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	<title>アラエス &#187; 日露戦争</title>
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	<item>
		<title>日露戦争後の東アジアの様子をまとめてみた　（韓国併合と辛亥革命）</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2466</link>
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		<pubDate>Wed, 05 Feb 2014 01:19:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代後期]]></category>
		<category><![CDATA[三民主義]]></category>
		<category><![CDATA[中華民国]]></category>
		<category><![CDATA[孫文]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[統監府]]></category>
		<category><![CDATA[総督府]]></category>
		<category><![CDATA[義兵]]></category>
		<category><![CDATA[袁世凱]]></category>
		<category><![CDATA[辛亥革命]]></category>
		<category><![CDATA[韓国併合]]></category>

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		<description><![CDATA[日露戦争後の東アジアの様子 &#160; &#160; 日露戦争後の日本 ・日本は武力を使って、韓国を保護国として統監府を置き、韓国の外交権を奪った →その後勢いにのって、日本は韓国の内政をコントロールし、軍隊を解散させ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2466">日露戦争後の東アジアの様子をまとめてみた　（韓国併合と辛亥革命）</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日露戦争後の東アジアの様子</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日露戦争後の日本</p>
<p>・日本は武力を使って、韓国を保護国として<strong>統監府</strong>を置き、韓国の外交権を奪った</p>
<p>→その後勢いにのって、日本は韓国の内政をコントロールし、軍隊を解散させた</p>
<p>※解散させられた軍隊の兵士は、農民と一緒に武器を持って、日本と戦った（＝<strong>義兵</strong>）</p>
<p>＝しかし、結局は1910年に韓国を日本の植民地とした（＝<strong>韓国併合</strong>）</p>
<p>※日本は、朝鮮に<strong>総督府</strong>を置いて、朝鮮を支配した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→その後日本は、朝鮮人を日本に同化させようとした</p>
<p>※同化の時に、以下のようなことを行った</p>
<p>・朝鮮学校で、日本語を「国語」として強制した</p>
<p>・朝鮮の歴史や地理よりも、日本の歴史や地理を教えた</p>
<p>・多くの朝鮮人から土地を奪った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→多くの朝鮮人は、上のような影響によって生活に困り、中国東北部や日本に移住した</p>
<p>※ただし朝鮮人は、様々な差別を受けた</p>
<p>＝結果的に日本は、<strong>朝鮮人を軽蔑し、差別する</strong>という考えが広まっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>アヘン戦争</strong>後、清は列強の植民地に近い状態となった</p>
<p>→そこで、孫文という人は、東京で中国同盟会を作って、<strong>三民主義</strong>を提唱した</p>
<p>→中国では、孫文の影響を受けて、1911年に多くの地方が清からの独立を宣言した</p>
<p>※そのため、1912年に<strong>孫文</strong>を臨時大統領とする<strong>中華民国</strong>が作られ、清は倒された</p>
<p>＝これを<strong>辛亥革命</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→中華民国は、帝国主義勢力と結んだ軍閥の<strong>袁世凱</strong>が実権を握った</p>
<p>＝そのため、袁世凱が革命勢力をおさえた</p>
<p>※だから、孫文は革命運動を続けた</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2466">日露戦争後の東アジアの様子をまとめてみた　（韓国併合と辛亥革命）</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>日本の海外展開と日露戦争についてまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2461</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2461#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 02 Feb 2014 17:29:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[ポーツマス条約]]></category>
		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[日露講和条約]]></category>
		<category><![CDATA[満州]]></category>
		<category><![CDATA[社会主義者]]></category>
		<category><![CDATA[義和団事件]]></category>
		<category><![CDATA[開戦論]]></category>
		<category><![CDATA[非戦論]]></category>

