国際政治の問題点について① -核兵器と軍備について-
国際政治の問題点について、核と軍備を中心に考えてみたいと思います
・核の抑止と軍拡競争について
・1945年8月に広島と長崎に原子爆弾が落とされた
・1950年代の中盤までに、アメリカとソ連が
水素爆弾(原子爆弾の何千倍も強力な爆弾のこと)を持った
→これによって、アメリカとソ連がお互いに強い力を持つことで、
相手が核兵器を使って先に攻撃を行うことを抑える体制を作った
=この体制を、核抑止体制と言う
・核抑止体制がある時は、自分の力を上回るような核兵器を
相手の国が作ってしまうのではないか、という恐怖感や不信感などがある
→そのため、核軍拡競争(核兵器や軍備などを他国よりも多く持つために増やすこと)が
引き起こされることがあり、結果的にアメリカとソ連は、
人類を全滅させられるほどの核兵器を持つことになった
・核抑止は、誤解や勘違いなどによって、偶然核戦争を引き起こす可能性がある
(例:1962年のキューバ危機)
→そこで、1970年代に入った時に、アメリカとソ連は、核開発競争を
お互いに抑えるために、戦略兵器制限交渉(SALTⅠ、SALTⅡ)
という交渉を行った
→さらに、相手のミサイルを空中で迎え撃つミサイル(対弾道ミサイル、ABM)の
配備を制限するという、ABM制限協定という協定を結んだ
・アメリカとソ連は、上のように軍備管理を行うことで、
核抑止体制が落ち着いた状態になることを目指した
※軍備管理・・国家の間で、軍備の増強に上限を決めたりすることで、
軍備の拡大をお互いに抑え合うという動きのこと
ただし、軍縮(軍備の削減を目的とすること)とは違う
→しかし、1980年代に、アメリカとソ連の対立が再び起きた(=新冷戦)ため、
中距離核戦力(INF)をヨーロッパに配備すること状況が進められた
※アメリカは、相手の核ミサイルを空中で撃ち落とすことを目的とした
戦略防衛構想(SDI)というものを考えたが、
この考え方は核抑止を不安定にさせてしまったと言われている
→結果的に、アメリカとソ連は、1987年の中距離核戦力(INF)全廃条約
という条約によって、核軍縮に向かった
そして、冷戦を終わりにすることで、核抑止体制から抜け出すのを目指すことになった
・冷戦が終わった後の動き
・戦略兵器削減条約(1991年のSTARTⅠ、1993年のSTARTⅡ)という条約が
アメリカとロシアとの間で結ばれた
・2002年5月には、戦略攻撃兵器削減条約というのが調印された
→それによって、戦略核兵器を現在の3分の1に削減させることが認められた
※ヨーロッパでは、1990年に欧州通常戦力条約という条約によって、
通常の兵力の削減も行われた
・核抑止体制が抜け出す動きが進んでいる時に、アメリカが2002年に
ABM制限協定という協定から抜けた
※その代わり、発射されたミサイルを空中で撃ち落とすという、
ミサイル防衛(MD)の考え方で安全保障を実現することを、
日本とアメリカの共同で目指している
・反核運動について
・冷戦の時の核軍拡に対しては、科学者や国民などが反対運動を行った
・反対運動の例
・ラッセル・アインシュタイン宣言・・水素爆弾の危険性を世界に訴えて、
核兵器を無くすために科学者が集まることを
呼び掛けた宣言のこと
→この宣言には、湯川秀樹を含めて
11人の科学者が署名した
※ラッセルはイギリスの思想家、アインシュタインはアメリカの物理学者のこと
・パグウォッシュ会議・・各国の科学者で行う、軍縮や平和問題などを解決するための
国際的な会議のこと
※パグウォッシュ会議は、1957年から毎年カナダのパグウォッシュ
というところで開かれている
・日本では、1954年の第五福竜丸事件(ビキニ事件)という事件がきっかけで、
原水爆禁止運動が行われ、結果的に世界に広がるまでの大きな動きとなった
※ビキニ事件・・1954年にアメリカがビキニ環礁というところで行った
水爆の実験が原因で、危険区域の外で作業をしていた、
第五福竜丸という日本のマグロの漁船に乗っていた人が
放射能症にかかり、半年後に1人が亡くなってしまった、
という事件のこと
原水爆禁止運動・・広島と長崎の原爆による、被爆の状況を
世界に訴えていく運動のこと
・1980年第のヨーロッパでのアメリカとソ連の中距離核戦力の準備によって、
様々な国での大きな反核運動を引き起こすことになった
・軍縮NGOというNGOが、国連軍縮特別総会という総会などで、
核軍縮を呼び掛けた
・冷戦が終わった後の軍縮へ向けての問題について
・1996年の7月に、国際司法裁判所が国連総会に向けて、
「核兵器による威嚇または使用は、一般的に国際法(特に人道法)に反する」
という意見を出した
=核兵器を持つことで脅したり、核兵器を使ったりすることは
国際法に違反するという意見を出した
※実際は、1998年にインドとパキスタンが核実験をしたり、
核の開発や保有をしているかもしれない
という国がいくつかあると言われている
・上のような実際の傾向を抑えるためには、核拡散防止条約(NPT)が
実用的になるようにして、核実験を禁止するための国際的なルールを
強くする必要があると言われている
→これを実現するためには、国連の総会で決められた
包括的核実験禁止条約(CTBT)という条約へ参加することを、
強く各国に呼び掛ける必要があると言われている
※・核拡散防止条約・・アメリカ、ソ連(ロシア)、中国、イギリス、フランスの
5カ国以外の国が核兵器を持つことを防ぐための条約のこと
→核を持たない国が核兵器を作ったり持ったりすることを
禁止するために、査察(状況をチェックすること)を
することが決められた
・包括的核実験禁止条約・・様々な場所での、爆発の可能性がある核実験を
禁止する条約のこと
→この条約は、核兵器を保有する5カ国と、
インドやパキスタンなどの44カ国の
許可が必要とされていて、2007年の段階では
発行されていない
・最近では、非核地帯を増やすことや、核兵器が広がってしまっている地域については、
限定的な核戦争を引き起こす可能性がある地域紛争を防ぐことが重要だと言われている
※非核地帯・・ある地域に存在している国が核兵器の実験、製造、取得をしたり、
核保有国の核兵器の実験、配備、使用などを禁止する地帯のこと
ポイント
・核抑止体制を始めとした、様々な競争や交渉、軍備管理などを押さえる
・冷戦が終わった後の動きを押さえる
・核の反対運動の動きを押さえる
・冷戦が終わった後の軍縮への動きと条約などを押さえる