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	<title>アラエス &#187; 権利章典</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>近代ヨーロッパの国際秩序と国際関係と革命</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2520</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2520#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 04 Mar 2014 19:15:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ウエストファリア条約]]></category>
		<category><![CDATA[エリザベス1世]]></category>
		<category><![CDATA[ルイ14世]]></category>
		<category><![CDATA[三十年戦争]]></category>
		<category><![CDATA[主権国家体制]]></category>
		<category><![CDATA[名誉革命]]></category>
		<category><![CDATA[権利章典]]></category>
		<category><![CDATA[清教徒革命]]></category>
		<category><![CDATA[科学の世紀]]></category>
		<category><![CDATA[近代国家]]></category>

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		<description><![CDATA[16世紀頃に、イギリス、フランス、オランダを中心に、ヨーロッパが近代国家へ向かい始めた &#160; &#160; 〇近代国家への歴史的流れ ・宗教対立をきっかけに、1618年から三十年戦争が起きた ※三十年戦争は、宗教 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2520">近代ヨーロッパの国際秩序と国際関係と革命</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>16世紀頃に、イギリス、フランス、オランダを中心に、ヨーロッパが<strong>近代国家</strong>へ向かい始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>〇近代国家への歴史的流れ</p>
<p>・宗教対立をきっかけに、1618年から<strong>三十年戦争</strong>が起きた</p>
<p>※三十年戦争は、宗教対立であったが途中から国家間の利害対立が争いの中心になった</p>
<p>＝その結果、1648年に<strong>ウェストファリア条約</strong>という、史上初の国際条約が出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※中世では、教皇と皇帝の権力はヨーロッパの全てを支配する秩序だったが、ウェストファリア条約によって、中世での国際秩序が崩れた</p>
<p>＝代わりに、<strong>主権国家体制</strong>が作られ、新しい枠組みとなった</p>
<p>※主権国家体制・・一定の領域と独立した主権を持った国々が、対等な外交関係で結びつくという国際的秩序のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※国家間の対立は、戦争を避けるために、外交や条約、国際会議などで調整されるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>フランスの<strong>ルイ14世</strong>は、絶対君主（王を絶対的な主権者とするというスタイル）の典型となった</p>
<p>→この時にフランスは、以下のようなことを行った</p>
<p>・官僚制や常備軍を用意した</p>
<p>・重商主義政策を進めた</p>
<p>・君主を中心に、君主が前面にたって自国内の政治や経済の一体化を目指した</p>
<p>※他のヨーロッパの国々も、フランスと同様の政策を進め、対外進出を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>イギリスは、<strong>エリザベス1世</strong>の時に、以下のようなことを行い、イギリスの発展の基礎を作った</p>
<p>・国教会を確立した</p>
<p>・東インド会社を作った</p>
<p>・北アメリカ植民地の開拓など、対外進出を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>エリザベス1世の後、イギリスで<strong>専制政治</strong>（国王が意図的に統治する政治）が強まった</p>
<p>→専制政治によって、議会との対立が強まった</p>
<p>※1649年には、清教徒のクロムウェルが当時の国王チャールズ1世を処刑し、共和制を実現した</p>
<p>＝この動きを<strong>清教徒革命</strong>という</p>
<p>→クロムウェルは、アイルランドを征服し、独裁政治を行った</p>
<p>※ただし、クロムウェルの死で復活した王政（復古王政）も専制的だった</p>
<p>＝そのため1688年に、議会はオランダから新しい王様を迎えた</p>
<p>※この新しい王様を受け入れる動きは、無血で成功したため、<strong>名誉革命</strong>という</p>
<p>→名誉革命の時に、権利章典が定められ、王権に対して議会が優位になった</p>
<p>※<strong>権利章典</strong>・・王が議会に従うことを明らかにしたもの</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※名誉革命によって、王家が断絶した</p>
<p>→その後、18世紀に責任内閣制、その後に憲法と立憲君主制が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※17世紀は、「<strong>科学の世紀</strong>」と呼ばれた</p>
<p>→当時は、ガリレオやニュートンなどによって、自然科学が急激に進歩した</p>
<p>※この進歩の中で、理論（法則）を数学によって正確に表現し、業績を競い合う自然科学のスタイルが生まれた</p>
