<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; 天皇機関説</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e5%a4%a9%e7%9a%87%e6%a9%9f%e9%96%a2%e8%aa%ac/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e5%a4%a9%e7%9a%87%e6%a9%9f%e9%96%a2%e8%aa%ac/feed" />
	<item>
		<title>明治憲法とそれを取り巻く政治の様子について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2386</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2386#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 14 Jan 2014 02:54:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[大日本帝国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
		<category><![CDATA[天皇大権]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[政党政治]]></category>
		<category><![CDATA[明治天皇]]></category>
		<category><![CDATA[明治憲法]]></category>
		<category><![CDATA[欽定憲法]]></category>
		<category><![CDATA[法律の留保]]></category>
		<category><![CDATA[統帥権の独立]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=2386</guid>
		<description><![CDATA[現在の日本では、日本国憲法が用いられていますが、戦前は明治憲法（大日本帝国憲法）が用いられていました。 そこで、現在の日本を良く知るために、明治憲法とその時の政治について考えてみます。 &#160; &#160; &#038;nb [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2386">明治憲法とそれを取り巻く政治の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>現在の日本では、日本国憲法が用いられていますが、戦前は明治憲法（大日本帝国憲法）が用いられていました。</p>
<p>そこで、現在の日本を良く知るために、明治憲法とその時の政治について考えてみます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>明治憲法について</p>
<p>・明治憲法・・1889年、明治天皇によって、大日本帝国憲法が発布された（欽定憲法）</p>
<p>・「臣民の権利」が認められる（臣民の権利は、法律で制限できる）＝法律の留保</p>
<p>・立法、行政、司法のそれぞれが、天皇の名で行われる　＝　天皇大権</p>
<p>※統帥権（軍の最高指揮権）について、天皇は議会や内閣から干渉されなかった　＝　統帥権の独立</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>明治憲法の時の政治の様子について</p>
<p>・臣民・・衆議院を通して政治に参加</p>
<p>※ただし、対等の権限を持つ貴族院、枢密院、軍部が臣民の政治参加を抑制</p>
<p>・初期・・政治は元老（天皇の補佐）が中心</p>
<p>・第一次大戦後（1914～1918）・・政党内閣と政権交代が成立　＝　憲政の常道</p>
<p>・大正デモクラシー（民主主義を目指す運動）へ向けて、天皇機関説や民本主義（天皇中心の民主主義）が出てくる</p>
<p>※天皇機関説・・美濃部達吉の考えで、天皇を国家機関とする考え方、</p>
<p>→著書は右翼に攻撃され発禁</p>
<p>・1925年・・治安維持法（反国家の取り締まり）と普通選挙法（男子25歳以上）が出る</p>
<p>・1932年・・五・一五事件（海軍、犬養毅首相）</p>
<p>→五・一五事件によって、政党政治が終了</p>
<p>・1936年・・二・二六事件（陸軍）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>明治憲法とその時の政治についてまとめてみました。</p>
<p>今の日本とは違う部分が多いですが、</p>
<p>こういったことが80～90年くらい前にあったという事実は驚きです・・・</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2386">明治憲法とそれを取り巻く政治の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/2386/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/2386" />
	</item>
		<item>
		<title>憲法の歴史について②　－明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れ－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1813</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1813#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 17 Nov 2013 08:35:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[ポツダム宣言]]></category>
		<category><![CDATA[マッカーサー３原則]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[明治憲法]]></category>
		<category><![CDATA[普通選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[護憲運動]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1813</guid>
		<description><![CDATA[明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れを考えてみます &#160; &#160; ・明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れについて &#160; &#160; 　・最初、明治憲法の時に複雑な政党政治を動かしていたのは 　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1813">憲法の歴史について②　－明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れを考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・最初、明治憲法の時に複雑な政党政治を動かしていたのは</p>
<p>　　元老（憲法には書かれていなかったが、政治の事務的な部分の決定や、</p>
<p>　　首相の決定などに関して力のあった人）だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　→大正時代になると、護憲運動などの影響で政党の力が強くなってきた</p>
<p>　　　※護憲運動・・その当時の官僚の内閣などを潰して、</p>
<p>　　　　　　　　　　政党内閣を作ろうとした運動のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→第一次世界大戦（１９１４～１９１８）の後には、</p>
<p>　　　世界的に民主主義の雰囲気が強くなっていった</p>
<p>　　　＝その影響で大正から昭和にかけて、「憲政の常道」として</p>
<p>　　　　政党内閣と政権政治が中心となった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→大正には、大正デモクラシーという運動が起き、</p>
