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	<title>アラエス &#187; 飛鳥時代</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>飛鳥時代を時系列でまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1483</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1483#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 06 Nov 2013 16:47:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[まとめさん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[飛鳥時代]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1483</guid>
		<description><![CDATA[まとめてみました &#160; &#160; ・飛鳥朝廷について①　－東アジアとヤマト政権の関係について－ &#160; &#160; ・飛鳥朝廷について②　－東アジアの動向の中での日本の動きについて－ &#160; &#038; [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1483">飛鳥時代を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>まとめてみました</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1108" target="_blank">飛鳥朝廷について①　－東アジアとヤマト政権の関係について－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1109" target="_blank">飛鳥朝廷について②　－東アジアの動向の中での日本の動きについて－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1110" target="_blank">飛鳥朝廷について③　－飛鳥文化－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1111" target="_blank">大化の改新について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1112" target="_blank">律令国家と白鳳文化について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1114" target="_blank">大宝律令とその制度について　－政治スタイルと官吏－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1115" target="_blank">律令国家の時の民衆について　－口分田と様々な負担－</a></p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1483">飛鳥時代を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>律令国家の時の民衆について　－口分田と様々な負担－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1115</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1115#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 14:31:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[飛鳥時代]]></category>
		<category><![CDATA[五色の賤]]></category>
		<category><![CDATA[公出挙]]></category>
		<category><![CDATA[兵役]]></category>
		<category><![CDATA[口分田]]></category>
		<category><![CDATA[律令国家]]></category>
		<category><![CDATA[戸籍]]></category>
		<category><![CDATA[条里制]]></category>
		<category><![CDATA[班田収授法]]></category>
		<category><![CDATA[租・調・庸]]></category>

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		<description><![CDATA[律令国家の人々と口分田やその他の負担について考えてみます &#160; &#160; ・律令国家の時の人々について &#160; 　・律令国家の時、人々は戸主という人を代表者にした戸（郷戸）に所属する 　　というスタイル [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1115">律令国家の時の民衆について　－口分田と様々な負担－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>律令国家の人々と口分田やその他の負担について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・律令国家の時の人々について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・律令国家の時、人々は戸主という人を代表者にした戸（郷戸）に所属する</p>
<p>　　というスタイルで戸籍や計帳に登録された</p>
<p>　　→５０戸が１里になるように、里が作られた</p>
<p>　　　※・戸籍・・名前や課税の把握を目的として作られた文章の書類のこと</p>
<p>　　　　・計帳・・調と庸を振り分けるための帳簿のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・戸を単位として、口分田が分け与えられ、税を納めることが必要になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※口分田について</p>
<p>　　　・男子は２段（３６０歩）、女子は男子の３分の２、</p>
<p>　　　　奴婢は良民の男女のそれぞれ３分の１ずつが与えられた</p>
<p>　　　・戸籍が６年ごとに作られ、その戸籍に合わせて６歳以上の男女に</p>
<p>　　　　一定の口分田が与えられた</p>
<p>　　　・口分田の売買は禁止されていた</p>
<p>　　　・死んだ人の口分田は６年ごとの口分田を与える時に回収した</p>
<p>　　　　＝口分田について決められた、以上のようなルールのことをまとめて、</p>
<p>　　　　　班田収授法と言う</p>
<p>　　　　　※班田収授法には、豪族が土地や人民を支配するのではなく、</p>
<p>　　　　　　国家が直接人々を支配しようとする狙いがあったが</p>