<p>→理論は、実用的な技術にも応用された</p>
<p>＝そのため、航海術や軍事技術も発展し、ヨーロッパの世界進出に大きな役割を果たした</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2520">近代ヨーロッパの国際秩序と国際関係と革命</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>戦争と税金―戦争は税金の生みの親(イギリスの例)</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2343</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2343#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 26 Dec 2013 01:36:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ルーブル]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[世界史全般]]></category>
		<category><![CDATA[ピューリタン革命]]></category>
		<category><![CDATA[内国消費税]]></category>
		<category><![CDATA[名誉革命]]></category>
		<category><![CDATA[査定課税]]></category>
		<category><![CDATA[権利章典]]></category>
		<category><![CDATA[権利請願]]></category>
		<category><![CDATA[租税協賛権]]></category>

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		<description><![CDATA[  タイトル通り、戦争と税金は切っても切れない関係にあります。先に大まかなポイントと流れだけ示しておきます。先にポイントを抑えることで理解が早まるかと思います。 &#160; ☆☆☆ 戦争→財政危機→国王の増税路線→議会 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2343">戦争と税金―戦争は税金の生みの親(イギリスの例)</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p align="center"> </p>
<p>タイトル通り、戦争と税金は切っても切れない関係にあります。先に大まかなポイントと流れだけ示しておきます。先にポイントを抑えることで理解が早まるかと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆☆☆</p>
<p>戦争→財政危機→国王の増税路線→議会権力(国民側)の強化→勢力を増した議会が分裂→新たな戦争(内戦)へ→またしても税金論へ・・・</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>更に下記も合わせて(というより先に読んだほうが？)読んでいただけると、より理解が進むかと思います。↓↓↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p> <a href="http://ahlaes.com/post/2341">租税問題が国家を揺るがす―「家産国家」から「租税国家」へ</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それでは中身に入っていきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・17Cの財政危機</p>
<p>17C、スチュアート王政は財政危機に悩んでいた</p>
<p>⇒背景は30年戦争の一環である対スペイン戦争</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そこで、臨時税が必要となった。しかし、当時のイギリスでの臨時税はその都度議会の承認が必要だった。そんな中で1625年、国王チャールズ1世が即位。</p>
<p>⇒思っていたほどの税額の承認を得られず・・・</p>
<p>⇒王はふざけるな！ということで議会を解散、承認なしに徴税を実施</p>
<p>⇒1628年、こうした王の対応に不満を持った議会は「権利請願」を起草、王に提出。その第1項が「議会の同意なき課税の禁止」であった。</p>
<p>⇒しぶしぶ裁可したものの、王と議会の関係は次第に悪化</p>
<p>さらに1640年にはまたしても議会を招集せざるを得なくなるも(対スコットランドとの主教戦争)、議会の不満は噴出、法案は議会によって次々に廃止された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・1643年の新税―査定課税と内国消費税</p>
<p>このように当時のイギリスは、議会の発言力が高まっている状況だった。</p>
<p>⇒こうした背景から議会は徐々に過激化し、1641年には「大抗議文」という王の悪政批判を書き連ねた文書を出すまでになった。これは僅差で可決。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※僅差だったのは「大抗議文」の強硬路線についていけなかった穏健派(ここまでやるとは思っていませんでした、というグループ)が反対に回ったため。</p>
<p>⇒ここから議会内部の勢力も「議会派(強硬派)」と「国王派(穏健派)」に分裂</p>
<p>⇒今度はこの2つが戦争を始めるように(内戦)。議会軍と国王軍は1642年についに衝突。決着はつかなかったものの、その後は議会軍が劣勢に。なぜか？軍費を調達する財政基盤を欠いていたから。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆ここで新たな税金が登場するわけです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>議会：「査定課税」の導入</p>
