあうことを確認した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９１７年に、イギリスとの間で覚書（忘れないように書いておく文書）を交換して、</p>
<p>　　　　ドイツの利益を引き続き獲得し続けることを確認した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・日本が中国に進出することを一番批判していたアメリカとの間で、</p>
<p>　　　　１９１７年に、日本の石井菊次郎という人と</p>
<p>　　　　アメリカのランシングという人が交渉をした</p>
<p>　　　　→この交渉の時に、中国の領土の維持、門戸開放、日本の中国での特別な利益を認める</p>
<p>　　　　　ことでお互いに確認した</p>
<p>　　　　　＝この交渉のことを、石井・ランシング協定という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・連合国側であるロシアは、１９１７年に、帝政と戦争を続けることに</p>
<p>　　反対していた労働者や兵士が革命を起こした</p>
<p>　　＝この革命をロシア革命という</p>
<p>　　　→この革命によって、世界で初めての社会主義国家が誕生した</p>
<p>　　　　※後で、ソビエト連邦になる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ボリシェヴィキ（後の共産党）のレーニンをトップに置いたソビエト政権は、</p>
<p>　　全ての戦争参加国に無賠償、無併合、民族自決の原則を呼び掛けた</p>
<p>　　→その次の年に、ドイツとオーストリアとソビエトとの間で単独講和を結んだ</p>
<p>　　　＝この講和を、ブレスト＝リトフスク条約という</p>
<p>　　　　※この講和を認めた時に、講和国は戦争から離脱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・寺内正毅内閣は、ソビエトの状況を見て、チャンスだと考えた</p>
<p>　　→そこで寺内正毅内閣は、旧ロシア帝国に支配されていた北満州と沿海州にまで、</p>
<p>　　　日本の勢力を広げようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・そこで、１９１８年にアメリカが、シベリアにいたチェコスロバキア軍の</p>
<p>　　将兵を助けることを口実にして日本とアメリカが一緒に出兵をすることを</p>
<p>　　提案してきた</p>
<p>　　→この時、日本はアメリカ、イギリス、フランスなどの連合国軍の主力ということで</p>
<p>　　　大量の軍をシベリアと北満州に派遣した</p>
<p>　　　＝この出来事をシベリア出兵という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※戦争が終了した後は、ほとんどの国がシベリアから軍隊を引き戻したが、</p>
<p>　　　　日本だけは１９２２年まで軍隊を置き続け、</p>
<p>　　　　軍隊とシベリアにいた革命に反対する政権の援助を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・第一世界大戦の時の世界の様子を日本と中国の動きを中心に押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1286">第一次世界大戦の時の日本と中国について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>中国分割と日英同盟について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1268</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1268#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 00:18:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[モンロー宣言]]></category>
		<category><![CDATA[中国分割]]></category>
		<category><![CDATA[北京条約]]></category>
		<category><![CDATA[北清事変]]></category>
		<category><![CDATA[対露強硬方針]]></category>
		<category><![CDATA[新露政権]]></category>
		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[機会均等]]></category>
		<category><![CDATA[義和団の乱]]></category>
		<category><![CDATA[門戸開放]]></category>

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		<description><![CDATA[中国分割と日英同盟について考えてみます &#160; &#160; ・中国分割について &#160; 　 　・欧米の国々は、日清戦争の様子を見て清が弱いことを知った 　　→そこで、欧米の国々は清に勢力をどんどん広げていっ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1268">中国分割と日英同盟について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中国分割と日英同盟について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中国分割について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・欧米の国々は、日清戦争の様子を見て清が弱いことを知った</p>
<p>　　→そこで、欧米の国々は清に勢力をどんどん広げていった</p>
<p>　　　＝この出来事を中国分割という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国分割の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１８９８年に、ドイツが山東半島の膠州湾というところを一定期間借りた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・その後、ロシアが遼東半島の旅順と大連港を一定期間借りた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・その後、イギリスが九竜半島と威海衛を一定期間借りた</p>
<p>　　</p>
<p>　　　・１８９９年に、フランスが広州湾というところを一定期間借りた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→それぞれの国は、借りた場所を拠点にして鉄道の建設などを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※アメリカは中国分割を直接は行わなかった</p>
