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	<title>アラエス &#187; 日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>日本思想前期を簡単にまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1890</link>
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		<pubDate>Sun, 17 Nov 2013 18:38:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[まとめさん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[まとめ]]></category>
		<category><![CDATA[倫理]]></category>
		<category><![CDATA[日本思想]]></category>

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		<description><![CDATA[まとめてみました &#160; &#160; ・日本の風土と社会について &#160; &#160; ・古代日本の考え方について &#160; &#160; ・仏教の受容と展開について　－仏教の伝来・聖徳太子・奈良仏教・ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1890">日本思想前期を簡単にまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>まとめてみました</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1624" target="_blank">日本の風土と社会について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1625" target="_blank">古代日本の考え方について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1626" target="_blank">仏教の受容と展開について　－仏教の伝来・聖徳太子・奈良仏教・平安仏教・浄土信仰・末法思想・神仏習合－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1627" target="_blank">仏教の展開について　－鎌倉時代の仏教（鎌倉新仏教）－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1628" target="_blank">仏教と日本文化の関係について　（無常・西行・一遍・千利休・松尾芭蕉・円空・良寛）</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1629" target="_blank">儒学の受容と展開について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1630" target="_blank">陽明学・古学・古義学・古文辞学・古学派・寛政異学の禁について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1631" target="_blank">神道の流れから国学の誕生まで・神道や国学の考え方を研究した人達について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1632" target="_blank">江戸時代の庶民の思想について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1633" target="_blank">幕末の思想について</a></p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1890">日本思想前期を簡単にまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>幕末の思想について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1633</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1633#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:50:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[シーボルト]]></category>
		<category><![CDATA[佐久間象山]]></category>
		<category><![CDATA[吉田松陰]]></category>
		<category><![CDATA[尊王攘夷論]]></category>
		<category><![CDATA[幕末]]></category>
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		<category><![CDATA[横井小楠]]></category>
		<category><![CDATA[水戸学]]></category>
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		<category><![CDATA[蘭学]]></category>

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		<description><![CDATA[幕末の思想について解説します &#160; ・幕末の思想について 　※幕末の思想は蘭学がスタートだった &#160; &#160; 　・根底・・江戸幕府は、キリスト教を禁止して鎖国を行っていたため、 　　　　　　当時交流 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1633">幕末の思想について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>幕末の思想について解説します</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・幕末の思想について</p>
<p>　※幕末の思想は蘭学がスタートだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・根底・・江戸幕府は、キリスト教を禁止して鎖国を行っていたため、</p>
<p>　　　　　　当時交流していた外国はオランダ、中国、朝鮮だけだった</p>
<p>　　　　　　→その時に、外国の情報、特に西洋についての情報は</p>
<p>　　　　　　　オランダ人からしか得られなかった</p>
<p>　　　　　　　※そのため、オランダ人から西洋の文明について教えてもらった</p>
<p>　　　　　　　　＝これが蘭学の始まり</p>
<p>　　　　　　　※幕末以降は、オランダ語以外の言語（英語、ドイツ語、フランス語など）を</p>
<p>　　　　　　　　使って、西洋の学問が入ってくるようになった</p>
<p>　　　　　　　　＝これらをまとめて洋学と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・発展・・甘藷の栽培を進めた青木昆陽がオランダ語を学び始めたなど、</p>
<p>　　　　　　オランダ語を学ぶ学者が増えた前野良沢や杉田玄白らが</p>
<p>　　　　　　「解体新書」を作る</p>
<p>　　　　　　※「解体新書」は「ターヘル＝アナトミア」という本を訳したもの</p>
<p>　　　　　　　この時の翻訳で杉田玄白が苦しんだ様子は「蘭学事始」という</p>
<p>　　　　　　　本に書いてある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府の動き・・蘭学が普及すると同時に、蘭学の中から幕府に対する批判が</p>
<p>　　　　　　　　　生まれるようになってきたため、幕府は蘭学を警戒するようになった</p>
<p>　　　　　　　　　→そして、オランダの商館の医者だったシーボルトという人に、</p>
<p>　　　　　　　　　　医学を学んだ高野長英や渡辺崋山らは、</p>
<p>　　　　　　　　　　国際情勢についての知識も得ようとした</p>
<p>　　　　　　　　　　※その中でも、２人はモリソン号事件について触れ、</p>
<p>　　　　　　　　　　　高野長英が「戊戌夢物語」を、渡辺崋山が「慎機論」を書いて</p>
<p>　　　　　　　　　　　幕府の鎖国を批判したため、処罰された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後・・１８５４年に幕府は開国に踏み切り、自由貿易が始まった</p>
<p>　　　　　　　しかし、一方で尊王攘夷論が盛んになると同時に、</p>
<p>　　　　　　　藤田東湖らの水戸学が復古神道と一緒に尊王攘夷論に大きな影響を及ぼした</p>
<p>　　　　　　　→結果的に、尊王攘夷論は次第に倒幕論に変わっていき、</p>
<p>　　　　　　　　明治維新へと進んでいった</p>
<p>　　　　　　　※・尊王攘夷論・・天皇の権威を崇拝して外国を排除するべきだ、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　という考え方</p>
<p>　　　　　　　　・水戸学・・「大日本史」という本の編集をきっかけに誕生した教説のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　朱子学を中心として国学や神道も含まれ、尊王論を提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらにその後・・佐久間象山と横井小楠という人が自らの考え方を提唱した</p>
<p>　　→・佐久間象山・・清という国がアヘン戦争に負けたことに危機感を抱いたことから、</p>
<p>　　　　　　　　　　　日本は開国するべきだと考えた</p>
<p>　　　　　　　　　　→そこで、佐久間象山が、「東洋道徳、西洋芸術」が大切だと考えた</p>
<p>　　　　　　　　　　※ここでの芸術は、技術という意味で使われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・横井小楠・・堯や舜や孔子の考え方を明らかにすること、西洋の機械の技術を使うこと、</p>
<p>　　　　　　　　　　→この２つを使えば、道理を実現することができると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この２人は、</p>
<p>　　　「道徳は儒学をベースにすること、技術と知識は西洋のものを取り入れること」が</p>
<p>　　　重要だと考えた</p>
<p>　　　＝このような考え方を和魂洋才と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・もっとその後・・吉田松陰という人が現れた</p>