<p>⇒一定の財源調達額を各地域に割り振り、財産の査定(評価)額に応じた課税を各戸に対して行うというもの。現代で言えば資産課税(相続税や固定資産税など)のことだと考えてよいと思います。この直接税は、後年のイギリス所得税の先駆けとなります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>査定課税は、徴税機構の不備もあり、とても公平課税とは言い難かった。また、地域的にはロンドンに負担が集中したこともあり、その不満を避けるために間接税の導入が検討されました。「内国消費税」のことです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>内国消費税：現代日本でいう消費税。査定課税が財産保有者に対する課税であったのに対して、内国消費税は生活必需品課税の色彩が強く、庶民も負担を強いられた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>内国消費税はあくまで戦争のための臨時課税であって、内戦が終わり次第廃止されるという説明があったが、現実には内戦後も国家財政の窮乏を救うため、むしろ課税対象を拡大し、恒久化された。</p>
<p>⇒イギリスの財政基盤の確立</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・名誉革命へ</p>
<p>こうして財政基盤が整うと、次は軍備です。</p>
<p>1645年、イギリス議会は議会軍の再編強化を図った。→46年、議会軍は国王を降伏させて第1次内乱を終結→47年、国王を捕虜に→48年、第2次内乱も終結→49年、国王チャールズ1世も処刑</p>
<p>⇒これがピューリタン革命です。合わせて読むなら↓↓↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/932">イギリス革命について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その後、チャールズ2世による王政復古もあったが、失墜</p>
<p>⇒「権利章典」の原型である「権利宣言」が出された=名誉革命</p>
<p>名誉革命については↓↓↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p> <a href="http://ahlaes.com/post/933">名誉革命について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>権利宣言の中身：国王の守るべき規範が13項目にわたって列記</p>
<p>☆税関係で重要なのは、「国王は議会の同意なしに課税しない」(租税協賛権)という項目</p>
<p>⇒議会(国民)による「租税協賛権」の獲得</p>
<p>⇒現代の税のあり方の原型が確立</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆☆☆</p>
<p>このように現代にみられる税のあり方は、戦争がキーポイントになっていたことがよくわかります。これはイギリスだけでなく、アメリカでも同じです。これについては改めて。</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2343">戦争と税金―戦争は税金の生みの親(イギリスの例)</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>「法の支配」と様々な人権について①　－「法の支配」の考え方と人権論の関係－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1675</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1675#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 13:28:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[民主政治]]></category>
		<category><![CDATA[コモン・ロー]]></category>
		<category><![CDATA[ボーダン]]></category>
		<category><![CDATA[マグナ＝カルタ]]></category>
		<category><![CDATA[人の支配]]></category>
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		<category><![CDATA[法治主義]]></category>
		<category><![CDATA[王権神授説]]></category>

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		<description><![CDATA[「法の支配」と様々な人権について、関連する部分を交えながら考えてみます &#160; &#160; ・「法の支配」に対する考え方について &#160; 　※そもそも、「法の支配」とは・・・ 　　・「法の支配」・・社会をま [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1675">「法の支配」と様々な人権について①　－「法の支配」の考え方と人権論の関係－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>「法の支配」と様々な人権について、関連する部分を交えながら考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・「法の支配」に対する考え方について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※そもそも、「法の支配」とは・・・</p>
<p>　　・「法の支配」・・社会をまとめるためには、法律を用いるべきだという考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　（ただし、この考えの中には、まとめる人が</p>
<p>　　　　　　　　　　　　法律を勝手に変えてはいけない、という意味も含まれている）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ドイツにあった、法治主義という考え方は、「法の支配」と同じように</p>
<p>　　　　法律を重視したが、まとめる人が変えてはいけない、という部分よりも、</p>
<p>　　　　権力の使い方が法律に合っているか、という部分が重要だった</p>