<p>　　　　→その代わり、１８９８年にハワイとフィリピンをアメリカのものにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況で、アメリカの国務長官のジョン＝ヘイという人が中国について、</p>
<p>　　門戸開放と機会均等を提案してそれぞれの国の勢力が広がっている範囲での</p>
<p>　　貿易の自由を求めた</p>
<p>　　※・門戸開放・・港や市場を開放して、経済活動の制限を無くすこと</p>
<p>　　　・機会均等・・外国との経済活動の時に、どの国に対しても同じ待遇をすること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※アメリカは、１８２３年に当時の大統領のモンローという人が、</p>
<p>　　　ヨーロッパの問題に介入しない代わりにアメリカに対してヨーロッパの国々が</p>
<p>　　　介入してくることを拒否するという宣言を出した</p>
<p>　　　＝この宣言をモンロー宣言という</p>
<p>　　　　→しかし、アメリカは門戸開放宣言によって、モンロー宣言の外交スタイルを変えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９００年に、清で「扶清滅洋」（清を救って西洋を倒す）という考え方を</p>
<p>　　持っている義和団という団体が勢力を広げてきた</p>
<p>　　→義和団は清の様々な場所で外国人を襲って、北京にあった列国公使館を包囲する、</p>
<p>　　　ということを行った</p>
<p>　　　＝この出来事を義和団の乱という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→清の政府は、義和団を推奨して、多くの国々に宣戦布告した</p>
<p>　　　＝この出来事を北清事変という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北清事変に対して、日本を含む多くの国々は、連合軍を作って清に派遣した</p>
<p>　　→その結果、義和団を北京から追い出して清に敗北宣言をさせた</p>
<p>　　　＝そこで、１９０１年に清は北京条約という条約を結んだ</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※北京条約について</p>
<p>　　　　→この条約によって、以下のようなことが決まった</p>
<p>　　　　　・清は多くの国々に、賠償金を払う</p>
<p>　　　　　・首都の北京にある公使館の地域で治外法権を認める</p>
<p>　　　　　・公使館を守るための兵隊を置く　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・清が敗北したことによって、清についていっていた朝鮮に影響を与えることになった</p>
<p>　　→朝鮮は、ロシアに支援されて日本と対立する動きが強まった</p>
<p>　　　＝そのため、朝鮮で親露政権（ロシアに友好的な政権）が誕生した</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　※親露政権はどのようにして出来たのか</p>
<p>　　　・親日政権が三国干渉の後に、閔妃という人を中心とした親露派に倒された</p>
<p>　　　・韓国に駐在する日本の公使の三浦梧楼という人は親日派を擁護しようとして、</p>
<p>　　　　公使館の兵隊に王宮を占拠させて、閔妃を殺すという事件を起こした</p>
<p>　　　・そこで、王妃を殺された朝鮮の王様の高宗という人はロシア公使館に逃げた</p>
<p>　　　　＝この時に親露政権が出来た</p>
<p>　　　　　※親露政権は日本に対抗するという意味もあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝鮮は、１８９７年に国号を大韓帝国（韓国）に変えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日英同盟について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北清事変をきっかけにロシアは中国東北部（満州）を占領して、</p>
<p>　　満州の権益をロシアが独占するようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、韓国とつながっている中国東北部がロシアのものになると、</p>
<p>　　日本の韓国での利益が奪われる可能性があると考えるようになった</p>
<p>　　→そこで、日本はロシアとどのような関係を保つべきかということについて</p>
<p>　　　議論されるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※議論はどのようになったのか</p>
<p>　　　・ロシアとの関係については、２つの考え方が出てきた</p>
<p>　　　　→・日露協商論・・ロシアとの「満韓交換」を交渉しようとする考え方</p>
<p>　　　　　　※満韓交換・・ロシアに満州を自由にさせる代わりに、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　日本が韓国に対する優越権を渡すという考え方</p>
<p>　　　　　・対露強硬方針・・イギリスと同盟を結んで実力で韓国の権益をロシアから守る考え方</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→日本は、対露強硬方針を取った</p>
<p>　　　　　＝そこで、日本は１９０２年に日英同盟協約（日英同盟）を結んだ</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p>
<p>　　※日英同盟で決められた内容</p>
<p>　　　・日本とイギリスがお互いに清と韓国の独立と領土の維持を認めあう</p>
<p>　　　・清における日本とイギリスの利益と、韓国での日本の政治、経済、産業</p>
<p>　　　　などの利益を認める</p>
<p>　　　・もし日本とイギリスのどちらかが他の国と戦った場合、</p>
<p>　　　　もう一方の同盟国は中立の立場を守り、</p>
<p>　　　　もし第三者の国が参戦してきたら、もう一方の同盟国も参戦する</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日英同盟を結んでも、ロシアは満州に兵隊を置き続けた</p>
<p>　　→そのため、日本はロシアとの交渉を続ける裏で、</p>
<p>　　　ロシアとの戦争を始める準備を行っていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本国内の一部で、キリスト教徒の内村鑑三や社会主義者の幸徳秋水、堺利彦などの人達が、</p>
<p>　　非戦論や反戦論（戦争に反対する考え方）を提唱していた　　</p>
<p>　　※日本の世論も、最初は戦争に反対だったが、対露同志会などの団体が</p>
<p>　　　戦争を行うことを宣言していたこともあり、</p>
<p>　　　段々と開戦論（戦争に賛成する考え方）に向かっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※どのように開戦論に向かっていったのか</p>
