<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; 毛沢東</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%af%9b%e6%b2%a2%e6%9d%b1/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%af%9b%e6%b2%a2%e6%9d%b1/feed" />
	<item>
		<title>満州事変と日中戦争をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2528</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2528#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 08 Mar 2014 18:31:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<category><![CDATA[二・二六事件]]></category>
		<category><![CDATA[五・一五事件]]></category>
		<category><![CDATA[南京虐殺事件]]></category>
		<category><![CDATA[国家総動員法]]></category>
		<category><![CDATA[大政翼賛会]]></category>
		<category><![CDATA[日中戦争]]></category>
		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[産業報国会]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=2528</guid>
		<description><![CDATA[満州事変 ・1931年9月18日に、柳条湖で、満州にいた日本軍（関東軍）が南満州鉄道の線路を爆破するということを起こした →この動きを関東軍は、「柳条湖での爆破は中国側がやったこと」として中国への攻撃を開始した ※この時 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2528">満州事変と日中戦争をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p><strong>満州事変</strong></p>
<p>・1931年9月18日に、柳条湖で、満州にいた日本軍（関東軍）が南満州鉄道の線路を爆破するということを起こした</p>
<p>→この動きを関東軍は、「柳条湖での爆破は中国側がやったこと」として中国への攻撃を開始した</p>
<p>※この時に、ほぼ満州全域を占領した（＝満州事変）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→満州事変の後、関東軍は清の最後の皇帝である溥儀を元首として「満州国」を作った</p>
<p>※満州国は、最初は日本政府も消極的だったが、軍部に従って満州国を認めた</p>
<p>＝実際に、恐慌に苦しむ農民を、日本から集団移住させた</p>
<p>※満州国の実権は日本人が握っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→満州事変に対して、中国は日本の侵略だとして国際連盟に訴えた</p>
<p>→国際連盟は、満州にリットン調査団を送って実情を調査した</p>
<p>＝その結果報告によって、満州国の承認の取り消しと、占領地からの日本軍の引き揚げを勧告する案を作成し、可決した</p>
<p>※日本は、可決が不満だった（42対1で負けている）</p>
<p>→そのため日本は1933年に国際連盟から脱退した</p>
<p>※加えて、1934年にワシントン軍縮条約を破棄し、1935年にロンドン軍縮会議から脱退して、国際社会から孤立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>満州事変の時の国内の動き</p>
<p>・満州事変によって、日本の国内に軍国主義の動きが高まった</p>
<p>→その影響で、2つの出来事が起きた</p>
<p>・1932年5月15日に、海軍の青年将校などが首相の犬養毅を襲って射殺した（＝<strong>五・一五事件</strong>）</p>
<p>・1936年2月26日に、陸軍の青年将校などが大臣などを殺して、一時的に東京の中心部を占拠した（＝<strong>二・二六事件</strong>）</p>
<p>→軍部は、上の2つの事件をきっかけに発言力を強めて、政治に深く介入した</p>
<p>※この時政府は、自由や平和の思想を治安維持法で厳しく取り締まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>中国国内の動き</p>
<p>中国国内では、<strong>国民政府</strong>（蒋介石）と<strong>中国共産党</strong>の内戦が続いていた</p>
<p>→その時に共産党は、毛沢東の指導のもとに、国民政府に対して内戦をやめ、協力して日本に対抗することを呼びかけた</p>
<p>※この考えは、中国国民の支持を受けた</p>
<p>＝結果的に、1936年に内戦は停止され、抗日運動が盛り上がった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※一方で日本は、華北にも手を伸ばそうとしていた</p>
<p>→そして、1937年7月7日に、北京郊外で日本軍と中国軍による衝突事件が起きた</p>
<p>＝この衝突事件をきっかけに、宣戦布告がないまま、<strong>日中戦争</strong>が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日中戦争の時の日本と中国の動き</p>
<p>・日本軍は、シャンハイや首都のナンキンを占領した</p>
<p>※ナンキンを占領する際、日本軍は多くの住民を殺害し、暴行を行った（＝<strong>南京虐殺事件</strong>）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国民政府と中国共産党は、抗日民族統一戦線を作って、日本の侵略に対抗した</p>
<p>→国民政府と中国共産党は、以下のようなことを行った</p>
<p>・国民政府：チョンチンに移動し、アメリカ、イギリス、ソ連などの援助を受けて戦いをつづけた</p>
