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	<title>アラエス &#187; 治安維持法</title>
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		<title>第一次大戦後の日本の混乱の様子をまとめてみた　－不景気の日本と中国との関係－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2506</link>
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		<pubDate>Thu, 20 Feb 2014 10:33:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
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		<description><![CDATA[第一次大戦後の日本の混乱の様子　 &#160; &#160; &#160; 第一次世界大戦後の日本は、不景気が続いていた ※1929年に世界恐慌の影響も受けて、日本の不景気がさらに深刻になった →不景気によって、以下のよ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2506">第一次大戦後の日本の混乱の様子をまとめてみた　－不景気の日本と中国との関係－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>第一次大戦後の日本の混乱の様子　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦後の日本は、<strong>不景気</strong>が続いていた</p>
<p>※1929年に<strong>世界恐慌</strong>の影響も受けて、日本の不景気がさらに深刻になった</p>
<p>→不景気によって、以下のようなことが起きた</p>
<p>・都市：多くの企業が倒産、失業者が増えた</p>
<p>・農村：農産物が値下がりし、生糸の輸出が減ったことで、養蚕農家も打撃を受けた</p>
<p>・東北地方や北海道：冷害で凶作になり、「<strong>娘の身売り</strong>」が問題になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→不景気に対して、以下のようなことが起きた</p>
<p>・企業の賃金の切り下げや解雇などに対する<strong>労働争議</strong>が増えた</p>
<p>・農村でも<strong>小作争議</strong>が激しくなった</p>
<p>※労働争議や小作争議は、<strong>治安維持法</strong>によって取り締まられた</p>
<p>・<strong>財閥</strong>が倒産した会社や銀行の合併などによって、さらに勢力を広げた</p>
<p>・財閥と政党政治家が選挙資金などを通して強く結びつき、汚職なども何度か起きた</p>
<p>※汚職は、国民の間で政党政治や財閥に対する不満と不信が強くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>不景気の裏で、中国の<strong>蒋介石</strong>が共産党をおさえ、国民政府の手によって<strong>中国をほぼ統一</strong>した</p>
<p>※日本政府と軍部は中国に介入したが、失敗に終わっている</p>
<p>→一方で、<strong>満州</strong>では、日本に奪われた権益を取り戻そうとする動きが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※加えて、世界恐慌や日本の不景気が、日本の植民地（台湾や朝鮮）に重くのしかかった</p>
<p>＝だから、学生、労働者、農民を中心に、日本に対抗する運動が激しくなった</p>
<p>→1930年には、先住民が警察署や学校をおそっている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→そこで、日本国内では、軍部や国家主義の団体が、恐慌による日本の危機を中国に侵略することで突破していこうとした</p>
<p>※財閥の中にも、<strong>軍部</strong>と結んで大陸進出を目指す動きが起きた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2506">第一次大戦後の日本の混乱の様子をまとめてみた　－不景気の日本と中国との関係－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>大正デモクラシーと政党政治・軍縮について（第一次大戦後の日本の政治的な動き）をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2505</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2505#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 18 Feb 2014 23:21:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[五大国]]></category>
		<category><![CDATA[全国水平社]]></category>
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		<description><![CDATA[大正デモクラシーと政党政治と軍縮の動きについて &#160; &#160; &#160; 大正時代・・民主主義的な動きが進み、大正デモクラシーの風潮が盛り上がった →この背景によって、政党の力も大きくなってきた &#038;nbs [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2505">大正デモクラシーと政党政治・軍縮について（第一次大戦後の日本の政治的な動き）をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大正デモクラシーと政党政治と軍縮の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>大正時代・・民主主義的な動きが進み、<strong>大正デモクラシー</strong>の風潮が盛り上がった</p>
<p>→この背景によって、政党の力も大きくなってきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>米騒動の後、1918年9月に、<strong>立憲政友会</strong>（当時の衆議院の第一党）の総裁だった<strong>原敬</strong>という人が、内閣を作った</p>
<p>※衆議院議員の首相は初</p>
<p>→原敬は、初めての本格的な<strong>政党内閣</strong>で、政党政治を進めて選挙権を拡大した</p>
<p>※知識人や労働者の間に普通選挙の実現を目指す運動が盛り上がると、時期が早いとして原敬は反対した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦末期から戦後にかけて、民衆が様々な社会運動を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→実際に、労働組合の指導で賃上げや労働時間の短縮を求めて<strong>労働争議</strong>が何度か起きた</p>