<p>　　　・１９０３年に作られた対露同志会や、戸水寛人などを中心とした</p>
<p>　　　　七博士と呼ばれる人達が主戦論を提唱した</p>
<p>　　　・「万朝報」を書いた黒岩涙香や「国民新聞」を書いた徳富蘇峰という人などが、</p>
<p>　　　　主戦論を推していった</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※戦争が始まってからは、与謝野晶子という人が、「君死にたまふこと勿れ」と</p>
<p>　　　うたう反戦の詩を「明星」という雑誌で発表している</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中国分割と北清事変の様子を押さえる</p>
<p>・日英同盟とロシアとの関係を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1268">中国分割と日英同盟について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>ワシントン体制について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1023</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1023#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 07:29:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[ハーディング]]></category>
		<category><![CDATA[ワシントン会議]]></category>
		<category><![CDATA[ワシントン体制]]></category>
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		<category><![CDATA[海軍軍備制限条約]]></category>

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		<description><![CDATA[ワシントン体制について考えてみます &#160; &#160; ・ワシントン体制について &#160; &#160; 　・１９２１年～１９２２年に、アメリカ合衆国の大統領であった 　　ハーディングという人の提唱によって、 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1023">ワシントン体制について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ワシントン体制について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ワシントン体制について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２１年～１９２２年に、アメリカ合衆国の大統領であった</p>
<p>　　ハーディングという人の提唱によって、アメリカ、イギリス、フランス、日本など</p>
<p>　　９カ国が参加するワシントン会議が開かれた</p>
<p>　　→ワシントン会議では、以下のようなことが決められた</p>
<p>　　　・海軍軍備制限条約が決められた</p>
<p>　　　・九カ国条約が決められた</p>
<p>　　　・四カ国条約が決められた</p>
<p>　　　・日英同盟が解消された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※海軍軍備制限条約</p>
<p>　　　・アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの五大国の間で、</p>
<p>　　　　主力艦の保有トン数と保有比率を定めた条約のこと</p>
<p>　　　・保有トン数比率は、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアが、</p>
<p>　　　　５：５：３：１．６７：１．６７になった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　※九カ国条約</p>
<p>　　　・中国の主権の尊重と、領土の保全を約束した条約のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※四カ国条約</p>
<p>　　　・アメリカ、イギリス、フランス、日本の四カ国で結ばれた条約</p>
<p>　　　・太平洋諸島の現状維持を求めた条約のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝ワシントン会議で決まったアジア、太平洋地域の国際秩序を、</p>
<p>　　ヴェルサイユ体制に対してワシントン体制という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→ヴェルサイユ体制とワシントン体制の２つの体制が、</p>
<p>　　　１９２０年代の国際秩序の中心になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ワシントン体制についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1023">ワシントン体制について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>日露対立とそれに伴う各国の動きについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1006</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1006#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 06:15:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代世界史]]></category>
		<category><![CDATA[ポーツマス条約]]></category>
		<category><![CDATA[仇教運動]]></category>
		<category><![CDATA[北京条約]]></category>
		<category><![CDATA[北京議定書]]></category>
		<category><![CDATA[扶清滅洋]]></category>
		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[日露同盟]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[義和団事件]]></category>
		<category><![CDATA[英露同盟]]></category>