<p>・中国共産党：農民の支持を得てゲリラ戦を続けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※日中戦争の裏で、朝鮮でも日本への抵抗が続いた</p>
<p>※満州などでも、朝鮮から脱出した人々によって朝鮮民族の独立を目指す戦いが進んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日中戦争からの日本の動き</p>
<p>・日本は、日中戦争が始まると、国家予算のほとんどが軍事費にあてられた</p>
<p>※この時に、国民は心身を鍛え、物資の不足に耐え、節約につとめ、戦争に協力しなければいけないと説かれた</p>
<p>→そのため、国家によって生活の仕方が決められていった</p>
<p>＝結果的に、1938年に<strong>国家総動員法</strong>が制定された</p>
<p>→国家総動員法によって、政府が議会の承認なしに国民生活全体を統制できるようになった</p>
<p>※その時に、以下のようなことが起きた</p>
<p>・国民が軍需工場で働かされた</p>
<p>・資金や物資が厳重に統制された</p>
<p>・生活必需品が配給制になった</p>
<p>・商品の価格統制が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※加えて当時の社会の動きとして、以下のようなことが起きた</p>
<p>・1940年に労働組合が解散させられ、<strong>産業報国会</strong>が作られた</p>
<p>・政友会や立憲民政党などの政党は自分から解散して、<strong>大政翼賛会</strong>にまとめられた</p>
<p>・大政翼賛会の下部組織として、隣組が作られた</p>
<p>※隣組は、住民同士の助け合いと同時に、住民同士の監視の役割も果たした</p>
<p>・政府は、朝鮮人を日本人に同化させる動きを一層見せた（＝<strong>皇民化政策</strong>）</p>
<p>・朝鮮人に、日本式の姓名を名乗らせ（＝創氏改名）、神社への参拝を強制した</p>
<p>※同化政策は、台湾でも行われた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2528">満州事変と日中戦争をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/2528/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/2528" />
	</item>
		<item>
		<title>社会主義の展開と各国の動きについて　－社会主義はどのように考えられていったのか－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1659</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1659#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 07:54:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[宮下]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[西洋思想]]></category>
		<category><![CDATA[ウェッブ夫妻]]></category>
		<category><![CDATA[ゴルバチョフ]]></category>
		<category><![CDATA[バーナード＝ショウ]]></category>
		<category><![CDATA[フェビアン協会]]></category>
		<category><![CDATA[ベルンシュタイン]]></category>
		<category><![CDATA[レーニン]]></category>
		<category><![CDATA[孫文]]></category>
		<category><![CDATA[帝国主義]]></category>
		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
		<category><![CDATA[社会主義]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1659</guid>
		<description><![CDATA[社会主義の展開について考えてみます &#160; &#160; &#160; ※社会主義が様々な形になっていくまでの背景について 　・１９世紀後半に、社会主義は世界的に広まっていった 　・一方で、資本主義が新しくなってい [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1659">社会主義の展開と各国の動きについて　－社会主義はどのように考えられていったのか－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>社会主義の展開について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※社会主義が様々な形になっていくまでの背景について</p>
<p>　・１９世紀後半に、社会主義は世界的に広まっていった</p>
<p>　・一方で、資本主義が新しくなっていき、資本主義の中でも「帝国主義」が展開されていった</p>
<p>　　※帝国主義・・各国が市場を得るために、植民地を取る争いをする、という動きのこと</p>
<p>　・労働運動が活発になり、言論の自由や選挙権の拡大など、</p>
<p>　　労働者の環境が少しずつ変わるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→このような状況で、社会主義が様々な形になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イギリスの社会主義</p>
<p>　→代表的な人達として、ウェッブ夫妻やバーナード＝ショウなどが挙げられる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ウェッブ夫妻やバーナード＝ショウについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ウェッブ夫妻が中心となり、バーナード＝ショウがサポートする形で、</p>
