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	<title>アラエス &#187; 名誉革命</title>
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	<item>
		<title>近代ヨーロッパの国際秩序と国際関係と革命</title>
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		<pubDate>Tue, 04 Mar 2014 19:15:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ウエストファリア条約]]></category>
		<category><![CDATA[エリザベス1世]]></category>
		<category><![CDATA[ルイ14世]]></category>
		<category><![CDATA[三十年戦争]]></category>
		<category><![CDATA[主権国家体制]]></category>
		<category><![CDATA[名誉革命]]></category>
		<category><![CDATA[権利章典]]></category>
		<category><![CDATA[清教徒革命]]></category>
		<category><![CDATA[科学の世紀]]></category>
		<category><![CDATA[近代国家]]></category>

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		<description><![CDATA[16世紀頃に、イギリス、フランス、オランダを中心に、ヨーロッパが近代国家へ向かい始めた &#160; &#160; 〇近代国家への歴史的流れ ・宗教対立をきっかけに、1618年から三十年戦争が起きた ※三十年戦争は、宗教 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2520">近代ヨーロッパの国際秩序と国際関係と革命</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>16世紀頃に、イギリス、フランス、オランダを中心に、ヨーロッパが<strong>近代国家</strong>へ向かい始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>〇近代国家への歴史的流れ</p>
<p>・宗教対立をきっかけに、1618年から<strong>三十年戦争</strong>が起きた</p>
<p>※三十年戦争は、宗教対立であったが途中から国家間の利害対立が争いの中心になった</p>
<p>＝その結果、1648年に<strong>ウェストファリア条約</strong>という、史上初の国際条約が出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※中世では、教皇と皇帝の権力はヨーロッパの全てを支配する秩序だったが、ウェストファリア条約によって、中世での国際秩序が崩れた</p>
<p>＝代わりに、<strong>主権国家体制</strong>が作られ、新しい枠組みとなった</p>
<p>※主権国家体制・・一定の領域と独立した主権を持った国々が、対等な外交関係で結びつくという国際的秩序のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※国家間の対立は、戦争を避けるために、外交や条約、国際会議などで調整されるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>フランスの<strong>ルイ14世</strong>は、絶対君主（王を絶対的な主権者とするというスタイル）の典型となった</p>
<p>→この時にフランスは、以下のようなことを行った</p>
<p>・官僚制や常備軍を用意した</p>
<p>・重商主義政策を進めた</p>
<p>・君主を中心に、君主が前面にたって自国内の政治や経済の一体化を目指した</p>
<p>※他のヨーロッパの国々も、フランスと同様の政策を進め、対外進出を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>イギリスは、<strong>エリザベス1世</strong>の時に、以下のようなことを行い、イギリスの発展の基礎を作った</p>
<p>・国教会を確立した</p>
<p>・東インド会社を作った</p>
<p>・北アメリカ植民地の開拓など、対外進出を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>エリザベス1世の後、イギリスで<strong>専制政治</strong>（国王が意図的に統治する政治）が強まった</p>
<p>→専制政治によって、議会との対立が強まった</p>
<p>※1649年には、清教徒のクロムウェルが当時の国王チャールズ1世を処刑し、共和制を実現した</p>
<p>＝この動きを<strong>清教徒革命</strong>という</p>
<p>→クロムウェルは、アイルランドを征服し、独裁政治を行った</p>
<p>※ただし、クロムウェルの死で復活した王政（復古王政）も専制的だった</p>
<p>＝そのため1688年に、議会はオランダから新しい王様を迎えた</p>
<p>※この新しい王様を受け入れる動きは、無血で成功したため、<strong>名誉革命</strong>という</p>
<p>→名誉革命の時に、権利章典が定められ、王権に対して議会が優位になった</p>
<p>※<strong>権利章典</strong>・・王が議会に従うことを明らかにしたもの</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※名誉革命によって、王家が断絶した</p>
<p>→その後、18世紀に責任内閣制、その後に憲法と立憲君主制が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※17世紀は、「<strong>科学の世紀</strong>」と呼ばれた</p>
<p>→当時は、ガリレオやニュートンなどによって、自然科学が急激に進歩した</p>
<p>※この進歩の中で、理論（法則）を数学によって正確に表現し、業績を競い合う自然科学のスタイルが生まれた</p>
<p>→理論は、実用的な技術にも応用された</p>