<p>　　・吉田松陰・・松下村塾を開いて、尊王攘夷論を提唱した</p>
<p>　　　　　　　　　→その時に、「天道も君道も一つの誠の字の外なし」と考えた</p>
<p>　　　　　　　　　　※ここでの誠は、生き生きした自分の純粋な心のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　→吉田松陰は、名誉や自分の欲を捨てて、誠になりきって、</p>
<p>　　　　　　　　　　　天道と一体になれれば、天皇に忠誠を尽くすことができると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・オランダによって蘭学が入ってきて、その後洋学が入ってくる</p>
<p>・青木昆陽などがオランダ語を学び始め、杉田玄白らによって解体新書が作られ、</p>
<p>　蘭学事始が描かれた</p>
<p>・幕府の批判に対して、特にモリソン号について、</p>
<p>　高野長英が「戊戌夢物語」、渡辺崋山が「慎機論」を書いた</p>
<p>・尊王攘夷論と藤田東湖の水戸学の勢いが盛んになったが、</p>
<p>　結果的に倒幕論になっていった</p>
<p>・佐久間象山が「東洋道徳、西洋芸術」を提唱し、</p>
<p>　佐久間と横井小楠が和魂洋才のように考えた</p>
<p>・吉田松陰が松下村塾を開き、尊王攘夷論を提唱し、誠を重視した</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1633">幕末の思想について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>江戸時代の庶民の思想について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1632</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1632#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:45:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[二宮尊徳]]></category>
		<category><![CDATA[井原西鶴]]></category>
		<category><![CDATA[安藤昌益]]></category>
		<category><![CDATA[庶民]]></category>
		<category><![CDATA[江戸時代]]></category>
		<category><![CDATA[石田梅岩]]></category>
		<category><![CDATA[西川如見]]></category>
		<category><![CDATA[近松門左衛門]]></category>

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		<description><![CDATA[江戸時代の庶民の思想について解説します &#160; ・江戸時代の庶民の思想の根底 　→江戸時代の身分制度の下で、町人は社会的に軽く見られていたが、経済が発達するにつれて、 　　町人独自の文化が作られていった &#038;nbsp [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1632">江戸時代の庶民の思想について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>江戸時代の庶民の思想について解説します</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・江戸時代の庶民の思想の根底</p>
<p>　→江戸時代の身分制度の下で、町人は社会的に軽く見られていたが、経済が発達するにつれて、</p>
<p>　　町人独自の文化が作られていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時生み出された文化とそれに携わった人の代表に、</p>
<p>　　井原西鶴、近松門左衛門、西川如見などがいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・井原西鶴－浮世草子（町人の社会の状況や人情を描いた物語のこと）を通して、</p>
<p>　　　　　　　世俗世界の人々の様子に深く共感した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・近松門左衛門－世話浄瑠璃を作って、男女が義理と人情の葛藤に苦しむ様子を表現した</p>
<p>　　　　　　　　　※義理－他人との関わりの時に、従って守るべき道理のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西川如見－町人には町人としての生き方があることを自覚するべきだと考え、</p>
<p>　　　　　　　町人の生き方を肯定した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→上のような流れを踏まえて、庶民の思想について考え、研究した代表的な人達に、</p>
<p>　石田梅岩、安藤昌益、二宮尊徳などがいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・石田梅岩－・町人の商業は、政治を助ける職業であり、大切だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・町人が守るべき道徳として、正直と倹約を推奨した</p>
<p>　　　　　　　　※正直－自分と他人の所有を明確にすること</p>
<p>　　　　　　　　　　　　例：借りたものは返し、貸したものは返してもらう、など</p>
<p>　　　　　　　　　倹約－物惜しみではなく、人と物事を生かすために、財宝をむだにしないこと</p>
<p>　　　　　　　　→町人が正直と倹約を守ることは政治の一部を担うことだと考えた</p>
<p>　　　　　　　・石田梅岩は、道徳に関しては、武士と町人との間に上下は無いと考えた</p>
<p>　　　　　　　・石田梅岩は、朱子学をベースに神道や仏教を取り入れたものであり、</p>
<p>　　　　　　　　心学（石門心学）と呼ばれた</p>
<p>　　　　　　　・「都鄙問答」（とひもんどう）を書いた</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・安藤昌益－・人々全員が自ら畑を耕して（万人直耕）食べ、自分で布を織って</p>
<p>　　　　　　　（直織）着る平等な世界が理想と考えた</p>
<p>　　　　　　　　＝このような世界を、自然世と呼んだ</p>
<p>　　　　　　　・畑や布織りを他人に頼っている人がいる社会はダメだと考えた</p>
<p>　　　　　　　　＝このような世界を、法世と呼んだ</p>
<p>　　　　　　　→法世の社会を自然世に戻し、平等な世界を作るべきだと考えた</p>
<p>　　　　　　　・「自然真営道」を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・二宮尊徳－・農業は、天道と人道から成り立っていると考えた</p>
<p>　　　　　　　　※天道－物事の自らの働きのこと（天道は稲を成長させるが、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　同時に雑草も茂らせる）</p>
<p>　　　　　　　　　人道－人が行う行為のこと（雑草を抜き取って、稲の成長を助ける）</p>
<p>　　　　　　　・人々の欲望は天道であり、欲望を制し、倹約と勤労に</p>
<p>　　　　　　　　つとめることが人道だと考えた</p>
<p>　　　　　　　　→倹約と勤労の具体的な方法を分度と推譲と言う</p>
<p>　　　　　　　　　※分度－自分の経済力に応じて生活すること</p>
<p>　　　　　　　　　　推譲－分度で生まれた余裕を将来のために備えたり、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　貧乏で苦しむ人に譲ったりすること</p>
<p>　　　　　　　・今の自分たちは、祖先がいたから、今の自分がいる。</p>
<p>　　　　　　　　だから、祖先に感謝しないといけないと考えた</p>
<p>　　　　　　　　＝このような考え方を、報徳思想と言う</p>
<p>　　　　　　　　※分度と推譲は、人々が日々の生活で報徳を行うことであると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・井原西鶴が浮世草子、近松門左衛門が世話浄瑠璃、西川如見が町人の生き方の肯定をした</p>
<p>・石田梅岩が、正直と倹約を提唱した上で、心学を作り、都鄙問答を書いた</p>
<p>・安藤昌益が、万人直耕をなどを踏まえた上での自然世を推奨し、法世を否定し、</p>
<p>　自然真営道を書いた</p>
<p>・二宮尊徳が、農業は天道と人道から成り立つことを前提として、</p>
<p>　分度と推譲を提唱し、報徳思想を考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回の部分でポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1632">江戸時代の庶民の思想について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>神道の流れから国学の誕生まで・神道や国学の考え方を研究した人達について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1631</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1631#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:34:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[古道]]></category>
		<category><![CDATA[国学]]></category>
		<category><![CDATA[垂加神道]]></category>
		<category><![CDATA[契沖]]></category>
		<category><![CDATA[尊王攘夷論]]></category>
		<category><![CDATA[平田篤胤]]></category>
		<category><![CDATA[教派神道]]></category>
		<category><![CDATA[本居宣長]]></category>
		<category><![CDATA[神道]]></category>
		<category><![CDATA[賀茂真淵]]></category>