<p>　　　　　　結果的には、官吏である地方豪族の協力が必要だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・当時は条里制という、土地の区分の制度が採用されていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・律令国家の時は、租、調、庸、雑徭などの負担が必要になった</p>
<p>　　（この時の負担は、男性のみだった）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※それぞれの負担について</p>
<p>　　　・租・・口分田で収穫した稲について、田１段につき２束２把（収穫の約３％）を</p>
<p>　　　　　　　中央政府に納める負担のこと</p>
<p>　　　・調・・絹や糸など、その土地の特産品を一定量中央政府に納める負担のこと</p>
<p>　　　・庸・・都での労役１０日間を行わない代わりに、布を２丈６尺中央政府に</p>
<p>　　　　　　　納める負担のこと</p>
<p>　　　　　　　→調と庸は、運脚（都まで運ぶ）の義務があった</p>
<p>　　　・雑徭・・６０日以下の地方での労役を行う負担のこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　　※調、庸、雑徭には、年齢によって違いがあり、正丁、次丁、中男に分けられた</p>
<p>　　　・正丁・・２１～６０歳の男子のこと</p>
<p>　　　・次丁・・６１～６５歳の男子のこと</p>
<p>　　　・中男・・１７～２０歳の男子のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→年齢によるそれぞれの負担の違いについて</p>
<p>　　　　・調・・正丁は一定量、次丁は正丁の２分の１、中男は正丁の４分の１</p>
<p>　　　　　　　　→正丁だけは、染料なども納める必要があった</p>
<p>　　　　・庸・・正丁は布を２丈６尺、次丁は正丁の２分の１、中男は無し</p>
<p>　　　　　　　　→京と畿内は全員無かった</p>
<p>　　　　・雑徭・・６０以下の労役、次丁は正丁の２分の１、中男は正丁の４分の１、</p>
<p>　　　　　　　　　→後で雑徭は半減された</p>
<p>　　　　　　</p>
<p>　　　　　　</p>
<p>　・その他の負担について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・特別な制度として、出挙（公出挙）というものがあった</p>
<p>　　　※出挙・・国家が春に稲を貸し付けて、秋の収穫の時に、</p>
<p>　　　　　　　　高い利息と一緒に春に貸した稲を返す制度のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・兵役があった</p>
<p>　　　→・成年男子の３～４人に１人の割合で強制的に兵士として選ばれた</p>
<p>　　　　・兵士は、軍団という軍事組織で訓練を受けた</p>
<p>　　　　・兵士の一部は衛士や防人になった</p>
<p>　　　　　　※・衛士・・宮城の警備を行う人のこと</p>
<p>　　　　　　　・防人・・九州の沿岸を守る人のこと</p>
<p>　　　　・兵士の武器や食料は自分で用意することが原則だった</p>
<p>　　　　※兵士は、家族の労働力を取られるという意味で、人々に大きなダメージとなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・当時の民衆の中での身分制度について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・当時は良民と賎民に分けられた</p>
<p>　　　→賎民には、政府が管理する陵戸、官戸、公奴婢と、私有の家人、私奴婢の５種類がいた</p>
<p>　　　　＝この５種類のことをまとめて、五色の賎と言う</p>
<p>　　　　　※賎民の割合は人口の数％だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・律令国家の時の人々についてを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1115">律令国家の時の民衆について　－口分田と様々な負担－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>大宝律令とその制度について　－政治スタイルと官吏－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1114</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1114#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 14:25:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[飛鳥時代]]></category>
		<category><![CDATA[七道]]></category>
		<category><![CDATA[五刑]]></category>
		<category><![CDATA[刑部親王]]></category>
		<category><![CDATA[国・郡・里]]></category>
		<category><![CDATA[大宝律令]]></category>
		<category><![CDATA[摂津職]]></category>
		<category><![CDATA[畿内]]></category>
		<category><![CDATA[蔭位の制]]></category>
		<category><![CDATA[藤原不比等]]></category>
		<category><![CDATA[養老律令]]></category>

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		<description><![CDATA[大宝律令と民衆について考えてみます &#160; &#160; ・大宝律令について &#160; 　・大宝律令とは 　　→・７０１年（大宝元年）に刑部親王と藤原不比等という人達によって、 　　　　作られた律令のこと 　　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1114">大宝律令とその制度について　－政治スタイルと官吏－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大宝律令と民衆について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・大宝律令について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大宝律令とは</p>
<p>　　→・７０１年（大宝元年）に刑部親王と藤原不比等という人達によって、</p>
<p>　　　　作られた律令のこと</p>
<p>　　　・律は、刑法のことを指す</p>
<p>　　　・令は、役人の勤務の規定や人々の税金の規定などのことを指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→大宝律令が完成した時に、律令制度を使った政治の仕組みもほぼ完成した</p>
<p>　　　※７１８年に藤原不比等などが養老律令というものを作ったが、</p>
<p>　　　　大宝律令と大きくは変わらなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大宝律令の時の政治制度とスタイルについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・中央行政組織</p>