<p>　　　　→このような考え方から、「法の支配」の反対を、「人の支配」と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・「法の支配」は、歴史的にどのように捉えられたか、「法の支配」の考え方について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・法の支配について、様々な形で考えられ、イギリスのマグナ・カルタ、</p>
<p>　　ボーダンやコークの主張などが代表的なものとして扱われる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリスのマグナ・カルタ（大憲章）</p>
<p>　　・中世で、「法の支配」を提唱したもの</p>
<p>　　・その中で考えられていた内容は、身分制度などのような不平等が前提にあったものだった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　→マグナ・カルタの「法の支配」ような、法律によって権力が制限されている状況を</p>
<p>　　　　変えるべきだとして、絶対王政が考えられた</p>
<p>　　　　＝その代表が、ボーダンという人だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ボーダン</p>
<p>　　・主権論（絶対王政による、中央集権的のような、王を中心とした政治の方法）を提唱した</p>
<p>　　・ボーダンは、法律は国をまとめる人が出した命令である、と考えて、</p>
<p>　　　ボーダンより前の「法の支配」を否定した</p>
<p>　　　→そこでボーダンは、王は神から支配する権利を直接授かっている</p>
<p>　　　　という考え方も提唱した</p>
<p>　　　　＝このような考え方を王権神授説と言う</p>
<p>　　</p>
<p>　　※王権神授説の詳しい考え方は、倫理の西洋思想の以下を参照</p>
<p>　　　・社会契約説・自然法と自然権について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・エドワード・コーク</p>
<p>　　・ボーダンの考え方に対抗して自分の意見を考えた</p>
<p>　　・コモン・ローと「法の支配」を貫く考えを提唱した</p>
<p>　　　※コモン・ロー・・「王様はどの人よりも上の立場だが、神と法律だけには</p>
<p>　　　　　　　　　　　　王様は勝てない」という考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　法律家のブラクトンという人が考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→ボーダンの考え方とコークの考え方について、「法の支配」を中心に議論が行われ、</p>
<p>　　ボーダンの考え方を推して、身分制度や特権などを守りたい貴族と、</p>
<p>　　絶対王政に対抗する人々との間で非常に大きな対立が起きた</p>
<p>　　＝この大きな対立を、ピューリタン革命（清教徒革命）と言う</p>
<p>　　</p>
<p>　　※このような流れを受けて、結果的に「法の支配」の方向性は、</p>
<p>　　　権利章典などで確認されることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・「法の支配」に対する基本的人権論からの批判</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※身分制度と関連している「法の支配」は、基本的人権論によって批判された</p>
<p>　　→「法の支配」は特権論の、基本的人権論は人権論の考え方が強かったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・特権論と人権論の違いについて</p>
<p>　　・特権論・・昔の伝統や歴史の流れなどを理由に、一部の身分の高い人達だけが</p>
<p>　　　　　　　　権利を持つ考え方のこと</p>
<p>　　・人権論・・人間は、生まれた時から自由で平等な存在（基本的人権）で、</p>
<p>　　　　　　　　様々な自然権を持っているという考え方のこと</p>
<p>　　　※人権論は、身分制度を壊す可能性があると考えられ、恐れられていたが、</p>
<p>　　　　ホッブズやロックが結果的に人権論を広めることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・人権論が受け入れられるまでの流れ</p>
<p>　　・人権論は、身分制度が最初から存在していなかったアメリカで浸透していった</p>
<p>　　　→その流れを受けて、アメリカのバージニアでバージニア権利章典というものが</p>
<p>　　　　作られたことが大きいと言われている</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　※バージニア権利章典のような人権論は、アメリカ独立宣言やアメリカ権利章典、</p>
<p>　　　　フランス革命の人権宣言などに影響を与えたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※フランス革命の時に作られた人権宣言は、今までの政治や国家は</p>
<p>　　　　人権論の考え方に移るべき、ということを宣言したものだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のような流れを受けて、「法の支配」は、基本的人権の考え方を</p>
<p>　　取り入れたものに変わっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・「法の支配」の解釈の代表的なものに、マグナ・カルタ、ボーダンの主権論、</p>
<p>　コークのコモン・ローと「法の支配」の組み合わせ、という考え方などがある</p>
<p>・「法の支配」について対立し、その対立をピューリタン革命（清教徒革命）という</p>
<p>・「法の支配」の考え方に、特権論と人権論があった</p>
<p>・人権論は、バージニア章典、アメリカ独立宣言、</p>
<p>　フランス革命の時の人権宣言などに影響を与えた</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1675">「法の支配」と様々な人権について①　－「法の支配」の考え方と人権論の関係－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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