<p>※1920年には、日本最初の<strong>メーデー</strong>も行われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→農村では、地主に対して小作料の引き下げや耕作する権利の要求などが行われた（＝<strong>小作争議</strong>）</p>
<p>※この時に、<strong>日本農民組合</strong>も作られている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→女性を社会的差別から解放し、その地位を高めようとする運動が、<strong>平塚らいてう</strong>などによって進められた</p>
<p>※大戦後は、市川房枝などによる婦人参政権の実現を目指す運動も起きていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→部落差別に苦しんでいた人々が、1922年に<strong>全国水平社</strong>を作って、団結した上で差別からの解放や自由などを求める運動を進めた</p>
<p>※1922年に、<strong>日本共産党</strong>がひっそりと結成され、労働者階級による独裁を目指す活動を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→北海道では、アイヌの人々を差別から解放する運動が起こった</p>
<p>※実際に、1930年に<strong>北海道アイヌ協会</strong>が設立された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1920年代に入って、普通選挙を求める運動が、民衆運動として活発になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→<strong>第二次護憲運動</strong>によって、1924年に護憲派の政党の連立によって加藤高明内閣が出てきた</p>
<p>※ここから五・一五事件までの8年間、衆議院を土台とする政党内閣が続いた</p>
<p>＝1925年に、加藤内閣のもとで、25歳以上の男子に選挙権を与える<strong>普通選挙法</strong>が成立した</p>
<p>※ただし、女性の参政権は認められなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→一方で、同じ1925年に、天皇中心の国の在り方を変えたり、<strong>私有財産制の廃止</strong>を目指したりする運動を取り締まろうとした</p>
<p>＝そのため、<strong>治安維持法</strong>を成立した</p>
<p>※治安維持法によって、社会主義運動が制約を受けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦の後、日本は世界の<strong>五大国</strong>の一つとなった</p>
<p>※実際に、国際社会における日本の地位と責任は大きくなった</p>
<p>→1920年代に、日本は以下のようなことを行っている</p>
<p>・日本は国際協調外交を進めた</p>
<p>・アメリカやイギリスなどと協力して軍縮を行った</p>
<p>・中国に対して、武力的干渉を避ける政策をとった</p>
<p>※ただし、日本の中国に対する外交が弱いと非難する意見が日本国内で出てきた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2505">大正デモクラシーと政党政治・軍縮について（第一次大戦後の日本の政治的な動き）をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>憲法の歴史について②　－明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れ－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1813</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1813#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 17 Nov 2013 08:35:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[ポツダム宣言]]></category>
		<category><![CDATA[マッカーサー３原則]]></category>
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		<description><![CDATA[明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れを考えてみます &#160; &#160; ・明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れについて &#160; &#160; 　・最初、明治憲法の時に複雑な政党政治を動かしていたのは 　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1813">憲法の歴史について②　－明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れを考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・最初、明治憲法の時に複雑な政党政治を動かしていたのは</p>
<p>　　元老（憲法には書かれていなかったが、政治の事務的な部分の決定や、</p>
<p>　　首相の決定などに関して力のあった人）だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　→大正時代になると、護憲運動などの影響で政党の力が強くなってきた</p>
<p>　　　※護憲運動・・その当時の官僚の内閣などを潰して、</p>
<p>　　　　　　　　　　政党内閣を作ろうとした運動のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→第一次世界大戦（１９１４～１９１８）の後には、</p>
<p>　　　世界的に民主主義の雰囲気が強くなっていった</p>
<p>　　　＝その影響で大正から昭和にかけて、「憲政の常道」として</p>
<p>　　　　政党内閣と政権政治が中心となった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→大正には、大正デモクラシーという運動が起き、</p>
<p>　　　天皇機関説や民本主義が大正デモクラシーの後押しをしたと言われる</p>
<p>　　　※・大正デモクラシー・・民主主義を目指す運動のこと</p>
<p>　　　　・天皇機関説・・天皇を国家の機関だとする考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　美濃部達吉によって提唱されたが、右翼などに攻撃されたため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　著書は発売禁止となり、結果的に美濃部達吉は</p>