<p>　　　→・神祇官と太政官という２つの官があった</p>
<p>　　　　　※・神祇官・・神々の祭りを仕切る</p>
<p>　　　　　　・太政官・・行政全般を仕切る</p>
<p>　　　　　　　　　　　　→太政官の下に、八省の省があり、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　それぞれの省が政治や事務を行った</p>
<p>　　　　・行政の運営は、力のある氏から任命された、太政官の公卿が</p>
<p>　　　　　話し合うことで行われた</p>
<p>　　　　　※公卿・・公と卿のことで、太政大臣、大納言、参議などを指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・地方組織</p>
<p>　　　→・全国が、畿内と七道に区分されるようになった　</p>
<p>　　　　　※・畿内は、５つ（山城、大和、河内、和泉、摂津）に分けられた</p>
<p>　　　　　　・七道は、東北道、東海道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道を指す</p>
<p>　　　　・国、郡、里（里は後で郷になる）という行政区画が設置された</p>
<p>　　　　　※・国について→・国司という、中央から派遣された地方の官僚が置かれた</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　・国司は、国府という役所（後に国衙と呼ばれるようになる）で</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　国の中を治めようとした</p>
<p>　　　　　　・郡について→・郡司という、国司の下で郡を治める地方の官僚が置かれた</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　・郡司は、昔からの地方豪族が任命された</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　・郡司は、郡家という郡の役所で、郡の中を治めようとした</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　・その他の地域</p>
<p>　　　→・京に、左京職と右京職という、京都の政治などを行う役所を置いた</p>
<p>　　　　・難波に、摂津職を置いた</p>
<p>　　　　・九州北部に太宰府を置いた</p>
<p>　　　　　　※大宰府は西海道をまとめる役割があり、九州北部は外交や軍事のために</p>
<p>　　　　　　　重要な場所として重視された</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　→地方組織やその他の地域の役所には、多くの官吏（役人）が勤務していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・官吏について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・官吏には、官位相当制が採用された</p>
<p>　　　　※官位相当制・・官吏に位階を与えて、位階に合わせて官職を任命する制度のこと</p>
<p>　　　　　→位階や官職に合わせて、封戸、田地、禄と言われる給与が与えられたり、</p>
<p>　　　　　　調、庸、雑徭などの負担が免除されたりした</p>
<p>　　　　　　　※・封戸・・その戸からの税収が封主に与えられるという、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　位封や職封などの給与こと</p>
<p>　　　　　　　　・田地・・位田や職田などの田んぼという給与のこと</p>
<p>　　　　　　　　・禄・・年に２回現物給付で与えられる季禄などの給与のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・位が五位という位以上の貴族は手厚い保護を受けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・蔭位の制が採用された</p>
<p>　　　→蔭位の制・・五位以上の子、三位以上の孫は、父（祖父）の位階に応じた</p>
<p>　　　　　　　　　　位階を与えられる制度のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　※蔭位の制には、貴族が自分達の身分を維持し続けるという目的があった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・貴族や役人は、刑罰に関しては重罪でなければ実刑にはならなかった</p>
<p>　　　→刑罰も、免職や代償で刑罰自体が免除される、という権利があった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・司法制度について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・刑罰には五刑（笞、杖、徒、流、死）がある</p>
<p>　　　→地方では、郡司に笞罪までの裁判の権利があった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・国家、天皇、親や伯父伯母などに反発することは罪であり、特に重い罪だとされた</p>
<p>　　　→この罪を八虐と言い、位の高い人でも免除されなかったり、</p>
<p>　　　　刑が減ったりしないくらい重い罪だとされた</p>
<p>　　　　※この法律を作った目的には、国家や社会の秩序を守るという狙いがある</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・大宝律令の概要と、大宝律令の時の政治スタイルを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1114">大宝律令とその制度について　－政治スタイルと官吏－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>律令国家と白鳳文化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1112</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1112#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 10:27:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[飛鳥時代]]></category>
		<category><![CDATA[壬申の乱]]></category>
		<category><![CDATA[大友皇子]]></category>
		<category><![CDATA[天智天皇]]></category>
		<category><![CDATA[富本銭]]></category>
		<category><![CDATA[律令国家]]></category>
		<category><![CDATA[持統天皇]]></category>
		<category><![CDATA[条坊制]]></category>
		<category><![CDATA[白村江の戦い]]></category>
