イタリアのファシズムについて
イタリアのファシズムについて考えてみます
・イタリアについて
・イタリアは、戦勝国であったものの、領土を拡大することが出来なかった
※この時、同時に講和条約にも不満を持った
・一方で、国民が戦後のインフレーションで生活がボロボロになったため、
政府に対する批判を高めた
→そのため、1920年に以下のようなことが起きた
・社会党左派(のちのイタリア共産党)の指導で、北イタリアの工業地帯を中心に、
労働者が社会改革を求めて、工場を占拠した
・貧しい農民が各地で土地を占拠した
※しかし、これらの運動は失敗に終わった
=そのため、地主、資本家、軍部などの支配層の反撃が始まった
・上の流れに乗っかって、ムッソリーニを中心としたファシスト党(1919年成立)が
勢力を広げた
※ファシスト党は、危機の原因は、左翼勢力の活動や議会制民主主義だと考えた
→そこで、左翼の運動を暴力で攻撃し、強権的な指導者や国家が
国民生活をコントロールして国民の統合を目指すことを主張して、政府を攻撃した
=このような考え方を全体主義という
・1922年に、ムッソリーニはファシスト党による「ローマ進軍」を組織して
政府に圧力をかけた
→そして、国王の指示でムッソリーニが首相に選ばれた
・ムッソリーニは、ファシズム大評議会に権力を集中させて、一党独裁体制を作った
・1926年に、アルバニアを保護国化した
・1929年にラテラン条約を結んだ
→この状態によって、イタリアとの国交が断絶状態だったローマ教皇庁と和解した
=その結果、教皇庁(ヴァチカン市国)の独立を認めた
・ムッソリーニは、大衆の動員を積極的に利用した
・ムッソリーニは、社会事業や国内の開発を推進した
・ムッソリーニは、一方で市民的自由や人権を無視する国家主義を掲げて、
反対派を弾圧した
=以上のようなムッソリーニの新しい政治体制や思想を、ファシズムという
ポイント
・イタリアのファシズムについておさえる
このあたりが今回のポイントです