開国と幕末の流れをまとめてみた
開国と幕末の流れ
開国・・アメリカのペリーが浦賀に来航
→その結果、1854年に日米和親条約を結んだ
→1858年に、日米修好通商条約を結んだ(関税自主権が無い、領事裁判権を認める)
開国は幕府が独断で行った
※攘夷論の人達が幕府の独断を批判した(長州藩の吉田松陰など)
→そのため、大老井伊直弼は吉田松陰などを死刑にした(=安政の大獄)
=安政の大獄は批判され、井伊直弼は1860年に殺された(桜田門外の変)
※開国の影響
・綿糸や綿織物が輸入→国内の生産地に影響
・日本から生糸や茶が輸出→国内では品不足や値上がりが起きた
開国によって、外国の国々は日本の港に軍隊を置こうとした
→そこで、朝廷を味方につけて尊王攘夷運動が起きた
※このときに、薩長土肥が強くなってきた
薩摩藩は、生麦事件を起こした
→だから、イギリスは鹿児島を攻撃した
=そのため、薩英戦争が起きた
長州藩は、外国船を攻撃して、攘夷を朝廷に働きかけていた
→だから、幕府は長州藩を攻撃した
→一方で、長州藩の外国船の攻撃の復讐として、四国連合艦隊が下関の砲台を攻撃した
※四国連合艦隊・・イギリス、アメリカ、フランス、オランダ
=上記の流れを見て、尊王攘夷派は以下のようなことを考えた
・開国は避けられない
・幕府を倒すことを強く考えた
→そこで、長州藩の高杉晋作・木戸孝允、薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通は、土佐藩の坂本竜馬が仲介役となって、薩長同盟を結んだ
※幕府は、薩長同盟なども見たため、長州藩を再び攻撃したが長州藩に苦戦した
※同時に、百姓一揆や打ちこわしなども頻繁に起こり、幕府は一層苦戦した
幕府と尊王攘夷の戦いの裏で、民衆が生活必需品の品不足や値上がりに不満を募らせた
※ただし、民衆が藩や幕府に訴えても、解決が難しくなってきた
→そこで、民衆が藩や幕府に頼るのではなく、自力で解決しようと考えた
=その結果、以下のようなことが起きた
・世直し一揆
・大商人や米屋の打ちこわし
・「ええじゃないか」運動 など
→これらの動きは、一層幕府の動きを弱めた
民衆の動きや尊王攘夷などの流れを通して、倒幕運動が高まっていった
→そこで、当時の15代将軍徳川慶喜は、政権を朝廷に返して、朝廷の新しい政府の中で指導権を持とうとした
=そのため、1867年10月に政権を朝廷に返した(=大政奉還)
大政奉還に対して、天皇(朝廷側)は王政復古の大号令を宣言した
※このときに、徳川慶喜を新政府に加えなかった
※加えて、幕府の土地を朝廷に差し出すことを命令した
→そこで、幕府は1868年1月に薩長を中心とする新政府軍(朝廷側)と戦った
=この戦いを鳥羽・伏見の戦いといい、幕府はこの戦いで負けた
戦いに勝った新政府軍は、以下のようなことを行った
・海外の国々と中立を約束させた
・1868年4月に、朝廷側が江戸を占領した
・西郷隆盛や勝海舟などの活躍によって、江戸城を無血開城させた
新政府軍の動きについて、会津藩や旧幕府の人達などは、東北地方や北海道で抵抗を続けた
→この抵抗に対して、朝廷側は武力で破った(=戊辰戦争)
=結果、1869年5月に函館の旧幕府側を降伏させた