		<category><![CDATA[白鳳文化]]></category>
		<category><![CDATA[藤原京]]></category>

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		<description><![CDATA[律令国家と白鳳文化について考えてみます &#160; &#160; ・律令国家について &#160; 　※律令国家・・律令を基本とした国のこと &#160; &#160; 　・律令国家へ向けた動きについて &#160;  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1112">律令国家と白鳳文化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>律令国家と白鳳文化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・律令国家について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※律令国家・・律令を基本とした国のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・律令国家へ向けた動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・朝鮮半島で、唐と新羅が手を組んで、６６０年に百済を、６６８年に高句麗を倒した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・日本は、難波から飛鳥に戻った斉明天皇（皇極天皇が再び天皇になった時の名前）を</p>
<p>　　　中心にして、百済の復興を支援するために大量の軍隊を派遣した</p>
<p>　　　→この時に、唐と新羅の連合軍と、日本と百済の連合軍が戦うことになった</p>
<p>　　　　＝この戦いのことを白村江の戦いと言う</p>
<p>　　　　　※白村江の戦いでは、唐と新羅の連合軍が圧勝した</p>
<p>　</p>
<p>　　・白村江の戦いによって、どのような動きが起きたのか</p>
<p>　　　→・勝った方は、結果的に新羅が半島を支配する権利を得て、</p>
<p>　　　　　６７６年に新羅が半島を統一した</p>
<p>　　　　・負けた日本は、日本を守るための防衛政策が取られるようになった</p>
<p>　　　　　　※防衛政策の内容</p>
<p>　　　　　　　・対馬から大和にかけて、朝鮮式山城というものが作られた</p>
<p>　　　　　　　・太宰府というところの北側に水城や大野城、南側に基肄城が作られた</p>
<p>　　　　　　　　＝北九州の防衛を強化した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・６６４年に氏上（氏のトップの人）を決めて、豪族の層をまとめる動きがあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・中大兄皇子が６６７年に都を近江大津宮に移して、６６８年に天皇の位について、</p>
<p>　　　天智天皇になった</p>
<p>　　　　（中大兄皇子と天智天皇は同一人物）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・天智天皇が６７０年に庚午年籍を作った</p>
<p>　　　　※庚午年籍・・最初の戸籍のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・天智天皇が亡くなった後の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・天智天皇が亡くなった次の年である６７２年に、天智天皇の子供である大友皇子と、</p>
<p>　　　天智天皇の弟である大海人皇子との間で、どちらが天皇になるか、</p>
<p>　　　ということで戦いが起きた</p>
<p>　　　＝この戦いのことを、壬申の乱と言う</p>
<p>　　　　→この戦いは大海人皇子が勝ち、大海人皇子が飛鳥浄御原宮で天武天皇として、</p>
<p>　　　　　天皇に即位した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※壬申の乱の結果、大友皇子の側についていた有力な中央の豪族が衰えた</p>
<p>　　　→そのため、天皇の位につくことで、強力な権力を手に入れた天武天皇を中心に、</p>
<p>　　　　中央集権国家の体制が作られることが進んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・天武天皇は、６７５年に豪族領有民をやめて、役人の位階や昇進の制度を作った</p>
<p>　　　＝この動きは官僚制の動きを進めたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・天武天皇は、６８４年に八色の姓というものを作って、</p>
<p>　　　天皇を中心とした身分制度の中に豪族を組み込んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・律令（国家の基本になる法律）や国史の編集を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・富本銭という銭貨を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・藤原京を作った</p>
<p>　　　→しかし、藤原京を作っている時に、天武天皇が亡くなった</p>
<p>　　</p>
<p>　　　→そこで、天武天皇の後を、持統天皇という人が継いで、</p>
<p>　　　　様々な政策をまとめて引き継いだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　・持統天皇は６８９年に飛鳥浄御原令を作った</p>
<p>　　　　・６９０年に、庚寅年籍という戸籍を作った</p>
<p>　　　　・６９４年に飛鳥から藤原京に都を移した</p>
<p>　　　　　※藤原京は、３代の天皇の都となって、条坊制が採用されていた</p>
<p>　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・白鳳文化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・白鳳文化とは</p>
<p>　　→・飛鳥文化の次の文化で、７世紀後半から８世紀の頭までの文化のこと</p>
<p>　　　・生気のある若々しさが特徴</p>
<p>　　　・唐の初期の文化の影響を受けていて、仏教の文化を基本にしている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・白鳳文化の影響</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・仏教の拡大が国で進められ、地方の豪族も寺院を建てた</p>
<p>　　　→この動きがあり、白鳳文化の時に仏教が急激に広がっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・豪族が中国の文化を受け入れて、漢詩文を作るようになった</p>
<p>　　・和歌の形式が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→以上のことから、中央の役人だけではなく、地方の豪族にも</p>