<p>　　　　　　　　　　　　貴族院の議員を辞職することになってしまった</p>
<p>　　　　・民本主義・・天皇を主権にした上で、民主主義の実現を目指す考え方のことで、</p>
<p>　　　　　　　　　　　吉野作造と言う人が主張した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→このような流れを受けて、</p>
<p>　　　１９２５年になると、普通選挙制度（普通選挙法）と治安維持法が成立した</p>
<p>　　　※・普通選挙制度（普通選挙法）・・満２５歳以上の男子全員に</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　選挙権が与えられた制度のこと</p>
<p>　　　　・治安維持法・・共産主義のための運動を制限して、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　資本主義や天皇主権以外の考え方を取り締まる法律のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１９２９年の世界恐慌以降、経済や社会などに対して日本国内での不安が増えてきた</p>
<p>　　　すると、天皇が統帥権を使って軍部を動かし、軍部の力が強くなり、</p>
<p>　　　軍部を使おうとしたため、大陸を侵略するようになった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→１９３２年には、五・一五事件が、１９３６年には、二・二六事件が起こり、</p>
<p>　　　世界各地が第二次世界大戦へ向かった　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日本国憲法が出来るまで</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年（昭和２０年）に、日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件で降伏を認めた</p>
<p>　　※ポツダム宣言では、政治を民主的にすること、軍国主義を無くすこと、</p>
<p>　　　などが考えられていた</p>
<p>　　　</p>
<p>　・そこで日本は、憲法問題調査委員会というところが松本案という憲法の改正案を作ったが、</p>
<p>　　明治憲法と内容があまり変わらないということで、却下されてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そのため、連合国軍総司令部（GHQ）がマッカーサー３原則という憲法の下書きを作り、</p>
<p>　　　それをベースに帝国議会でいろいろと修正された</p>
<p>　　　＝これが結果的に日本国憲法となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※・マッカーサー３原則：天皇をトップに置くこと、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　戦争を放棄すること、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　封建的な制度を廃止すること</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　を原則とした内容のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　※・日本国憲法は、１９４６年１１月３日に公布され、１９４７年５月３日に施行された</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1813">憲法の歴史について②　－明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>日本国憲法の基本的な内容について①　－日本国憲法以前の明治憲法について－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1681</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1681#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 13:56:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[パワフルくん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[大日本帝国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[天皇大権]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[明治憲法]]></category>
		<category><![CDATA[欽定憲法]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
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		<category><![CDATA[臣民の権利]]></category>
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		<category><![CDATA[護憲運動]]></category>

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		<description><![CDATA[日本国憲法の内容のために、最初に日本国憲法の前の明治憲法について考えておきます &#160; &#160; ・明治憲法について &#160; 　※明治維新の後、日本で様々な憲法の案（私擬憲法）が作られた 　　→当時は、憲 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1681">日本国憲法の基本的な内容について①　－日本国憲法以前の明治憲法について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日本国憲法の内容のために、最初に日本国憲法の前の明治憲法について考えておきます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・明治憲法について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※明治維新の後、日本で様々な憲法の案（私擬憲法）が作られた</p>
<p>　　→当時は、憲法をもとにして政治を行っていた</p>
<p>　　　＝このように、憲法にもとづいてにして政治を行う事を、立憲主義という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※明治維新の後の憲法に関する動きとして、自由民権運動という運動が活発だった</p>
<p>　　・自由民権運動・・国民の自由と権利、国会の開設、憲法の制定などを求めた運動のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　→自由民権運動を抑えること、明治維新以降の国の体制を整えること、などの目的から、</p>
