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	<title>アラエス &#187; 近代ヨーロッパ史中期</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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		<title>ナポレオンによるヨーロッパへの影響とウィーン体制の誕生の理由と流れ</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2538</link>
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		<pubDate>Tue, 06 May 2014 16:53:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[ウィーン会議]]></category>
		<category><![CDATA[ウィーン体制]]></category>
		<category><![CDATA[ナポレオン]]></category>
		<category><![CDATA[メッテルニヒ]]></category>
		<category><![CDATA[七月革命]]></category>
		<category><![CDATA[大陸封鎖令]]></category>
		<category><![CDATA[百日天下]]></category>
		<category><![CDATA[第2回対仏大同盟]]></category>
		<category><![CDATA[第一帝政]]></category>
		<category><![CDATA[統領政府]]></category>

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		<description><![CDATA[フランス革命を終わらせたのは、ナポレオン＝ボナパルトという人だった &#160; ※どうやってナポレオンはフランス革命を終わらせたのか ・1799年に、第2回対仏大同盟によって、フランスが危機におちいっていた →そこで、 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2538">ナポレオンによるヨーロッパへの影響とウィーン体制の誕生の理由と流れ</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>フランス革命を終わらせたのは、<strong>ナポレオン＝ボナパルト</strong>という人だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※どうやってナポレオンはフランス革命を終わらせたのか</p>
<p>・1799年に、<strong>第2回対仏大同盟</strong>によって、フランスが危機におちいっていた</p>
<p>→そこで、ナポレオンはエジプトから帰国して、<strong>総裁政府</strong>を倒した</p>
<p>＝この総裁政府を倒した動きを、<strong>ブリュメール18日のクーデター</strong>という</p>
<p>→ナポレオンは、ブリュメール18日のクーデターによって、「革命は終わった」と宣言した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ナポレオンは、フランス革命を終わらせた後、様々なことを行った</p>
<p>・自ら第一統領となって<strong>統領政府</strong>を作った</p>
<p>・フランス銀行を作った</p>
<p>・徴兵制による国民軍を作った</p>
<p>・ナポレオン法典を作って、所有権の確定などを行った</p>
<p>＝このような革命の成功を背景に、1804年にナポレオンが国民投票によって皇帝になった</p>
<p>（＝これを<strong>第一帝政</strong>という）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一帝政の後、ナポレオンは以下のようなことを進めた</p>
<p>・1806年に神聖ローマ帝国を消滅させた</p>
<p>・ロシア以外の大陸全体を支配した</p>
<p>・イギリスを経済封鎖によって服従させた</p>
<p>・フランスの産業を保護するために<strong>大陸封鎖令</strong>を出した</p>
<p>・新たな支配地でナポレオン法典を施行した</p>
<p>＝これらの結果、市民革命の考え方がヨーロッパの国々に広まっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※ただし、途中でロシアが大陸封鎖令を破るということが起きた</p>
<p>→そのため、ナポレオンはロシアを倒そうとして、1812年に<strong>ロシア遠征</strong>を行った</p>
<p>※しかし、ナポレオンはロシア遠征でロシアに負ける、ということが起きた</p>
<p>→この出来事によって、ナポレオンの支配に不満を持っていた人たちがナポレオンに対して戦争を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>＝結果的に、1813年の<strong>ライプツィヒの戦い</strong>でナポレオンは負けてエルバ島に流された</p>
<p>※一時は脱出して政権を握ったものの、再び敗れ、セントヘレナ島に流された</p>
<p>＝これを<strong>百日天下</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ナポレオンの没落後は、フランス革命後の変化に対処するため、<strong>ウィーン会議</strong>が開かれた</p>
<p>※ウィーン会議は、オーストリア外相の<strong>メッテルニヒ</strong>という人を中心に、ヨーロッパ諸国の代表が集まって行われた</p>
<p>＝会議によって、<strong>正統主義</strong>にもとづき、各国を革命以前の状態に戻すことを決めた</p>
<p>※正統主義・・革命前の君主に支配権を認める考え方のこと</p>
<p>＝さらに、秩序維持のために<strong>神聖同盟</strong>と<strong>四国同盟</strong>が結ばれた</p>
<p>→この結果成立した国際秩序を<strong>ウィーン体制</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※ただし、ウィーン体制による、王政を中心としたフランスで、1830年に再び国民が立ち上がった</p>
<p>→その結果、王族で自由主義的な<strong>ルイ＝フィリップ</strong>という人を王位にした</p>