<p>　　　フェビアン協会というものが作られた</p>
<p>　　</p>
<p>　　　→フェビアン協会は、功利主義の影響を受け、利潤の再分配、福祉の充実、</p>
<p>　　　　重要な産業の国有化などを行って</p>
<p>　　　　資本主義の良くない部分を少しずつ改善していこうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※フェビアン協会は、マルクスの革命の理論に対して、</p>
<p>　　　　知識のある人による指導を受けつつ、議会を使って平和に社会を変えていく、</p>
<p>　　　　という考え方の立場に立った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→このような、フェビアン協会のような考え方をフェビアニズムと言い、</p>
<p>　　イギリスの労働党に受け継がれていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ドイツの社会主義について</p>
<p>　→代表的な人にベルンシュタインという人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ベルンシュタインは、マルクス主義を発展させていくためには、</p>
<p>　　マルクスの考え方を修正していくべきだと考えた</p>
<p>　　＝このような考え方を修正マルクス主義という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ベルンシュタインは、政治の仕組みが民主的になり、労働者の地位が上がった国では、</p>
<p>　　突然の革命ではなく、労働者階級の人達が議会で多くを得ることで、</p>
<p>　　着実に社会主義へと向かっていくのが良いと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→このような、ベルンシュタインの考え方は、ドイツ社会民主党に受け継がれていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ロシアの社会主義について</p>
<p>　→代表的な人に、レーニンとゴルバチョフという人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・レーニンについて</p>
<p>　　・レーニンは、資本主義の社会でどれだけ民主化が進んでも階級による対立が</p>
<p>　　　無くならなければ、社会主義になることは無理だと考えた</p>
<p>　　　→そこでレーニンは、労働者階級の代表だった共産党に独裁をさせることによって</p>
<p>　　　　社会主義にしていこうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ゴルバチョフについて</p>
<p>　　・ゴルバチョフは、自分を中心に１９８５年にペレストロイカを行った</p>
<p>　　　→しかし、ペレストロイカは、結果的に社会主義体制を</p>
<p>　　　　根本から崩すことになってしまった</p>
<p>　　　　※ペレストロイカ・・ゴルバチョフを中心にして行われた社会主義の立て直しのこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝結果的に、１９８９年から９１年にかけて、東欧とソ連の社会主義体制が終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中国の社会主義について</p>
<p>　→代表的な人に孫文と毛沢東という人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・孫文は三民主義を提唱し、「革命、いまだ成らず」という言葉を残して亡くなった</p>
<p>　　→その後、毛沢東が革命運動の中心になり、毛沢東の指導によって</p>
<p>　　　１９４９年に中華人民共和国が作られ、中国が独自の社会主義へと向かって行った</p>
<p>　　</p>
<p>　　※三民主義・・民族主義（民族の自覚を高めること）、民権主義（人民主権にすること）、</p>
<p>　　　　　　　　　民生主義（人々の生活を向上させるために社会主義的な政策を行うこと）の</p>
<p>　　　　　　　　　３つをまとめた呼び方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ウェッブ夫妻とバーナード＝ショウらによって、フェビアン協会が作られ、</p>
<p>　少しずつ社会主義にしようと考えた</p>
<p>　→この考え方は、イギリスの労働党に受け継がれた</p>
<p>・ベルンシュタインは、修正マルクス主義を提唱し、革新的ではなく、</p>
<p>　着実に社会主義へ向かっていくべきだと考えた</p>
<p>　→この考え方は、ドイツ社会民主党に受け継がれた</p>
<p>・レーニンは、階級の対立が無くなれば資本主義から社会主義になると考えた</p>
<p>　→そこで、労働者階級の共産党に独裁をさせた</p>
<p>・ゴルバチョフらは、ペレストロイカを行ったが、社会主義を崩すまでのものになってしまった</p>
<p>・孫文が三民主義を提唱し、その後毛沢東が革命運動の中心になって、中華人民共和国を作った</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1659">社会主義の展開と各国の動きについて　－社会主義はどのように考えられていったのか－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1659/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1659" />
	</item>
		<item>
		<title>中国の政治・経済・歴史・格差について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1432</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1432#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 31 Oct 2013 15:41:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本の周囲という視点からの地域]]></category>
		<category><![CDATA[中国]]></category>
