19世紀後半の世界の動き① -欧米での近代国家の成立-
19世紀後半の世界の動きについてまとめてみました。
大きく「3つの動き」としてまとめてみます。
①欧米での近代国家の成立
②産業の近代化+植民地獲得競争
③欧米が東アジアの国々へ進出
ある意味で全てにつながりがありますが、あえて3つに分けて
それぞれ考えてみます。
(ここでは①について取り上げています)
※②と③についてはこちらです
①欧米での近代国家の成立
明治以降・・国家を「近代国家」(主権国家)という
※明治以前(中世のヨーロッパ)はどうなっていたか・・
→2つの状況があった
・国王でも教会に勝てないという状況があった
(中世のヨーロッパは教会の力が強かった)
・中世は地方での癒着が多かった
=この2つの状況があったため、一人が教会に反抗しても意味が無かった
※ただし、この時に活版印刷術が出てきた
→活版印刷術によって、一人の意見を広めることが出来るようになった
→そのため、一人の教会に対する反抗も広まるようになった
=結果的に、教会への反抗が広まり、教会が無くなった
→その後は、国王がトップに立ち権力を持つようになった
→国王は、権力を維持するために、軍隊を作って国をまとめようとした
=これを絶対王政という
主権国家は中央集権化を生んだ(政教分離、官僚制などを生み出している)
※中央集権化は、ブルジョワ階級(資本家層)が支持をした
→そこで国王は、ブルジョワ階級の支持を逃さないように、
鉄道など、経済基盤の整備を行った
※ただし、段々とブルジョワ階級が力をつけてきた
→そのため、ブルジョワ階級は中央集権制と国王に対抗するようになっていった
=結果的に様々な市民革命が起きた
例: イギリス名誉革命(1688年) フランス革命(1789年)
アメリカ独立戦争(1775~83) など
革命後は、主権者としての「国民」が誕生した
※この時の「国民」を支えていたのは、啓蒙思想だった(自由や平等など)
→そこで当時は、国民教育(特に国語)、国民軍、議会制などが重視された
※なぜ、国民全体を意識した政策が採用されるようになっていったのか
→今まで(「国民」を意識する前まで)は、国民全員に教育は必要なかった
(農民はずっと農民である、など職業によって生活が違い、
変化も起きなかったため、教育の必要がなかった)
→しかし、主権者としての「国民」の場合は、全員平等という視点が前提となる
=だから、国民全体に対して同じような政策を用いる必要があった
※また、当時は知識が無い人たちに選挙権を与える必要はないと考えられていた
=だから、民衆が怒って労働運動を起こす、ということも行っていた
→この時の考え方の支えがマルクスだった
まとめ
・明治以降・・国家を「近代国家」(主権国家)と呼ぶ
※明治以前(中世)・・教会中心 → 活版印刷術 → 絶対王政
・主権国家・・中央集権化を生む
※中央集権化はブルジョワ階級が支持
→国王は、ブルジョワの支持を逃さないように、経済基盤を整備
→ブルジョワは力をつけて、中央集権化と国王に対抗
=市民革命が起きる
・明治以降・・主権者としての「国民」が誕生
→「全員が平等」という視点から、国民教育、国民軍、議会制を重視
※当時の国民を支えたのが啓蒙思想