実存主義について① -キルケゴール・ニーチェ-
実存主義について、キルケゴールとニーチェを考えてみます
※そもそも実存主義とは・・
・産業革命以降、技術革新や合理化などが起き、豊かで便利な生活ができるようになった
その反面、人間が社会の中で、社会を回すための歯車として、まるで機械のように行動し
人間的な部分が失われた
→このような問題は個人の心の問題であり、各自が主体性を持つことによって
人間的な部分を取り戻すことを目指したのが実存主義だと言われる
※実存主義には様々な考え方があるが、自分で問題を解決しようとする意識がある点では
共通している
・キルケゴールについて
・キルケゴールは、「実存」という言葉を元々の「自己」という意味で最初に使った人で、
「あれか、これか」や「死にいたる病」などを書いた
・キルケゴールは、「自分自身がどう生きるか」という部分が重要であり、
このような考え方を主体的真理と呼んだ
→キルケゴールは、主体的真理が自分の正しいあり方で、実存だと考えた
※実存とは・・一回限りの存在、今現在をその場で生きる自分自身のことを指す
※キルケゴール以前の哲学の多くは、人間や世界の根本を客観的かつ論理的に
見つけ出そうとしていた
・キルケゴールの考え方
・キルケゴールは、実存を3つの段階で展開した
・第一段階・・美的実存
→・美的実存・・感覚的な快楽を求めること
※しかし、美的実存はどれだけ求めても満足を得ることができないものであった
→そのため、キルケゴールは美的実存に飽きると同時に
絶望の感覚になってしまい、挫折した
→この絶望からキルケゴールは立ち直ろうとした
・第二段階・・倫理的実存
→・倫理的実存・・愛情などを始めとして、自分の全てを相手の義務に捧げること
※しかし、倫理的実存に基づいて、相手の義務に対して全ての責任を負うことは
実際のところ、無理だということが段々とわかってきた
→そのため、キルケゴールは人間が全ての責任を負うことができないという、
人間の無限ではない部分に深い絶望を感じた
→絶望しつつ、自分の中での矛盾を受け止め、
たった一人で単独者として神の前に立った
=その時に、第三段階に達した
・第三段階・・宗教的実存
→・宗教的実存・・信仰するという立場に立つこと
※信仰は、理性という立場から考えれば、合理的ではなく、
矛盾しているかもしれないが、それに対して実存的な決断をして
認めることが大切だと考えた
→宗教的実存によって、初めて絶望が乗り越えられると考えた
・ニーチェについて
・ニーチェは、キルケゴールとは反対で、神がいない状態での実存を探した
「ツァラトゥストラはかく語りき」や「権力への意志」などを書いた
・ニーチェは、ニヒリズム(既存の宗教や価値や社会や権力などを全て否定すること)を
提唱した
※ニーチェは、この考え方を元に、19世紀末のヨーロッパ文明が廃れた原因は
キリスト教にあると考え、キリスト教は形式に縛られているからダメだと考えた
→ニーチェは、ニヒリズムの立場からキリスト教と対立する考えとして、
「神は死んだ」と宣告した
→ニーチェは、神に変わるものとして、「超人」を提唱した
※なぜ、超人の考え方が生まれたのか・・
→・キリスト教の隣人愛は、弱い人への愛だけで、人間が元々持っている
強く生きようとする意欲(=権力への意志)を失わせるようになってしまっている
→そのためニーチェは、キリスト教は弱い人を救い、
弱い人が強い人への憎しみや怨み(ルサンチマン)や嫉妬を解消するものだと考えた
→だからこそ、神が死んだ後に、キリスト教に変わる何かが必要だと考え、
「超人」という考え方を提唱した
・超人とは何か
・超人・・今までの全ての価値を否定する「権力への意志」を具体的にした人のこと
※超人をより具体的にすると・・
→この世を永劫回帰だと考える運命愛を持った人のこと
・永劫回帰-苦しみがたくさんある現実は、永遠と同じことを
繰り返しているだけだという考え方のこと
・運命愛-永劫回帰を、あえて認めながら生きる人のこと
→このような考え方から、「未来」や「過去」にとらわれず、
「現在」を充実させることが大切だと考えた