<p>　　　天皇機関説や民本主義が大正デモクラシーの後押しをしたと言われる</p>
<p>　　　※・大正デモクラシー・・民主主義を目指す運動のこと</p>
<p>　　　　・天皇機関説・・天皇を国家の機関だとする考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　美濃部達吉によって提唱されたが、右翼などに攻撃されたため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　著書は発売禁止となり、結果的に美濃部達吉は</p>
<p>　　　　　　　　　　　　貴族院の議員を辞職することになってしまった</p>
<p>　　　　・民本主義・・天皇を主権にした上で、民主主義の実現を目指す考え方のことで、</p>
<p>　　　　　　　　　　　吉野作造と言う人が主張した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→このような流れを受けて、</p>
<p>　　　１９２５年になると、普通選挙制度（普通選挙法）と治安維持法が成立した</p>
<p>　　　※・普通選挙制度（普通選挙法）・・満２５歳以上の男子全員に</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　選挙権が与えられた制度のこと</p>
<p>　　　　・治安維持法・・共産主義のための運動を制限して、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　資本主義や天皇主権以外の考え方を取り締まる法律のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１９２９年の世界恐慌以降、経済や社会などに対して日本国内での不安が増えてきた</p>
<p>　　　すると、天皇が統帥権を使って軍部を動かし、軍部の力が強くなり、</p>
<p>　　　軍部を使おうとしたため、大陸を侵略するようになった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→１９３２年には、五・一五事件が、１９３６年には、二・二六事件が起こり、</p>
<p>　　　世界各地が第二次世界大戦へ向かった　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日本国憲法が出来るまで</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年（昭和２０年）に、日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件で降伏を認めた</p>
<p>　　※ポツダム宣言では、政治を民主的にすること、軍国主義を無くすこと、</p>
<p>　　　などが考えられていた</p>
<p>　　　</p>
<p>　・そこで日本は、憲法問題調査委員会というところが松本案という憲法の改正案を作ったが、</p>
<p>　　明治憲法と内容があまり変わらないということで、却下されてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そのため、連合国軍総司令部（GHQ）がマッカーサー３原則という憲法の下書きを作り、</p>
<p>　　　それをベースに帝国議会でいろいろと修正された</p>
<p>　　　＝これが結果的に日本国憲法となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※・マッカーサー３原則：天皇をトップに置くこと、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　戦争を放棄すること、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　封建的な制度を廃止すること</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　を原則とした内容のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　※・日本国憲法は、１９４６年１１月３日に公布され、１９４７年５月３日に施行された</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1813">憲法の歴史について②　－明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1813/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1813" />
	</item>
		<item>
		<title>日本国憲法の基本的な内容について①　－日本国憲法以前の明治憲法について－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1681</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1681#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 13:56:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[パワフルくん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[大日本帝国憲法]]></category>
		<category><![CDATA[天皇大権]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[明治憲法]]></category>
		<category><![CDATA[欽定憲法]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[立憲主義]]></category>
		<category><![CDATA[臣民の権利]]></category>
		<category><![CDATA[自由民権運動]]></category>
		<category><![CDATA[護憲運動]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1681</guid>
		<description><![CDATA[日本国憲法の内容のために、最初に日本国憲法の前の明治憲法について考えておきます &#160; &#160; ・明治憲法について &#160; 　※明治維新の後、日本で様々な憲法の案（私擬憲法）が作られた 　　→当時は、憲 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1681">日本国憲法の基本的な内容について①　－日本国憲法以前の明治憲法について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日本国憲法の内容のために、最初に日本国憲法の前の明治憲法について考えておきます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・明治憲法について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※明治維新の後、日本で様々な憲法の案（私擬憲法）が作られた</p>
<p>　　→当時は、憲法をもとにして政治を行っていた</p>
<p>　　　＝このように、憲法にもとづいてにして政治を行う事を、立憲主義という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※明治維新の後の憲法に関する動きとして、自由民権運動という運動が活発だった</p>
<p>　　・自由民権運動・・国民の自由と権利、国会の開設、憲法の制定などを求めた運動のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　→自由民権運動を抑えること、明治維新以降の国の体制を整えること、などの目的から、</p>
<p>　　　国会を開設することと憲法を作ることを急いだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８８９年（明治２２年）に、明治天皇によって大日本帝国憲法（明治憲法）が制定された</p>
<p>　　※大日本帝国憲法は欽定憲法だった（反対を民定憲法と言う）</p>
<p>　　　・欽定憲法・・君主（天皇や王様など、その国で最も位の高い人のこと）が</p>
<p>　　　　　　　　　　決めた憲法のこと</p>