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		<description><![CDATA[神道から国学の誕生に至るまでの部分と、国学や神道を考えた人達について考えてみます &#160; &#160; ・国学の誕生について 　→国学が誕生するまでを知るためには、神道についての流れを知っておく必要がある &#038;nbs [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1631">神道の流れから国学の誕生まで・神道や国学の考え方を研究した人達について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>神道から国学の誕生に至るまでの部分と、国学や神道を考えた人達について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国学の誕生について</p>
<p>　→国学が誕生するまでを知るためには、神道についての流れを知っておく必要がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・神道について</p>
<p>　　※神道：日本の昔からの神に対しての考え方に基づく宗教的な態度のこと　</p>
<p>　　</p>
<p>　・神道の流れ</p>
<p>　　・神道は、祭祀などの儀礼や神にまつわる物語の形で継承されていた</p>
<p>　　→しかし、密教の影響を受けて、平安時代の末期以降に、</p>
<p>　　　度会家行の伊勢神道や吉田兼倶の吉田神道が登場した</p>
<p>　　→そして、正直や清浄、慈悲などの道徳が意識され、</p>
<p>　　　そのような道徳を守る人は神に救われると考えられていた</p>
<p>　　　※正直：道理を受け入れる気持ちのこと</p>
<p>　　　　清浄：体をキレイにして、欲を持たない心の清らかさのこと</p>
<p>　　　　慈悲：いつくしんだり、あわれんだりすること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・その後、江戸時代には朱子学と結び付けて垂加神道が登場した</p>
<p>　　　※垂加神道－・儒家神道の一つで、山崎闇斎が作った</p>
<p>　　　　　　　　　・神人合一（神と人とを直接まとめて一つのものとして考えること）を</p>
<p>　　　　　　　　　　提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・そして、江戸時代中期に、契沖という人が「万葉集」を研究した</p>
<p>　　　→この流れを受けて、古道（昔の政治家の理想とされていた考え方）を</p>
<p>　　　　見出そうとする学問が誕生した</p>
<p>　　　　＝この学問を国学と言う</p>
<p>　</p>
<p>　　　　※代表的な国学者に、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国学者たちについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・賀茂真淵－・「万葉集」は男性的でおおらかな歌風の歌集（＝ますらをぶり）だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・賀茂真淵は、仏教や儒学の影響を受けていなかった</p>
<p>　　　　　　　　→そのため、「ますらをぶり」のような</p>
<p>　　　　　　　　　簡素で力強い日本の精神の尊重を提唱した</p>
<p>　　　　　　　・荷田春満から教わり、「国意考」や「歌意考」という本を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・本居宣長－・賀茂真淵と違い、女性的で優雅な歌風であるという「たをやめぶり」の精神が</p>
<p>　　　　　　　　日本には必要だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・人々は「古今集」や「源氏物語」などを学び、</p>
<p>　　　　　　　　「もののあはれ」を知るべきだと考えた</p>
<p>　　　　　　　　※もののあはれとは・・物事に触れた時に生まれる感嘆のこと</p>
<p>　　　　　　　　　→もののあはれをダメだと考える人は、他者の苦しみや悲しみが</p>
<p>　　　　　　　　　　理解できないからダメだと考えた</p>
<p>　　　　　　　　　　＝このような、他者を理解できない気持ちを、漢意（からごころ）と呼んだ</p>
<p>　　　　　　　　　　　※漢意・・儒学や仏教の考え方に影響を受けた気持ちのこと</p>
<p>　　　　　　　・本居宣長は、「道」（政治家の理想）は古道の段階で実現されているから、</p>
<p>　　　　　　　　「道」についての議論はする必要はないと考えた</p>
<p>　　　　　　　・仏教や儒学の教説は、自分の賢さを自慢するための道具だと考えた</p>
<p>　　　　　　　　→そこで、本居宣長は良くても悪くてもいいから、</p>
<p>　　　　　　　　　生まれた時に持っている心（＝真心）が大切だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・「古事記伝」や「玉勝間」を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平田篤胤－・古道を神道に結び付けて、復古神道という新しい神道を開いた</p>
<p>　　　　　　　　→以前からある神道の教説に含まれている仏教や儒学の教説を</p>
<p>　　　　　　　　　排除するべきだと考えた</p>
<p>　　　　　　　・復古神道は、民間の国学として、尊王攘夷論に影響を与えた</p>
<p>　　　　　　　・「霊能真柱」「古史徴」「古道大意」などを書いた</p>
<p>　</p>
<p>　※平田篤胤の復古神道の後、江戸時代後期に、修行の重要性やや現世利益を考え、</p>
<p>　　人々の救済を目指す黒住教、天理教、金光教などの民族宗教が生まれた</p>
<p>　　＝このような民族宗教をまとめて、教派神道と言われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・有名な神道として、度会家行の伊勢神道、吉田兼倶の吉田神道、山崎闇斎の垂加神道がある</p>
<p>・契沖の万葉集を始めとして、古道を見出そうとする学問として、国学が誕生した</p>
<p>・賀茂真淵は、「ますらをぶり」を提唱し、「国意考」や「歌意考」を書いた</p>
<p>・本居宣長は、「たをやめぶり」や「もののあはれ」、漢意を排除して真心を大切にすること</p>
<p>　などを提唱し、「古事記伝」や「玉勝間」を書いた</p>
<p>・平田篤胤は、復古神道を提唱し、尊王攘夷論や教派神道に影響を与え、</p>
<p>　「霊能真柱」「古史徴」「古道大志」などを書いた</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1631">神道の流れから国学の誕生まで・神道や国学の考え方を研究した人達について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>陽明学・古学・古義学・古文辞学・古学派・寛政異学の禁について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1630</link>
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		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:30:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[中江藤樹]]></category>
		<category><![CDATA[伊藤仁斎]]></category>
		<category><![CDATA[古学]]></category>
		<category><![CDATA[古学派]]></category>
		<category><![CDATA[古文辞学]]></category>
		<category><![CDATA[古義学]]></category>
		<category><![CDATA[寛政異学の禁]]></category>
		<category><![CDATA[山鹿素行]]></category>
		<category><![CDATA[荻生徂徠]]></category>
		<category><![CDATA[陽明学]]></category>

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		<description><![CDATA[陽明学と、古学・古義学・古文辞学の古学派について考えます &#160; &#160; &#160; ・陽明学について 　→日本の陽明学を生み出したのは、中江藤樹という人だった &#160; 　・中江藤樹について 　　 　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1630">陽明学・古学・古義学・古文辞学・古学派・寛政異学の禁について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>陽明学と、古学・古義学・古文辞学の古学派について考えます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・陽明学について</p>
<p>　→日本の陽明学を生み出したのは、中江藤樹という人だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中江藤樹について</p>
<p>　　</p>
<p>　　・人を愛し敬うこと（＝孝）が道徳の根本だと考えた</p>
<p>　　　→ただし、親子だけでなく、主従関係や夫婦・友人などの様々な人間関係に</p>
<p>　　　　孝が当てはまると考えた</p>
<p>　　　※孝は、全てに当てはまる考え方だが、時と場所と身分に合わせて</p>
<p>　　　　使わないといけないと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・人が生まれながらに持っている正しい判断力（＝良知）が重要として、</p>
<p>　　　自分の良知を発揮させるべきと考えた</p>
<p>　　　※中江藤樹は、良知を孝の最も基礎の部分だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・「翁問答」という本を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・古学について</p>
<p>　→日本で古学を提唱したのは、山鹿素行という人だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・山鹿素行について</p>
<p>　</p>
<p>　　・儒学の立場から、当時存在していた武士道を批判し、士道を提唱した</p>
<p>　　　※武士道：武士は名前を重視すること、恥を知ること、</p>
<p>　　　　　　　　君主に対してわが身を犠牲にして委ねることなどを提唱した</p>
<p>　　　　士道：武士は礼儀を重視すること、威厳を持って、人格を立派にし、</p>
<p>　　　　　　　欲のために心を動かさないことなどを提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※なぜ、武士道はダメで、士道が良いと考えたのか</p>
<p>　　　　→山鹿素行は、「武士は、道徳については指導者でなければいけない」と考えていて、</p>