		<category><![CDATA[中華人民共和国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[人民公社]]></category>
		<category><![CDATA[四つの近代化]]></category>
		<category><![CDATA[天安門事件]]></category>
		<category><![CDATA[文化大革命]]></category>
		<category><![CDATA[日中国交正常化]]></category>
		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
		<category><![CDATA[経済格差]]></category>
		<category><![CDATA[郷鎮企業]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1432</guid>
		<description><![CDATA[中国の政治・経済・歴史・格差について考えてみます &#160; &#160; ・中国の政治・経済・歴史について &#160; &#160; 　・中国は、１９４９年に誕生した 　　※中国は誕生の時に、社会主義体制、産業の国 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1432">中国の政治・経済・歴史・格差について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中国の政治・経済・歴史・格差について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中国の政治・経済・歴史について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は、１９４９年に誕生した</p>
<p>　　※中国は誕生の時に、社会主義体制、産業の国営化、農業の集団化などを採用していた</p>
<p>　　　→しかし、上のような体制の採用は、生産意欲や効率性の低下などにつながった</p>
<p>　　　→さらに、文化大革命などの社会的な混乱によって、経済の停滞もあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※文化大革命とは（１９６６年～１９７６年）</p>
<p>　　　・毛沢東という人を中心とする一派が、国民を巻き込んで起こした権力闘争のこと</p>
<p>　　　・社会主義のために、様々な古い価値観を壊そうとして、</p>
<p>　　　　政府の重要人物や知識人の弾圧や追放を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は、１９５０年代に、以下のようなことが起きている</p>
<p>　　→・１９５３年・・５カ年計画が始まる（この時に、計画経済が行なわれた）</p>
<p>　　　・１９５４年・・中華人民共和国憲法が作られた</p>
<p>　　　・１９５８年・・人民公社が始まった（この時に、集団化による大躍進運動が起きた）</p>
<p>　　　　　　　　　　　　※この時に、社会主義政策が強化された</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は、１９６０年代に、以下のようなことが起きている</p>
<p>　　→・１９６０年・・ソ連と対立して、ソ連への技術援助を打ち切った</p>
<p>　　　　　　　　　　　（この時に、大躍進運動が失敗した）</p>
<p>　　　　　　　　　　　　※この時に、集団化を緩和し、社会主義政策が緩和された</p>
<p>　　　・１９６６年・・文化大革命が起きた</p>
<p>　　　　　　　　　　　　※この時に、社会主義政策が強化された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は、１９７０年代に、以下のようなことが起きている</p>
<p>　　→・１９７１年・・台湾の代わりに、国連代表権を得た</p>
<p>　　　　　　　　　　　　※この時に、社会主義政策が緩和された</p>
<p>　　　・１９７２年・・米中共同声明の発表と、日中国交正常化が行なわれた</p>
<p>　　　　　　　　　　　　※この時に、社会主義政策が強化された</p>
<p>　　　・１９７８年・・新憲法が制定され、四つの近代化（農業、工業、国防、科学技術）が</p>
<p>　　　　　　　　　　　制定された</p>
<p>　　　　　　　　　　　　※この時に、社会主義政策が緩和された</p>
<p>　　　・１９７０年代末</p>
<p>　　　　→・門戸開放、経済改革、対外開放政策に転じた</p>
<p>　　　　　・国有企業の民営化、価格の自由化など、市場経済が広がっていった</p>
<p>　　　　　・人民公社が解体され、個人の農家が生産を担うことになった</p>
<p>　　　　　・個人企業や郷鎮企業（市町村による企業）が認められた</p>
<p>　　　　　　※ただし、政治面での一党支配は維持されていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は、１９８０年代に、以下のようなことが起きている</p>
<p>　　→・１９８２年・・人民公社が解体した</p>
<p>　　　・１９８９年・・天安門事件が起きた</p>
<p>　　　・１９８０年代・・沿海部に経済特区や経済技術開発区が作られた</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　※この時に中国は、多くの外国企業を受け入れてきた</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　＝そのため、中国は「世界の工場」になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ただし、中国は、市場経済の導入によって、以下のような動きも出てきている</p>
<p>　　　・自分の利益を優先する雰囲気が出てきた</p>
<p>　　　・様々な汚職や腐敗が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は、１９９０年代に、以下のようなことが起きている</p>
<p>　　→・１９９３年・・憲法の改正によって、社会主義市場経済を目指すようになった</p>
<p>　　　・１９９７年・・イギリスから、香港が返還された</p>