<p>＝そのため、航海術や軍事技術も発展し、ヨーロッパの世界進出に大きな役割を果たした</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2520">近代ヨーロッパの国際秩序と国際関係と革命</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>戦争と税金―戦争は税金の生みの親(イギリスの例)</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2343</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2343#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 26 Dec 2013 01:36:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ルーブル]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[世界史全般]]></category>
		<category><![CDATA[ピューリタン革命]]></category>
		<category><![CDATA[内国消費税]]></category>
		<category><![CDATA[名誉革命]]></category>
		<category><![CDATA[査定課税]]></category>
		<category><![CDATA[権利章典]]></category>
		<category><![CDATA[権利請願]]></category>
		<category><![CDATA[租税協賛権]]></category>

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		<description><![CDATA[  タイトル通り、戦争と税金は切っても切れない関係にあります。先に大まかなポイントと流れだけ示しておきます。先にポイントを抑えることで理解が早まるかと思います。 &#160; ☆☆☆ 戦争→財政危機→国王の増税路線→議会 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2343">戦争と税金―戦争は税金の生みの親(イギリスの例)</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p align="center"> </p>
<p>タイトル通り、戦争と税金は切っても切れない関係にあります。先に大まかなポイントと流れだけ示しておきます。先にポイントを抑えることで理解が早まるかと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆☆☆</p>
<p>戦争→財政危機→国王の増税路線→議会権力(国民側)の強化→勢力を増した議会が分裂→新たな戦争(内戦)へ→またしても税金論へ・・・</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>更に下記も合わせて(というより先に読んだほうが？)読んでいただけると、より理解が進むかと思います。↓↓↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p> <a href="http://ahlaes.com/post/2341">租税問題が国家を揺るがす―「家産国家」から「租税国家」へ</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それでは中身に入っていきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・17Cの財政危機</p>
<p>17C、スチュアート王政は財政危機に悩んでいた</p>
<p>⇒背景は30年戦争の一環である対スペイン戦争</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そこで、臨時税が必要となった。しかし、当時のイギリスでの臨時税はその都度議会の承認が必要だった。そんな中で1625年、国王チャールズ1世が即位。</p>
<p>⇒思っていたほどの税額の承認を得られず・・・</p>
<p>⇒王はふざけるな！ということで議会を解散、承認なしに徴税を実施</p>
<p>⇒1628年、こうした王の対応に不満を持った議会は「権利請願」を起草、王に提出。その第1項が「議会の同意なき課税の禁止」であった。</p>
<p>⇒しぶしぶ裁可したものの、王と議会の関係は次第に悪化</p>
<p>さらに1640年にはまたしても議会を招集せざるを得なくなるも(対スコットランドとの主教戦争)、議会の不満は噴出、法案は議会によって次々に廃止された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・1643年の新税―査定課税と内国消費税</p>
<p>このように当時のイギリスは、議会の発言力が高まっている状況だった。</p>
<p>⇒こうした背景から議会は徐々に過激化し、1641年には「大抗議文」という王の悪政批判を書き連ねた文書を出すまでになった。これは僅差で可決。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※僅差だったのは「大抗議文」の強硬路線についていけなかった穏健派(ここまでやるとは思っていませんでした、というグループ)が反対に回ったため。</p>
<p>⇒ここから議会内部の勢力も「議会派(強硬派)」と「国王派(穏健派)」に分裂</p>
<p>⇒今度はこの2つが戦争を始めるように(内戦)。議会軍と国王軍は1642年についに衝突。決着はつかなかったものの、その後は議会軍が劣勢に。なぜか？軍費を調達する財政基盤を欠いていたから。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆ここで新たな税金が登場するわけです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>議会：「査定課税」の導入</p>
<p>⇒一定の財源調達額を各地域に割り振り、財産の査定(評価)額に応じた課税を各戸に対して行うというもの。現代で言えば資産課税(相続税や固定資産税など)のことだと考えてよいと思います。この直接税は、後年のイギリス所得税の先駆けとなります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>査定課税は、徴税機構の不備もあり、とても公平課税とは言い難かった。また、地域的にはロンドンに負担が集中したこともあり、その不満を避けるために間接税の導入が検討されました。「内国消費税」のことです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>内国消費税：現代日本でいう消費税。査定課税が財産保有者に対する課税であったのに対して、内国消費税は生活必需品課税の色彩が強く、庶民も負担を強いられた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>内国消費税はあくまで戦争のための臨時課税であって、内戦が終わり次第廃止されるという説明があったが、現実には内戦後も国家財政の窮乏を救うため、むしろ課税対象を拡大し、恒久化された。</p>