<p>　　　　　武士道では、道徳の指導者になれないと思ったから</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・朱子学の考えの一つに含まれている「天理」を、抽象的だとして批判した</p>
<p>　　　→抽象的だと実行できないと考え、道理を日常生活の実用的な範囲に限定して、</p>
<p>　　　　欲望などを容認した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→天理のような考え方が生まれるのは、孔子や周公の考え方を様々な形で</p>
<p>　　　解釈していくうちにどんどん抽象的な方向に向かってしまったのが原因だから、</p>
<p>　　　孔子や周公の後の時代に生まれた考え方を無視して、</p>
<p>　　　直接孔子や周公の考え方を学ぶべきだと考えた</p>
<p>　　　＝そのため、このような考え方を古学と言い、山鹿素行が古学を提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※山鹿素行は「聖教要録」という本を書き、その中で朱子学を批判したため、</p>
<p>　　　島流しの刑となった</p>
<p>　</p>
<p>　　※江戸時代中期に、武士道について、山本常朝という人が、「葉隠」という本で</p>
<p>　　　「武士道といふは死ぬことと見付けたり」と考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・山鹿素行の古学はその後、古義学と古文辞学に分かれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・古義学について</p>
<p>　　→古義学を生み出したのは、伊藤仁斎という人だった</p>
<p>　　</p>
<p>　　※古義学とは・・古学の中でも、「論語」や「孟子」などを</p>
<p>　　　　　　　　　　緻密に読み解く勉強の方法を提唱した学問のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・伊藤仁斎について</p>
<p>　</p>
<p>　　・全ての物事は生まれ働き動き続けるので、止まることがない</p>
<p>　　　そのため、私達の生きている世界は、変化し続ける「一大活物」というふうにとらえた</p>
<p>　　　※人間関係も同じで、頻繁に会う身近な人との交流以外に、人間関係は無いと考えた</p>
<p>　　　　＝自分と全く関係ない人は、自分と交流関係があるとは言えない</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで伊藤仁斎は、上のような考え方から、</p>
<p>　　　「仁は愛のみ」「われよく人を愛すれば、人またわれを愛す」と考えた</p>
<p>　　　※仁とは・・人と人の関わりにおいて自分と他人がとがお互いに親しみ、</p>
<p>　　　　　　　　　お互いに愛することで、伊藤仁斎は、仁を行為の中で理想だと考えた</p>
<p>　　　※しかし、仁はかすむ程度で弱いため、他人の苦しみを直接感じることは</p>
<p>　　　　できないと考えた</p>
<p>　　　　→そこで、仁を全ての場面で広く、深く実現されるために・・</p>
<p>　　　　　・他人に自分をつくして、全くウソをつかないこと（＝忠信）が大切だと考えた</p>
<p>　　　　　・「論語」や「孟子」などを学び、他人にとってふさわしい行動（＝義）を</p>
<p>　　　　　　知るべきだと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・伊藤仁斎は、仁を達成することで誠に近づけると考えた</p>
<p>　　　※誠とは・・人と人との関わる時に、飾ったりすることなく純粋な心で対応できること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・「童子問」や「語孟字義」という本を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・古文辞学について</p>
<p>　　→古文辞学を生み出したのは荻生徂徠という人だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※古文辞学とは・・「六教」を学ぼうとした時に、「六教」は古文辞で書かれているから、</p>
<p>　　　　　　　　　　　古文辞を学んで、「六教」を学ぼうとする学問のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・荻生徂徠について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・荻生徂徠は、「天下を安んずるの道（安天下の道）」を考えた</p>
<p>　　　→この考え方から、儒学の重要な部分は、人々の生活が安定し、</p>
<p>　　　　人々が安心して生きられることを自覚すること＝経世済民だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・荻生徂徠がここで言う「道」とは、自然などの道理ではなく、</p>
<p>　　　政治を行う人のために聖人（儒教で理想とされた人達のこと）によって</p>
<p>　　　作られた礼楽刑政のことを指している</p>
<p>　　　＝礼楽刑政は、尭や舜（２人とも聖人）などによって作られた</p>
<p>　　　　儀礼・音楽・刑罰・政治などの制度や習慣、風習だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・荻生徂徠は、上のような考え方から、</p>
<p>　　　→人々の生活が安定するとは、「人々の意見や才能を育てて発揮させること」であり、</p>
<p>　　　　礼楽刑政はその手段として使うべきだと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・礼楽刑政は、「論語」以前の書物の六経に古文辞（古語）で記されているから、</p>
<p>　　　礼楽刑政を知るためには、古文辞を学ばなければいけないと考えた</p>
<p>　　　→このような考え方から、荻生徂徠は古文辞学を生み出し、古文辞学を重視した</p>
<p>　　　※六経－五経に「楽経」を加えたもののこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・「弁道」という本を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠らをまとめて、古学派と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・寛政異学の禁について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・寛政異学の禁とは・・聖堂学問所で朱子学以外の儒学の講義をすることを</p>
<p>　　　　　　　　　　　　禁止した出来事のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・具体的な流れ</p>
<p>　　・江戸幕府は、聖堂学問所（後の昌平坂学問所）を設置するなど、</p>
<p>　　　儒学を使っての武士の教育を行ったが、寛政の改革の時に寛政異学の禁が出されて、</p>
<p>　　　儒学の勢いが弱まった</p>
<p>　　　※一方で、藩校や私塾などが多く設けられ、儒学の考え方は少しずつ浸透していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※この出来事に関しての注意点</p>
<p>　</p>
<p>　　・なぜ、朱子学以外の儒学を禁止したのか</p>
<p>　　　→朱子学は、儒学の中でも、身分制度の意識が強く、</p>
<p>　　　　幕府が身分制度を根付かせたかったからだと言われている</p>
<p>　</p>
<p>　　・なぜ、寛政異学の禁が出されたのに、藩校や私塾で儒学は教えていたのか</p>
<p>　　　→寛政異学の禁が出されたのは、聖堂学問所だけで、それ以外には出されていないから</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・では、なぜ全国的に禁止にしないのか</p>
<p>　　　→当時の幕藩体制は、幕府と地方で政策が違い、幕府が寛政異学の禁について</p>
<p>　　　　地方に口出しをしなかったからだと言われている</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中江藤樹が陽明学を生み出し、孝を重視した上で、良知を孝の根本に置いた</p>
<p>・山鹿素行が古学を生み出し、儒学の立場から武士道を批判した上で士道を主張した</p>
<p>・山鹿素行は、朱子学の天理を抽象的と批判し、道理を日常生活の範囲に限定すると同時に、</p>
<p>　欲望や情念を容認した</p>
<p>・山鹿素行は、後世を無視して、孔子や周公の考え方を学ぶべきだとして、古学を提唱した</p>
<p>・山本常朝が「葉隠」を書いた</p>
<p>・伊藤仁斎が古義学を生み出し、仁を提唱した</p>
<p>・伊藤仁斎は、仁のために忠信と義を重視し、仁を達成することで誠に近づけると考えた</p>
<p>・荻生徂徠は、古文辞学を生み出し、安天下の道を考え、礼楽刑政を提唱した</p>
<p>・古義学と古文辞学をまとめて古学と言う</p>
<p>・山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠らをまとめて古学派と言う</p>
<p>・儒学と朱子学に関連して、江戸時代に寛政異学の禁が出された</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1630">陽明学・古学・古義学・古文辞学・古学派・寛政異学の禁について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>儒学の受容と展開について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1629</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1629#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:25:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[上下定分の理]]></category>
		<category><![CDATA[儒学]]></category>
		<category><![CDATA[天人合一]]></category>
		<category><![CDATA[存心持敬]]></category>
		<category><![CDATA[新井白石]]></category>
		<category><![CDATA[朝廷]]></category>
		<category><![CDATA[朱子学]]></category>
		<category><![CDATA[格物致知]]></category>
		<category><![CDATA[藤原惺窩]]></category>
		<category><![CDATA[遣隋使]]></category>

