仏教の展開について -鎌倉時代の仏教(鎌倉新仏教)-
仏教の展開として、鎌倉時代の仏教(鎌倉新仏教)を考えます
・鎌倉時代の仏教について
・鎌倉時代の仏教は、それ以前の仏教を念仏、坐禅、唱題などの簡単な形にして単純化して
簡単に考えられるように工夫した
→このような形をとったことによって、多くの人たちに受け入れられていった
※単純化の方法が多くの人達によって考え方が違い、様々な形で展開していった
・鎌倉時代の仏教の時に活躍した人達について
・活躍した人の名前と内容
・法然-・「選択本願念仏集」という本を書いた
・浄土宗の生みの親
・法然は、「阿弥陀仏は全ての人を平等に救うために極楽浄土を作った」と考えた
・末法思想の末法に、教(=教説)は残っているから、
念仏を唱えれば極楽浄土に行けると考えた
→法然は、学問や修行を捨てて、ひたすら念仏を唱えることが重要だと考えた
=これを専修念仏と言う
※念仏には、頭で考える観想念仏と、声に出す称名念仏があるが、
法然は称名念仏が大切だとした
・親鸞-・「教行信証」という本を書いた
・親鸞は、法然の専修念仏をより深く捉えた
→それによって、浄土真宗という新しい宗派を生み出した
=浄土真宗の生みの親
・弟子の唯円という人が、「歎異抄」と言う本で、
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と言った
→これを見た親鸞が、
「自力」で修行する人(=善人)が往生(極楽浄土に行くこと)ができるから、
「他力」(阿弥陀仏の働き)に頼る人も往生できると考えた
→このような考え方を悪人正機と言う
※ここでの悪人は、煩悩がある人で、悪いことを実際にした人ではない
・極楽浄土に行くかどうかは、全て阿弥陀仏にかかっていると考えた
=これを自然法爾(じねんほうに)と言う
→親鸞は、念仏を唱えることは、阿弥陀仏に自分をゆだねることだと考えた
=このような考え方を絶対他力と言う
※親鸞は、他者が仏の知を体で理解していないと、自分は他者を救えないと考えた
・日蓮-・「立正安国論」という本を書いた
・法華経が最も良いと主張した
・南無妙法蓮華経と題目を唱えること(=唱題)だけ行えば良いと考えた
・釈迦が仏になった原因とされている修行とその結果は、
妙法蓮華経の5文字に全て備わっているから
その5文字を信じて忘れなければ、いろいろな利益を得られると考えた
・法華経の行者(法華経を修行している人)がいる世俗世界が
そのまま仏の世界になると考えた
→そこで、法華経以外を厳しく攻撃して排除しようとし、
「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国家」と考えた
=この4つをまとめて四箇格言と言う
・禅宗について
・上の人達以外で活躍した人として、禅宗という宗派を日本に取り入れた人達がいた
※禅宗-・代表的なのは、臨済宗と曹洞宗という宗派
・根本的には、坐禅による自力の修行が大切だと考えられた
・禅宗で活躍した人達の名前と内容
・栄西-・「興禅護国論」という本を書いた
・臨済宗の生みの親
・自分が悟りを開けば、他人も救うことができると考えた
・道元-・「正法眼蔵」という本を書いた
・曹洞宗の生みの親
・仏の知は本来備わっていて、人々が忘れているだけ、と考えた
・全てを捨てて、ひたすら坐禅に励むこと(只管打坐)を行うことが
大切だと考えた
※洗面や清掃など、日々の行動全てが坐禅につながると考えていた
→坐禅をすることで、欲望や執着から解き放たれると考えた
(=身心脱落)
・坐禅などの修行に打ち込んだ分、証(仏の知や悟り)を得られるとした
(=修証一等)
ポイント
・鎌倉新仏教は、単純化を目指して拡大していった
・法然は、浄土宗の祖で「選択本願念仏集」を著し、専修念仏、特に称名念仏を提唱した
・親鸞は、浄土真宗の祖で「教行信証」を著し、悪人正機、自然法爾、絶対他力を提唱した
・日蓮は、法華経を主張し、「立正安国論」を著し、唱題と四箇格言を提唱した
・栄西は、臨済宗の祖で、「興禅護国論」を著した
・道元は、曹洞宗の祖で、「正法眼蔵」を著し、只管打坐、身心脱落、修証一等を提唱した