<p>＝この革命を、<strong>七月革命</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2538">ナポレオンによるヨーロッパへの影響とウィーン体制の誕生の理由と流れ</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>なぜフランス革命が起きたのか／フランス革命によってどのような動きが出てきたのか</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2533</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2533#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 26 Mar 2014 18:57:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[アンシャン＝レジーム]]></category>
		<category><![CDATA[ルイ16世]]></category>
		<category><![CDATA[ロベスピエール]]></category>
		<category><![CDATA[三部会]]></category>
		<category><![CDATA[対仏大同盟]]></category>
		<category><![CDATA[市民の革命]]></category>
		<category><![CDATA[民衆の革命]]></category>
		<category><![CDATA[第一共和政]]></category>
		<category><![CDATA[貴族の革命]]></category>
		<category><![CDATA[農民の革命]]></category>

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		<description><![CDATA[フランスの旧体制（アンシャン＝レジーム）は、大きく3つの身分があった ・第一身分・・聖職者 ・第二身分・・貴族 ・第三身分・・平民 ※第一身分と第二身分は、免税などの特権があり、第三身分に対しては領主だった ※第三身分は [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2533">なぜフランス革命が起きたのか／フランス革命によってどのような動きが出てきたのか</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>フランスの旧体制（<strong>アンシャン＝レジーム</strong>）は、大きく3つの身分があった</p>
<p>・第一身分・・聖職者</p>
<p>・第二身分・・貴族</p>
<p>・第三身分・・平民</p>
<p>※第一身分と第二身分は、免税などの特権があり、第三身分に対しては領主だった</p>
<p>※第三身分は、政治的発言が無く、農民と都市の人々が租税や営業活動の制限などでそれぞれ苦しんでいた</p>
<p>→このような状況だったため、第三身分の人達は、不満が限界に達していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一方、当時のフランスは、軍事費と<strong>マリ＝アントワネット</strong>を中心とした宮廷の浪費が原因で、国家は破産状態だった</p>
<p>→そこで、当時の国王<strong>ルイ16世</strong>が特権身分（第一身分と第二身分）に課税することで問題を解決させようとした</p>
<p>→課税に特権身分は反対し、王に<strong>三部会</strong>の開催を約束させた（＝<strong>貴族の革命</strong>）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※なぜ三部会を開かせようとしたのか</p>
<p>・そもそも三部会とは・・なにかを決める時、第一身分と第二身分と第三身分全てを含んだ多数決で何かを決めるという集まりのこと</p>
<p>→この仕組みだと、第一身分と第二身分が結束すると、必然的に特権身分が物事を決めることが出来るようになる</p>
<p>＝そのため、三部会を開くことで、特権身分の課税を撤廃しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、1789年に実際に三部会が開かれると、第三身分とそれに同調する貴族や聖職者が、三部会に反対するようになった</p>
<p>→そこで、国民議会を作り、憲法制定に向かうようになっていった</p>
<p>＝これを、<strong>球戯場の誓い</strong>という</p>
<p>※国民議会に対して、軍が用意され、弾圧しようとする動きが見られた</p>
<p>→この動きに対してパリの人々は、バスティーユ襲撃をして、革命が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>パリの様子を聞いて、農民も立ち上がった</p>
<p>→そのため、革命がフランス全土に広がっていった（＝<strong>農民の革命</strong>）</p>
<p>→国民会議では、以下のような動きが見られた</p>
<p>・封建的特権の廃止</p>
<p>・人権宣言の発布</p>
<p>・立憲君主制と制限選挙を柱とする憲法を制定</p>
<p>＝これら一連の流れを、<strong>市民の革命</strong>という</p>
<p>→そして、憲法による選挙で立法議会が成立した</p>
<p>＝立法議会は、ジロンド派の主導によって、1792年に干渉を宣言したオーストリアに宣戦し、立法議会とオーストリアとの間で戦争が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※ただし、戦争によって、革命が失敗する可能性が出てきた</p>
<p>→その時に、サン＝キュロットと呼ばれるパリの民衆が、議会に関わって革命を急激に進めた（＝<strong>民衆の革命</strong>）</p>
<p>＝この動きの結果、普通選挙で国民公会が成立した（＝これを<strong>第一共和政</strong>という）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>国民公会では、民主主義の実現を目指す急進派のジャコバン派が主導権を握った</p>
<p>＝そして、ジャコバン派は1793年にルイ16世を処刑した</p>
<p>※ただし、ルイ16世の処刑を見て、ヨーロッパの君主国は革命が自分の国でも起きることを恐れた</p>