<p>　　　・１９９９年・・ポルトガルから、マカオが返還された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中国の開発について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は、一人あたりＧＤＰが１０００ドルを超えた</p>
<p>　　→そのため、発展途上国から抜け出して、経済大国へ向かう動きが出てきている</p>
<p>　　　＝しかし、経済大国へ向かう動きの裏で、都市と農村、沿海部と内陸部との間で</p>
<p>　　　　経済格差が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は、経済格差を縮小していくために、２０００年から「西部大開発」が進められた</p>
<p>　　→西部大開発によって、以下のようなことが行なわれた</p>
<p>　　　・中国西側の、国土の約７割の地域を対象に、社会基盤を整備して、産業を誘致した</p>
<p>　　　・西側に、資金を集中的に投入したり、外国から資本や技術の導入を進めたりした</p>
<p>　　　・チンハイ省とチベット自治区を結ぶ鉄道が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は、都市部と農村部で、以下のような動きでの発展を目指している</p>
<p>　　→沿海部・・原材料や部品を輸入して、製品を輸出する工業を中心に発展</p>
<p>　　　内陸部・・地元の資源を生かした原料による産業を中心に発展を目指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中国の政治・経済・歴史についておさえる</p>
<p>・中国の開発についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1432">中国の政治・経済・歴史・格差について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1432/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1432" />
	</item>
		<item>
		<title>戦後の中国の揺らぎについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1062</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1062#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 17:27:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後世界史・冷戦・第三世界]]></category>
		<category><![CDATA[「大躍進」運動]]></category>
		<category><![CDATA[チベット]]></category>
		<category><![CDATA[プロレタリア文化大革命]]></category>
		<category><![CDATA[中国]]></category>
		<category><![CDATA[修正主義]]></category>
		<category><![CDATA[劉少奇]]></category>
		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
		<category><![CDATA[紅衛兵]]></category>
		<category><![CDATA[資本主義]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1062</guid>
		<description><![CDATA[戦後の中国の揺らぎについて考えてみます &#160; &#160; ・戦後の中国の揺らぎについて &#160; &#160; 　・中国は、１９５０年代の前半に戦前の農工業生産を超えた 　　→しかし、その後は強引な工業化や [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1062">戦後の中国の揺らぎについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>戦後の中国の揺らぎについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・戦後の中国の揺らぎについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は、１９５０年代の前半に戦前の農工業生産を超えた</p>
<p>　　→しかし、その後は強引な工業化や農業集団化政策、共産党支配などに</p>
<p>　　　対する批判が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・毛沢東は、批判勢力に反撃する形で「大躍進」運動を指示した</p>
<p>　　※「大躍進」運動・・大衆の動員による急激な社会主義の建設を目指す運動のこと</p>
<p>　　※「大躍進」運動は、農村での人民公社の設立を進めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→しかし、大躍進運動は多くの犠牲を出して失敗した</p>
<p>　　　＝そのため、１９５９年に毛沢東に代わって劉少奇という人が国家主席について、</p>
<p>　　　　経済計画を見直した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→同じ１９５９年に、チベットで反中国運動が起きた</p>
<p>　　　※これを中国軍が鎮圧したものの、インド軍とも衝突することになってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・党の主席としてとどまった毛沢東という人は、帝国主義と対決するスタンスで</p>
<p>　　党の指導力を守ろうとした</p>
<p>　　※そのため、毛沢東はソ連の平和共存路線を批判した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、ソ連も毛沢東を非難した</p>
<p>　　→そこでソ連は、１９６０年に中国への経済援助を停止して、</p>
<p>　　　ソ連人の技術者を中国から引きあげた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中ソ対立は、１９６３年から公開論争に発展した</p>