<p>　　　・民定憲法・・国民が決めた憲法のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大日本帝国憲法では、基本的人権や社会契約説などの考え方はなく、</p>
<p>　　「臣民の権利」という考え方だった</p>
<p>　　※臣民の権利は、基本的人権のように生まれながらに平等という感覚ではなかった</p>
<p>　　　→そのため、臣民（天皇以外の国民）の権利というのは、法律で制限される部分があった</p>
<p>　　　　＝このような状態を、法律の留保と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・立法、行政、司法の権利は、統治権を全て引き受けている人（＝天皇）の名前で使われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・外交権や統帥権は天皇大権（天皇が使えた権利のこと）だった</p>
<p>　　※特に、統帥権（軍の最高指揮権のこと）に関しては議会や内閣が</p>
<p>　　　意見することができなかった</p>
<p>　　　＝そのため統帥権は、統帥権の独立と言われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・明治憲法では、天皇の直接的な支配が基本だったが・・・</p>
<p>　　・立法権は、帝国議会の協賛（帝国議会が同意の意思を表示すること）に</p>
<p>　　　よって実際に使われた</p>
<p>　　・行政権は、国務大臣の輔弼（天皇が行政を行う時に助言すること）に</p>
<p>　　　よって実際に使われた</p>
<p>　　・帝国議会の衆議院を通じて、臣民が政治に参加出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・一方で・・</p>
<p>　　・衆議院とほぼ同じような権限を持っていた貴族院によって、</p>
<p>　　　衆議院の力が抑えつけられていた</p>
<p>　　・枢密院や軍部などが強い力を持っていた</p>
<p>　　　→以上のように、明治憲法のもとでは、複雑で自分達の権限を守りながら</p>
<p>　　　　勢力を拡大する仕組みがあった</p>
<p>　　　※枢密院・・天皇の最高諮問機関（天皇が意見を聞くための人達の中で、</p>
<p>　　　　　　　　　最も位の高い機関のこと）であり、国務の審議を行った</p>
<p>　　　　　　　　　また、枢密院は政党や議会政治の監視なども行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・明治憲法から日本国憲法に入るまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・最初、明治憲法の時に複雑な政党政治を動かしていたのは</p>
<p>　　元老（憲法には書かれていなかったが、政治の事務的な部分の決定や、</p>
<p>　　首相の決定などに関して力のあった人）だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　→大正時代になると、護憲運動などの影響で政党の力が強くなってきた</p>
<p>　　　※護憲運動・・その当時の官僚の内閣などを潰して、</p>
<p>　　　　　　　　　　政党内閣を作ろうとした運動のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→第一次世界大戦（１９１４～１９１８）の後には、</p>
<p>　　　世界的に民主主義の雰囲気が強くなっていった</p>
<p>　　　＝その影響で大正から昭和にかけて、「憲政の常道」として</p>
<p>　　　　政党内閣と政権政治が中心となった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→大正には、大正デモクラシーという運動が起き、</p>
<p>　　　天皇機関説や民本主義が大正デモクラシーの後押しをしたと言われる</p>
<p>　　　※・大正デモクラシー・・民主主義を目指す運動のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　・天皇機関説・・天皇を国家の機関だとする考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　美濃部達吉によって提唱されたが、右翼などに攻撃されたため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　著書は発売禁止となり、結果的に美濃部達吉は</p>
<p>　　　　　　　　　　　　貴族院の議員を辞職することになってしまった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　　・民本主義・・天皇を主権にした上で、民主主義の実現を目指す考え方のことで、</p>
<p>　　　　　　　　　　　吉野作造と言う人が主張した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　→このような流れを受けて、１９２５年になると、</p>
<p>　　　普通選挙制度（普通選挙法）と治安維持法が成立した</p>
<p>　　　※・普通選挙制度（普通選挙法）・・満２５歳以上の男子全員に</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　選挙権が与えられた制度のこと</p>
<p>　　　　・治安維持法・・共産主義のための運動を制限して、資本主義や天皇主権以外の</p>
<p>　　　　　　　　　　　　考え方を取り締まる法律のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１９２９年の世界恐慌以降、経済や社会などに対して日本国内での不安が増えてきた</p>
<p>　　　すると、天皇が統帥権を使って軍部を動かし、軍部の力が強くなり、</p>
<p>　　　軍部を使おうとしたため、大陸を侵略するようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→１９３２年には、五・一五事件が、１９３６年には、二・二六事件が起こり、</p>
<p>　　　世界各地が第二次世界大戦へ向かった　</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・明治憲法の概要を押さえる</p>
<p>・明治憲法から、日本国憲法に入るまでの流れを押さえる</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1681">日本国憲法の基本的な内容について①　－日本国憲法以前の明治憲法について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1681/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1681" />
	</item>
		<item>
		<title>昭和初期の思想・超国家主義・現代の日本の思想の状況について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1640</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1640#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 20:35:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想後期　－近現代－]]></category>
		<category><![CDATA[北一輝]]></category>
		<category><![CDATA[坂口安吾]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[宮沢賢治]]></category>
		<category><![CDATA[小林秀雄]]></category>
		<category><![CDATA[折口信夫]]></category>
		<category><![CDATA[柳田国男]]></category>
		<category><![CDATA[津田左右吉]]></category>
		<category><![CDATA[美濃部達吉]]></category>
		<category><![CDATA[超国家主義]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1640</guid>