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		<description><![CDATA[日露戦争前後の動き &#160; &#160; 日清戦争後に清の力は衰え、欧米の国々が清に力を伸ばしてきた →欧米の国々の清への進出に対抗するため、清の国内で政治の実現など改革を目指す動きが起きた ※ただし、保守派の反撃 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2461">日本の海外展開と日露戦争についてまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日露戦争前後の動き</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日清戦争後に清の力は衰え、欧米の国々が清に力を伸ばしてきた</p>
<p>→欧米の国々の清への進出に対抗するため、清の国内で政治の実現など改革を目指す動きが起きた</p>
<p>※ただし、保守派の反撃で改革は失敗した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→上記の流れの後、1900年に中国各地で義和団（反キリスト教の伝統的な宗教の流れをうけた組織）を中心とする外国人排斥運動が激しくなった</p>
<p>※この時に、鉄道やキリスト教の破壊、宣教師や外交官が殺される、など起きた</p>
<p>→そのため、欧米と日本が共同で軍隊を送って、義和団の動きをしずめた</p>
<p>→1901年には、清は賠償金の支払いと外国軍隊の駐留を認めた</p>
<p>＝これら一連の流れによる事件を、<strong>義和団事件</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日清戦争後に、ロシアは三国干渉によって日本が清に返還したリヤオトン半島の一部を借り、強大な軍事基地を作った</p>
<p>※ロシアは同時に、義和団事件の時に<strong>満州</strong>（中国の東北部）を占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>当時の日本は、韓国（元朝鮮）を支配しようとしていたため、ロシアの満州占領は恐れていた</p>
<p>→そこで日本は、ロシアの動きを恐れていたイギリスと手を組むことを考えた</p>
<p>＝結果的に、1902年に<strong>日英同盟</strong>が成立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>当時のロシアは、満州から撤兵せず、韓国にも勢力をのばそうとした</p>
<p>※そこで日本は、ロシアに以下の２つの交渉をした</p>
<p>・ロシアの満州での権益の拡大を認めさせる</p>
<p>・日本の韓国への支配権を認めさせる</p>
<p>→ロシアの動きを見て、日本国内ではロシアへの反感が高まり、大きく3つの考え方が出てきた</p>
<p>・多くの新聞：<strong>開戦論</strong>（すぐにロシアと戦うべき）</p>
<p>・政府系の新聞と財界：慎重論</p>
<p>・キリスト教徒（内村鑑三）や<strong>社会主義者</strong>（幸徳秋水）：<strong>非戦論</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→結果的に日本は、開戦に踏み切った（＝<strong>日露戦争</strong>）</p>
<p>※戦争は韓国と満州を戦場として行われた</p>
<p>※戦争は基本的に日本に有利だったが、日本もロシアも戦争を続けるゆとりがなくなった</p>
<p>→そこで日本は、アメリカに仲介を求め、1905年9月にアメリカのポーツマスで、日本とロシアとの間で<strong>ポーツマス条約</strong>（<strong>日露講和条約</strong>）を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日露戦争によって、以下の影響が見られた</p>
<p>・日本は大きな犠牲をはらったのに、賠償金が無かったため、国内で不満の声が上がった</p>
<p>・講和反対と戦争継続をさけぶ群集が、大臣の家、講和を支持する政府系新聞社などを襲撃する事件などを起こした</p>
<p>・日露戦争の勝利で、日本の東アジアでの影響力が大きくなった</p>
<p>・欧米が日本の力に対して警戒するようになった</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2461">日本の海外展開と日露戦争についてまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>明治時代の重工業と農業について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1275</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1275#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 01:02:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代後期]]></category>
		<category><![CDATA[コンツェルン]]></category>
		<category><![CDATA[官営八幡製鉄所]]></category>
		<category><![CDATA[寄生地主制]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[池貝鉄工所]]></category>
		<category><![CDATA[漢冶萍公司]]></category>
		<category><![CDATA[産業組合法]]></category>
		<category><![CDATA[農事試験場]]></category>
		<category><![CDATA[農会法]]></category>

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		<description><![CDATA[明治時代の重工業と農業について考えてみます &#160; &#160; ・当時の重工業について &#160; &#160; 　・重工業では、三菱長崎造船所というところが成長した以外は、民間で著しい成長は無かった 　　※材 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1275">明治時代の重工業と農業について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>明治時代の重工業と農業について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の重工業について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・重工業では、三菱長崎造船所というところが成長した以外は、民間で著しい成長は無かった</p>