<p>　　※これに加え、１９６９年には中ソの国境で軍事的な衝突も起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、毛沢東の方針について、中国共産党内でも対立が起こるようになった</p>
<p>　　→そこで、毛沢東とその軍をひきいる林彪などは、劉少奇や鄧小平などを、</p>
<p>　　　資本主義の復活を目指す修正主義者（「実権派」「走資派」と呼ばれていた）で</p>
<p>　　　あると非難した</p>
<p>　　　＝そのため、毛沢東は全国にプロレタリア文化大革命という運動を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※プロレタリア文化大革命について</p>
<p>　　　　・中国では、文化大革命に応える形で、若い世代を中心に紅衛兵などの</p>
<p>　　　　　全国的な大衆運動が作られた</p>
<p>　　　　・一方で、党の幹部や知識人を批判して追放した</p>
<p>　　　　・この時に劉少奇が失脚し、その後に国家主席が廃止された</p>
<p>　　　　・文化大革命は１０年にわたり、中国内部に深刻な社会的混乱をもたらした</p>
<p>　　　　・文化大革命は、中国の経済活動や文化活動を停滞させたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中国内外の動揺の様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1062">戦後の中国の揺らぎについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1062/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1062" />
	</item>
		<item>
		<title>東アジアと東南アジアの分断について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1055</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1055#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 16:37:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後世界史・冷戦・第三世界]]></category>
		<category><![CDATA[インドシナ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[カイロ会談]]></category>
		<category><![CDATA[ベトナム独立同盟]]></category>
		<category><![CDATA[中ソ友好同盟相互援護条約]]></category>
		<category><![CDATA[中華人民共和国]]></category>
		<category><![CDATA[周恩来]]></category>
		<category><![CDATA[大韓民国]]></category>
		<category><![CDATA[朝鮮民主主義人民共和国]]></category>
		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
		<category><![CDATA[蒋介石]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1055</guid>
		<description><![CDATA[東アジアと東南アジアの分断について考えてみます &#160; &#160; ・東アジアと東南アジアの分断について &#160; &#160; 　・中国は戦後、５大国の一員としての地位を認められた 　　※しかし、国内では第 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1055">東アジアと東南アジアの分断について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東アジアと東南アジアの分断について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東アジアと東南アジアの分断について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国は戦後、５大国の一員としての地位を認められた</p>
<p>　　※しかし、国内では第二次大戦の末期から、国民党と共産党の戦いが復活した</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　→蒋介石は１９４８年に総統になったが、国民党幹部の腐敗、激しいインフレによる</p>
<p>　　　　経済の混乱などで、民衆から批判された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→共産党はこの間に、農村で土地の改革を実行して農民を支持を得た</p>
<p>　　　　※支持を得た後に、１９４７年から反攻に出た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→その後、国民党軍が負けを重ねたため、１９４９年１２月に蒋介石が台湾に逃げ、</p>
<p>　　　　台湾で中華民国政府を維持した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・共産党は、１９４９年の９月に、民主勢力を北京の人民政治協商会議に招集した</p>
<p>　　→この会議で１０月に、毛沢東を主席として、周恩来を首相とする</p>
<p>　　　中華人民共和国の成立を宣言した</p>
<p>　　　※この時に、首都を北京と定めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５０年２月に、モスクワで中ソ友好同盟相互援助条約が調印された</p>
<p>　　※この時に、中国は社会主義圏に参加する姿勢を見せた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５３年に、第１次五カ年計画によって、工業化と農業の集団化を推進した</p>
