帝国主義時代のフランスとドイツについて
帝国主義時代のフランスとドイツについて考えてみます
・フランスについて
・パリ=コミューンの後、フランスでは1875年に第三共和国憲法が成立した
・また、1880年代から植民地拡大政策が実行された
→その結果、インドシナとアフリカに大規模な植民地を作り上げた
・フランスは、工業力ではドイツやアメリカに及ばなかった
→しかし、豊かな中産階級に支えられた銀行の資本力を用いて、
帝国主義政策を追求していった
・フランスは、ビスマルク体制のもとでは国際的に孤立していた
→しかし、1890年代以降は、露仏同盟や英仏同盟などを結んで、ドイツに対抗した
・フランス国内では、1880年代以降、以下のような共和政を攻撃する動きが見られた
→・1887~1889年のブーランジェ事件
・1894~1899年のドレフュス事件 など
※ブーランジェ事件
・元陸相のブーランジェという人が、右翼や保守の勢力に支持されて、
1889年に政権の奪取を狙った事件のこと
※ドレフュス事件
・ユダヤ系の軍人だったドレフュスという人が、ドイツのスパイ容疑で
終身刑を宣告されたが、後に誤審と判明した事件のこと
・しかし、反ユダヤ主義的傾向を持つ軍部が誤審を無視した
→そのため、作家のゾラなどが世論に再審を訴えた
・1906年にドレフュスが最終的に無罪になって、軍部は信用を失った
→上のような共和政の攻撃に対して、政府が危機を乗り越えた
・一方で、労働運動ではサンディカリズムという考え方が出てきた
※サンディカリズム・・政党の指導ではなく、労働組合のゼネストによって
一気に社会革命の実現を目指す考え方
→その後、1905年にフランス社会党が成立して、サンディカリズムの動きをおさえた
・さらに、1905年に政教分離法という法律が出来た
=以上のような流れの結果、共和国が安定していった
・ドイツについて
・1888年に、ドイツでヴィルヘルム2世という人が即位した
→ヴィルヘルム2世は、以下のようなことを行った
・若い皇帝であり、自ら政治を指導していこうと考えた
・ロシアとの再保障条約を更新した
・社会主義者鎮圧法の延長に反対した
・1890年にビスマルクを辞めさせた
・「世界政策」という名前のもとに、強引な帝国主義政策を行った
※市民の間に、パン=ゲルマン主義運動が広がって、世界政策を支援した
・パン=ゲルマン主義運動・・国外のドイツ人を統合して大帝国の建設を
目指す動きのこと
・海軍の大幅な拡張を目指して、イギリスをおびやかした
・ドイツ国内では、以下のようなことが起きた
→・1890年に社会主義者鎮圧法が廃止された
※この時に、社会民主党が急激に勢力を伸ばした
→そのため、社会民主党が議会の第一党になった
・社会民主党が、マルクス主義にもとづいて、資本主義を革命によって
倒して社会主義を実現すると主張した
→その後、19世紀の終わりになると、社会民主党の党内に、
ベルンシュタインなどの修正主義が出てきた
※修正主義・・議会主義的な改革を重視する主義のこと
ポイント
・帝国主義時代のフランスについておさえる
・帝国主義時代のドイツについておさえる
このあたりが今回のポイントです