<p>　　※材料になる鉄鋼も輸入に頼っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・そこで、当時軍備の拡張を目指していた政府は、官営軍事工場を拡大すると同時に、</p>
<p>　　鉄鋼の国産化を目指した</p>
<p>　　→そのため、１８９７年に北九州に官営八幡製鉄所という製鉄所を作った</p>
<p>　　　※八幡製鉄所は１９０１年にドイツの技術を取り入れて製鉄をスタートさせた</p>
<p>　　　　→いくつもの困難はあったが、生産は少しずつ伸びていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争の後に、政府は海外からの借金を増やすと同時に、様々な税の増税を行った</p>
<p>　　→このようにすることで、軍備拡張や政府の保護のもとに民間重工業の発達を促した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・鉄鋼業では、官営八幡製鉄所が拡大されていった</p>
<p>　　※日本は、中国の大きな製鉄会社の漢冶萍公司という会社にお金を貸していたので、</p>
<p>　　　その見返りとして八幡製鉄所は中国にある大冶鉄山という鉄山の</p>
<p>　　　鉄鉱石を安い値段で入手した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、日本製鋼所などの民間の製鋼会社が作られるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・政府が重視していた造船の技術が、世界水準までになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・工作機械（機械を作る機械）の分野で、池貝鉄工所というところが</p>
<p>　　先進国レベルの精度がある旋盤という工作機械を日本で作ることに成功した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・水力発電が始まったため、電力事業が行われるようになった</p>
<p>　　※電力事業が行われるようになったことで、大都市では電灯が置かれるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・三井や三菱などの財閥は、多角的な経営を行った</p>
<p>　　→その時に、他の会社の株を持つことで、様々な分野の会社を支配するスタイルを整えた</p>
<p>　　　＝このスタイルをコンツェルン（企業連携）という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※コンツェルンはどのようにできたのか</p>
<p>　　　　・１９０９年に、三井財閥が三井合名会社という会社を作った</p>
<p>　　　　・１９２０年代初めに安田、三菱、住友のそれぞれの財閥が</p>
<p>　　　　　持株会社という会社を作った</p>
<p>　　　　　→持株会社は、財閥の家族によって直接支配され、多くの株式を持っていた</p>
<p>　　　　※三井、安田、三菱、住友の四大財閥以外にも、古河市兵衛、浅野総一郎、</p>
<p>　　　　　川崎正蔵などの中小の財閥もあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争の後には、以下のような交流があり、日本経済の中で</p>
<p>　　植民地の存在が大きくなってきた</p>
<p>　　→・満州－綿布を満州に輸出して、大豆粕を満州から輸入</p>
<p>　　　・朝鮮－綿布を朝鮮に渡して、お米をもらう</p>
<p>　　　・台湾－お米や原料糖などを台湾からもらう</p>
<p>　　　　（朝鮮と台湾は輸出と輸入の関係ではなく、植民地と被植民地の関係）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争の後には、生糸や綿布などの輸出が増えたが、綿花や軍需品、</p>
<p>　　重工業の材料などの輸入も増えていた</p>
<p>　　→そのため、貿易による収入と支出について、日本はほとんど赤字という状態だった</p>
<p>　　　※さらに、当時は海外から借りているお金の利払いがあった</p>
<p>　　　　＝そのため、日本の赤字の増え方は段々と危なくなっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の農業について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・工業と比べた時に、当時の農業は発展が遅かった</p>
<p>　　→そのため、当時も米作を中心とした零細経営が多かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大豆粕などの金肥が普及したり、品種改良が行われたりしたので、</p>
<p>　　単位面積当たりの収穫量は増えた</p>
<p>　　※しかし、都市の人口が収穫量の増加を上回る勢いで増加していたため、</p>
<p>　　　お米の供給は不足することが多かった</p>
<p>　　※品種改良のために、日本は１８９３年に農事試験場という施設を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・貿易と国内の工業が発達したことで、農家も商品経済に巻き込まれるようになった</p>
<p>　　→そのため、自分で着る服の生産が減った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・安い値段の輸入品が増えてきたため、綿、麻、菜種などの生産が減った</p>
<p>　　→一方で、生糸の輸出が増えたため、桑の栽培や養蚕などが行われるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８８０年代の松方財政の時のデフレに向かわせるための政策によって、</p>
<p>　　小作料の金額が上がっていった</p>
<p>　　→小作料の上昇は１８９０年代も続き、下層の農民が小作に落ちてしまう</p>
<p>　　　ということが多くなってきた</p>
<p>　　　※そこで政府は、２つの法律を作って、農家の経営を維持させようとした</p>
<p>　　　　・１８９９年の農会法・・農業の発達や改良をしようとする農会に</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　補助金を出す法律のこと</p>
<p>　　　　・１９００年の産業組合法・・協同組合の設立を促す法律のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、大地主は自分で耕作するのをやめて、小作料の収入だけで</p>
