功利主義について -ベンサムとJ.S.ミル-
功利主義について、ベンサムとミルをベースに考えてみます
※功利主義が生まれた背景
→人は基本的に快楽を求め、苦痛に会いたくないという思いを持つが、
それが良いことかどうかはわからない
(例:ある人が自分のストレスを発散するために、無差別に人を殺すことは良いのか、etc)
※カントは、人間には快楽を求め、苦痛を避ける感情があることを認めた上で、
それに身を任せずに、定言命法的な感覚を大切にすることが道徳的に良いと考えた
→快楽を求め、苦痛を避ける、という人間の基本的な思いに対して、
別の視点から考えたのが、功利主義であり、
功利主義の代表的な人に、ベンサムとミルがいる
・ベンサムについて
・ベンサムは、道徳や宗教などによる感情は、結局は快楽を求めて、
苦痛を避けようとする人間の元々の感覚から生まれたものだと考えたため、
快楽を求めることを積極的に認めていった
・ベンサムの考え方について
・ベンサムは、「幸福=快楽が増えることか、苦痛が減ることだと考えた」
→そのため、幸福を増やすものは良いものであり、
幸福を減らすものは悪いものであると考えた
=このような考え方を「功利の原理」と呼んだ
※功利は、有用性であり、幸福に対してどれくらい有用か、ということが重視された
=そのため、ベンサムは、行動の動機よりも結果を重視した
・ベンサムは、快楽に対して七つの基準を作り、この基準を使うことで
快楽計算が出来ると考えた
→できるだけ多くの人ができるだけ多くの幸福を得られるのが良い社会であると考えた
=このような考え方を「最大多数の最大幸福」と言い、
この考え方を社会は目標にするべきだと考えた
※快楽計算をする時に、全員はどのような立場であろうと、一人として数えて、
地位などによって何かしらを足していくことをしてはいけないと考えた
・「道徳および立法の諸原理序説」などを書いた
・J.S.ミルについて
・ミルは、ベンサムの考えは良いとは思ったが、快楽は量で計算することは難しいと考え、
快楽の質を重視した
→このような考え方について、「功利主義」という本の中で、
「満足した豚であるよりも不満足な人間である方がよく、
満足した愚か者であるよりかは不満足なソクラテスであるほうがよい」
という言葉を残した
=要は、感覚的な快楽よりも、精神や気持ち的な面での快楽のほうが良いと考えた
・ミルは、良心によって生まれる感情を重視した
=自分だけでなく、他人の幸福も願う感情を重視した
→このような考え方から、
人間は自分の利益を我慢することが出来ると考えていて、
他人の幸福を願うことで、結果的に社会全体の幸福を目指すことが善いと考えた
・ミルは、以上のように人間としての上品さを重視すると同時に、
一人一人の個性の発展を重視した
=個性を自由に伸ばすことが、その人の幸福につながり、
結果的に社会全体の幸福を増やすことにもつながると考えた
※逆に、多くの人が同じような考えで、同じような行動を取ると、
社会は滞ったり、止まってしまう可能性がある
→そのため、平等という表現によって、個性を押しつぶしてしまう社会は、
むしろ君主制だと考えた
・ミルは、「功利主義」や「自由論」などを書いた
ポイント
・ベンサムは、功利の原理を提唱した上で、行動の動機よりも行動の結果を重視した
・ベンサムは、快楽は快楽計算ができると考え、「最大多数の最大幸福」を提唱した
・ミルは、ベンサムの快楽の量に対して、快楽の質を重視した
・ミルは、精神的な快楽の方が良いと考えた
・ミルは、良心からの感情は、他人の幸福も願う感情であり、
それが結果的に社会全体の幸福になると考えた
・ミルは、一人一人の個性を重視した
・ミルは、平等という言葉によって個性を無くすのは、君主制に近いと考えた
このあたりが今回のポイントです