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		<description><![CDATA[日露対立とそれに伴う各国の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・日露対立とそれに伴う各国の動きについて &#160; &#160; 　・中国分割の危機に直面していた時に、中国内部では民衆の排外運動が激し [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1006">日露対立とそれに伴う各国の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日露対立とそれに伴う各国の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日露対立とそれに伴う各国の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国分割の危機に直面していた時に、中国内部では民衆の排外運動が激しくなっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、中国内部で北京条約が出されたことで、キリスト教の布教が公認された</p>
<p>　　→しかし、布教活動が活発化すると、各地で反キリスト教運動が起きた</p>
<p>　　　＝この反キリスト教運動を仇教運動という</p>
<p>　　　　※特に、日清戦争後の欧米列強が華北へ強引に進出したことは、</p>
<p>　　　　　民衆の民族的な感情を高めたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・仇教運動の時に、義和団というのが生まれた</p>
<p>　　※義和団・・山東の自営的郷村組織を土台として生まれた宗教的な武術の集団のこと</p>
<p>　　　→義和団は、「扶清滅洋」を提唱して、鉄道や教会を破壊し、宣教師や信徒を排撃した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→義和団が北京の城内に入ると、清朝の保守排外派が、義和団の運動を利用して</p>
<p>　　　　各国に宣戦を布告した</p>
<p>　　　　※この時に各国は、在留外国人の保護を名目として共同で出兵を行った</p>
<p>　　　　　→この結果、日本とロシアを中心とする８か国の連合軍が北京を占領し、</p>
<p>　　　　　　在留外国人を救出した</p>
<p>　　　　　　＝この出来事を、義和団事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→１９０１年に負けた清は、北京議定書（辛丑和約）に調印して、</p>
<p>　　　　以下のようなことを認めた</p>
<p>　　　　・巨額の賠償金を支払った</p>
<p>　　　　・外国軍隊の北京の駐屯を認めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・義和団事件以後、ロシアは中国東北から撤兵せずに、朝鮮への圧力を強めていった</p>
<p>　　</p>
<p>　・日清戦争後の朝鮮は、１８９７年に国号を大韓帝国として皇帝の称号を用いた</p>
<p>　　→このようにすることで、朝鮮が独立国であることを示した</p>
<p>　　　※ただし日本とロシアは、ともに朝鮮の支配をもくろんで対立を深めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、イギリスやアメリカはロシアの南下政策を警戒していた</p>
<p>　　※しかし、当時のイギリスは南アフリカ戦争に一杯で、極東に兵を送る力が無かった</p>
<p>　　　＝そこでイギリスは、日英同盟を結んで、日本にロシアをおさえさせようとした</p>
<p>　　　　※この動きは、アメリカも支援した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、イギリスとアメリカの経済的な援助を背景に、ロシアに対して強硬方針をとった</p>
<p>　　→そこで日本は、１９０４年にロシアに宣戦した</p>
<p>　　　＝この宣戦によって起きた、日本とロシアとの戦いを日露戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※日露戦争について</p>
<p>　　　　・日本は、奉天会戦や日本海海戦などで連勝したが、長期戦に耐えられるほどの</p>
<p>　　　　　経済力がなかった</p>
<p>　　　　・ロシアは、第１次ロシア革命が起きていたため、社会的な不安が高まっていた</p>
<p>　　　　　→そのため、日本とロシアは、アメリカ大統領のセオドア＝ローズヴェルト</p>
<p>　　　　　　という人が調停を結ばせた</p>
<p>　　　　　　＝その結果、１９０５年にポーツマス条約を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ポーツマス条約では、以下のようなことが決められた</p>
<p>　　　　・日本が、韓国の指導権と監督権を得た　</p>
<p>　　　　・遼東半島南部の租借権を得た</p>
<p>　　　　・樺太（サハリン）の南半分の領有権などを得た</p>
<p>　　　　・南満州の鉄道利権を得た</p>
<p>　　　　　→日本は、東清鉄道支線の長春、旅順口間の利権を得て、</p>
<p>　　　　　　南満州鉄道株式会社を設立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ロシアに対する日本の勝利は、アジアの様々な民族の自覚を高めたと言われている</p>
<p>　　※その一方で、日本は欧米列強と並んで大陸への帝国主義的な進出を進めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争後、日本とイギリスは日英同盟を維持しつつ、それぞれロシアと</p>
<p>　　１９０７年に日露同盟、英露同盟を結んだ</p>
<p>　　→これによって、日本の大陸進出が簡単になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日露戦争についておさえる</p>
<p>・日露の対立に関する各国の動きをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1006">日露対立とそれに伴う各国の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>列強の二極化とバルカン危機について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1004</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1004#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 06:06:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代世界史]]></category>
		<category><![CDATA[トルコ革命]]></category>
		<category><![CDATA[三国協商]]></category>
		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[未回収のイタリア]]></category>