		<description><![CDATA[昭和初期の思想と超国家主義、現代の日本思想の状況について考えます &#160; &#160; ・昭和初期の思想に影響を与えた人達について &#160; &#160; 　・宮沢賢治－・自我は、自我だけでは存在せず、様々な事 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1640">昭和初期の思想・超国家主義・現代の日本の思想の状況について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>昭和初期の思想と超国家主義、現代の日本思想の状況について考えます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・昭和初期の思想に影響を与えた人達について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・宮沢賢治－・自我は、自我だけでは存在せず、様々な事象や物事と一緒に</p>
<p>　　　　　　　　現れたり消えたりするものであると考えた</p>
<p>　　　　　　　・法華経信仰を伝える人を目指したが、病気の身だったので、</p>
<p>　　　　　　　　達成できなかった</p>
<p>　　　　　　　　→そこで、農学校の教師になり、農民の相談を受けるようになった</p>
<p>　　　　　　　・自我を四次元に拡張させる新しい農民の芸術を作った</p>
<p>　　　　　　　　→そのため、多くの詩や童話を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・小林秀雄－・近代の日本の思想は、表面上変わるだけで、</p>
<p>　　　　　　　　その時々の流行でしかないことを批判した</p>
<p>　　　　　　　　→そこで、自分の根底を徹底的に知ることが重要だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・ランボーやベルクソンという人達などに魅力を感じ、</p>
<p>　　　　　　　　詩と哲学をつなげることを考え、批評という新しい考え方の形を生み出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・柳田国男－・「遠野物語」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　　・民族学を作り、村落共同体で生活している人（＝常民）の</p>
<p>　　　　　　　　生活の様子から思想を作ろうとした</p>
<p>　　　　　　　　※知識人が書いた本などではなく、常民の信仰や行事、慣習などの中から</p>
<p>　　　　　　　　　思想を探した</p>
<p>　　　　　　　・人々が空想で描いている世界よりも、現実の方が</p>
<p>　　　　　　　　圧倒的に多くの意味を持っていて、奥が深いと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・折口信夫－・「古代研究」などの本を書いた</p>
<p>　　　　　　　・神は、豊穣と光明の世界から定期的に</p>
<p>　　　　　　　　村落を訪れる「まれびと（客人）」だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・和歌や物語などは、神と関係して発せられた言葉から</p>
<p>　　　　　　　　生まれたものであると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→柳田国男や折口信夫の研究内容は、本居宣長や平田篤胤の考え方を批判しつつ</p>
<p>　　継承した側面があった</p>
<p>　　＝そのため、柳田国男や折口信夫の研究内容は、新国学とも呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北一輝－・「日本改造法案大綱」というものの中で、２つのことを考えた</p>
<p>　　　　　　　→・クーデターを起こして、天皇と国民が直接的な関係になるようにして、</p>
<p>　　　　　　　　　富を平等に分けるべき</p>
<p>　　　　　　　　・外国との戦争を起こして、植民地の支配を等しく、</p>
<p>　　　　　　　　　同じ割合に分けることが大切である</p>
<p>　　　　　　・北一輝は、中国の辛亥革命に加わったり、昭和維新運動を展開したりした</p>
<p>　　　　　　・二・二六事件の首謀者とみなされて、翌年に死刑となった</p>
<p>　　　　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※北一輝が活躍した当時（昭和時代初期）は、超国家主義という</p>
<p>　　極端な国家主義の考え方があった</p>
<p>　※また、満州事変をきっかけに軍国主義が大きくなっていき、</p>
<p>　　自由主義も制限されるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→このような流れの中で、美濃部達吉、津田左右吉という二人の人が現れた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・美濃部達吉－・天皇機関説を提唱したが、</p>
<p>　　　　　　　　　日本の国体（天皇を「現人神」とする国柄）に反する学説だとして</p>
<p>　　　　　　　　　告発された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※天皇機関説－・統治する権利は国家にあって、天皇は国家の最高機関であるから</p>
<p>　　　　　　　　　　憲法に従って統治する権利（統治権）を使うべき</p>
<p>　　　　　　　　　　だと解釈する考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　・１９３５（昭和１０）年に、政府は国体明徴声明</p>
<p>　　　　　　　　　　（日本の国体は明らかな証拠があり、正しいという考え方）</p>
<p>　　　　　　　　　　を出して、天皇機関説を否定した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・津田左右吉－・「神代史の新しい研究」というものを出したが、</p>
<p>　　　　　　　　　天皇に対する不敬罪に問われて発禁処分となった</p>
<p>　　　　　　　　　※不敬罪－天皇などに尊敬の念を持たず、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　礼儀を持たないことによる罪のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→このように、思想と学問の自由な発展は阻害されていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※また、上のような時代を超えて、戦中、戦後は様々な動きや考えが現れ、</p>
<p>　　価値観の崩壊や思想の混乱などがあったが、そのような状況の中で、</p>
<p>　　坂口安吾という人が自分の考えを提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・坂口安吾－・「堕落論」というものを発表した</p>
<p>　　　　　　　・「堕落論」の中で、「目の前の出来事に惑わされたり、</p>
<p>　　　　　　　　　適当に逃げ道を作ったりするのではなく、「堕ちよ」と提唱した</p>
<p>　　　　　　　　※「堕ちよ」とはどういうことか・・</p>
<p>　　　　　　　　　→自分自身の本来の姿である、「孤独」に戻って、</p>
<p>　　　　　　　　　　何もない本当の自分をちゃんと見つめることからはじめるべき</p>
<p>　　　　　　　　　　であると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・宮沢賢治、小林秀雄の考え方を押さえる</p>
<p>・柳田国男は、「遠野物語」を書き、常民や現実を重視した</p>
<p>・折口信夫は、「古代研究」などの本を書き、客人や和歌などについて言及した</p>
<p>・柳田国男や折口信夫の研究内容は、新国学とも呼ばれた</p>
<p>・北一輝、美濃部達吉、津田左右吉などの考え方を押さえる</p>
<p>・美濃部達吉の天皇機関説は、政府の国体明徴声明によって否定された</p>