<p>　　　　漢字の文化と儒教の思想が広がった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・白鳳文化の時の作品</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・天武天皇・・大官大寺と薬師寺を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・法隆寺阿弥陀三尊像、法隆寺夢違観音像が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・興福寺仏頭が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・薬師寺東院堂聖観音像、薬師寺金堂薬師三尊像が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・法隆寺金堂壁画、高松塚古墳壁画が描かれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・律令国家を押さえる</p>
<p>・白鳳文化を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1112">律令国家と白鳳文化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>大化の改新について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1111</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1111#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 10:22:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[飛鳥時代]]></category>
		<category><![CDATA[中大兄皇子]]></category>
		<category><![CDATA[中臣鎌足]]></category>
		<category><![CDATA[乙巳の変]]></category>
		<category><![CDATA[公地公民制]]></category>
		<category><![CDATA[唐]]></category>
		<category><![CDATA[大化の改新]]></category>
		<category><![CDATA[孝徳天皇]]></category>
		<category><![CDATA[改新の詔]]></category>
		<category><![CDATA[蘇我入鹿]]></category>
		<category><![CDATA[高句麗]]></category>

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		<description><![CDATA[大化の改新について考えてみます &#160; &#160; ・大化改新について &#160; 　・７世紀の半ばに唐が高句麗を攻撃し始めた 　　→そのため、東アジアで緊張感が高まると同時に、唐と高句麗の動きが 　　　どうな [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1111">大化の改新について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大化の改新について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・大化改新について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・７世紀の半ばに唐が高句麗を攻撃し始めた</p>
<p>　　→そのため、東アジアで緊張感が高まると同時に、唐と高句麗の動きが</p>
<p>　　　どうなるか分からないので周りの国々は、中央集権化をすることと、</p>
<p>　　　国内を統一することが必要になってきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本では、蘇我入鹿という人が、厩戸王の子どもである山背大兄王という人を倒して、</p>
<p>　　権力を集中させようとした</p>
<p>　</p>
<p>　・一方で、中大兄皇子という人は、蘇我倉山田石川麻呂や中臣鎌足という人達の協力によって、</p>
<p>　　王族を中心とした中央集権を目指そうとした</p>
<p>　　→そこで中大兄皇子が、中央集権に対する考え方が違う蘇我蝦夷、蘇我入鹿を倒した</p>
<p>　　　＝この出来事を乙巳の変という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・乙巳の変によって、何が起きたのか</p>
<p>　　→・王族の軽皇子という人が位について、孝徳天皇になり、孝徳天皇が中心となった</p>
<p>　　　・阿倍内麻呂という人を左大臣、蘇我倉山田石川麻呂を右大臣に置いた</p>
<p>　　　・中臣鎌足を内臣に置いた</p>
<p>　　　・旻と高向玄理を国博士に置いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→このようなスタイルの新しい政権が誕生し、それと同時に飛鳥から難波に移り、</p>
<p>　　　　　６４５年に政治改革を行おうとした</p>
<p>　　　　　＝この時に行おうとした政治改革のことを大化の改新と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大化の改新で何を行ったのか</p>
<p>　　→・６４６年に「改新の詔」を出して、豪族の田荘と部曲を廃止にすることで、</p>
<p>　　　　公地公民制に移ろうとした</p>
<p>　　　　※公地公民制・・土地と人民を豪族ではなく、国がコントロールする制度のこと</p>
<p>　　　・全国の人々や田んぼの調査を行った</p>
<p>　　　・統一した税金の制度を作ろうとした</p>
<p>　　　・地方の行政をコントロールする組織として、「評」という組織を各地に作った</p>
<p>　　　・中央の行政の制度を整備した</p>
<p>　　　・難波宮という宮が作られた</p>
<p>　　　　＝以上のようなことを行うことで、中央集権化を行っていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※大化の改新の時に、中大兄皇子の力が強くなっていった</p>
<p>　　　→中大兄皇子の力によって、古人大兄王、蘇我倉山田石川麻呂、</p>
<p>　　　　孝徳天皇の皇子の有間皇子が滅ぼされたということがあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・大化の改新についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1111">大化の改新について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>飛鳥朝廷について③　－飛鳥文化－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1110</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1110#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 09:16:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[飛鳥時代]]></category>
