中国思想 -孔子と儒家の思想・仁と礼と徳治主義-
中国思想について説明していきます
・孔子
・孔子について
→・孔子は「巫祝」(神と人との媒介者)だったかもしれない、と言われている
・儀礼の本来の意味を求めて「詩」や「書」などの古典を読んだ、と言われている
※・「詩」(のちに詩経と呼ばれる)-中国最古の詩集
・「書」(のちに書経と呼ばれる)-周(当時の中国の王朝)の王室の記録
→この2つは、のちに儒教の経典(聖人や賢人の教えを書いた本)になる
そのほかに・・
・「易経」-占いの書 ・「春秋」-魯の年代記
・「礼記」-礼儀や制度の儒者の説を集めたもの
などがある
→詩、書、易経、春秋、礼記、の5つをまとめて五経と言う
・なぜ、孔子は五経を学んだのか・・
→孔子が「朝に道を開かば、夕に死すとも可なり」と語ったように、
人間の真実の生き方=「道」を求めたから
※道を探求することは、自分の人生を全てかけていると言える=生涯学習と言える
・なぜ、道を求めたのか
→当時の社会は、道、中でも礼が形骸化(形だけあって、中身が無いこと)していると
感じられたから
→孔子は、周公という人の政治を理想としていたため、
失われた礼の権威を回復すべきだと考えた
→以上を踏まえた上で・・
・孔子にとって大切なのは、礼を支える精神や礼に対しての積極的な心=仁だと考えた
→孔子は礼と仁が2つともそろって初めて道ができると考えた
・仁について
・孔子は「論語」の中で仁について定義を与えていない
→仁は、定義によって狭く限定はできず、人間全員に適用できるもの、
と考えていたから
・仁は、個人で違うため、人間にとって最も普遍的な道徳、根源的な愛、と考えた
・孔子は仁の例として5つを挙げた
→・子が親に対する愛や道徳=孝 ・弟が兄に対する愛や道徳=悌
・自らを偽らない愛や道徳=忠 ・他者をあざむかない愛や道徳=信
・他者の身になって考える愛や道徳=恕
※孔子は孝と悌を仁の根本とした
※「論語」:孔子の言行録のこと、四書(大学、中庸、論語、孟子)の一つで、
儒教の根本経典とされている
→孔子は、儒に見られた呪術的な要素を好まず、
現実や合理を意識して物事を考えた
=その時に、徳治主義という考えが生まれた
・徳治主義について
・徳治主義とは・・
※孔子にとって仁は、単に情的なものだけではなかった
→仁は、自分自身の欲に勝ち、礼という規律に積極的に従うことで達成されるとした
=この考え方を克己復礼と言い、孔子は「己に克ちて礼に復るを仁と為す」という
言葉を残した
・孔子は君子を理想とした
※君子:克己復礼のように、仁と礼との実現を目指して日々努力に励む人のこと
ただし、君子という名前の人がいるわけではない
・孔子は政治にもこの考え方を適用した
→孔子は、政治のトップに立つ人が君子になるための行いをして、
人々を安心させるべきだとした
※この考えは、その後、朱子という人によって
士人(指導的な高い知識を持つ人の階層)に対して
「修克治人」の教えとして強調されるようになった
→このように、上の人がしっかりすることで、下の人が上の人を見て
自分もしっかりしようとする考え方へ導くことを徳治主義と言う
※孔子は、刑罰などを重視する、という法治主義よりも徳治主義の方が重要だと考えた
ポイント
・孔子は、「詩」や「書」を学び、それ以外に易経、春秋、礼記があり、
それらをまとめて五経と言う
・孔子は、人間の生き方=道を求めた
・孔子は、礼の権威を回復すべきだとした
・孔子は、仁が大切だとした
・孔子は、礼と仁が2つそろって初めて道ができると考えた
・孔子は、仁の例として、孝、悌、忠、信、恕を考え、これが大切だとした
・孔子は、現実や合理を意識して物事を考えた
・仁は自分自身の欲に勝ち、礼という規律に積極的に従うことで
達成される(=克己復礼)と考えた
=「己に克ちて礼に復るを仁と為す」という考えを残した
・孔子は、政治のトップに立つ人が、君子になるための行いをして
人々を安心させるべきだとした
=このような、上の人の良い行動を見て、下の人が自分の行動を
良い方向に持って行くことを徳治主義と言う
・孔子は、法治主義よりも徳治主義が良いと考えた