<p>・坂口安吾は、「堕落論」を発表し、「堕ちよ」と提唱した</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1640">昭和初期の思想・超国家主義・現代の日本の思想の状況について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1640/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1640" />
	</item>
		<item>
		<title>二・二六事件について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1305</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1305#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 08:03:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[「国策の基準」]]></category>
		<category><![CDATA[二・二六事件]]></category>
		<category><![CDATA[北一輝]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[戒厳令]]></category>
		<category><![CDATA[相沢事件]]></category>
		<category><![CDATA[総力戦体制]]></category>
		<category><![CDATA[軍財抱合]]></category>
		<category><![CDATA[軍部大臣現役武官制]]></category>
		<category><![CDATA[近衛文麿]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1305</guid>
		<description><![CDATA[二・二六事件を中心とした当時の様子を考えてみます &#160; &#160; ・二・二六事件について &#160; &#160; 　・国内政治に対する政党の影響力が、五・一五事件の後に少しずつ小さくなっていった 　　→逆 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1305">二・二六事件について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>二・二六事件を中心とした当時の様子を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・二・二六事件について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国内政治に対する政党の影響力が、五・一五事件の後に少しずつ小さくなっていった</p>
<p>　　→逆に、軍部（中でも陸軍）や、すでにある政党に反発する政党、</p>
<p>　　　現状打破、革新などを提唱する人達の政治的な発言力が大きくなっていった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※現状打破を考える人達は、以下のような理想を持っていた</p>
<p>　　　　・天皇を中心にして国民をまとめる</p>
<p>　　　　・計画経済を行い、内閣や議会の制度を改革する</p>
<p>　　　　・ワシントン体制を終了させる　　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そのため、当時斉藤実と岡田啓介という人達によって、</p>
<p>　　　２代連続で海軍穏健派の内閣が続いたことは、</p>
<p>　　　軍部や現状打破を提唱する人達などが不満を持つ原因の一つになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらに、１９３４年に陸軍省というところが、「国防の本義と其強化の提唱」という</p>
<p>　　パンフレットを作った</p>
<p>　　※このパンフレットは、陸軍が政治や経済に積極的に関わっていく意思を示していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３５年に、貴族院で軍出身の議員だった菊池武夫という人が、</p>
<p>　　美濃部達吉の天皇機関説は反国体的だということで非難をした</p>
<p>　　→この非難をきっかけに、若干の政治問題となった</p>
<p>　　　＝この出来事を天皇機関説問題という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※天皇機関説とは・・統治する権利は国家にあって、天皇は国家の最高機関であるから</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　天皇は憲法に従って統治する権利（統治権）を使うべき</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　だと解釈する考え方のこと</p>
<p>　　　　→天皇機関説は、統治権は天皇にあり、天皇の統治権は無制限にある</p>
<p>　　　　　という考え方の上杉慎吉という人などと対立していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・天皇機関説は、今までは明治憲法の体制を理論的に支えるための</p>
<p>　　大切な考え方だとされていた</p>
<p>　　→しかし、現状打破を期待する陸軍や右翼、在郷軍人会という団体などが</p>
<p>　　　全国で激しい運動を行った</p>
<p>　　　＝そのため、当時の岡田内閣は運動に従う形で、国体明徴声明（日本の国体は</p>
<p>　　　　明らかな証拠があり、正しいという考え方）を出して、天皇機関説を否定した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※上のような結果になったため、政党政治や政党内閣制が</p>
<p>　　　　理論的な支えを失うことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の陸軍内部では、皇道派と統制派が対立する状況だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※皇道派と統制派について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・皇道派・・軍隊に所属している青年を中心に、直接的な行動を取ることで、</p>
<p>　　　　　　　　　今までの支配層を倒したり、天皇親政を目指したりすることを</p>
<p>　　　　　　　　　目指す派閥のこと</p>
<p>　　　　　　　　　→代表的な人に、荒木貞夫や真崎甚三郎という人などがいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・統制派・・陸軍省や参謀本部などを中心に、革新派の官僚や財閥などと手を組んで</p>
<p>　　　　　　　　　軍部の強い統制の中で総力戦体制という体制を作ることを</p>
<p>　　　　　　　　　目指す派閥のこと</p>
<p>　　　　　　　　　→代表的な人に、永田鉄山や東条英機という人などがいる</p>
<p>　　　　※総力戦体制・・国の力を全てつぎ込むという体制のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・皇道派と統制派の対立がはっきりした出来事として、１９３５年の</p>
<p>　　　　相沢事件という事件がある</p>
<p>　　　　※相沢事件・・皇道派の相沢三郎という人が、陸軍省で統制派だった永田鉄山を</p>
<p>　　　　　　　　　　　殺した事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３６年２月２６日の早朝に、北一輝という人の考え方に影響を受けていた</p>
<p>　　皇道派の一部の青年たちが、以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・約１４００人の兵隊を連れて、首相官邸や警視庁などを襲った</p>
<p>　　　・斉藤実内務大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎教育総監などを殺害した</p>
<p>　　　・国会を含む国政の中心部分を４日間占拠した</p>
<p>　　　　＝これら一連の出来事をまとめて、二・二六事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この事件は、国家の改造や軍部政権の誕生などを目指したものだったが、</p>
