ナポレオンによるヨーロッパへの影響とウィーン体制の誕生の理由と流れ
フランス革命を終わらせたのは、ナポレオン=ボナパルトという人だった
※どうやってナポレオンはフランス革命を終わらせたのか
・1799年に、第2回対仏大同盟によって、フランスが危機におちいっていた
→そこで、ナポレオンはエジプトから帰国して、総裁政府を倒した
=この総裁政府を倒した動きを、ブリュメール18日のクーデターという
→ナポレオンは、ブリュメール18日のクーデターによって、「革命は終わった」と宣言した
ナポレオンは、フランス革命を終わらせた後、様々なことを行った
・自ら第一統領となって統領政府を作った
・フランス銀行を作った
・徴兵制による国民軍を作った
・ナポレオン法典を作って、所有権の確定などを行った
=このような革命の成功を背景に、1804年にナポレオンが国民投票によって皇帝になった
(=これを第一帝政という)
第一帝政の後、ナポレオンは以下のようなことを進めた
・1806年に神聖ローマ帝国を消滅させた
・ロシア以外の大陸全体を支配した
・イギリスを経済封鎖によって服従させた
・フランスの産業を保護するために大陸封鎖令を出した
・新たな支配地でナポレオン法典を施行した
=これらの結果、市民革命の考え方がヨーロッパの国々に広まっていった
※ただし、途中でロシアが大陸封鎖令を破るということが起きた
→そのため、ナポレオンはロシアを倒そうとして、1812年にロシア遠征を行った
※しかし、ナポレオンはロシア遠征でロシアに負ける、ということが起きた
→この出来事によって、ナポレオンの支配に不満を持っていた人たちがナポレオンに対して戦争を起こした
=結果的に、1813年のライプツィヒの戦いでナポレオンは負けてエルバ島に流された
※一時は脱出して政権を握ったものの、再び敗れ、セントヘレナ島に流された
=これを百日天下という
ナポレオンの没落後は、フランス革命後の変化に対処するため、ウィーン会議が開かれた
※ウィーン会議は、オーストリア外相のメッテルニヒという人を中心に、ヨーロッパ諸国の代表が集まって行われた
=会議によって、正統主義にもとづき、各国を革命以前の状態に戻すことを決めた
※正統主義・・革命前の君主に支配権を認める考え方のこと
=さらに、秩序維持のために神聖同盟と四国同盟が結ばれた
→この結果成立した国際秩序をウィーン体制という
※ただし、ウィーン体制による、王政を中心としたフランスで、1830年に再び国民が立ち上がった
→その結果、王族で自由主義的なルイ=フィリップという人を王位にした
=この革命を、七月革命という