		<category><![CDATA[伽藍建築]]></category>
		<category><![CDATA[宮都]]></category>
		<category><![CDATA[曇徴]]></category>
		<category><![CDATA[法隆寺金堂釈迦三尊像]]></category>
		<category><![CDATA[渡来人]]></category>
		<category><![CDATA[舒明天皇]]></category>
		<category><![CDATA[蘇我馬子]]></category>
		<category><![CDATA[観勒]]></category>
		<category><![CDATA[鞍作鳥]]></category>
		<category><![CDATA[飛鳥文化]]></category>

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		<description><![CDATA[飛鳥文化について考えてみます &#160; &#160; ・飛鳥の朝廷について &#160; 　・６世紀の終わりころから、飛鳥（奈良盆地南部）という場所に、 　　大王の王宮が大量に作られた 　　→飛鳥に王権が集中して、そ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1110">飛鳥朝廷について③　－飛鳥文化－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>飛鳥文化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・飛鳥の朝廷について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・６世紀の終わりころから、飛鳥（奈良盆地南部）という場所に、</p>
<p>　　大王の王宮が大量に作られた</p>
<p>　　→飛鳥に王権が集中して、その近くに王様に関する様々な施設が作られるようになった</p>
<p>　　　＝飛鳥は段々と都になっていき、結果的に宮都（宮と京が一緒になるような状態）が</p>
<p>　　　　作られるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・飛鳥の文化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・７世紀の前半に、蘇我氏が中心となって、仏教を広めようとした</p>
<p>　　＝このような仏教中心の文化を、飛鳥文化という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→飛鳥文化は、渡来人の影響もあり、百済、高句麗、南北朝時代の中国の影響を受けた</p>
<p>　　　※・百済の僧である観勒という人が暦法を伝えた</p>
<p>　　　　・高句麗の僧である曇徴という人が彩色、紙、墨の技術を伝えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時作られた物について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・蘇我馬子・・５９６年に飛鳥寺（法興寺）を作っていて、</p>
<p>　　　　　　　　　飛鳥寺に伽藍建築が取り入れられている</p>
<p>　　　　※伽藍建築・・今までの掘立柱とは違い、礎石の上に柱を立て、</p>
<p>　　　　　　　　　　　屋根に瓦を敷く建築技法のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　・舒明天皇・・百済大寺を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・聖徳太子・・四天王寺と法隆寺（斑鳩寺）を作った</p>
<p>　　　　※法隆寺は、一度焼けて、再建していると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→寺院を作ることは、古墳の代わりに豪族の力を示すものになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・鞍作鳥・・法隆寺金堂釈迦三尊像という像を作った</p>
<p>　　　　→この作品は、中国の南北朝のスタイルを取り入れて作られたと言われている</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・飛鳥文化についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1110">飛鳥朝廷について③　－飛鳥文化－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>飛鳥朝廷について②　－東アジアの動向の中での日本の動きについてー</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1109</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1109#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 09:11:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[飛鳥時代]]></category>
		<category><![CDATA[冠位十二階]]></category>
		<category><![CDATA[小野妹子]]></category>
		<category><![CDATA[崇峻天皇]]></category>
		<category><![CDATA[憲法十七条]]></category>
		<category><![CDATA[推古天皇]]></category>
		<category><![CDATA[物部守屋]]></category>
		<category><![CDATA[犬上御田鍬]]></category>
		<category><![CDATA[聖徳太子]]></category>
		<category><![CDATA[蘇我馬子]]></category>
		<category><![CDATA[遣隋使]]></category>

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		<description><![CDATA[飛鳥朝廷について、東アジアの動向の中での日本の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・東アジアの動向の中での日本の動きについて &#160; 　・日本国内では、大臣である蘇我馬子が５８７年に物部守屋を倒し [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1109">飛鳥朝廷について②　－東アジアの動向の中での日本の動きについてー</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>飛鳥朝廷について、東アジアの動向の中での日本の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東アジアの動向の中での日本の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本国内では、大臣である蘇我馬子が５８７年に物部守屋を倒し、</p>
