仏教とブッダの思想(四法印・四諦・八正道・中道・慈悲の精神など)について
仏教とブッダの思想について説明します
・仏教について
・開いた人はガウタマ=シッダールタ(釈迦)
・ガウタマ=シッダールタについて
→釈迦は生老病死に悩み、苦行(自ら体を苦しめて宗教的幸福を高めること)に励むが、
悟りを得られかったため、瞑想をすることで悟りを開き、ブッダとなった
・ブッダとは・・
→「真理(正しい行い)はダルマ(法)である」ということを悟った人のこと
※ただし、ブッダという名前の人がいるわけではなく、
弥勒という人などもブッダになった
・ブッダの悟りとは・・
→ガウタマの目標は苦しみから脱出することだった
しかし、生きている以上、脱出することは無理だと考えた
・ガウタマが考えた苦しみの内容
・老い、病み、死ぬこと、さらに、生まれてきたこと自体が苦しみだとした
=生老病死=四苦
・憎らしいものに会う=怨憎会苦
・愛するものとは別れなければならない=愛別離苦
・欲しいものは手に入らない=求不得苦
・現実を構成している要素(色、受、想、行、識)の全てが苦悩の元である=五蘊盛苦
※これらをまとめて、四苦八苦と言う
→以上のようなことを踏まえた上で、
ブッダは、「人生は全て苦である」という
厳しい現実を知ることから考えを出発した=一切皆苦
・では、なぜ人々は苦しんでしまうのか?
→ブッダは、人々はこの世界の真理(ダルマ)について根本的に無知(=無明)だから、
と考えた
※無明とは-・迷いの根本であり、全ての苦悩の原因
・人の心を乱す煩悩(貧(とん)=むさぼり、瞋(じん)=いかり、癡(ち)
=無知の三毒)の根源
・では、この世界の真理とは何か?
・人間を含めて、あらゆる現象は変化し続ける=諸行無常
・全ては縁があって生じるような互いに頼り合う存在で、
それ自体では独立して存在しない=諸法無我
→ブッダは、このような無常や無我の理法を理解するときに、
人は物や自分への欲や執着(我執)から解放され、
煩悩が無いところに解脱できる(涅槃寂静)と考えた
※・ブッダは、一切皆苦、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の4つをまとめて、四法印と呼び
ブッダの教えの根本だとした
・ブッダは、全ては縁があって起こる、という縁起説を提唱した
・四諦と中道について
・ブッダの考えが簡潔にまとめられたものを四諦と八正道と呼んだ
(四諦と八正道をまためたものを転法輪と呼んだ)
・四諦とは・・
・苦諦=生きていることは苦しいことである、という真理
・集諦=苦しみの原因は煩悩にある、という真理
・滅諦=煩悩が無くなり、苦悩の消えた「涅槃」という状況が理想だ、という真理
・道諦=滅諦のための正しい修行方法が八正道である、という真理
→この4つをまとめて四諦と言う
・八正道とは・・
→中道の具体的な実践方法のこと
※中道とは-・快楽や苦悩など、両極端を避けること
※快楽と苦悩の中間を目指せ、とか、妥協しろ、という意味ではない
・八正道の内容
・正見(正しい見解) ・正思(正しい考え) ・正語(正しい言葉)
・正念(正しい心の中に浮かぶ考え) ・正命(正しい生活) ・正精進(正しい努力)
・正定(正しい精神統一) ・正業(正しい行為)
→このような考え方を織り交ぜたブッダの仏教を初期仏教と言う
・慈悲の精神について
・ブッダの縁起説によると、本当に自分を活かすためには、自分だけでなく、
他者も生かさなければいけないとしている
→そこで、仏教は慈悲の大切さを伝えようとした
・慈悲とは・・
→「慈」と「悲」を大切にすること
・「慈」-他者に利益や安楽を与える慈しみのこと=与楽
・「非」-他者の苦しみに思いを寄せて他者をなぐさめること=抜苦
※ここでの他者は、生きているもの全て(一切衆生)を指す
→ブッダは、生きているもの全てに差別をすることなく、
慈悲の心を持って輪廻の苦悩から脱出させようとした
ポイント
・仏教の開祖はガウタマ=シッダールタで、後にブッダとなった
・ブッダは、「真理は法である」と悟った人のことだが、
「ブッダ」という人がいるわけではない
・ブッダは、四苦八苦を考えた上で、「人生は全て苦である」(一切皆苦)だと考えた
・ブッダは、人々が苦しむ理由として、人々が基本的に無知=無明だからだとした
・世界の真理は、無常や無我を悟ると、涅槃寂静に達すると考えた
・ブッダは四法印と縁起説を提唱した
・ブッダは四諦と八正道を提唱した(内容も覚える)
・ブッダは慈悲の精神を説き、生きているもの全てが輪廻から脱出させることを考えた