<p>　　生活しようとする人が増えてきた</p>
<p>　　＝このような人を寄生地主と言い、このような制度を寄生地主制という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・小作料は現物で納め、地価は金で納めるというルールがあったため、</p>
<p>　　米価が上昇したら地主の収入も増えた</p>
<p>　　→そこで、地主は小作料の収入をもとにして企業を作ったり、</p>
<p>　　　公債や株式に投資したりした</p>
<p>　　　＝このような行動を取ることで、地主が段々と資本主義と</p>
<p>　　　　つながるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・逆に、小作料の支払いが難しい小作農は、自分の女の子どもを工場に</p>
<p>　　出稼ぎに行かせたり、副業を行ってみたりすることで、</p>
<p>　　なんとかして家計をまわしていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争の後は、地租や間接税の金額が上がった状況で、農業生産が止まったり、</p>
<p>　　農村で貧乏な人が増えたりしたことが社会問題にまで発展した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・当時の重工業を押さえる</p>
<p>・当時の農業を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1275">明治時代の重工業と農業について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>日露戦争後の国際情勢について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1270</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1270#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 00:31:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[ハーグ密使事件]]></category>
		<category><![CDATA[中華民国]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[朝鮮総督府]]></category>
		<category><![CDATA[桂・タフト協定]]></category>
		<category><![CDATA[満鉄]]></category>
		<category><![CDATA[第1次日韓協約]]></category>
		<category><![CDATA[辛亥革命]]></category>
		<category><![CDATA[韓国併合]]></category>
		<category><![CDATA[韓国統監府]]></category>

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		<description><![CDATA[日露戦争後の国際情勢について考えてみます &#160; &#160; ・日露戦争後の国際情勢について &#160; &#160; 　・日本は、日露戦争の勝利によって得た大陸に、進出するための拠点を確保しようとした &#038;nb [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1270">日露戦争後の国際情勢について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日露戦争後の国際情勢について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日露戦争後の国際情勢について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、日露戦争の勝利によって得た大陸に、進出するための拠点を確保しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そのために、日本は以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９０５年に、アメリカと非公式で桂・タフト協定という協定を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・イギリスと、日英同盟を改定した</p>
<p>　　　　＝これを第２次日英同盟という</p>
<p>　　　　　→この改定で、日本とイギリスに日本の韓国保護国化を認めさせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９０５年に、日本は第２次日韓協約を結んだ</p>
<p>　　　　→この協約によって、韓国の外交権を奪い、</p>
<p>　　　　　漢城に韓国の外交を仕切る韓国統監府というものを置いた</p>
<p>　　　　　※初代統監府には、伊藤博文が選ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※日露戦争中の１９０４年には、第１次日韓協約が結ばれていた</p>
<p>　　　　→この協約によって、日本が推奨する財政と外交の顧問を韓国政府に置いて、</p>
<p>　　　　　重要な外交の問題については事前に日本の政府と協議することが決められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・このような状況の中、韓国の皇帝の高宗という人が、</p>
<p>　　１９０７年にオランダのハーグというところで開かれた</p>
<p>　　第２回万国平和会議という会議に密使（秘密の使い）を送って、</p>
<p>　　第２次日韓協約に抗議をした</p>
<p>　　→この抗議に対して、他の国々は無視をした、という出来事が起きた</p>
<p>　　　＝この出来事をハーグ密使事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、ハーグ密使事件をきっかけに以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・韓国の皇帝の高宗を皇帝から降ろさせた</p>
<p>　　　・第３次日韓協約を結んで、韓国の政治に関する権利を日本が持った</p>
<p>　　　・韓国の軍隊を解散させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※今までも植民地化に抵抗して、韓国で義兵運動が行われていたが、</p>
<p>　　　日本が解散させた軍隊にいた兵士が義兵運動に参加したため、</p>