<p>＝そのため、ヨーロッパ君主国は、イギリスの呼びかけで、<strong>第1回対仏大同盟</strong>を結成した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また、戦争が拡大することで、国内でも革命反対派という人達の勢力が強まっていった</p>
<p>→そこで、ジャコバン派の指導者だった<strong>ロベスピエール</strong>という人は、革命反対派を次々に処刑していった</p>
<p>＝このように、人々の恐怖心でコントロールする政治を恐怖政治といい、ロベスピエールは恐怖政治で危機を乗り切ろうとした</p>
<p>※ロベスピエールは、物価の統制や地代の無償の廃止などを行う形で、人々の要求にこたえた</p>
<p>→結果的に、戦争で入ってきた外国の軍を国外に追い出すことに成功した</p>
<p>※国外に追い出したあと、当時の統制や独裁への不満が表面化してきた</p>
<p>＝そのため、1794年に恐怖政治が倒され、ロベスピエールが処刑されて、総裁政府が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>フランス革命によって、いくつかの動きが見られるようになった</p>
<p>・イギリスやアメリカでの革命の流れを受け継いだことで、身分制の枠組みを徹底的に壊した</p>
<p>・封建制度を廃止し、市民社会を理想とした</p>
<p>・一国の政治が人々の生活全体を決めていくようになった</p>
<p>※封建社会の時は、地域ごとに法も習慣も違った</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2533">なぜフランス革命が起きたのか／フランス革命によってどのような動きが出てきたのか</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>近代ヨーロッパ史中期を時系列でまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/963</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/963#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 19:56:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[まとめさん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[まとめ]]></category>
		<category><![CDATA[世界史]]></category>
		<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史]]></category>

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		<description><![CDATA[まとめてみました &#160; &#160; ・世界最初の産業革命とその波及について &#160; &#160; ・産業革命期の機械の発明と交通機関の改良について &#160; &#160; ・資本主義体制の誕生と産業革 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/963">近代ヨーロッパ史中期を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>まとめてみました</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/950" target="_blank">世界最初の産業革命とその波及について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/951" target="_blank">産業革命期の機械の発明と交通機関の改良について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/952" target="_blank">資本主義体制の誕生と産業革命期の社会問題について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/953" target="_blank">アメリカの独立について①　－独立前の北アメリカ植民地－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/954" target="_blank">アメリカの独立について②　－アメリカ独立戦争－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/955" target="_blank">アメリカの独立について③　－合衆国憲法の制定－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/956" target="_blank">フランス革命について　－フランス革命の構造－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/959" target="_blank">フランスの立憲君主制の成立について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/960" target="_blank">フランスの戦争と共和政について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/961" target="_blank">皇帝ナポレオンとその誕生について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/962" target="_blank">ナポレオンによる大陸の支配について</a></p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/963">近代ヨーロッパ史中期を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>ナポレオンによる大陸の支配について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/962</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/962#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 19:45:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[チューペット]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[アウステルリッツの三帝会戦]]></category>