		<category><![CDATA[第1次バルカン戦争]]></category>
		<category><![CDATA[第2次バルカン戦争]]></category>
		<category><![CDATA[英仏同盟]]></category>
		<category><![CDATA[英露協商]]></category>
		<category><![CDATA[露仏同盟]]></category>
		<category><![CDATA[３Ｂ政策]]></category>

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		<description><![CDATA[列強の二極化とバルカン危機について考えてみます &#160; &#160; ・列強の二極化とバルカン危機について &#160; &#160; 　・１８９０年に、ドイツは外国に対する行動の自由を広げるために、 　　ロシアと [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1004">列強の二極化とバルカン危機について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>列強の二極化とバルカン危機について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・列強の二極化とバルカン危機について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８９０年に、ドイツは外国に対する行動の自由を広げるために、</p>
<p>　　ロシアとの再保障条約の更新を見送った</p>
<p>　　→ロシアはドイツの更新の見送りに反発し、ロシアが工業化の資本を得ることを考えた</p>
<p>　　　＝その結果、ロシアはフランスに接近して、露仏同盟という同盟を結んだ</p>
<p>　　　　※これによって、フランスが外交的な孤立を脱出して、列強関係が流動的になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ドイツはその後、バグダート鉄道の建設を推進して、ベルリン、</p>
<p>　　ビザンティウム（イスタンブル）、バグダードを結んだ</p>
<p>　　＝この結びつきを、３Ｂ政策という</p>
<p>　　　※ドイツは３Ｂ政策を結ぶことで、イギリスの３Ｃ政策に対抗した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらにドイツは、１８９０年代の終わりから、イギリスとの間で海軍の拡張を競う</p>
<p>　　　建艦競争を引き起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリスは長い間、どの国とも同盟を結ばない「光栄ある孤立」の立場を取っていた</p>
<p>　　→しかし、イギリスは２０世紀に入って、以下のような形で海外と交流した</p>
<p>　　　・ロシアが東アジアに進出することに対抗して、１９０２年に日本と日英同盟を結んだ</p>
<p>　　　・ドイツの動きに備えて、１９０４年にフランスと英仏協商を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方でロシアは、東アジアへの進出からバルカンへの進出策に転じると、</p>
<p>　　ロシアがドイツ、オーストリアとぶつかるようになった</p>
<p>　　→そこでロシアは、イギリスと和解して、１９０７年に英露協商を成立させた</p>
<p>　　　※英露協商では、以下のようなことが決められた</p>
<p>　　　　・イランにおけるロシアとドイツの勢力の範囲を定めた</p>
<p>　　　　・アフガニスタンをイギリスの勢力範囲とした</p>
<p>　　　　・チベットでの中国の主権を認めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらに、イギリス、フランス、ロシアはドイツとオーストリアを共通の敵とみなした</p>
<p>　　→そこで、イギリス、フランス、ロシアは協力してそれぞれの植民地や勢力圏を守ろうとした</p>
<p>　　　＝この三国の関係を、三国協商という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その裏でイタリアは、三国同盟の一員だったものの、「未回収のイタリア」をめぐって</p>
<p>　　オーストリアと対立するようになった</p>
<p>　　→そのため、イタリアはフランスに近づくようになった</p>
<p>　　　＝その結果、三国同盟の内容が実質的にドイツ・オーストリア同盟に近くなった</p>
<p>　　　　※この時にドイツは、信頼できる唯一の同盟国であるオーストリアの安定を重視した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝結果的に列強は、イギリスとドイツをそれぞれの中心とする二つの陣営に分かれた</p>
<p>　　　※そして、１９１０年以降に軍備の拡大を競い合った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オーストリアは、国内のスラヴ系民族にパン＝スラヴ主義の影響が及ぶのを恐れた</p>
<p>　　→そこでオーストリアは、セルビアなどのスラヴ系の国々に対抗して、</p>
<p>　　　バルカン半島での勢力の拡大を狙った</p>
<p>　　　※また、１９０８年に、オスマン帝国で青年トルコ革命という革命が起きた</p>
<p>　　　　＝その結果、オーストリアは管理下にあったボスニア・ヘルツェゴビナを併合した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方でロシアは、１９１２年に、セルビアなどのバルカン４国をバルカン同盟に結束させた</p>
<p>　　→バルカン同盟は、イタリア＝トルコ戦争の時にオスマン帝国に宣戦して、</p>
<p>　　　オスマン帝国に勝った</p>
<p>　　　＝この戦いを、第１次バルカン戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第１次バルカン戦争の直後に、戦争で獲得した領土の分配をめぐって、</p>
<p>　　バルカン同盟国の間で戦争になった</p>
<p>　　＝この戦争を、第２次バルカン戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※列強の二極化は、バルカン半島の民族主義的対立を激しくさせ、</p>
<p>　　　バルカン半島での勢力の変動が列強の対立をさらに悪化させた</p>
<p>　　　＝そのため、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・列強の二極化の流れについておさえる</p>
<p>・バルカン同盟とその戦争についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1004">列強の二極化とバルカン危機について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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