イエスの死からキリスト教の成立と伝導と発展へ向けて -パウロ・アウグスティヌス・トマス=アクィナス-

閲覧数:3,949
投稿者:       投稿日時:2013/11/15 01:11      
(まだ評価されていません。)
コメント数: 0       お気に入り登録数:4

LINEで送る
Pocket

イエスの死とキリスト教の成立、発展について説明します

 

 

・イエスの死

 

 ・イエスは、パリサイ派やサドカイ派を批判していたため、

  ユダヤ教の人達によって十字架の刑になった

  ※イエスは死刑の時、「父よ、私の例を御手にゆだねます」と言った

   →この発言は、人々に信仰を見せたと言える

 

 ・イエスの死後

  ・イエスの死後、「イエスはメシアである」と信じる人々が、

   イエスが復活したことを信じて、ペテロという人を中心に

   教団や教会(エクレシア)を作った

   →この動きによって、原始キリスト教が成立した

 

   ※ペテロ:イエスの一番最初の弟子

 

 

 

・キリスト教の伝道とパウロ

 ・キリスト教を伝導する(広める)中心に、パウロという人がいた

 

 ・パウロについて

  

  ・元々はユダヤ教だったが、旅の途中で神の啓示(=神の教え)を受けて、

   キリスト教に回心(改宗)をした

  

  ・パウロは、「私の内に善はないことを知っている。なぜなら、善はしないで、

   悪ばかりするからだ」というような意味が含まれている発言をした

   →この発言は、神に背いて自分の欲望のままに生きようとする、

    という根本的な罪から、ユダヤ教だと 逃れることができない

    と考えたことを理由に、ユダヤ教からキリスト教に移ったことを表している

 

   ※キリスト教では、神の意志に背いたアダムの罪のために、

    その子孫である「人間」が身代わりをしてきた

    →これが一番最初の罪であり、原罪と言われる

 

   ※「アダムとイブが楽園にいた時に、アダムが神に反してリンゴを食べた」

    ということがあった

    →このアダムの行動が、罪だと言われている

 

  ・パウロは、上のような罪の苦しみから逃れるために、キリスト教を信じた

   

   ※なぜ、キリストだと罪の苦しみから逃れられると思ったのか

    →イエスは、全人類の罪をまとめて引き受け(贖罪/しょくざい)た上で、

     十字架の死を行ったため、キリストに罪は残っていないと思ったから

 

 

 ・以上を踏まえて、パウロは「生きているのは、もはや、私ではない。

  キリストが私の内に生きておられる」という言葉を残した

  =パウロは、イエスが復活して愛を提供してくれると思ったから、

   人々に信仰と希望と愛が大切だとした

 

 

 

・キリスト教の発展

 

 ・2世紀までに、キリスト教が「新約聖書」にまとめられた

  ※「新約聖書」は、福音書(イエスの伝記)と使途(キリストの弟子)の

   手紙から出来ている

  →「新約聖書」がまとめられた後、信仰や教会のあり方が確立した

  →信仰や教会のあり方の考え方の中心となったのが、

   アウグスティヌスの教父哲学であった

 

 

 ・アウグスティヌスについて

  ・いくつかの思想を経験した時に、新プラトン学派(神秘主義の学派)に出会った

   ※神秘主義:自分が神を経験して、既存の神に加えて、

         自分が神になることを求めた主義のこと

   →その学派でいくつか学んだが、「自分が悪を欲し、善を嫌う理由」の答えが

    見つけられなかった

   →ある時、「パウロの手紙」というものを読んで、何があっても(絶対的に)神を

    信仰することで解決すると知った

 

  →アウグスティヌスはこの経験を経て、自分なりの考え方を生み出した

 

 

  ・アウグスティヌスの思想

   ・人間を救うのは神の恩寵(神からの恵み)だけだと考え、教会が神を

    受け入れてくれる場所だと考えた

   ・パウロが提唱した、信仰・希望・愛(3つをまとめて「キリスト教の三元徳」と言う)を

    ギリシアの四元徳の上に位置づけるべきだと考えた

   ・「神と教会が重要」ということを前提に置いて、いろいろと考えるべきだとした

 

  ※アウグスティヌスは、325年のニケーア公会議(宗教会議)という会議で、

   「父なる神と子なるイエスと聖霊は一つのものである」という三位一体説を提唱している

    →これは、アタナシウス派の主張ともされており、

     アタナシウス派の主張が正当とされた

 

 

・中世(11世紀ごろ)のヨーロッパ哲学

 

 ※この時代の西ヨーロッパは、ローマ・カトリック教会に支配されていた

  カトリック:普遍的、世界的という意味

 

 ・キリスト教哲学(スコラ哲学)という哲学の内部で、「理性と信仰が調和するか」を

  めぐって論争が起きた

  →この論争の結果、二重心理説(二元論的世界観)が生まれた

   ※二重心理説:理性と信仰は矛盾しているとしても、それぞれが正しいという考え方

 

 

 ・「理性と信仰が調和するか」という問題に対して、

  スコラ哲学を大きくしたと言われる、トマス=アクィナスという人が答えを出そうとした

 

 ・トマス=アクィナスについて

  ・アリストテレスの思想の影響を受けている

  ・「神学大全」という本を書いたが、未完成に終わってしまった

  

 ・トマス=アクィナスの考え

  ・理性を軸にした真理(≒答え)の探求=「神が作った自然の秩序」の探求だと考えた

   →要は、信仰を優位として、理性と信仰の調和を取るのが良いと考えた

 

 

 ※この考えのあとに、ロジャー=ベーコンやウィリアム=オッカムという人達が、

  「理性と信仰は分離するべき」という主張をした

 

 

 ※キリスト教は、時が進むにつれ、宗教間対話を意識するようになった

  宗教間対話:キリスト教以外の宗教を排除せずに肯定していこうとする考え方

 

 

 

ポイント

・イエスの死後、ペテロを中心に

・パウロは、ユダヤ教だと根本的な罪から逃れることができないと考え

 キリスト教に回心する

・一番最初の罪を原罪と言い、パウロは贖罪を信じた

・パウロは、信仰・希望・愛のキリスト三元徳が重要と考えた

・キリスト教は新約聖書に書かれていて、新約聖書は福音書と使徒からの手紙を

 合わせたもの

・信仰や教会の中心となったのが、アウグスティヌスの教父哲学だった

・アウグスティヌスは、人間は神の恩寵だけに救われ、

 教会が神を受け入れる場所だと考えた

・アウグスティヌスは、キリスト三元徳をギリシア四元徳の上に位置すると考えた

・アウグスティヌスは、三位一体説を提唱した

・スコラ哲学から、二重真理説が登場した

・トマス=アクィナスは、信仰を優位として、理性と信仰の調和を図ろうとした

・ロジャー=ベーコンやウィリアム=オッカムなどが「理性と信仰の分離」を提唱

・キリスト教が、宗教間対話を試みている

閲覧数:3,949
LINEで送る
Pocket


(この記事はまだ評価されていません)
Loading ... Loading ...
投稿者:
投稿日時2013/11/15 01:11

コメント数: 0
お気に入り登録数:4



コメントを残す