<p>⇒イギリスの財政基盤の確立</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・名誉革命へ</p>
<p>こうして財政基盤が整うと、次は軍備です。</p>
<p>1645年、イギリス議会は議会軍の再編強化を図った。→46年、議会軍は国王を降伏させて第1次内乱を終結→47年、国王を捕虜に→48年、第2次内乱も終結→49年、国王チャールズ1世も処刑</p>
<p>⇒これがピューリタン革命です。合わせて読むなら↓↓↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/932">イギリス革命について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>その後、チャールズ2世による王政復古もあったが、失墜</p>
<p>⇒「権利章典」の原型である「権利宣言」が出された=名誉革命</p>
<p>名誉革命については↓↓↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p> <a href="http://ahlaes.com/post/933">名誉革命について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>権利宣言の中身：国王の守るべき規範が13項目にわたって列記</p>
<p>☆税関係で重要なのは、「国王は議会の同意なしに課税しない」(租税協賛権)という項目</p>
<p>⇒議会(国民)による「租税協賛権」の獲得</p>
<p>⇒現代の税のあり方の原型が確立</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>☆☆☆</p>
<p>このように現代にみられる税のあり方は、戦争がキーポイントになっていたことがよくわかります。これはイギリスだけでなく、アメリカでも同じです。これについては改めて。</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2343">戦争と税金―戦争は税金の生みの親(イギリスの例)</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>ロックについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1653</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1653#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 07:12:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[宮下]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[西洋思想]]></category>
		<category><![CDATA[ロック]]></category>
		<category><![CDATA[制裁権]]></category>
		<category><![CDATA[名誉革命]]></category>
		<category><![CDATA[所有権]]></category>
		<category><![CDATA[社会契約説]]></category>
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		<category><![CDATA[自然状態]]></category>
		<category><![CDATA[革命権]]></category>

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		<description><![CDATA[ロックについて考えてみます &#160; &#160; ・ロックについて 　※ロックは、基本的に自然状態というものは平和な状態であると考えていた 　　→理由として、ロックが「所有権」（自分だけのもの）は誰にも邪魔をされな [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1653">ロックについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ロックについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ロックについて</p>
<p>　※ロックは、基本的に自然状態というものは平和な状態であると考えていた</p>
<p>　　→理由として、ロックが「所有権」（自分だけのもの）は誰にも邪魔をされない</p>
<p>　　　絶対の権利だと考えたからだと言われる</p>
<p>　　</p>
<p>　※「市民政府ニ論（統治ニ論）」や「人間悟性論」などを書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・ロックの考え方について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ロックは、自然権には、他人を侵害してはいけない、という自然法の効果が</p>
<p>　　　備わっていると考えた</p>
<p>　　・人々が共有する自然のもののうち、労働で得たものは</p>
<p>　　　自分だけのものとして良いと考えた</p>
<p>　　・それぞれが自分の生活を維持するレベルで満足して、残りの所有権は</p>
<p>　　　譲り合うことが良いと考えた</p>
<p>　　　→このような条件がそろっている状態を自然状態と考えたため、</p>
<p>　　　　自然状態は基本的に平和な状態だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ロックは、政治による社会も必要だと考えた</p>
<p>　　　自然状態があれば十分かもしれないが、なぜ政治による社会が必要なのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・ロックは、誰かが他人の自然権を侵害した時に、侵害した人を罰する権利を</p>
