文明開化について② -宗教・文化-
文明開化について考えてみます
※前提として、文明開化は西洋の様々なスタイルを取り入れようとして起きていること
だということを押さえる必要がある
・文明開化の時の宗教について
・1868年に、政府は王政復古による祭政一致のという立場から、
神仏習合をやめて神仏分離令という法律を出した
→その時に、仏教を排除して神道を国の宗教にした
※祭政一致・・祭祀のトップと政治上の権力者が同じであること
神仏習合・・神の信仰(神道)と仏教の信仰を組み合わせる考え方
神仏分離令・・神道と仏教を切り離すという法律のこと
・神仏分離令によって、廃仏毀釈が起きた
※廃仏毀釈・・仏教を排除しようとする政策のこと
→この動きは、仏教の勢いを高めることにつながった
・政府は神仏分離令によって、神道を進めていくために、以下のようなことを行った
→・1870年に大教宣布の詔を出した
※大教宣布の詔・・国民の思想を神道で統一するための政策のこと
・神社制度や祝祭日などを作った
※祝祭日には、紀元節と天長節の2つがある
・紀元節・・神武天皇が即位した日を太陽暦という暦に換算したもの
・天長節・・明治天皇の誕生日を祝日にしたもの
・キリスト教については、新政府は旧幕府と同じような禁教政策を継続して、
長崎の浦上や五島列島にいる隠れキリシタンが迫害を受けた
→しかし、禁教政策は外国からの抗議を受けたため、
1873年に仕方なくキリスト教禁止が解除された
※この時に、浦上教徒弾圧事件という事件が起きている
・1865年に大浦天主堂の完成の時に、大浦天主堂を訪問したフランス人宣教師に
浦上のキリシタンが信仰を告白したことで、浦上に隠れキリシタンが
いることが分かった
・そこで政府は、神仏分離令を出して浦上の信徒を捕まえて流罪にした
=この出来事を浦上教徒弾圧事件という
・禁教政策の終了の時に、幕末の時から日本に住んでいた外国人を相手に
教育などの事業を行っていた宣教師たちが、日本人に対するキリスト教の
布教活動を積極的に始めた
・文明開化の時の文化について
・1872年12月に暦法を改めて、旧暦(太陰太陽暦)を無くして、太陽暦を採用した
→そのため、1日を24時間としたり、日曜日を休日にしたりするなど、
今までのスタイルが大きく変わった
※この時に、旧暦による明治5年12月3日を、太陽暦による明治6年1月1日にした
・洋服を着る文化がどんどん広まっていった
・ざんぎり頭が文明開化の象徴と見られた
※ざんぎり頭・・ちょんまげを切り落として、刈り込んだ髪型のこと
・錦絵が盛んに発行された
・東京の銀座通りに煉瓦造りの建物が並んだ
・ガス灯、人力車、鉄道馬車、牛鍋などが東京の名物になった
・近代化の波が、じわじわと地方に広がっていった
→そのため、農業の生活は変化が遅かった
・占いや芸術品、芸能などが軽く見られるようになった
→そのため、昔からの文化が失われてしまう事も多かった
ポイント
・文明開化の時の宗教を押さえる
・文明開化の時の文化を押さえる
このあたりが今回のポイントです
コメント
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