もし人間が忘れる存在だとしたら、努力する必要はあるのでしょうか? -忘却と努力-
人間は物事を忘れます。難しい言葉で「忘却」ということが人間には起きます。
「忘却」とは、覚えたことを思い出せないことを指します。
その忘却が起きる原因として、大まかに4つの考え方があります。
それが、減衰説、干渉説、検索失敗説、抑圧説の4つです。
まず、減衰説です。
減衰説とは、覚えた情報を使わないでいると、時間が経つとともに失われていく
という考え方のことです。
有名なものに、忘却曲線というグラフがあり、エビングハウスという人が提唱しました。
エビングハウスは、“dapo”や“nume”など、その言葉自体に意味がない単語の綴りを使って実験を行いました。(ここでいうdapoやnumeなどは無意味綴りと呼ばれます。)
無意味綴りの実験によって、忘却曲線を作り、減衰説を提唱しました。
次に、干渉説です。
干渉説とは、何かを覚える時の前後から実際に思い出すまでの間に、覚えた本人の行動や気持ちによって思い出せなくなるという考え方のことです。
干渉説は、順向抑制と逆行抑制の2つに分かれます。
順向抑制とは、ある記憶をAとした時に、Aよりも前の記憶がAの記憶に影響を与えることです。
逆行抑制とは、ある記憶をAとした時に、Aよりも後の記憶がAの記憶に影響を与えることです。
次に、検索失敗説です。
検索失敗説とは、減衰説や干渉説と違い、覚えてはいるのだけれどもその覚えている中から見つけることができないことを忘却とするという考え方です。
最後に、抑圧説です。
抑圧とは、防衛機制の一種なのですが、(防衛機制については、こちらをご覧ください。)
抑圧が不快感や葛藤などを生む記憶を意識させないことが理由で、忘却が生まれるという考え方のことです。
美しい記憶や楽しい記憶は思い出せるけど、つらい記憶や悲しい記憶を思い出すことが難しい、というのが抑圧説です。
以上が大きく4つある考え方です。
人間の記憶はもちろん減衰するでしょうし、干渉しない独立した記憶というのも不思議な話です。検索に失敗して思い出せないだけというキレイな考え方もある一方で、思い出すことがマイナスだから思い出さないこともあるわけです。
個人的には、自分の経験上どの考え方もある意味で正解のような気がしています。それだけ人間は優秀ではありませんし、そもそも完璧な人間なんていません。
でも、もし4つの忘却の考え方が全部正しいとしたら、
人間の記憶は基本的に衰退(減衰説)するので、検索できる記憶が狭くなります。ある記憶が他の記憶に影響を与えるというと、誰かの話を聞いてやる気が生まれるというようなポジティブな面があると思うかもしれませんが、一方で誰かの話を聞いてやる気が無くなるというようなネガティブな面もあります。(干渉説)人間は思い出すとマイナスになるようなことは思い出さないので、(抑圧説)誰かの話を聞くなど、何らかの干渉によって思い出さなくなることもあり得ます。すると、忘れてしまうことに加えて記憶の抑圧も重なり、検索できる範囲はさらに狭くなります。(検索失敗説)
つまり、人間は常に忘却していくため、どんどん能力が低くなっていきます。
ということは、常に忘れていくのであれば、何かを覚えることはムダということにはならないでしょうか?
学校で勉強することも忘れてしまうのであれば勉強する必要が無い、
会社でスキルやマナーを身につけても検索に失敗するのであれば意味が無い、
人々は努力しても結局忘れてしまう以上、意味はないのでしょうか
でも、意味は無いのかもしれないけど、現在の社会で人々は一生懸命生きています。
明日もわからないと言われている状況で、必死にがんばろうとしている人がたくさんいます。なぜでしょうか?どうしてそこまでがんばるのでしょうか?
たしかに、人々は忘れてしまいます。ただ、自分自身では忘れてしまっていても、他の人が覚えている可能性というのがあります。ちょっとヘンな話ですが、自分が会社で必死に努力したプレゼンが何人もの記憶に残る可能性があります。先ほどから「忘却」の視点で考えていますが、逆に1%でも誰かの記憶に残っている可能性もあります。
つまり、自分の努力は他人に影響を与える場合があります。もう少し言うと、他人に影響を与える必要もあります。今の社会はお金で何かを買うのが一般的なので、他人に影響を与えてお金をもらうなど、生活の維持を目的に影響を与える必要があるためです。
ただし、努力しても影響を与えることが出来るかはわかりません。影響を与えることが出来ずに涙を流した人がどれだけいるでしょうか?だから、努力がお金になるかはわかりません。
しかし、お金の問題を抜きに考えれば自分の努力は人に影響を与える場合があります。もちろん、それが悪い影響かもしれません。でも、相手の記憶に少なからず影響を与えることは事実です。自分の努力が他人の記憶を増加させている可能性もあります。1つ1つの物事について人間は忘れていくのかもしれませんが、忘れる一方で様々な刺激や経験によって忘れる以上に記憶をしているのかもしれません。
つまり、人間は忘れる以上に記憶を増やしていこうとする、ということを意図的にか自然とか行っているような気がします。
そして、自分の記憶は他の人に伝えられるという伝言ゲームのような状況がずっと続いていくと思います。覚える意味があるのかとよく言われる歴史ですが、遠い昔の話が今でも語り継がれるというのは伝言ゲームの最たるもののように感じます。
人々は常に忘却をするため、努力が必要ないのかもしれません。でも、人間は普段から人々に影響を与えたり、自分の生活をよりよくしようとしたりします。そのためには、減衰説や検索失敗説などの忘却に負けることなく、歴史が現代まで受け継がれてきているように常に忘れない姿勢と忘却以上に記憶しようとする姿勢を持ち、懸命に努力していく必要があります。
これが、学校で勉強したり勉強したり会社でがんばったりと、人々が努力をする理由の一つなのかもしれません。