<p>　　※そして、１９５４年に新憲法が採択された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※新中国は、社会主義諸国をはじめとしてインドやイギリスなどから承認された</p>
<p>　　　→しかし、アメリカは台湾の中華民国政府を中国の正式代表とする立場をとった</p>
<p>　　　　＝そのため、長い間中華人民共和国と対立することになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝鮮は、１９４３年のカイロ会談で第二次大戦後の独立が承認されていた</p>
<p>　　※しかし、戦後は北緯３８度線を境界にして、北半分をソ連が、</p>
<p>　　　南半分をアメリカが管理した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、１９４８年に南部で、アメリカから帰国した李承晩という人を大統領にして</p>
<p>　　　大韓民国（韓国）が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→また、北部で、金日成という人を首相（１９７２年以降主席）として、</p>
<p>　　　朝鮮民主主義人民共和国（北朝鮮）の独立が宣言された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝その結果、完全に南北が分立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フィリピンは、日本に対する抵抗運動が活発だった</p>
<p>　　→１９４６年にフィリピンは、フィリピン共和国として独立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オランダ領東インドでは、１９４５年８月にスカルノという人を指導者として、</p>
<p>　　インドネシア共和国の成立が宣言された</p>
<p>　　※オランダは、武力で介入したものの、失敗に終わった</p>
<p>　　　→そのため、１９４９年にインドネシア共和国は独立を達成した</p>
<p>　　　　※この時に、スカルノが初代大統領になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フランス領インドシナでは、ホー＝チ＝ミンが日本の占領下に、</p>
<p>　　ベトナム独立同盟（ベトミン）を組織した</p>
<p>　　→そして、終戦直後にベトナム民主共和国の独立を宣言した</p>
<p>　　　※しかし、フランスはこの独立を認めなかった</p>
<p>　　　　→そのためフランスは、１９４９年に阮朝最後の王であったバオダイを建て、</p>
<p>　　　　　フランス連合国内の一国としてベトナム国を発足させた</p>
<p>　　　　　※フランス第四共和政は、１９４６年憲法で、フランスの海外領と植民地を</p>
<p>　　　　　　フランス連合と規定した</p>
<p>　　</p>
<p>　　→この一方で、フランスはベトナム民主共和国と戦った</p>
<p>　　　＝この時の戦いを、インドシナ戦争という</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→インドシナ戦争で、１９５４年にフランスが、ディエンビエンフー</p>
<p>　　　というところで負けた</p>
<p>　　　＝そのためフランスは、ベトナムとジュネーヴ休戦協定を結んで、</p>
<p>　　　　インドシナから撤退した</p>
<p>　　　　※この時に、北緯１７度線を暫定的軍事境界線として南北間を分けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５３年に、カンボジアが完全な独立を果たした</p>
<p>　　※カンボジアは、シハヌークという人のもとで中立政策を進めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５３年に、ラオスも独立した</p>
<p>　　※しかし、左派と右派の政治的な勢力の対立が原因で、内戦が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東アジアの国々の戦後の動きをおさえる</p>
<p>・東南アジアの国々の戦後の動きをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1055">東アジアと東南アジアの分断について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1055/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1055" />
	</item>
		<item>
		<title>中国の国民党と共産党について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1032</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1032#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 08:15:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<category><![CDATA[中華ソヴィエト共和国臨時政府]]></category>
		<category><![CDATA[五・三〇運動]]></category>
		<category><![CDATA[北伐]]></category>
		<category><![CDATA[孫文]]></category>
		<category><![CDATA[山東出兵]]></category>
		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
		<category><![CDATA[第1次国共合作]]></category>
		<category><![CDATA[蒋介石]]></category>
		<category><![CDATA[軍閥打倒]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1032</guid>