<p>　　　国会を開設することと憲法を作ることを急いだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８８９年（明治２２年）に、明治天皇によって大日本帝国憲法（明治憲法）が制定された</p>
<p>　　※大日本帝国憲法は欽定憲法だった（反対を民定憲法と言う）</p>
<p>　　　・欽定憲法・・君主（天皇や王様など、その国で最も位の高い人のこと）が</p>
<p>　　　　　　　　　　決めた憲法のこと</p>
<p>　　　・民定憲法・・国民が決めた憲法のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大日本帝国憲法では、基本的人権や社会契約説などの考え方はなく、</p>
<p>　　「臣民の権利」という考え方だった</p>
<p>　　※臣民の権利は、基本的人権のように生まれながらに平等という感覚ではなかった</p>
<p>　　　→そのため、臣民（天皇以外の国民）の権利というのは、法律で制限される部分があった</p>
<p>　　　　＝このような状態を、法律の留保と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・立法、行政、司法の権利は、統治権を全て引き受けている人（＝天皇）の名前で使われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・外交権や統帥権は天皇大権（天皇が使えた権利のこと）だった</p>
<p>　　※特に、統帥権（軍の最高指揮権のこと）に関しては議会や内閣が</p>
<p>　　　意見することができなかった</p>
<p>　　　＝そのため統帥権は、統帥権の独立と言われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・明治憲法では、天皇の直接的な支配が基本だったが・・・</p>
<p>　　・立法権は、帝国議会の協賛（帝国議会が同意の意思を表示すること）に</p>
<p>　　　よって実際に使われた</p>
<p>　　・行政権は、国務大臣の輔弼（天皇が行政を行う時に助言すること）に</p>
<p>　　　よって実際に使われた</p>
<p>　　・帝国議会の衆議院を通じて、臣民が政治に参加出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・一方で・・</p>
<p>　　・衆議院とほぼ同じような権限を持っていた貴族院によって、</p>
<p>　　　衆議院の力が抑えつけられていた</p>
<p>　　・枢密院や軍部などが強い力を持っていた</p>
<p>　　　→以上のように、明治憲法のもとでは、複雑で自分達の権限を守りながら</p>
<p>　　　　勢力を拡大する仕組みがあった</p>
<p>　　　※枢密院・・天皇の最高諮問機関（天皇が意見を聞くための人達の中で、</p>
<p>　　　　　　　　　最も位の高い機関のこと）であり、国務の審議を行った</p>
<p>　　　　　　　　　また、枢密院は政党や議会政治の監視なども行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・最初、明治憲法の時に複雑な政党政治を動かしていたのは</p>
<p>　　元老（憲法には書かれていなかったが、政治の事務的な部分の決定や、</p>
<p>　　首相の決定などに関して力のあった人）だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　→大正時代になると、護憲運動などの影響で政党の力が強くなってきた</p>
<p>　　　※護憲運動・・その当時の官僚の内閣などを潰して、</p>
<p>　　　　　　　　　　政党内閣を作ろうとした運動のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→第一次世界大戦（１９１４～１９１８）の後には、</p>
<p>　　　世界的に民主主義の雰囲気が強くなっていった</p>
<p>　　　＝その影響で大正から昭和にかけて、「憲政の常道」として</p>
<p>　　　　政党内閣と政権政治が中心となった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→大正には、大正デモクラシーという運動が起き、</p>
<p>　　　天皇機関説や民本主義が大正デモクラシーの後押しをしたと言われる</p>
<p>　　　※・大正デモクラシー・・民主主義を目指す運動のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　・天皇機関説・・天皇を国家の機関だとする考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　美濃部達吉によって提唱されたが、右翼などに攻撃されたため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　著書は発売禁止となり、結果的に美濃部達吉は</p>
<p>　　　　　　　　　　　　貴族院の議員を辞職することになってしまった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　　・民本主義・・天皇を主権にした上で、民主主義の実現を目指す考え方のことで、</p>
<p>　　　　　　　　　　　吉野作造と言う人が主張した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→このような流れを受けて、１９２５年になると、</p>
<p>　　　普通選挙制度（普通選挙法）と治安維持法が成立した</p>
<p>　　　※・普通選挙制度（普通選挙法）・・満２５歳以上の男子全員に</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　選挙権が与えられた制度のこと</p>
<p>　　　　・治安維持法・・共産主義のための運動を制限して、資本主義や天皇主権以外の</p>
<p>　　　　　　　　　　　　考え方を取り締まる法律のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１９２９年の世界恐慌以降、経済や社会などに対して日本国内での不安が増えてきた</p>
<p>　　　すると、天皇が統帥権を使って軍部を動かし、軍部の力が強くなり、</p>
<p>　　　軍部を使おうとしたため、大陸を侵略するようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→１９３２年には、五・一五事件が、１９３６年には、二・二六事件が起こり、</p>
<p>　　　世界各地が第二次世界大戦へ向かった　</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・明治憲法の概要を押さえる</p>
<p>・明治憲法から、日本国憲法に入るまでの流れを押さえる</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1681">日本国憲法の基本的な内容について①　－日本国憲法以前の明治憲法について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>護憲三派内閣の誕生について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1292</link>