<p>　　　義兵運動が本格的になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、１９０９年に韓国へ軍隊を派遣して義兵運動を鎮圧した</p>
<p>　　→しかし、その時に初代統監の伊藤博文がハルビン駅という場所で　</p>
<p>　　　韓国の安重根という人に暗殺されるという事件が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、憲兵隊という軍隊を韓国に置くなどの準備を行った上で、</p>
<p>　　１９１０年に韓国併合条約という条約に強制的に調印させた</p>
<p>　　→この条約によって、韓国が日本の植民地になった</p>
<p>　　　＝この出来事を韓国併合という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・韓国併合の後、日本は首都の漢城を京城という名前に変えて、</p>
<p>　　京城に朝鮮総督府という機関を置いて韓国を統治した</p>
<p>　　※初代総督に、寺内正毅という人が選ばれた</p>
<p>　　※朝鮮総督は、最初は現役の軍人だけしか選ばれなかった</p>
<p>　　　→そのため、警察のような仕事は日本の憲兵が担当した</p>
<p>　　　　＝こうすることで、警備も総督も軍人になる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝鮮総督府は、地税の基礎となる土地の測量と所有権の確認を朝鮮全てで行った</p>
<p>　　＝この出来事を土地調査事業という</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※土地調査事業の時に、所有権があいまいということを理由に</p>
<p>　　　　多くの農地や山林が没収された</p>
<p>　　　　→その一部は、東洋拓殖会社や日本人の地主などに売られた</p>
<p>　　　※土地を取り上げられた朝鮮の人達は貧乏になったため、</p>
<p>　　　　一部の人が職を求めて日本に来ていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、日本の満州への進出が本格的になり、以下のようなことが行われた</p>
<p>　　→・１９０６年に、関東州（旅順と大連を含む遼東半島の南側の</p>
<p>　　　　一定期間借りている土地）を治めるために、関東都督府という機関が旅順に置かれた</p>
<p>　　　・半官半民の南満州鉄道株式会社（満鉄）が大連に作られた</p>
<p>　　　　※半官半民・・国と民間が共同で出資すること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※満鉄は、ロシアがゆずってくれた長春・旅順間の</p>
<p>　　　　　旧東清鉄道という鉄道を始めとして、鉄道の周りにある炭鉱なども経営した</p>
<p>　　　　　→満鉄は、日本が満州の経済に進出するきっかけになったと言われている　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本の満州への動きに対して、満州の市場に興味があったアメリカが</p>
<p>　　門戸開放を提唱して、日本が南満州の利益を独占することに反対した</p>
<p>　　→そこでアメリカは、ハリマンという人を中心にして、</p>
<p>　　　日本とアメリカの共同で満鉄を経営することを提案したが</p>
<p>　　　日本は、この提案を拒否した</p>
<p>　　　＝その結果、１９０９年にアメリカが満鉄を中立した会社にするべきだということを</p>
<p>　　　　様々な国に訴えると同時に日本とアメリカの関係が悪くなってしまった</p>
<p>　　　　※清の内部でも、利益を返すべきだという考え方が広まっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで日本は、第２次日英同盟協約と４回の日露協約を武器に、</p>
<p>　　　満州の利益を国際社会で認めさせた</p>
<p>　　　※日露協約を繰り返すにつれて、日本とロシアは近づいていくようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・１９１１年に、清で辛亥革命という革命が起きた</p>
<p>　　※辛亥革命・・専制と他の民族が支配することに反対して起きた革命のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・辛亥革命の後、１９１２年に三民主義という考え方を提唱する革命の指導者の</p>
<p>　　孫文という人を臨時大統領にして中華民国という国が誕生した</p>
<p>　　※三民主義・・民族主義、民権主義、民生主義の３つの考え方をまとめた呼び方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※この時に、清が終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※孫文は、軍閥の首相である袁世凱という人の圧力を受けて、</p>
<p>　　　袁世凱に臨時大統領の位をゆずった</p>
<p>　　　→これ以降、中国では周りの国の支援を受けたそれぞれの軍閥政府が</p>
<p>　　　　お互いに張り合いつつ争うという、非常に不安定な国内の状況が続いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中華民国の誕生を知って、日本の陸軍は南満州の利益をより多く得るために、</p>
<p>　　中国の軍事に介入するべきだと提案した</p>
<p>　　→しかし、政府は周りの国々の意見と日本国内の財政を考えて、</p>
<p>　　　中国の軍事には介入しないことにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日露戦争後の国際情勢について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1270">日露戦争後の国際情勢について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>日露戦争について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1269</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1269#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 00:22:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[セオドア＝ローズヴェルト]]></category>
		<category><![CDATA[ポーツマス条約]]></category>