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		<description><![CDATA[儒学について考えます &#160; &#160; &#160; ・儒学の受容（儒学は、日本にどのように取り入れられたのか） 　 　・儒学は、７世紀頃に朝廷が遣隋使（のちに遣唐使）を中国に派遣したことで、 　　日本に入って [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1629">儒学の受容と展開について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>儒学について考えます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・儒学の受容（儒学は、日本にどのように取り入れられたのか）</p>
<p>　</p>
<p>　・儒学は、７世紀頃に朝廷が遣隋使（のちに遣唐使）を中国に派遣したことで、</p>
<p>　　日本に入ってきた</p>
<p>　　→これにより、官人（現在で言う役人）によって政治が行われるようになったり、</p>
<p>　　　律令が制定されたりした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・官人の育成には明教道が重要とされ、明教道以外には明法道や紀伝道などがあった</p>
<p>　　※明教道：「礼記」や「易経」などの儒学の経典を学ぶ学問のこと</p>
<p>　　　明法道：律令（法律や政治経済についての規定のこと）や</p>
<p>　　　　　　　格式（礼儀や作法のこと）を学ぶ学問のこと</p>
<p>　　　紀伝道：「史記」や「文選」を学ぶ学問のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→儒学は、政治に関係する規定の手本として理解され、受け入れられていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・朱子学の思想、考え方について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朱子学は儒学の一部で、日本では特に江戸時代に朱子学が盛んになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時は、朱子学が考える理（物事の根本の正しい考え）は天という場所にあると</p>
<p>　　考えられており、天にある理が理想だから求めていこうと考えていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の朱子学に関連した人</p>
<p>　　・藤原惺窩：元々は禅宗の僧だったが、一般の人に戻り、儒学者となった。</p>
<p>　　　　　　　　江戸時代の儒学の生みの親</p>
<p>　　・林羅山：禅宗の僧となることを拒んで、朱子学者として、幕府に仕えた</p>
<p>　　・山崎闇斎：塾を開いて、朱子学を説明し、教えていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・林羅山や山崎闇斎の朱子学の考え方</p>
<p>　　</p>
<p>　　・政治を行う人や君子は、自分が控え目な行動をすること、</p>
<p>　　　自分の行動を慎むこと（＝敬）によって、欲望や情念（抑えがたい感情）を捨てて、</p>
<p>　　　人間に元々ある本来の心を維持するべきだと考えた</p>
<p>　　　＝これを存心持敬と言う</p>
<p>　</p>
<p>　　・本来の心を維持することで、天と通い合うから、</p>
<p>　　　天と通い合い、天と自分の本来の心を合一しなければいけないと考えた</p>
<p>　　　＝この考え方を天人合一と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※天人合一とは・・</p>
<p>　　　　→天より下の世界（＝世俗世界、人々が生活している世界）にある道理（＝天理）を</p>
<p>　　　　　理解して、実際に自分自身で理を表現すること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※天理は、四季や時間の経過など、自然現象などの道理だけでなく、</p>
<p>　　　　上下定分の理も含まれると考えた</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　※上下定分の理とは・・</p>
<p>　　　　→王様と家来のような上下の関係や身分秩序などは、</p>
<p>　　　　　道理が表現されているという考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・政治を行う人（為政者）は、全ての道理を明らかにして、</p>
<p>　　　物事を全て知り尽くしていないといけないと考えた</p>
<p>　　　＝このような考え方を格物致知と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※儒学や朱子学を勉強した人の中で活躍した人達について</p>
<p>　　・貝原益軒－薬草を中心に植物の観察と分類を行って、</p>
<p>　　　　　　　　「大和本草」という本を書いた</p>
<p>　　・新井白石－朱子学の立場からキリスト教の教説に対する批判を書いた</p>
<p>　　　　　　　　「西洋紀聞」という本を書いた</p>
<p>　　・雨森芳洲－「交鱗提醒」というものを書いて、朝鮮との外交を</p>
<p>　　　　　　　　どうするべきかを考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・儒学は、遣隋使（後の遣唐使）によって入ってきた</p>
<p>・明教道が重要とされ、明教道以外には明法道や紀伝道などがあった</p>
<p>・儒学は、政治に関係する規定の手本として理解され、受け入れられていった</p>
<p>・当時の朱子学は天にある理を理想とした</p>
<p>・当時の朱子学に関連する人に藤原惺窩、林羅山、山崎闇斎などがいる</p>
<p>・羅山や闇斎は、存心持敬を維持した上での天人合一を重視した</p>
<p>・天理の中には、上下定分の理も含まれていると考えた</p>
<p>・格物致知が大切だとした</p>
<p>・その他に、貝原益軒、新井白石、雨森芳洲がいる</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1629">儒学の受容と展開について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>仏教と日本文化の関係について　（無常・西行・一遍・千利休・松尾芭蕉・円空・良寛）</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1628</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1628#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:20:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[一遍]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[円空]]></category>
		<category><![CDATA[千利休]]></category>
		<category><![CDATA[時宗]]></category>
		<category><![CDATA[松尾芭蕉]]></category>
		<category><![CDATA[空也]]></category>
		<category><![CDATA[良寛]]></category>
		<category><![CDATA[西行]]></category>
		<category><![CDATA[踊念仏]]></category>

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		<description><![CDATA[仏教と日本文化の関係について考えます その中でも、仏教に大きく関係した人やことがらについて考えます &#160; &#160; ・そもそも仏教とは・・ 　→仏教は無常観だと言われている 　　※無常観－仏の世界は不変だが、 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1628">仏教と日本文化の関係について　（無常・西行・一遍・千利休・松尾芭蕉・円空・良寛）</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>仏教と日本文化の関係について考えます</p>
<p>その中でも、仏教に大きく関係した人やことがらについて考えます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・そもそも仏教とは・・</p>
<p>　→仏教は無常観だと言われている</p>
<p>　　※無常観－仏の世界は不変だが、自分や世俗世界は常に変化していく、</p>
<p>　　　　　　　という考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　＝自分や世俗世界などにおいて永久に不滅のものは無い</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・西行について</p>
<p>　・平安時代末期に仏教を深く考えた人に、西行という人がいる</p>
<p>　　→この人は、仏の世界を知ろうとして花鳥風月の世界に身を投じた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※どういうことか・・</p>
<p>　　　→西行は、「全ての物事は桜の花のように散ってしまい、</p>
<p>　　　　自分自身も散る。だからどうすればいいか」</p>
<p>　　　　ということを花鳥風月から知ろうと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・一遍について</p>
<p>　・鎌倉時代中期に仏教について考えた人に、一遍という人がいる</p>
<p>　　→この人は、時宗という宗派を作り出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・時宗の内容</p>
<p>　　→「人は孤独である」ということを常に考えていたため、</p>
<p>　　　自分の衣食住に関わる全てを捨てようとした</p>
<p>　　　＝そのため、別名「捨聖」（すてひじり）と言われる</p>
<p>　</p>
<p>　・一遍の考え方</p>
<p>　　→空也の念仏の考え方が取り入れられていて、念仏をするのが良いと考えた</p>
<p>　　→空也は念仏の時に、踊りながらの念仏が良いと考え、</p>
<p>　　　踊念仏という念仏の方法を生み出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※踊念仏は、盆踊りなど、全国各地の民族芸能での踊りの根本となった</p>
<p>　　　→この踊りは、出雲大社にいた阿国という巫女によって、</p>
<p>　　　　歌舞伎に取り入れられていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・千利休について</p>