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		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 04:40:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[加藤高明]]></category>
		<category><![CDATA[憲政の常道]]></category>
		<category><![CDATA[憲政会]]></category>
		<category><![CDATA[日ソ国交樹立]]></category>
		<category><![CDATA[普通選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[清浦奎吾]]></category>
		<category><![CDATA[立憲政友会]]></category>
		<category><![CDATA[第二次護憲運動]]></category>
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		<description><![CDATA[護憲三派内閣の誕生について考えてみます &#160; &#160; ・護憲三派の登場のその様子について &#160; 　※護憲三派とは・・憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の３つの政党をまとめた呼び方のこと　 &#160;  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1292">護憲三派内閣の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>護憲三派内閣の誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・護憲三派の登場のその様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※護憲三派とは・・憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の３つの政党をまとめた呼び方のこと　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２４年に貴族院や官僚などの力を武器に、清浦奎吾という人が超然内閣を作った</p>
<p>　　→その時に、憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の３党が、超然内閣に反対して、</p>
<p>　　　憲政擁護のための運動を行った</p>
<p>　　　＝この運動を、第二次護憲運動という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・政府は、立憲政友会を抜けた人達が作った政友本党という政党を味方にして、</p>
<p>　　議会を解散させた</p>
<p>　　→しかし、総選挙の結果は護憲三派の圧勝だったため、</p>
<p>　　　清浦奎吾内閣は総辞職をすることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→清浦奎吾内閣に代わって、衆議院第一党の憲政会トップの加藤高明という人が</p>
<p>　　　３党の連立政権で内閣を作った</p>
<p>　　　＝この内閣を護憲三派内閣という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・加藤高明内閣は、以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・幣原喜重郎外務大臣が行っていた協調外交を展開していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１９２５年に普通選挙法という法律を作った</p>
<p>　　　→この法律によって、満２５歳以上の男性が全て有権者として、</p>
<p>　　　　衆議院議員選挙で投票するこという、普通選挙制になって、有権者が約４倍に増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１９２５年に治安維持法という法律が作られた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※治安維持法について</p>
<p>　　　　・治安維持法とは・・「国体」の変化や私有財産制を否定することを目的とする</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　団体を作った人とその団体に参加した人を処罰することを</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　決めた法律のこと</p>
<p>　　　　　※国体・・国家の主権がどのように存在しているかによって区別される</p>
<p>　　　　　　　　　　国家のスタイルのこと</p>
<p>　　　　　　　　　　→当時の場合は、天皇制を指す</p>
<p>　　　　・治安維持法を作った目的には、大きく以下の２つがあったと言われている</p>
<p>　　　　　→・１９２５年の日ソ国交樹立によって、共産主義の考え方が</p>
<p>　　　　　　　日本で広まるのを防いだ</p>
<p>　　　　　　・普通選挙法によって、労働者が政治に与える影響力が大きくなるのを</p>
<p>　　　　　　　防ごうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２５年に、立憲政友会が陸軍と長州藩の長老だった田中義一という人を</p>
<p>　　トップに置いて、革新倶楽部を吸収するということが起きた</p>
<p>　　→この時に、護憲三派の政治は終了し、憲政会が単独で行う内閣になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１９２６年に、加藤高明が病気で亡くなると、憲政会の後を継いだ</p>
<p>　　　若槻礼次郎という人が内閣を担当した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２６年（大正１５年）の終わりに、大正天皇が死去し、</p>
<p>　　摂政の裕仁親王（昭和天皇）という人が天皇に就いた</p>
<p>　　＝そのため、元号が昭和になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２７年に第１次若槻礼次郎内閣が、金融恐慌という恐慌の処理に失敗したため、終了した</p>
<p>　　→その後、立憲政友会のトップの田中義一という人が次の内閣を作った</p>
<p>　　　※この時、野党だった憲政会が政友本党と組み合わせて、立憲民政党という政党を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→その後、１９２４年の第１次加藤高明内閣が出来てから、</p>
<p>　　１９３２年の五・一五事件という事件で犬養毅内閣が終了するまでの８年間は、</p>
<p>　　立憲政友会と憲政会（後の立憲民政党）という２大政党のトップが交代で内閣を</p>
<p>　　行うという状態だった</p>