		<category><![CDATA[奉天会戦]]></category>
		<category><![CDATA[小村寿太郎]]></category>
		<category><![CDATA[旅順]]></category>
		<category><![CDATA[日本海海戦]]></category>
		<category><![CDATA[日比谷焼き打ち事件]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[樺太]]></category>

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		<description><![CDATA[日露戦争について考えてみます &#160; &#160; ・日露戦争について &#160; &#160; 　・１９０４年に、日本とロシアの交渉は決裂した 　　→そこで、１９０４年２月に日本とロシアはお互いに宣戦布告した  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1269">日露戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日露戦争について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日露戦争について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９０４年に、日本とロシアの交渉は決裂した</p>
<p>　　→そこで、１９０４年２月に日本とロシアはお互いに宣戦布告した</p>
<p>　　　＝この宣戦布告によって日露戦争が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争では、ロシアの満州の占拠に反対するアメリカとイギリスの</p>
<p>　　経済的な援助を日本が受けていたため、日本が有利な状況で進んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→日露戦争はどのような内容だったのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９０５年の初めに、半年以上の時間をかけて大量の兵を失いつつも、</p>
<p>　　　　旅順を攻め落とした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９０５年の３月に奉天会戦という戦いが起きて、ギリギリ勝利した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９０５年の５月に日本海海戦という戦いが起きて、</p>
<p>　　　　日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を全滅させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は一応勝利したものの、日露戦争が長引いたことによる</p>
<p>　　日本のダメージは大きかった</p>
<p>　　※約１７億円の軍事費のうちの約１３億円は借金でまかなっていた</p>
<p>　　　→そのため、国民の負担と生活が限界に近い状況だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、ロシアは国内で革命運動が起きたため、戦争を続けることが困難になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで、当時のアメリカ大統領だったセオドア＝ローズヴェルトという人が仲介して、</p>
<p>　　　１９０５年に、アメリカのポーツマスという場所で、</p>
<p>　　　日本の小村寿太郎という人とロシアのヴィッテという人が</p>
<p>　　　ポーツマス条約という講和条約に調印した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ポーツマス条約の内容</p>
<p>　　　　・ロシアは、日本が韓国を指揮・監督する権利を全面的に認める</p>
<p>　　　　・清にある旅順と大連を一定期間借りる権利と、</p>
<p>　　　　　長春という場所より南側の鉄道とその周りの権利を日本に譲る</p>
<p>　　　　・北緯５０度より南側のサハリン（樺太）とその周りの島々を日本に譲る</p>
<p>　　　　・沿海州とカムチャッカという場所で漁業をする権利を日本に認める</p>
<p>　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※日本国民は、苦しい生活と増税に耐えて戦争を行ってきたものの、</p>
<p>　　ポーツマス条約で賠償金が全く取れないことについて怒りが爆発した</p>
<p>　　→そのため、ポーツマス条約に調印した日に、講和反対国民大会というものが開かれ、</p>
<p>　　　暴動が起きた</p>
<p>　　　＝この出来事を、日比谷焼き打ち事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日露戦争の内容について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1269">日露戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>日露対立とそれに伴う各国の動きについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1006</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1006#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 06:15:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代世界史]]></category>
		<category><![CDATA[ポーツマス条約]]></category>
		<category><![CDATA[仇教運動]]></category>
		<category><![CDATA[北京条約]]></category>
		<category><![CDATA[北京議定書]]></category>
		<category><![CDATA[扶清滅洋]]></category>
		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[日露同盟]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[義和団事件]]></category>
		<category><![CDATA[英露同盟]]></category>