<p>　　　天皇が厳しく罰することを支持したこともあり、反乱軍という扱いになって鎮圧された</p>
<p>　　　※さらに、首都には戒厳令という法律が出された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※この時は、北一輝の「日本改造法案大綱」という本が、</p>
<p>　　　　右翼の人達のバイブルになったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この事件の後、統制派が皇道派を倒して、陸軍内での主導権を取った</p>
<p>　　　※この時に、陸軍の政治での発言力が一層高まっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、岡田啓介内閣の次に広田弘毅内閣という内閣が誕生した</p>
<p>　　※広田弘毅内閣は、政府の人選、財政改革、軍備の拡張などの面で軍の要求を取り入れて、</p>
<p>　　　なんとか成立したというレベルだった</p>
<p>　　※広田弘毅内閣は、１９３６年に陸軍の要求を取り入れて、</p>
<p>　　　軍部大臣現役武官制を復活させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３６年に、ワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約が</p>
<p>　　　終了することが分かっていた</p>
<p>　　→そこで、陸軍と海軍が帝国国防方針の改定を考え、この改定に基づいて</p>
<p>　　　広田弘毅内閣が「国策の基準」というものを決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※「国策の基準」の内容</p>
<p>　　　　・日本の地位を高める</p>
<p>　　　　・海軍の南進論（東南アジアや南洋諸島にじわじわと進出する考え方）を取った　　</p>
<p>　　　　・陸軍の北進論（ドイツを手を組んでソ連と対抗する考え方）を取った</p>
<p>　　　　・国内で、大規模な軍備の拡張計画が進められた</p>
<p>　　　　　※海軍は、戦艦大和や武蔵などを含む大建艦計画が進められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、国内の改革が中途半端なことに対して不満を持つ軍と</p>
<p>　　軍拡に反対する政党のそれぞれが反発した</p>
<p>　　→そのため、広田弘毅内閣は１９３７年の１月に総辞職した　　</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、陸軍の穏健派の宇垣一成という人が内閣を担当するという話が出てきた</p>
<p>　　→しかし、宇垣一成内閣に反発する陸軍が、陸軍大臣を推薦しなかった</p>
<p>　　　＝そのため、宇垣一成内閣を作ることが出来なかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→結果的に、当時陸軍の大将だった林銑十郎という人が内閣を作った</p>
<p>　　　※陸軍の統制派は、軍拡を展開するために、最初に重要な産業を育成することが</p>
<p>　　　　必要だと考えた</p>
<p>　　　　＝そこで、林銑十郎内閣は軍財抱合（軍部と財界を調整すること）を行った　</p>
<p>　　　　　→しかし、この行動も失敗に終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、１９３７年６月に貴族院の議長を担当していた近衛文麿という人が</p>
<p>　　　様々な層から支持された</p>
<p>　　　＝そこで、第１次近衛文麿内閣が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・二・二六事件を中心に、当時の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>　</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1305">二・二六事件について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1305/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1305" />
	</item>
		<item>
		<title>政党内閣の誕生について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1288</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1288#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 04:12:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[原敬]]></category>
		<category><![CDATA[吉野作造]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[寺内正毅]]></category>
		<category><![CDATA[憲政会]]></category>
		<category><![CDATA[民本主義]]></category>
		<category><![CDATA[男子普通選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[米騒動]]></category>
		<category><![CDATA[超然内閣]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1288</guid>
		<description><![CDATA[政党内閣の誕生について考えてみます &#160; &#160; ・政党内閣の誕生について &#160; 　 　・１９１６年に、吉野作造という人が民本主義という考え方を提唱した &#160; &#160; 　　※民本主義に [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1288">政党内閣の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>政党内閣の誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・政党内閣の誕生について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・１９１６年に、吉野作造という人が民本主義という考え方を提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※民本主義について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・民本主義・・国民の考えを尊重して、国民の利益と幸福を目的とした政治を行う</p>
<p>　　　　　　　　　　考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　※ただし、主権は天皇で、多くの国民が政治に参加することが</p>
<p>　　　　　　　　　　　大切だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※民本主義と民主主義の違い</p>
<p>　　　　・民本主義・・明治憲法を前提として、天皇を主権と考えた</p>
<p>　　　　・民主主義・・国民が主権だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　　・民本主義は、天皇機関説と一緒に、大正デモクラシーを理論的に支えることになった</p>
<p>　　　　※大正デモクラシー・・大正時代に起きた、民主主義的な社会の様子や、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　そのための運動などのことをまとめて指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・吉野作造は、普通選挙制や政党内閣制の実現をして、下の階級の人達の</p>
<p>　　　　経済的な不平等を直していくべきだと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→吉野作造の民本主義の提唱によって、政治で民主化を要求する国民の声が増えてきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、１９１６年に第２次大隈重信内閣が総辞職するという出来事が起きた</p>