<p>　・安土桃山時代に仏教を考えた人に、千利休という人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・千利休の功績</p>
<p>　　→草庵という建て物の取り入れて、</p>
<p>　　　和敬静寂（お客との対応の能力やお茶の道具を使う技術）を重んじる</p>
<p>　　　わび茶というのを完成させた</p>
<p>　　　※わび－自分の住んでいる世界で、贅沢をしたり見た目をキレイにしたりすることを</p>
<p>　　　　　　　辞めた静かな心のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→千利休は、わびを茶道の理想にまで高めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・松尾芭蕉について</p>
<p>　・江戸時代に仏教を考えた人に、松尾芭蕉という人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・松尾芭蕉の功績</p>
<p>　　→「わび」を受け継いで、俳句の世界で「さび」を重視するべきだという考え方を提示した</p>
<p>　　※さび－自分自身や、自分の住んでいる世界の無常をさびしく感じて、</p>
<p>　　　　　　色々なことを愛おしく思う心のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・円空について</p>
<p>　・江戸時代に仏教を考えた人に、円空という人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・円空の功績</p>
<p>　　→修験道を学んで、木彫りの仏像や神像を多く作った</p>
<p>　　※円空は、臨済宗の僧</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・良寛について</p>
<p>　・江戸時代中期に仏教を考えた人に、良寛という人がいる</p>
<p>　</p>
<p>　・良寛の行為</p>
<p>　　→曹洞宗を学んだが、寺だけでは物足りず、</p>
<p>　　　自分の生まれである出雲崎というところに戻った</p>
<p>　　※良寛は、自分を見つめる意識を元に、数多くの漢詩や詩歌を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・仏教は無常観と考えられた</p>
<p>・西行は、花鳥風月の世界に身を投じた</p>
<p>・一遍は、時宗の祖で、捨聖と言われた</p>
<p>・一遍は、空也の念仏の流れを組んで、踊念仏を行った</p>
<p>・千利休は、茶道の世界でわびを完成させた</p>
<p>・松尾芭蕉は、わびを継承して、さびを俳諧に取り入れた</p>
<p>・円空が修験道を学んだ</p>
<p>・良寛が曹洞宗を学んだ</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1628">仏教と日本文化の関係について　（無常・西行・一遍・千利休・松尾芭蕉・円空・良寛）</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>仏教の展開について 　－鎌倉時代の仏教（鎌倉新仏教）－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1627</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1627#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:13:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
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		<category><![CDATA[法然]]></category>
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		<description><![CDATA[仏教の展開として、鎌倉時代の仏教（鎌倉新仏教）を考えます &#160; &#160; ・鎌倉時代の仏教について 　・鎌倉時代の仏教は、それ以前の仏教を念仏、坐禅、唱題などの簡単な形にして単純化して 　　簡単に考えられるよ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1627">仏教の展開について 　－鎌倉時代の仏教（鎌倉新仏教）－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>仏教の展開として、鎌倉時代の仏教（鎌倉新仏教）を考えます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・鎌倉時代の仏教について</p>
<p>　・鎌倉時代の仏教は、それ以前の仏教を念仏、坐禅、唱題などの簡単な形にして単純化して</p>
<p>　　簡単に考えられるように工夫した</p>
<p>　　→このような形をとったことによって、多くの人たちに受け入れられていった</p>
<p>　　※単純化の方法が多くの人達によって考え方が違い、様々な形で展開していった</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・鎌倉時代の仏教の時に活躍した人達について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・活躍した人の名前と内容</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・法然－・「選択本願念仏集」という本を書いた</p>
<p>　　　　　・浄土宗の生みの親</p>
<p>　　　　　・法然は、「阿弥陀仏は全ての人を平等に救うために極楽浄土を作った」と考えた</p>
<p>　　　　　・末法思想の末法に、教（＝教説）は残っているから、</p>
<p>　　　　　　念仏を唱えれば極楽浄土に行けると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　　→法然は、学問や修行を捨てて、ひたすら念仏を唱えることが重要だと考えた</p>
<p>　　　　　　　＝これを専修念仏と言う</p>
<p>　　　　　　</p>
<p>　　　　　※念仏には、頭で考える観想念仏と、声に出す称名念仏があるが、</p>
<p>　　　　　　法然は称名念仏が大切だとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・親鸞－・「教行信証」という本を書いた</p>
<p>　　　　　・親鸞は、法然の専修念仏をより深く捉えた</p>
<p>　　　　　　→それによって、浄土真宗という新しい宗派を生み出した</p>
<p>　　　　　　　＝浄土真宗の生みの親</p>
<p>　　　　　・弟子の唯円という人が、「歎異抄」と言う本で、</p>
<p>　　　　　　「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と言った</p>
<p>　　　　　　→これを見た親鸞が、</p>
<p>　　　　　　　「自力」で修行する人（＝善人）が往生（極楽浄土に行くこと）ができるから、</p>
<p>　　　　　　　「他力」（阿弥陀仏の働き）に頼る人も往生できると考えた　　　</p>
<p>　　　　　　　→このような考え方を悪人正機と言う</p>
<p>　　　　　　　　※ここでの悪人は、煩悩がある人で、悪いことを実際にした人ではない</p>
<p>　　　　　・極楽浄土に行くかどうかは、全て阿弥陀仏にかかっていると考えた</p>
<p>　　　　　　＝これを自然法爾（じねんほうに）と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　→親鸞は、念仏を唱えることは、阿弥陀仏に自分をゆだねることだと考えた</p>
<p>　　　　　　＝このような考え方を絶対他力と言う</p>
<p>　　　　　　※親鸞は、他者が仏の知を体で理解していないと、自分は他者を救えないと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日蓮－・「立正安国論」という本を書いた</p>
<p>　　　　　・法華経が最も良いと主張した</p>
<p>　　　　　・南無妙法蓮華経と題目を唱えること（＝唱題）だけ行えば良いと考えた</p>
<p>　　　　　・釈迦が仏になった原因とされている修行とその結果は、</p>
<p>　　　　　　妙法蓮華経の５文字に全て備わっているから</p>
<p>　　　　　　その５文字を信じて忘れなければ、いろいろな利益を得られると考えた</p>
<p>　　　　　・法華経の行者（法華経を修行している人）がいる世俗世界が</p>
<p>　　　　　　そのまま仏の世界になると考えた</p>
<p>　　　　　　→そこで、法華経以外を厳しく攻撃して排除しようとし、</p>
<p>　　　　　　　「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国家」と考えた</p>
<p>　　　　　　　＝この４つをまとめて四箇格言と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・禅宗について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上の人達以外で活躍した人として、禅宗という宗派を日本に取り入れた人達がいた</p>
<p>　　</p>
<p>　※禅宗－・代表的なのは、臨済宗と曹洞宗という宗派</p>
<p>　　　　　・根本的には、坐禅による自力の修行が大切だと考えられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・禅宗で活躍した人達の名前と内容</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・栄西－・「興禅護国論」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　・臨済宗の生みの親</p>
<p>　　　　　　・自分が悟りを開けば、他人も救うことができると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　・道元－・「正法眼蔵」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　・曹洞宗の生みの親</p>
<p>　　　　　　・仏の知は本来備わっていて、人々が忘れているだけ、と考えた</p>
<p>　　　　　　・全てを捨てて、ひたすら坐禅に励むこと（只管打坐）を行うことが</p>
<p>　　　　　　　大切だと考えた</p>
<p>　　　　　　　※洗面や清掃など、日々の行動全てが坐禅につながると考えていた</p>
<p>　　　　　　　→坐禅をすることで、欲望や執着から解き放たれると考えた</p>
<p>　　　　　　　（＝身心脱落）</p>
<p>　　　　　　・坐禅などの修行に打ち込んだ分、証（仏の知や悟り）を得られるとした</p>
<p>　　　　　　　（＝修証一等）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・鎌倉新仏教は、単純化を目指して拡大していった</p>
<p>・法然は、浄土宗の祖で「選択本願念仏集」を著し、専修念仏、特に称名念仏を提唱した</p>