<p>　　　　個人に任せると、人々の平等が保てなくなると考えた</p>
<p>　　　　→そこで、自然権を維持するためには、罰する権利（制裁権）を</p>
<p>　　　　　国家に委託する（任せる）べきだと考えた</p>
<p>　　　　　※ホッブズは国家に全てを委託したのに対し、ロックは制裁権だけを委託した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・しかし、国家に制裁権があるからといって、国家が人々を侵害するのは</p>
<p>　　　　よいことではなく、国家が人々を侵害してきた場合、</p>
<p>　　　　平和が保てなくなる可能性がある</p>
<p>　　　　→そのため、もし国家が人々を侵害してきたら、</p>
<p>　　　　　人々は抵抗権や革命権を使っていいと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・ロックは、国家の権力がより正しく使われるように、</p>
<p>　　　　権力の分立を行うことが大切だと考えた</p>
<p>　　　　→ロックは、権力を、立法権、同盟権、執行権の３つに分けて、</p>
<p>　　　　　中でも立法権を優先させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ロックは、上のような考え方のため、名誉革命という出来事を</p>
<p>　　　　擁護したと言われている</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※ロックの考え方は、個人を重視する、所有権を重視する、という立場だったので、</p>
<p>　　　　アメリカ独立宣言やフランス人権宣言、日本国憲法の基本的人権などは、</p>
<p>　　　　ロックの考え方が土台だと言われている</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1653">ロックについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>イギリス議会政治の誕生と名誉革命について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/933</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/933#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 13:08:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[赤長のいちご]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史前期]]></category>
		<category><![CDATA[イギリス議会政治]]></category>
		<category><![CDATA[ウィリアム3世]]></category>
		<category><![CDATA[クロムウェル]]></category>
		<category><![CDATA[ジェームズ2世]]></category>
		<category><![CDATA[メアリ2世]]></category>
		<category><![CDATA[人身保護法]]></category>
		<category><![CDATA[名誉革命]]></category>
		<category><![CDATA[大ブリテン王国]]></category>
		<category><![CDATA[王政復古]]></category>
		<category><![CDATA[立憲王政]]></category>

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		<description><![CDATA[イギリスの議会政治と名誉革命について考えてみます &#160; &#160; ・イギリスの議会政治の誕生と名誉革命について &#160; &#160; &#160; 　・クロムウェルという人は、１６５３年に終身の護国卿に [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/933">イギリス議会政治の誕生と名誉革命について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>イギリスの議会政治と名誉革命について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イギリスの議会政治の誕生と名誉革命について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・クロムウェルという人は、１６５３年に終身の護国卿になって、</p>
<p>　　厳しい軍事的独裁体制を作った</p>
<p>　　※ただし、この体制には多くの国民の不満が出てきた</p>
<p>　　　→そのため、クロムウェルが死んだ後、１６６０年に先王の子どもが</p>
<p>　　　　国王のチャールズ２世としてむかえられた</p>
<p>　　　　＝これを王政復古という</p>
<p>　　　　　※これは、絶対王政の復活ではなく、議会の復活だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・チャールズ２世は専制的な姿勢を取って、カトリックの擁護をめざした</p>
<p>　　→すると、議会は１６７３年に審査法を制定して官吏を国教徒に限定し、</p>
<p>　　　１６７９年に人身保護法を出して市民的な自由を保障した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・議会は立法府として活性化し始めていった</p>
<p>　　→１６７０年代の終わりには、トーリ党とホイッグ党という現在の２つの政党の起源となる</p>
<p>　　　２つの党派が出てきた</p>
<p>　　　※トーリ党・・国王の権威を重視する政党で、国教会を擁護して地主階級の利害を代表した</p>
<p>　　　　ホイッグ党・・議会の権利を主張する政党で、非国教徒や商工業者の立場にも配慮した</p>
<p>　　　　→両方の党も貴族・ジェントリが中心だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・チャールズ２世の次の王にジェームズ２世という人が出てきた</p>
<p>　　→ジェームズ２世は、カトリックと絶対王政の復活をめざした</p>