<p>　　５９２年に崇峻天皇を暗殺することで日本政治の権力を握った</p>
<p>　　→その後、敏達天皇という人の后である推古天皇という人が、新しく天皇として即位した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・推古天皇の政治は、蘇我馬子や、推古天皇の甥の厩戸王（聖徳太子）らが</p>
<p>　　協力することで行っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子によって、６０３年に冠位十二階、６０４年に憲法十七条が作られた</p>
<p>　　※・冠位十二階・・個人の才能や功績に対して冠位を与えることで、</p>
<p>　　　　　　　　　　　氏という単位の王権の下での組織を変えようとした</p>
<p>　　　　　　　　　　　→ただし、蘇我氏は冠位を与えるほうなので、冠位は無い</p>
<p>　　　・憲法十七条・・豪族に官僚としての心構えを教えることと、</p>
<p>　　　　　　　　　　　仏教を取り入れようとすることを提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※なぜ、冠位十二階や憲法十七条を作ったのか</p>
<p>　　　　→中央集権体制を作りたかったから</p>
<p>　　　　　＝権力を中央に集めたかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国との交流も活発に行われるようになった</p>
<p>　　→・６０７年に初めての遣隋使として、小野妹子という人が中国に行った</p>
<p>　　　　　※この時、隋への日本からの手紙は、中国の皇帝である煬帝に貢ぐスタイルを</p>
<p>　　　　　　取らなかったので、無礼だとされた</p>
<p>　　　　　※６１８年に隋が無くなり、唐が出てきた</p>
<p>　　　・６３０年に初めての遣唐使として、犬上御田鍬という人が中国に行った</p>
<p>　　　※高向玄理、南淵請安、旻などの留学生や学問僧は、遣隋使について行き、</p>
<p>　　　　中国の制度、文化、思想などの新しい知識を日本に伝えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東アジアの動向の中での日本の動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1109">飛鳥朝廷について②　－東アジアの動向の中での日本の動きについてー</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>飛鳥朝廷について①　－東アジアとヤマト政権の関係について－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1108</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1108#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 09:05:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[飛鳥時代]]></category>
		<category><![CDATA[加耶諸国]]></category>
		<category><![CDATA[南北朝の統一]]></category>
		<category><![CDATA[大伴氏]]></category>
		<category><![CDATA[新羅]]></category>
		<category><![CDATA[朝鮮半島]]></category>
		<category><![CDATA[東アジア]]></category>
		<category><![CDATA[物部氏]]></category>
		<category><![CDATA[百済]]></category>
		<category><![CDATA[蘇我馬子]]></category>
		<category><![CDATA[高句麗]]></category>

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		<description><![CDATA[飛鳥朝廷について、東アジアとヤマト政権の関係について考えてみます &#160; &#160; ・東アジアとヤマト政権との関係について &#160; 　・６世紀の朝鮮半島で、百済と新羅が高句麗に圧力をかけられたため、 　　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1108">飛鳥朝廷について①　－東アジアとヤマト政権の関係について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>飛鳥朝廷について、東アジアとヤマト政権の関係について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東アジアとヤマト政権との関係について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・６世紀の朝鮮半島で、百済と新羅が高句麗に圧力をかけられたため、</p>
<p>　　百済と新羅が勢力を南下していった</p>
<p>　　→そのため、加耶諸国が５６２年までに百済と新羅の支配下になってしまった</p>
<p>　　　　※ヤマト政権は、加耶諸国と濃い関係があったので、</p>
<p>　　　　　ヤマト政権の朝鮮半島での力は弱くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・６世紀初めは、大伴氏（大伴という氏）が政治を指導していた</p>
<p>　　→大伴氏が朝鮮半島に対する政治を行った時に、</p>
<p>　　　大伴金村という人が地位と勢力を失ってしまった</p>
<p>　　　（加耶諸国を百済が支配してしまったことが政治の失敗だと考えられたため）</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・６世紀中ごろに、物部氏と蘇我氏という２つの氏が対立するようになった</p>
<p>　　→対立に関しては、仏教を受け入れることに積極的な蘇我馬子という人と、</p>
<p>　　　消極的な物部守屋という人との戦いになり、</p>
<p>　　　５８７年に蘇我氏が物部守屋を倒したことで、蘇我氏の権力が作られるようになった</p>
<p>　　</p>
<p>　　→蘇我氏が権力を握った時に、以下のような行動をとった</p>
<p>　　　・蘇我氏は渡来人とも手を組んで、朝廷の財政に関する権利をコントロールした</p>
<p>　　　・政治の仕組みを整えたり、仏教を受け入れることを積極的に行ったりした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・５８９年には、中国で隋が南北朝を統一して、高句麗などに進出するようになっていった</p>
<p>　　→ここから、東アジアは激しい時代になっていったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東アジアとヤマト政権との関係についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1108">飛鳥朝廷について①　－東アジアとヤマト政権の関係について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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