<p>　　→その次に寺内正毅という人が出てきて、超然内閣を作るという行動を取った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・寺内正毅内閣の超然内閣については、立憲同志会などの第２次大隈内閣の時の与党の</p>
<p>　　それぞれの派閥が集まり、憲政会という団体を作って、寺内正毅内閣に対抗した</p>
<p>　　→この結果、寺内正毅内閣は１９１７年に衆議院を解散させた</p>
<p>　</p>
<p>　　　※この解散の後の選挙で、立憲政友会が衆議院の第一党になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次世界大戦によって日本の経済が急激に発展したことによって、</p>
<p>　　米騒動という出来事が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※日本経済の成長が、なぜ米騒動を引き起こしたのか</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・大戦の時に、日本の経済が急成長した</p>
<p>　　　　→この時に、工業労働者が増え、都市に人々が集まるようになった</p>
<p>　　　　　＝その結果、お米の消費量が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・しかし、当時は農業が停滞したこともあり、お米の消費量が増えるにつれて、</p>
<p>　　　　お米の値段が上昇した</p>
<p>　　　　→そのため、都市で働く人や貧乏な農民の生活が苦しくなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・さらに、１９１８年にシベリア出兵のために地主や商人がお米を買い込んだため、</p>
<p>　　　　お米の値段がさらに上昇した</p>
<p>　　　　→すると、富山県の漁村の女性をきっかけにして、都市の人々や貧乏な農民などが、</p>
<p>　　　　　お米の安売りを求めて買い占めの反対を叫ぶようになった　</p>
<p>　　　　　※中には、お米の商人や精米会社などを襲って、警察とぶつかる人達もいた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→このようにして大騒動になり、政府が軍隊を出して抑えつけるまでになった</p>
<p>　　　　　＝この出来事を米騒動という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→米騒動が落ち着いた時に、寺内正毅内閣は責任を取って総辞職をした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・米騒動に驚いた元老たちは、とうとう政党内閣を認めることを決めた</p>
<p>　　→そこで、１９１８年９月に立憲政友会の総裁の原敬という人を首相に指名した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※原敬は、今までの首相と違い、華族や藩閥の出身者でなく、平民の衆議院議員だった</p>
<p>　　　　→そのため、原敬は「平民宰相」として国民に歓迎された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・原敬は、国民の期待とは反対で、普通選挙制を取り入れることに積極的ではなかった</p>
<p>　　→そのため、選挙権としての税金を３円に引き下げ、</p>
<p>　　　小選挙区制という制度を取り入れるだけで終わってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、普通選挙を求める運動はどんどん高まっていった</p>
<p>　　→そのため、１９２０年には数万人のデモが行われるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この動きを見て、憲政会などの野党は衆議院に男子普通選挙法を提出した</p>
<p>　　　※しかし、政府は時期が早すぎるという理由で拒否して、さらに衆議院を解散させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・与党の立憲政友会は、大戦景気があったため、立憲政友会のかねてからの政策だった</p>
<p>　　鉄道の拡充や高等学校の増加などの積極政策を公約にして、選挙で大勝した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、立憲政友会の積極政策は、１９２０年の恐慌によって</p>
<p>　　政府の財政が厳しくなったため、行うことが難しくなってきた</p>
<p>　　※さらに、この時に立憲政友会の関連する汚職事件が大量に発生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・おまけに、１９２１年に原敬が、政党政治がダメになっている状況に</p>
<p>　　怒った一人の青年に、刺殺されるという出来事も起きた</p>
<p>　　→この後に、立憲政友会の高橋是清という人が後を継いだがすぐに終了した</p>
<p>　　→さらにこの後に、海軍の大将だった加藤友三郎という人が</p>
<p>　　　立憲政友会を与党と扱って、内閣を作った</p>
<p>　　　＝ここから、約２年は３代にわたって、非政党内閣が続いた</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・政党内閣とその状況について、米騒動や原敬などを中心に押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1288">政党内閣の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1288/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1288" />
	</item>
		<item>
		<title>大正時代の始まりと大正政変について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1284</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1284#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 03:48:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[ジーメンス事件]]></category>
		<category><![CDATA[八・八艦隊]]></category>
		<category><![CDATA[大正天皇]]></category>
		<category><![CDATA[大正政変]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[憲政擁護]]></category>
		<category><![CDATA[政党内閣論]]></category>
		<category><![CDATA[第一次護憲運動]]></category>
		<category><![CDATA[美濃部達吉]]></category>
		<category><![CDATA[閥族打破]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1284</guid>
		<description><![CDATA[大正時代の始まり大正政変について考えてみます &#160; &#160; ・大正時代の始まりと大正政変について &#160; 　 　・１９１１年の第２次西園寺公望内閣が出来た時は、国家財政が悪い状態だった 　　 &#038;nbs [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1284">大正時代の始まりと大正政変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大正時代の始まり大正政変について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・大正時代の始まりと大正政変について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・１９１１年の第２次西園寺公望内閣が出来た時は、国家財政が悪い状態だった</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・このような状況の時に、中国の辛亥革命を見て興奮した日本の陸軍が、</p>