<p>・親鸞は、浄土真宗の祖で「教行信証」を著し、悪人正機、自然法爾、絶対他力を提唱した</p>
<p>・日蓮は、法華経を主張し、「立正安国論」を著し、唱題と四箇格言を提唱した</p>
<p>・栄西は、臨済宗の祖で、「興禅護国論」を著した</p>
<p>・道元は、曹洞宗の祖で、「正法眼蔵」を著し、只管打坐、身心脱落、修証一等を提唱した</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1627">仏教の展開について 　－鎌倉時代の仏教（鎌倉新仏教）－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>仏教の受容と展開について　－仏教の伝来 聖徳太子 奈良仏教 平安仏教 浄土信仰 末法思想 神仏習合－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1626</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1626#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:09:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
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		<category><![CDATA[奈良仏教]]></category>
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		<category><![CDATA[末法思想]]></category>
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		<category><![CDATA[空海]]></category>
		<category><![CDATA[聖徳太子]]></category>
		<category><![CDATA[聖武天皇]]></category>

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		<description><![CDATA[仏教が日本に入ってきてから、神仏習合に至るまでについて解説します。 &#160; &#160; ・仏教の伝来について &#160; 　・仏教が伝来されるまでの流れ 　　→・漢字の伝来と一緒に、百済の王仁という人（＝百済か [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1626">仏教の受容と展開について　－仏教の伝来 聖徳太子 奈良仏教 平安仏教 浄土信仰 末法思想 神仏習合－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>仏教が日本に入ってきてから、神仏習合に至るまでについて解説します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・仏教の伝来について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・仏教が伝来されるまでの流れ</p>
<p>　　→・漢字の伝来と一緒に、百済の王仁という人（＝百済からの渡来人）によって</p>
<p>　　　　儒学が取り入れられた</p>
<p>　　　・その後、６世紀中ごろに仏教が朝鮮半島を通って日本に入ってきた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※この時、祭祀などを排除しないで、むしろ、元々存在している儀礼を</p>
<p>　　　　より豊かにする形で儒教や仏教が取り入れられていった</p>
<p>　　　　→和辻哲郎は、このような仏教の受け入れ方の特徴を、文化の重層性と呼んだ</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※当時、仏は蕃神（あだしくにのかみ）＝外国から新しく入ってきた神　</p>
<p>　　　　と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・仏教と聖徳太子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子とは・・</p>
<p>　　→・この人は、仏教を初めて思想として表現した</p>
<p>　　　・法華経（ほけきょう）、勝鬘経（しょうまんぎょう）、維摩経（ゆいまきょう）を</p>
<p>　　　　まとめて三経と言い、聖徳太子は、三経のそれぞれの注釈書である、</p>
<p>　　　　「三経義疏」を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子は、憲法十七条を制定した</p>
<p>　　→憲法十七条の冒頭で、「和をもって貴しとなす。逆らうことなきを宗となせ。」</p>
<p>　　　と述べた</p>
<p>　　　※どういうことか・・政治を行う人で、上に立つ人は下の人に和やかに、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　下の人は上の人に逆らってはいけないと考えた</p>
<p>　　</p>
<p>　　※憲法十七条の内容の他の条では・・</p>
<p>　　　・仏と法と僧の三宝を敬うべきである</p>
<p>　　　・怒りやねたみを捨てて、是非や善悪を自分で勝手に判断するな</p>
<p>　　　・自分の間違いを恐れ、重要な事柄を決定するときは多くの人の意見に従え</p>
<p>　　　　などということが述べられていた</p>
<p>　</p>
<p>　　　→このようなことから、聖徳太子はどのように考えていたのか・・</p>
<p>　　　　＝聖徳太子は、仏から見れば、</p>
<p>　　　　　全員が「凡夫」（欲望や執着に捉われている愚かな存在）だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子の遺言</p>
<p>　　・聖徳太子は、「世間は虚仮なり、唯仏のみ是れ真なり」という遺言を残した</p>
<p>　　　→これは、どういう意味なのか</p>
<p>　　　　＝貧富や身分の上下、賢いか愚かかは、見かけの姿でしかないから、</p>
<p>　　　　　貧しい人や身分の低い人と対応する時は、その人の心を意識しなければいけない</p>
<p>　　　　　と考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・奈良仏教の流れ</p>
<p>　</p>
<p>　・奈良仏教の根本</p>
<p>　　→奈良時代の仏教は、鎮護国家（災厄を鎮め、人々の苦しみをやわらげ、</p>
<p>　　　国家を無事でやすらかにすること）として、盛んになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・奈良時代に活躍した人々</p>
<p>　　</p>
<p>　　・行基－・法相宗を学び、私度僧（朝廷の承認なしに出家する人々のこと）の</p>
<p>　　　　　　　指導者として活躍した</p>
<p>　　　　　　・吉凶禍福（幸福や不幸）や善悪について考え、</p>
<p>　　　　　　　無料宿泊施設や毘盧遮那仏（びるしゃなぶつ）などの造立に参加した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・鑑真－・東大寺という所に</p>
<p>　　　　　　　戒壇（出家を目指す人に戒律（修行する人の生活上のルール）を与える場所のこと）</p>
<p>　　　　　　　を作り、受戒制度（戒律を受け取る制度のこと）を確立した</p>
<p>　　　　　　・南都六宗（三論、成実、法相、倶舎、華厳、律の総称）が生まれ、</p>
<p>　　　　　　　教説（学問上の説）を学んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・聖武天皇－・国分寺と国分尼寺を建て、</p>
<p>　　　　　　　　　金光明経（国王が祈れば国が救われるという考え方の経典）を読んで、</p>
<p>　　　　　　　　　五穀豊穣（穀物が豊かに実ること）と災厄を鎮めることを祈った</p>
<p>　　　　　　　　・東大寺に毘盧遮那仏（華厳経の仏）を建て、</p>
<p>　　　　　　　　　国家の安泰（無事でやすらかにすること）を祈った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時、私度僧に対し、朝廷の承認があってから出家した人を官僧と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・平安時代の流れ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平安時代の根本</p>
<p>　　→厄病除けなどの現世利益（神や仏からもらえるこの世での幸せのこと）のために、</p>
<p>　　　加持祈祷（仏や神が人々を助けるよう祈ること）が盛んに行われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平安時代に活躍した人達</p>
<p>　　</p>
<p>　　・最澄－・「顕戒論」や「三家学生式」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　・天台宗を学んで、比叡山に延暦寺を建てた</p>
<p>　　　　　　・大乗菩薩戒（大乗仏教の戒）だけ受戒できることを目指した</p>
<p>　　　　　　・一切衆生悉有仏性（命あるものは全て仏になる可能性を</p>
<p>　　　　　　　持っているという考え方）を強調した</p>
<p>　</p>
<p>　　・空海－・「三教指帰」や「十住心論」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　・密教を学び、真言宗を伝え、高野山に金剛峯寺を開いた</p>
<p>　　　　　　　※密教－釈迦が悟った真理のことで、大日如来という仏が</p>
<p>　　　　　　　　　　　受け入れていると考えられていた</p>
<p>　　　　　　・即身成仏（決心さえすれば誰でも仏になれるという考え方）を強調した</p>
<p>　　　　　　・曼荼羅（仏の知の世界を図にしたもの）を伝えた</p>
<p>　　　　　　　※曼荼羅は、慈悲の表れだと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・末法思想と浄土信仰について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・浄土信仰に関連して活躍した人達について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・空也－市聖と呼ばれ、南無阿弥陀仏を称えながら、浄土信仰を広めた</p>
<p>　　　※浄土信仰・・仏や菩薩が支配する浄土という世界に憧れる信仰のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・源信－・「往生要集」という本を書き、次に生まれてくる時に</p>
<p>　　　　　　　どうすれば極楽浄土という場所に行けるかを考えた</p>
<p>　　　　　　・阿弥陀仏が人々を極楽浄土に迎えにくる様子を書いた</p>