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		<description><![CDATA[日露対立とそれに伴う各国の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・日露対立とそれに伴う各国の動きについて &#160; &#160; 　・中国分割の危機に直面していた時に、中国内部では民衆の排外運動が激し [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1006">日露対立とそれに伴う各国の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日露対立とそれに伴う各国の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日露対立とそれに伴う各国の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国分割の危機に直面していた時に、中国内部では民衆の排外運動が激しくなっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、中国内部で北京条約が出されたことで、キリスト教の布教が公認された</p>
<p>　　→しかし、布教活動が活発化すると、各地で反キリスト教運動が起きた</p>
<p>　　　＝この反キリスト教運動を仇教運動という</p>
<p>　　　　※特に、日清戦争後の欧米列強が華北へ強引に進出したことは、</p>
<p>　　　　　民衆の民族的な感情を高めたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・仇教運動の時に、義和団というのが生まれた</p>
<p>　　※義和団・・山東の自営的郷村組織を土台として生まれた宗教的な武術の集団のこと</p>
<p>　　　→義和団は、「扶清滅洋」を提唱して、鉄道や教会を破壊し、宣教師や信徒を排撃した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→義和団が北京の城内に入ると、清朝の保守排外派が、義和団の運動を利用して</p>
<p>　　　　各国に宣戦を布告した</p>
<p>　　　　※この時に各国は、在留外国人の保護を名目として共同で出兵を行った</p>
<p>　　　　　→この結果、日本とロシアを中心とする８か国の連合軍が北京を占領し、</p>
<p>　　　　　　在留外国人を救出した</p>
<p>　　　　　　＝この出来事を、義和団事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→１９０１年に負けた清は、北京議定書（辛丑和約）に調印して、</p>
<p>　　　　以下のようなことを認めた</p>
<p>　　　　・巨額の賠償金を支払った</p>
<p>　　　　・外国軍隊の北京の駐屯を認めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・義和団事件以後、ロシアは中国東北から撤兵せずに、朝鮮への圧力を強めていった</p>
<p>　　</p>
<p>　・日清戦争後の朝鮮は、１８９７年に国号を大韓帝国として皇帝の称号を用いた</p>
<p>　　→このようにすることで、朝鮮が独立国であることを示した</p>
<p>　　　※ただし日本とロシアは、ともに朝鮮の支配をもくろんで対立を深めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、イギリスやアメリカはロシアの南下政策を警戒していた</p>
<p>　　※しかし、当時のイギリスは南アフリカ戦争に一杯で、極東に兵を送る力が無かった</p>
<p>　　　＝そこでイギリスは、日英同盟を結んで、日本にロシアをおさえさせようとした</p>
<p>　　　　※この動きは、アメリカも支援した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、イギリスとアメリカの経済的な援助を背景に、ロシアに対して強硬方針をとった</p>
<p>　　→そこで日本は、１９０４年にロシアに宣戦した</p>
<p>　　　＝この宣戦によって起きた、日本とロシアとの戦いを日露戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※日露戦争について</p>
<p>　　　　・日本は、奉天会戦や日本海海戦などで連勝したが、長期戦に耐えられるほどの</p>
<p>　　　　　経済力がなかった</p>
<p>　　　　・ロシアは、第１次ロシア革命が起きていたため、社会的な不安が高まっていた</p>
<p>　　　　　→そのため、日本とロシアは、アメリカ大統領のセオドア＝ローズヴェルト</p>
<p>　　　　　　という人が調停を結ばせた</p>
<p>　　　　　　＝その結果、１９０５年にポーツマス条約を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ポーツマス条約では、以下のようなことが決められた</p>
<p>　　　　・日本が、韓国の指導権と監督権を得た　</p>
<p>　　　　・遼東半島南部の租借権を得た</p>
<p>　　　　・樺太（サハリン）の南半分の領有権などを得た</p>
<p>　　　　・南満州の鉄道利権を得た</p>
<p>　　　　　→日本は、東清鉄道支線の長春、旅順口間の利権を得て、</p>
<p>　　　　　　南満州鉄道株式会社を設立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ロシアに対する日本の勝利は、アジアの様々な民族の自覚を高めたと言われている</p>
<p>　　※その一方で、日本は欧米列強と並んで大陸への帝国主義的な進出を進めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争後、日本とイギリスは日英同盟を維持しつつ、それぞれロシアと</p>
<p>　　１９０７年に日露同盟、英露同盟を結んだ</p>
<p>　　→これによって、日本の大陸進出が簡単になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日露戦争についておさえる</p>
<p>・日露の対立に関する各国の動きをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1006">日露対立とそれに伴う各国の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>帝国主義時代のロシアについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/998</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/998#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 04:56:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代世界史]]></category>