		<description><![CDATA[中国の国民党と共産党について考えてみます &#160; &#160; ・中国の国民党と共産党について &#160; &#160; 　・１９１９年に、ソヴィエト政府が中国に対して、外務人民委員代理の 　　カラハンという人の [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1032">中国の国民党と共産党について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中国の国民党と共産党について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中国の国民党と共産党について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９１９年に、ソヴィエト政府が中国に対して、外務人民委員代理の</p>
<p>　　カラハンという人の名前で、旧ロシア政府が中国に対して持っていた</p>
<p>　　全ての帝国主義的特権の放棄を宣言した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２１年に、コミンテルンの支援によって、陳独秀を指導者とする</p>
<p>　　中国共産党が結成された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、国民党の教化を目指していた孫文が、ソ連の援助を受けて顧問を招き、</p>
<p>　　１９２４年に国民党を改組して党の組織の近代化を狙った</p>
<p>　　※これに加えて、共産党員が個人の資格で国民党に入党することを認めた</p>
<p>　　　＝これを、第１次国共合作という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・孫文は、「連ソ・容共・扶助工農」をかかげて、打倒軍閥、打倒帝国主義の</p>
<p>　　路線を打ち出した</p>
<p>　　※孫文は１９２５年に病死した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２５年に、上海の日本人経営の紡績工場での労働争議をきっかけとして、</p>
<p>　　五・三○運動が起きた</p>
<p>　　※この運動は、中国で打倒帝国主義運動の盛り上がりを示したと言われている</p>
<p>　　</p>
<p>　　※五・三〇運動とは</p>
<p>　　　・会社側によるスト労働者の射殺に抗議するデモ隊が、５月３０日に</p>
<p>　　　　上海の租界警察に弾圧され、数十名の死傷者を出した事件のこと</p>
<p>　　　・五・三〇運動は、全国的に拡大していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２５年７月に、国民党が広州で国民政府を誕生させた</p>
<p>　　→次の年に、蒋介石を中心とした国民政府軍が中国の統一を目指して北伐を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・軍閥打倒は、共産党員の指導する農民運動に支援されて、順調に進んだ</p>
<p>　　※１９２７年３月には、南京と上海を占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、国民政府の内部では、大衆運動の拡大を目指す共産党員などの左派と、</p>
<p>　　左派を警戒する右派とが対立を深めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・蒋介石は、１９２７年４月に、上海クーデタを起こして、共産党を弾圧した</p>
<p>　　→その後蒋介石は、南京に国民政府を作って主席になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２８年に、北伐が再開された</p>
<p>　　※その後すぐに、北京にせまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、国民政府の全国統一を妨害するために山東出兵を繰り返した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、今まで日本が支援していた奉天軍閥の張作霖という人が北伐軍に負けて、</p>
<p>　　北京から東北へ引き上げるということを行った</p>
<p>　　→日本軍は、張作霖が東北に引き上げる途中に、列車を爆破して張作霖を死亡させ、</p>
<p>　　　東北の支配を狙った</p>
<p>　　　※しかし、この戦略は失敗に終わった</p>
<p>　　　※さらに、張作霖の子どもの張学良という人が、日本に対抗するために</p>
<p>　　　　国民政府の東北の支配を認めた</p>
<p>　　　　＝そのため、国民政府の全国統一が一応達成された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・蒋介石は、上海を中心に銀行資本を通して中国の経済界を支配していた</p>
<p>　　浙江財閥と手を組んだ</p>
<p>　　→蒋介石は、この行動によって、アメリカやイギリスの支配のもとに</p>
<p>　　　国民党一党独裁体制による統一政権を目指した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で中国共産党は、１９２７年に国共分裂が起きてから、数回の蜂起を狙った</p>
<p>　　※しかし、この蜂起は失敗に終わった</p>
<p>　　　＝そこで中国共産党は、農村でソヴィエト政権を作る方針に変えていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・毛沢東を中心とした紅軍（共産党軍）が、井崗山で作った根拠地が</p>
<p>　　しだいに広がっていった</p>
<p>　　＝その結果、１９３１年に、江西省瑞金に毛沢東を主席とする</p>
<p>　　　中華ソヴィエト共和国臨時政府が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※国民政府はソヴィエト政権に対して包囲戦を繰り返した</p>
<p>　　　→しかし、これを消滅させることができなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中国の国民党と共産党についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1032">中国の国民党と共産党について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1032/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1032" />
	</item>
	</channel>
</rss>
