イタリアのファシズムについて

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投稿者:       投稿日時:2013/10/17 16:55      
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イタリアのファシズムについて考えてみます

 

 

・イタリアについて

 

 

 ・イタリアは、戦勝国であったものの、領土を拡大することが出来なかった

  ※この時、同時に講和条約にも不満を持った

 

 ・一方で、国民が戦後のインフレーションで生活がボロボロになったため、

  政府に対する批判を高めた

  →そのため、1920年に以下のようなことが起きた

   ・社会党左派(のちのイタリア共産党)の指導で、北イタリアの工業地帯を中心に、

    労働者が社会改革を求めて、工場を占拠した

   ・貧しい農民が各地で土地を占拠した

    ※しかし、これらの運動は失敗に終わった

     =そのため、地主、資本家、軍部などの支配層の反撃が始まった

 

 ・上の流れに乗っかって、ムッソリーニを中心としたファシスト党(1919年成立)が

  勢力を広げた

  ※ファシスト党は、危機の原因は、左翼勢力の活動や議会制民主主義だと考えた

   →そこで、左翼の運動を暴力で攻撃し、強権的な指導者や国家が

    国民生活をコントロールして国民の統合を目指すことを主張して、政府を攻撃した

    =このような考え方を全体主義という

 

 ・1922年に、ムッソリーニはファシスト党による「ローマ進軍」を組織して

  政府に圧力をかけた

  →そして、国王の指示でムッソリーニが首相に選ばれた

 

 ・ムッソリーニは、ファシズム大評議会に権力を集中させて、一党独裁体制を作った

 

 ・1926年に、アルバニアを保護国化した

 

 ・1929年にラテラン条約を結んだ

  →この状態によって、イタリアとの国交が断絶状態だったローマ教皇庁と和解した

   =その結果、教皇庁(ヴァチカン市国)の独立を認めた

 

 ・ムッソリーニは、大衆の動員を積極的に利用した

 

 ・ムッソリーニは、社会事業や国内の開発を推進した

 

 ・ムッソリーニは、一方で市民的自由や人権を無視する国家主義を掲げて、

  反対派を弾圧した

 

  =以上のようなムッソリーニの新しい政治体制や思想を、ファシズムという

 

 

ポイント

・イタリアのファシズムについておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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