ペレストロイカについて
ペレストロイカについて考えてみます
・ペレストロイカについて
・ソ連の社会では、1970年代から、全般的に停滞する傾向が見られるようになってきた
※当時のソ連では、以下のようなことが起きていた
・経済成長が鈍化した
・農業生産が優れていなかった
・原油や金を輸出して大量の小麦や飼料を輸入しなければいけなくなった
・コンピュータなどの先端電子産業の分野では、欧米や日本に遅れることになった
・環境汚染が広がっていった
・共産党一党支配が硬直化し、若い人が使われなかった
・共産党に反対派の文化人の国外追放策によって文化面も衰退させていった
・1979年に、ソ連はアフガニスタンの社会主義政策支援という名目で、
軍を派遣した
→この軍の派遣によって、以下のような動きが見られるようになった
・国際世論の批判を浴びるようになった
・アメリカ合衆国との関係が緊張することになった
・イスラーム教徒の反政府ゲリラによる抵抗があり、解決のめどが立たなかった
・1982年に、ブレジネフが亡くなり、その後の書記長がどんどん病死した
→そのため、1985年3月にゴルバチョフという人が書記長に就任した
→ゴルバチョフ書記長は、ソ連の行き詰まった状況を打ち破るために、
情報公開(グラスノスチ)による言論の自由を打ち出した
※また、1986年4月に、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で
史上最悪の原発事故が起きた
=チェルノブイリ事故では、管理体制や情報提供の欠陥が明らかになり、
改革の必要性が認められるようになった
=そこで、ゴルバチョフはペレストロイカ(改革)をかかげて、
ソ連の政治や社会の体制を全面的に見なおそうとした
・ペレストロイカをかかげた後、以下のようなことが起きていった
→・1988年に、ソ連型人民民主主義が修正された
→その結果、1989年に複数候補者制選挙にもとづく
連邦人民代議員大会・連邦最高会議制が行なわれた
・1990年に、共産党の指導に代わって、大統領制が導入された
※この時に、ゴルバチョフが大統領になった
・経済では、中央指令型計画経済から市場経済への移行が始まった
※そのため、スターリン体制のもとでの犠牲者についても
名誉の回復が行なわれた
・ゴルバチョフは、外国に対して「新思考外交」を提唱して、
以下のような動きを見せた
→・1988年3月に新ベオグラード宣言で、東欧社会主義圏での
ソ連の指導権を否定した
・アメリカのレーガンとブッシュの両方の大統領と協力して軍縮を進め、
冷戦から脱却しようとした
※その流れを受けて、1989年にアフガニスタンから撤兵した
ポイント
・ペレストロイカについておさえる
このあたりが今回のポイントです