<p>　　＝この状態を「憲政の常道」という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※立憲政友会と憲政党はどのような政策を考えていたのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・立憲政友会</p>
<p>　　　　→・インフラの整備や産業の推奨などの積極政策を行った</p>
<p>　　　　　・地域で利益が出るようにすることに対して熱心だった</p>
<p>　　　　　・中国に対する政策については、軍に合わせる形での積極的な方針を取った</p>
<p>　　</p>
<p>　　　・憲政会</p>
<p>　　　　→・普通選挙の実現や軍備の縮小など、デモクラシー的な政策を行った</p>
<p>　　　　　・政友本党と組み合わさって立憲民政党になってからも、「議会中心主義」を提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・護憲三派を中心にした当時の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1292">護憲三派内閣の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>第一次世界大戦と東アジアとの関係について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1030</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1030#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 08:05:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
		<category><![CDATA[政党内閣]]></category>
		<category><![CDATA[文学革命]]></category>
		<category><![CDATA[東アジア]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[男性普通選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[社会主義]]></category>
		<category><![CDATA[米騒動]]></category>
		<category><![CDATA[都市労働者]]></category>
		<category><![CDATA[青年知識人]]></category>

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		<description><![CDATA[第一次世界大戦と東アジアとの関係について考えてみます &#160; &#160; ・第一次世界大戦と東アジアとの関係について &#160; &#160; 　※第一次世界大戦によって、列強資本主義勢力の勢いが弱くなっていっ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1030">第一次世界大戦と東アジアとの関係について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>第一次世界大戦と東アジアとの関係について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・第一次世界大戦と東アジアとの関係について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※第一次世界大戦によって、列強資本主義勢力の勢いが弱くなっていった</p>
<p>　　→この動きが、東アジアに空前の好景気をもたらしたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、日本の工業生産が、重工業を含めて大幅に伸び、農業生産を上回った</p>
<p>　・当時、中国では民族資本が成長したため、大きな紡績工場などが作られた</p>
<p>　　※日本でも中国でも、都市労働者の数が増え、学生などの青年知識人が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次大戦によって起きた以下のようなことは、知識人や労働者に大きな影響を与えた</p>
<p>　　→・第一次大戦で帝政国家が敗北した</p>
<p>　　　・戦後処理の時に、民族自決原則の提唱</p>
<p>　　　・ロシア革命の成功　　など</p>
<p>　　　　＝これらは、東アジア各地で社会運動や民族運動を活発化させるきっかけになった</p>
<p>　　　　　と言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次大戦の時の中国の知識人の間では、辛亥革命後の政治の混乱に失望していた</p>
<p>　　→そこで、文学革命と言われる啓蒙運動が始まった</p>
<p>　　　※文学革命・・民衆の自覚にもとづく根本的な社会改革を目指す立場を、</p>
<p>　　　　　　　　　　文学で作っていこうとする考え方のこと</p>
<p>　</p>
<p>　　　※文学革命について</p>
<p>　　　　・陳独秀という人が出した「新青年」は、「民衆と科学」を土台に儒教道徳を批判した</p>
<p>　　　　　→そのため、「新青年」は青年知識人層に支持された</p>
<p>　　　　・胡適という人が、１９１７年に「新青年」で白話（口語）文学を提唱した</p>
<p>　　　　・魯迅という人が、「狂人日記」「阿Ｑ正伝」などの小説で、</p>
<p>　　　　　中国人の心理の黒い部分を書いた</p>
<p>　　　　・文学革命の中心となったのが北京大学だった</p>
<p>　　　　　→北京大学では、ロシア革命後に、李大釗などによって</p>
<p>　　　　　　マルクス主義の研究が始められた</p>
<p>　　　　　　※この研究には、陳独秀という人もこれに参加した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本では、国民の政治参加の拡大を求める大正デモクラシーという運動が起きた</p>
<p>　　※この時に、社会主義への関心に加えて、労働運動や農民運動が活発になった</p>
<p>　　　→大正デモクラシーの流れの中で、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・１９１８年に米騒動や政党内閣の誕生などが起きた</p>
<p>　　　　・１９２５年に男性普通選挙法が出来た</p>
<p>　　　→しかし、政府は上のような動きを警戒した</p>
<p>　　　　＝そのため、普通選挙法と同時に治安維持法という法律を成立させて、</p>
<p>　　　　　大正デモクラシーの流れを止めようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・第一次大戦の時の東アジアの概要についておさえる</p>
<p>・第一次大戦の時の中国についておさえる</p>
<p>・第一次大戦の時の中国についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1030">第一次世界大戦と東アジアとの関係について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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