<p>　　朝鮮が日本に反抗してきた時の対策ということで</p>
<p>　　朝鮮に置くために、師団を２個増やすことを政府に求めた</p>
<p>　　</p>
<p>　　→お金が無いことを理由に、西園寺内閣は師団を２個増やす要求を拒否したため、</p>
<p>　　　政府や与党（立憲政友会）と陸軍が対立することになった</p>
<p>　　　※この対立の時に、国民は陸軍の勝手な行動に怒っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※当時の陸軍と海軍について</p>
<p>　　　　・１９０７年の帝国国防方針という方針で、</p>
<p>　　　　　陸軍は１７個ある師団を２５個に増やすことと、</p>
<p>　　　　　海軍は八・八艦隊を作ることを長期的な目標にした</p>
<p>　　　　　→しかし、実現したのは、後に出てくるように陸軍の師団が２個増えただけだった</p>
<p>　　　　　→海軍は予算を得ることすら難しかった　</p>
<p>　　　　　　※八・八艦隊・・戦艦８隻と装甲巡洋艦８隻のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９１２年７月に、明治天皇が亡くなった</p>
<p>　　→その時に、大正という時代が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・美濃部達吉という人が１９１２年に「憲法講話」という本を出して、</p>
<p>　　天皇機関説や政党内閣論などを提唱した</p>
<p>　　※天皇機関説・・統治する権利は国家にあって、天皇は国家の最高機関であるから</p>
<p>　　　　　　　　　　憲法に従って統治する権利（統治権）を使うべきだと解釈する</p>
<p>　　　　　　　　　　考え方のこと</p>
<p>　　　政党内閣論・・議会で多くの議席を占めた政党を中心にして</p>
<p>　　　　　　　　　　内閣を作るべきという考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→時代が大正へ変化したことや、美濃部達吉が出てきたことなどについて、</p>
<p>　　　当時の国民は新しい政治を期待していたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９１２年の終わりに、師団を２個増やすことが閣議で認められなかったことに怒って、</p>
<p>　　陸軍のトップだった上原勇作という人が一人で辞表を大正天皇に出して辞める</p>
<p>　　という出来事が起きた</p>
<p>　　→この時に陸軍は、軍部大臣現役武官制を理由に、上原勇作の後を推薦しなかった</p>
<p>　　　＝そのため、西園寺内閣が総辞職に追い込まれるという事が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、長州藩の長老の桂太郎が、就任したばかりの内大臣と侍従長という役職を辞めて、</p>
<p>　　　第３次桂太郎内閣を作った</p>
<p>　　　※この時に、桂太郎が宮中の職から首相になったことで、</p>
<p>　　　　藩閥勢力が大正天皇を擁護して政権の独占を考えているという批判が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→第３次桂太郎内閣が出来たことに対して、立憲国民党の犬養毅と</p>
<p>　　　立憲政友会の尾崎行雄という２人を先頭にした野党の勢力やジャーナリストに、</p>
<p>　　　都市の民衆や商工業者なども加わって、「閥族打破・憲政擁護」を</p>
<p>　　　スローガンにした運動が全国で行われた</p>
<p>　　　＝この運動のことを、第一次護憲運動という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※閥族打破・・身分の高い一族を倒すこと</p>
<p>　　　　　憲政擁護・・官僚政治や閥族政治を反対して、立憲政治を擁護すること</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次護憲運動に対して、桂太郎は新しい政党を自分で作って対抗しようとした</p>
<p>　　※しかし、護憲運動はどんどん拡大していった</p>
<p>　　　→そのため、１９１３年に人々が議会を囲む状況で、</p>
<p>　　　　約５０日で第３次桂太郎内閣が終了した</p>
<p>　　　　＝この出来事を大正政変という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※新しい政党については、桂太郎が亡くなった後の１９１３年に、</p>
<p>　　　　立憲国民党から抜けた人達も加わり、トップに加藤高明という人を置いて、</p>
<p>　　　　立憲同志会という団体を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第３次桂太郎内閣の後に、薩摩出身の海軍の大将だった山本権兵衛という人が</p>
<p>　　立憲政友会を内閣にして首相になった</p>
<p>　　</p>
<p>　　→山本権兵衛内閣は、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・行政整理を行った</p>
<p>　　　・文官任用令を改正して、政党のメンバーでも高級官僚になれるようにした</p>
<p>　　　・軍部大臣現役武官制を改正して、資格を予備役や後備役といわれた人達まで広げた</p>
<p>　　　　※現役武官は陸軍省と海軍省に人事権があり、予備役と後備役については、</p>
<p>　　　　　首相が軍の考えや意見を無視して大臣を選ぶことが出来た。</p>
<p>　　　　　しかし、実際に選ばれたことはない</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→このような政策を取ることで、官僚や軍部に政党の影響力を広げようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→しかし、１９１４年にジーメンス事件が発覚するということが起きた</p>
<p>　　　＝そのため、都市の民衆の反感を買い、山本権兵衛内閣は責任を取って終了した</p>
<p>　　　　※ジーメンス事件・・ドイツのジーメンス社という会社と日本の海軍高官との間で</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　賄賂の受け渡しがあったことが発覚した事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況で、山県有朋を中心とした元老の人達が、</p>
<p>　　言論の世界や民衆などに人気の高かった大隈重信を急きょ山本権兵衛の後の首相に</p>
<p>　　持ってきたことで、第２次大隈重信内閣が始まった</p>
<p>　　</p>
<p>　　※大隈重信はすでに政界から引退していたが、山県有朋などの元老が</p>
<p>　　　強引に大隈重信を起用した</p>
<p>　　　→大隈重信を起用することで、藩閥に反対するムードを鎮めて、</p>
<p>　　　　自由党からの敵である立憲政友会にダメージを与えようとする狙いが</p>
<p>　　　　あったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次大隈重信内閣は、長州藩や陸軍の支援に支えられつつ、</p>
<p>　　立憲同志会を少数の与党としてスタートした</p>
<p>　　→１９１５年の総選挙の時は、立憲同志会などの与党が立憲政友会に</p>
<p>　　　圧勝するという状況になった</p>
<p>　　　※この勝利の結果、ついに陸軍の２個師団増設案が議会で通って、認められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・大正時代の流れを押さえる</p>
<p>・大正政変の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1284">大正時代の始まりと大正政変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1284/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1284" />
	</item>
	</channel>
</rss>
