GHQの民主化政策について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/28 19:42      
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GHQの民主化政策について考えてみます

 

 

・GHQの民主化政策について

 

 

 ※GHQは、財閥と寄生地主制が日本の経済を衰退させたり、軍国主義を展開させたりした

  と考えた

  =そのため、GHQは財閥と寄生地主制の解体と、経済の民主化を中心の課題とした

 

 

 

 ・1945年11月に、三井、三菱、住友、安田など15の財閥の資産の使用を

  一時的に禁止して、解体することが命じられた

 

  →さらに1946年に、持株会社整理委員会という組織が作らた

   ※持株会社整理委員会は、指定された持株会社と財閥の家族が持っている株式などを

    譲渡されたため、株式を一般の人達に売ることで、株式によって

    財閥に企業が支配されているという仕組みを壊そうとした

 

   =これら一連の財閥に関する改革を、財閥解体という

 

 

 

 ・1947年に、独占禁止法という法律が作られた

  →この法律によって、持株会社、カルテル、トラストなどが禁止されるようになった

   

   ※独占禁止法・・個人的な独占の禁止、不公正な取引の禁止、正当ではない取引きの制限

           などを決めた法律のこと

    持株会社・・他の会社の株式を持つことで、他の会社を支配することを行う会社のこと

    カルテル・・同じか似たような業種の企業が、お互いに競争することを避けるために、

           企業どうしで協定を結んだり、合意したりすること

    トラスト・・市場を独占するために、同じ業種で、いくつかの企業が

          資本を合わせること

  

 ・過度経済力集中排除法という法律が作られた

  ※過度経済力集中排除法・・大企業の経済力の集中を避けるために、

               巨大独占企業の分割を行う法律のこと

   →この法律によって、実際に分割されたのは11社だった

 

 

 

 

 ・GHQは、農民が貧乏だったことが、日本が外国に侵略を始めた理由だと考えた

  →そこで、寄生地主制を無くして、自作農を大量に作ることを目標にして、

   農地改革ということを始めようとした

 

 

  ・農地改革について

 

   ・1946年に、日本政府が独断で第一次農地改革案を作ったが、

    地主制解体という部分が弱い内容だった

    →そこで、自作農創設特別措置法という法律によって、第二次農地改革が始まった

     ※第二次農地改革は1950年までにほとんど終わっていた

 

   ・第二次農地改革では、各市町村ごとに、地主3、自作農2、小作農5の割合で

    選ばれた人達によって農地委員会という組織が作られ、

    農地委員会が農地の買収と売り渡しを行った

    ※残った小作地についての小作料は、あらかじめ決められた一定の金額を納める

     というスタイルだった

 

   ・地主がいない貸付地と、村に住んでいる地主の貸付地のうち一定の面積

    (都道府県では約1町歩、北海道では4町歩)を超えた土地については、

    国が強制的に買い、小作人に安い値段で売った

    →その結果、以下のようなことが起きた

     ・全ての農地の約半分を占めていた小作地が、1割程度に減った

     ・農家の多くが、1町歩未満の土地を持つ小さな自作農となった

     ・一方で、大地主たちは今までの経済力と社会的な権力を

      一気に奪われることになった

 

   ・1946年に日本農民組合という団体が再結成され、日本農民組合の運動が

    農地改革を進めたと言われている

    →しかし、農地改革後に日本農民組合は衰えていった

    →そのため、1947年12月以降に、農業の経営を支援するために

     農業協同組合(農協)という団体が様々な地域で作られた

 

 

 

 

 ・GHQは、低賃金によって人々がモノを買う事が出来ないために国内で商品が売れない、

  という問題を解決して、外国に侵略する理由の一つを潰すということを考えた

  →そこでGHQは、労働基本権と労働組合を勧めるという労働政策を取ることを考えた

 

 

   ・労働政策について

   

    ・1945年12月に、労働組合法という法律が作られた

     →この法律によって、労働者の団結権、団体交渉権、争議権が保障されることになった

 

     ※労働組合法によって、労働組合の結成が次々と行われた

      →1946年には、右派の日本労働組合総同盟(総同盟)と

       左派の全日本産業別労働組合会議(産別会議)がそれぞれ

       全国組織として作られた

 

    ・1946年に労働関係調整法が作られた

 

    ・1947年に労働基準法が作られた

     ※労働組合法、労働関係調整法、労働基準法の3つをまとめて、労働三法という

 

    ・労働省が作られた

 

 

 

 

 ・GHQが、民主化政策の一つとして、教育に注目した

 

  →GHQの教育に関する政策について

 

   ・1945年10月に、教科書の適切でない内容の削除と、

    軍国主義の教員の排除(教職追放)を行った

 

   ・日本歴史、地理、修身という授業が一時的に禁止された

 

   ・文部省は今までの国定教科書の内容を変えた、「くにのあゆみ」

    「あたらしい憲法のはなし」などを作った

    ※「くにのあゆみ」は、国定歴史教科書の最後のものだった

     →1947年からは、新しい学制によって社会科となったため、

      今までの教科書が使われなくなった

 

   ・1947年に教育基本法という法律が出来た

    →この法律によって、義務教育が6年から9年になった

 

   ・教育基本法と同じ時に、学校教育法という法律が出来た

    →この法律によって、4月から6・3・3・4という新しい学制が誕生した

 

   ・大学が大量に作られるようになり、大学が大衆化した

    ※大学が大衆化した時に、女子の大学生も増えてきた

 

   ・1948年には、都道府県と市町村ごとに、公選(一般市民の投票)による

    教育委員会が作られた

    =これによって、教育についての地方分権化を進めようとした

 

 

 

ポイント

・GHQの民主化政策の内容について押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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