幕府と朝廷について -それぞれの動きとお互いの関係-
鎌倉時代の幕府と朝廷について考えてみます
・幕府の支配について
・幕府の支配の基本になったのは、将軍が上の立場に立ち、御家人が下の立場に立つ、
という主従関係だった
→お互いの立場による関係について
・頼朝(将軍側)は、本領安堵や新恩給与などの御恩を提供した
※・本領安堵・・御家人を地頭に任命することで、昔からの土地の支配を保障する
・新恩給与・・新しい所領(土地)をあげる
・御家人側は、戦いの時には軍役を、普段の時には京都大番役や鎌倉番役などを
行うことで奉公した
※・軍役・・軍人としてつとめること
・京都大番役・・天皇や院の御所という場所を警護させる役のこと
・鎌倉番役・・東国の御家人に幕府を警護させる役のこと
→以上のような関係があり、東国武士団も御家人として幕府に従う構図になったため、
御家人の中で地頭に任命され、土地を支配することを将軍に保障してもらう
というスタイルが出てきた
※御家人の中でも西国の御家人の多くは、地頭に任命されるのではなく、
守護を通じて御家人に登録されて幕府の保護を受ける、というスタイルだった
→そのため、東国は実質的に幕府の支配する地域になり、行政や裁判の権利も
幕府が持つようになった
※東国以外も、国衙の任務は守護を通じて幕府がコントロールするようになった
→当時、幕府が国衙に太田文を作らせていて、そのことが幕府の支配力を
表していると言われている
※太田文・・一つの国の中の荘園や公領ごとの田地の面積、荘園領主や地頭の名前を
調査した文書のこと
=以上のように、将軍側が土地を与えることで、将軍と御家人が御恩と奉公の関係になる
制度を封建制度と言う
※鎌倉幕府は、封建制度にもとづいて成立した最初の政権だと言われている
・当時の朝廷について
・当時の朝廷は、京都の朝廷や貴族、大寺社などを中心とした荘園領主の力が
まだ強く残っていた
→そのため、政治に関しても経済に関しても、幕府と朝廷の両方が支配する
というスタイルだった
・朝廷は以下のようなことを行っていた
→・国司を任命して、全国の一般的な行政をまとめてコントロールしていた
・貴族や大寺社は、国司や荘園領主として土地からの利益を多くをまだ得ていた
※その中には、幕府に従わない武士も多くいた
※源頼朝は将軍だったため、知行国(関東知行国)や平家没官領を含めた
大量の荘園(関東御領)を持っていて、関東御領が幕府の経済的基盤の一つにもなった
・知行国・・国司以外の人に任され、そこでの税金がそのまま知行国を管理する人に入る
という仕組みの国のこと
・平家没官領・・平家が倒された時に、朝廷(後白河法皇)が平家から奪った土地のこと
・幕府と朝廷との関係について
・幕府と朝廷との関係は、新制で決められていた
※新制・・律令や格式の後に出された、朝廷が作った法律や宣旨のこと
→新制は、鎌倉時代以降は段々と幕府も出すようになっていった
・朝廷と幕府のトップの人は同じような性格だった
・幕府は、守護や地頭に命令して全国の治安の維持を行い、年貢を納めない地頭を罰した
=朝廷が支配する荘園や公領を維持することを助けた一面が幕府にあったと言われている
・幕府は東国以外の様々な地方も支配したかったため、守護・地頭と
国司・荘園領主との間で紛争が増えた
→結果的に荘官が地頭に変わっていったので、幕府による地方の支配力が強くなっていった
ポイント
・幕府の動きを押さえる
・朝廷の動きを押さえる
・幕府と朝廷とのそれぞれの関係を押さえる
このあたりが今回のポイントです
コメント
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