<p>　　　＝そのため、１６８８年に議会はオランダ総督のウィレム３世という人を招いた</p>
<p>　　　　※ウィレム３世は、ジェームズの長女で新教徒であるメアリという人の夫だった</p>
<p>　</p>
<p>　・ジェームズは抗戦をあきらめて亡命した</p>
<p>　　→そのため、２人は１６８９年に議会がまとめた権利の宣言を受け入れた</p>
<p>　　　※この時に、２人はウィリアム３世とメアリ２世として、両方とも王位についた</p>
<p>　　　　＝これを名誉革命という</p>
<p>　　</p>
<p>　　→議会は、１６８９年の終わりに権利の宣言を権利の章典として制定した</p>
<p>　　　※この権利の章典は、国民の生命、財産の保護などを定めたものだった</p>
<p>　　　　＝ここに、議会主権にもとづく立憲王政が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、議会の多数党が内閣を組織するという政党政治も徐々に定着していった</p>
<p>　　　※ただし、当時選挙権を持っていたのは有産者層に限られたため、</p>
<p>　　　　国民の数パーセントだけだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７０７年に、アン女王という人が治めていた</p>
<p>　　→その時に、イギリス（イングランド）とスコットランドが合同して、</p>
<p>　　　大ブリテン王国になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アンが死んだ後、議会制定法にもとづいて遠縁にあたる</p>
<p>　　ドイツのハノーヴァー選帝侯が迎えられた</p>
<p>　　＝ハノーヴァー選帝侯は、ジョージ１世としてハノーヴァー朝を始めた</p>
<p>　　　※ハノーヴァー朝が、現在のウィンザー朝の基礎だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７２１年に、ホイッグ党のウォルポールという人が首相になった</p>
<p>　　→その後、責任内閣制が形成されていった</p>
<p>　　　※責任内閣制・・内閣が議会に対してでなく、議会に責任を負うという制度のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※このころに、財政制度も整備され、イギリスが外国との戦争を遂行する能力が</p>
<p>　　　急速に高まっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・イギリスの議会政治の様子についておさえる</p>
<p>・名誉革命についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/933">イギリス議会政治の誕生と名誉革命について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>財政民主主義</title>
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		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 01:57:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ルーブル]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[経済の仕組み]]></category>
		<category><![CDATA[フランス革命]]></category>
		<category><![CDATA[名誉革命]]></category>
		<category><![CDATA[租税民主主義]]></category>
		<category><![CDATA[租税法律主義]]></category>

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<p align="center"> </p>
<p>財政とは、国や地方自治体などの公共部門の経済活動のことであり、民間部門の財政とは区別されます。しかし、近代市民国家が形成される以前の絶対王政国家などでは、公的な財政と民間金融は一体でした。国王は公債を発行して民間金融業者から借金をし、政治支配のために資金を調達したが、そのツケは過酷な税金の取り立てというかたちで民衆が担うこととなりました。このように、絶対的な権力を持つ国王の時代には、民間部門と公共部門(財政)は一体で、国王などの特権階級が膨大な富を蓄積する一方で、民衆は重税に悩まされていたのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このような特権階級による富の蓄積や重税という政治的暴力に対する不満の噴出が、イギリスの名誉革命やフランス革命に代表される市民革命です。市民革命の目的は、第一が租税民主主義の確立です。租税民主主義とは、国王や政府が国民の承認なしに勝手に国民に課税できないようにすることです。第二の目的は、軍事費やその他の民生費を国民の承認なしに支出できないようにすることです。この市民革命を通じて近代的租税制度に基礎をおく公的財政が確立し、財政民主主義の枠組みが確立されました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　財政民主主義の原則は、①国民の租税負担は議会が法律を通して確定する(租税法律主義)②議会が歳入・歳出予算を審議し承認する(予算制度)③議会が決算を審議し、政府の予算執行を監督する(決算制度)④議会が二院からなるときは、下院が優先権をもつ(下院優先)の四つに集約されます。このような財政民主主義の枠組みは、財政を国民の意思に基づいてコントロールするという点で非常に重要な意味を持ちます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>参考文献</p>
<p>・貝塚啓明『財政学[第3版]』東京大学出版会、2003年</p>
<p>・重森曉、鶴田廣巳、植田和弘『Basic現代財政学〔第3版〕』有斐閣、2009年</p>
<p>・橋本徹、山本栄一、林宜嗣、中井英雄、高林喜久生『基本財政学〔第4版〕』有斐閣、2002年</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/847">財政民主主義</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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