アメリカ南北戦争について - アラエス

アメリカ南北戦争について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/16 16:51      
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アメリカ南北戦争について考えてみます

 

 

・アメリカ南北戦争について

 

 

 ・合衆国の西部への発展の裏で、アメリカの南部と北部の対立が激しくなった

 

 

  ※当時の南部

   ・南部地域では、黒人奴隷を使った大農園(プランテーション)が発展していた

   ・18世紀の終わりにホイットニーという人が綿繰機を発明するということが起きた

    →すると、南部が綿花栽培の地域として、イギリスとの結びつきが強くなっていった

     =そのため、南部は奴隷制の存続、自由貿易、州の自治を強く要求した

 

 

  ※当時の北部

   ・北部は、産業革命が進んで資本主義が発達した

   ・イギリスに対抗するために、保護関税政策と連邦主義を主張した

   ・人道主義の立場から、奴隷制に反対する人が多かった

 

 

 

 

 ・北部の自由州と南部の奴隷州との間で、西部開拓によって出来た新しい州に、奴隷制を認めるかどうかでもめた

  ※当時の州の仕組みについて

   ・ある地域の自由人の成年男性人口が5千人に達すると、准州として自治政府を設けた

   ・全自由人口が6万人になると、連邦議会の承認を得て州に昇格し、連邦に加入する

 

  →上の対立は、1820年にミズーリ協定が結ばれたことで、一時的におさまった

   ※ミズーリ協定・・北緯36度30分以北に奴隷州を作らないと決めた協定のこと

 

 

  →しかし、より上にあるカンザスとネブラスカの両方の准州については、

   1854年に、自由州となるか奴隷州となるかは住民の意志で決めるという法律が作られた

   =この法律が作られたことで、南北の対立が再び激しくなった

    ※このころ、ストウ夫人という人は「アンクル=トムの小屋」という本を書いて、奴隷制に反対した

 

  →南北の対立が再び激しくなったことをきっかけに、奴隷制の反対を提唱する共和党が作られた

   =共和党が作られたことで、奴隷制に対する南北の対立が決定的になった

 

 

 

 

 ・1860年に、共和党のリンカーンという人が大統領に当選した

  ※リンカンには、以下のような動きが見られた

   ・連邦の統一維持を優先する穏健な奴隷制拡大反対論者だった

   ・ゲティスバーグというところで、リンカーンは「人民の、人民による、人民のための政治」を提唱した

   ・南部諸州を連邦から切り離して、1861年の初めにアメリカ連合国を作った

   ・アメリカ連合国をジェファソン=デヴィスを大統領に選んだ

    =この結果、南北戦争が始まった

 

 

 

  ※南北戦争について

   

   ・北部は、人口や経済力で圧倒的に南部より優れていた

    →ただし北部は、戦争の最初はリーという人の指揮下の南軍に苦戦していた

   

   ・その後1863年の1月に、リンカンが南部反乱地域の奴隷解放宣言を出して、内外の世論の支持を集めた

   

   ・リンカンは、1862年にホームステッド法という法律を作った

    →この法によって、開拓者に160エーカー(約65ヘクタール)の国有地が貸し与えられた

     そして、この国有地に5年間定住すれば、その土地を与えられることになった

     ※そのため、ホームステッド法によって、西部の開拓が進んだ

 

   ・そして、1863年のゲティスバーグの戦いで北部が勝利するということが起きた

    →そのため、グラント将軍という人が引き連れていた北部の軍が優勢になった

 

   ・そして、1865年に南部の首都のリッチモンドというところが陥落した

    →そのため南部の軍は降伏した

     =その結果、合衆国が再統一された

 

 

ポイント

・南北戦争の背景についておさえる

・南北戦争の内容についておさえる

・南北戦争の結果についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

 



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