<p>　　　　　　　→これを来迎図と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・慶滋保胤（よししげのやすたね）</p>
<p>　　　→「日本往生極楽記」というのを書き、極楽浄土に到着した人達の話を集めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・末法思想について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・末法思想とは・・仏教が正法、像法、末法と衰退していくという考え方のこと</p>
<p>　</p>
<p>　　※正法・・教（教説）と行と証がある</p>
<p>　　　像法・・教と行がある</p>
<p>　　　末法・・教がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→人々は末法に進むにつれ、不安に駆られた。</p>
<p>　　　そのため、厭離穢土や欣求浄土に魅かれていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・神仏習合について</p>
<p>　</p>
<p>　・日本では、仏が神や死者に関わる儀礼と結びついて仏教が浸透していった</p>
<p>　　→このように、仏と神を合わせてそれぞれの良いところを</p>
<p>　　　選び取る考え方を神仏習合と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・神仏習合に関連する事柄について</p>
<p>　　</p>
<p>　　・修験道－・奥山に入って、神に関わる儀礼と仏教の教説を学ぶこと</p>
<p>　　　　　　　・開祖は役小角で、修験道を行った人は山伏と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・本地垂迹説－仏が神という姿を借りて現れるという考え方</p>
<p>　　　※仏＝本地、神＝垂迹・・権現　というように考えられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・仏教が入ってくる流れを抑える</p>
<p>・聖徳太子の思想、十七条の憲法、遺言を抑える</p>
<p>・奈良仏教の根本（鎮護国家）と行基、鑑真、聖武天皇の思想を抑える</p>
<p>・平安仏教の根本（現世利益・加持祈祷）と最澄、空海の思想を抑える</p>
<p>・浄土信仰に関連した人として、空也、源信、慶滋保胤を抑える</p>
<p>・末法思想＝仏教が最終的に末法に衰退していくという考え方</p>
<p>・神仏習合、修験道、本地垂迹説を抑える</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1626">仏教の受容と展開について　－仏教の伝来 聖徳太子 奈良仏教 平安仏教 浄土信仰 末法思想 神仏習合－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>古代日本の考え方について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1625</link>
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		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 17:34:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[アマテラス大神]]></category>
		<category><![CDATA[八百万の神]]></category>
		<category><![CDATA[和辻哲郎]]></category>
		<category><![CDATA[折口信夫]]></category>
		<category><![CDATA[清明心]]></category>
		<category><![CDATA[祟り神]]></category>
		<category><![CDATA[花鳥風月]]></category>
		<category><![CDATA[葦原中国]]></category>
		<category><![CDATA[貴種流離譚]]></category>
		<category><![CDATA[黄泉国]]></category>

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		<description><![CDATA[古代日本について考えてみます &#160; &#160; ・崇り神について 　・神は、当時外部の世界から突然やってくる存在だと考えられていた 　　→折口信夫という人は、神を「客人（まれびと）」と呼んだ &#160; 　・ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1625">古代日本の考え方について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>古代日本について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・崇り神について</p>
<p>　・神は、当時外部の世界から突然やってくる存在だと考えられていた</p>
<p>　　→折口信夫という人は、神を「客人（まれびと）」と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・崇り神とは・・飢饉や地震などの自然災害を起こす神様のこと</p>
<p>　　※神は、鳥や草木など、様々な形になって人々の前に現れたと考えられた</p>
<p>　　　→人々は、このような神は八百万の神（数多くの神々）として現れたと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・生み出す神と祀る神について</p>
<p>　</p>
<p>　・そもそも神とは・・激しく、荒々しく世界を破壊するが、</p>
<p>　　　　　　　　　　　落ち着くと穀物の豊かな実りと穏やかな暮らしを</p>
<p>　　　　　　　　　　　もたらす存在だと考えられていた</p>
<p>　　→そこで人々は、神を落ち着かせることを目指して、</p>
<p>　　　祭祀（神や先祖を祀ること）を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・神の種類と場所について</p>
<p>　　・アマテラス大神（天照大神）：祭祀を行う神のこと</p>
<p>　　・和辻哲郎は、外部から来る神を祀られる神、祭祀を行う神を祀る神として区別した</p>
<p>　　・高天原：祭祀を行う場所のことで、橋渡しの場所（辺境世界）にあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・葦原中国について</p>
<p>　・葦原中国とは・・イザナミの命という神が、イザナキの命という神と一緒に</p>
<p>　　　　　　　　　　整えた場所のことで、人々が生活している日常の場を指す</p>
<p>　　※ただし、イザナミの命は火を生み出した時に、病にかかって死んでしまったため、</p>
<p>　　　人々が生活している日常の場は、整えが未完全だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・黄泉国について</p>
<p>　・黄泉国とは・・死んだ人が住む世界のこと</p>
<p>　　※黄泉国の歴史について</p>
<p>　　　→・黄泉国は、イザナキの命が、死んだイザナミの命を追いかけて</p>
<p>　　　　　たどり着いた場所だと言われている</p>
<p>　　　　・イザナミの命は黄泉国の神となった</p>
<p>　　　　・イザナキの命は、黄泉国の穢れ（汚れ）を洗って清めようとして、</p>
<p>　　　　　禊（穢れのある人が体を洗い清める儀式のこと）を行った</p>
<p>　　　　　※その時に、イザナキの命が左目を洗ったらアマテラス大神が、</p>
<p>　　　　　　鼻を洗ったらスサノヲの命が誕生した</p>
<p>　　　　　→このことから、「死」は「生」の根本である、ということが言える</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・清き明き心（清明心）について</p>
<p>　・清き明き心とは・・神を騙したり、神に嘘をついたりする気持ち（＝濁心）がないこと</p>
<p>　　→清明心は、禊と同じように重要視された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※アマテラス大神は、スサノヲの命が高天原を奪うかもしれないと思い、</p>
<p>　　　スサノヲの命に清明心を聞いたと言われている</p>
<p>　　　→スサノヲの命は、「うけひ」という呪術を行ったことで、</p>
<p>　　　　清明心が証明されたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・罪と祓ひについて</p>
<p>　・ここでいう「罪」とは・・祭祀（神や先祖を祭ること）を妨げることを指す</p>
<p>　　※スサノヲの命は、アマテラス大神の祭祀を妨げたと言われている</p>
<p>　　→スサノヲは、罪をつぐなうために「祓ひ（祓へ）」を行ったが、</p>
<p>　　　結局スサノヲは高天原から追い出され、葦原中国に行った、という流れがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※祓ひとは・・物品を献上（差し上げる）すること。</p>
<p>　　　　　　　　　禊とは異なる。</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※以上のような、スサノヲの命の物語は、後の時代の様々な物語の原型と言われ、</p>
<p>　　「貴種流離譚（きしゅりゅうりたん）」と呼ばれている</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・自然の扱われ方</p>
<p>　→昔は、崇り神として祭られていたが、時代が進むにつれて、</p>
<p>　　花鳥風月（自然の美しい風景）として捉えられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・崇り神として、折口信夫の客人（まれびと）、八百万の神を抑える</p>
<p>・神を落ち着かせるために祭祀があり、アマテラス大神、祀られる神、祀る神、高天原</p>
<p>　などがある</p>
<p>・葦原中国に、イザナミの命とイザナキの命が関係していて、</p>
<p>　そもそも葦原中国が何かを抑える</p>
<p>・黄泉国とその歴史を抑える</p>
<p>・清明心の意味、アマテラス大神とスサノヲの命の関係などを抑える</p>
<p>・罪と祓ひとは何かを抑える</p>
<p>・「貴種流離譚（きしゅりゅうりたん）」と自然の扱われ方を知っておく</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1625">古代日本の考え方について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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