		<category><![CDATA[ウィッテ]]></category>
		<category><![CDATA[シベリア鉄道]]></category>
		<category><![CDATA[ストルイピン]]></category>
		<category><![CDATA[ロシア]]></category>
		<category><![CDATA[十月宣言]]></category>
		<category><![CDATA[帝国主義]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[第1次ロシア革命]]></category>
		<category><![CDATA[血の日曜日事件]]></category>
		<category><![CDATA[農村共同体]]></category>

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		<description><![CDATA[帝国主義時代のロシアについて考えてみます &#160; &#160; ・ロシアについて &#160; &#160; 　・１８９０年代から、ロシアの資本主義がフランスからの資本の導入によって発展した 　　※特に、都市では大 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/998">帝国主義時代のロシアについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>帝国主義時代のロシアについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ロシアについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８９０年代から、ロシアの資本主義がフランスからの資本の導入によって発展した</p>
<p>　　※特に、都市では大工業が急激に成長した</p>
<p>　　※しかし、工業や銀行の多くは外国資本であり、工場での労働条件が非常に劣悪だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ロシアは、国内市場が狭く、シベリア鉄道建設などの国家事業によって国内の開発を進めた</p>
<p>　　→この時に、アジアやバルカン方面への進出をはかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・２０世紀の初頭に、それまで平和だった農村で、農奴解放後も地主への従属が続くことに</p>
<p>　　抗議する激しい農民運動が起こり、工場労働者のストライキが同時に起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・知識人や社会主義者のなかにも、専制体制の転換を求める声が高まった</p>
<p>　　→そこで、以下のような政党が結成された</p>
<p>　　　・ナロードニキの系統の社会革命党</p>
<p>　　　・マルクス主義をかかげるロシア社会民主労働党　　など</p>
<p>　　　　※ロシア社会民主労働党は、創設直後にレーニンなどのボリシェヴィキと</p>
<p>　　　　　プレハーノフなどのメンシェヴィキに分裂した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この裏で、自由主義者が議会政治を期待して、後の立憲民主党につながる運動が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝上のような流れを受けて、ロシアの政治や社会に改革を求める様々な動きが</p>
<p>　　　見られるようになってきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９０５年に、日露戦争の状況がロシアにとって不利になって、</p>
<p>　　血の日曜日事件という事件が起きた</p>
<p>　　→すると、全国各地で、農民蜂起、労働者のストライキ、民族運動などが出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・モスクワでは、労働者の自治組織であるソヴィエト（評議会）が武装蜂起を起こし、</p>
<p>　　海軍でも反乱が起きた</p>
<p>　　＝この出来事を、第１次ロシア革命という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※この時に、自由主義者も政治改革を要求した</p>
<p>　　　→そのため、皇帝が十月宣言という宣言を出して、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　　・立法権を持つ国会（ドゥーマ）を開設した</p>
<p>　　　　・市民的な自由を認めた</p>
<p>　　　　・自由主義者のウィッテという人を首相にした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→しかし、一方で以下のような動きもあった</p>
<p>　　　・国会の立法権が制限された</p>
<p>　　　・選挙制度が不平等だった</p>
<p>　　　・皇帝が蜂起を鎮圧したため、革命運動が衰退していった</p>
<p>　　　　＝その結果、再び専制的な政治の姿勢が強くなっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９０６年に、ストルイピンという人が首相になった</p>
<p>　　→ストルイピンは、帝政の支持基盤を広げるために、農村共同体（ミール）を解体して、</p>
<p>　　　独立自営農を育てようとした</p>
<p>　　　＝しかし、挫折してしまった</p>
<p>　　　　※この動きによって、農村社会は逆に動揺し、支持基盤が逆に不安定になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで政府は、国民の意識をそらすために、バルカン方面への南下政策を強めた</p>
<p>　　　＝この動きによって、国際的な緊張を高めたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・帝国主義時代のロシアについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/998">帝国主義時代のロシアについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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