		<category><![CDATA[ティルジット条約]]></category>
		<category><![CDATA[トラファルガーの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[ナポレオン]]></category>
		<category><![CDATA[ナポレオン＝ボナパルト]]></category>
		<category><![CDATA[ライプチヒの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[ライン同盟]]></category>
		<category><![CDATA[大陸封鎖令]]></category>
		<category><![CDATA[百日天下]]></category>
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		<description><![CDATA[ナポレオンによる大陸の支配について考えてみます &#160; &#160; ・ナポレオンの大陸支配について &#160; &#160; 　・１８０５年に、イギリス、ロシア、オーストリアなどが、第３回対仏大同盟が結成された [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/962">ナポレオンによる大陸の支配について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ナポレオンによる大陸の支配について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ナポレオンの大陸支配について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８０５年に、イギリス、ロシア、オーストリアなどが、第３回対仏大同盟が結成された</p>
<p>　　→１８０５年１０月には、ネルソンという人が引き連れるイギリス海軍が、</p>
<p>　　　フランス海軍をトラファルガーの戦いという戦いで破るということが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方でナポレオンは、ヨーロッパ大陸でオーストリアとロシアの連合軍を</p>
<p>　　アウステルリッツの三帝会戦で破った</p>
<p>　　→その後１８０６年に、ナポレオン自身の保護のもとで、西南ドイツ諸国を合わせて</p>
<p>　　　ライン同盟を結成した</p>
<p>　　　※この時オーストリアの皇帝は、神聖ローマ帝国皇帝の地位を放棄して、帝国が消滅した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらにナポレオンは、プロイセンとロシアの連合軍を倒して、</p>
<p>　　　１８０７年にティルジット条約を結ばせた</p>
<p>　　　※この時に、ポーランド地方にワルシャワ大公国をたてた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝結果的に、ナポレオンはヨーロッパ大陸のほとんどをその支配下に置いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、ナポレオンは１８０６年にベルリンで大陸封鎖令というのを発した</p>
<p>　　→この令によって、様々な国にイギリスと通商することを禁止した</p>
<p>　　　＝この令によって、フランスの産業のために大陸の市場を独占しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ナポレオンは、自分の兄弟をスペイン王やオランダ王などの地位につけた</p>
<p>　　→その裏で、１８１０年にナポレオンは、オーストリアのハプスブルク家の皇女と結婚して</p>
<p>　　　家門の地位を高めるなど、勢力がどんどん高まっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ナポレオンは、封建的な圧政からの解放をかかげて征服していたため、</p>
<p>　　征服されていた土地では改革が促されていた</p>
<p>　　※一方では、外国の支配に反対して民族意識が成長していた</p>
<p>　　　→そのため、外国で以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・スペインが反乱を起こした</p>
<p>　　　　・プロイセンで、シュタインやハルデンベルクなどが農民解放などの改革を行った</p>
<p>　　　　　＝この改革をプロイセン改革と言い、後にプロイセンが</p>
<p>　　　　　　ドイツ統一の中心となる基礎だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ロシアで、大陸封鎖令を無視してイギリスに穀物を輸出するということが起きた</p>
<p>　　→すると、ナポレオンは１８１２年に大軍を引き連れてロシアに遠征した</p>
<p>　　　※しかし、この遠征は失敗に終わった</p>
<p>　　　　＝この遠征の失敗をきっかけに、諸国が解放戦争に向かうようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そのため、ライプチヒの戦い（諸国民戦争）という戦いでナポレオンを破る</p>
<p>　　　ということが起きた</p>
<p>　　　＝その結果、１８１４年にパリを占領するということが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・諸国民戦争の後、ナポレオンは退位してエルバ島に流された</p>
<p>　　→この後、ルイ１６世の弟のルイ１８世が王位についてブルボン朝が復活する</p>
<p>　　　ということが起きた</p>
<p>　　　</p>
<p>　・また、１８１５年の３月に、ナポレオンはパリに戻って皇帝として復活した</p>
<p>　　→しかし、６月にワーテルローの戦いでナポレオンが負けるということが起きた</p>
<p>　　　＝その結果、ナポレオンは南大西洋のセントヘレナ島に流された</p>
<p>　</p>
<p>　　※１８１５年にナポレオンがパリに入城してから、</p>
<p>　　　ナポレオンが２度目の退位をするまでを、「百日天下」という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ナポレオンの大陸支配を中心とした動きをおさえる</p>
<p>・ナポレオンの衰退の流れをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/962">ナポレオンによる大陸の支配について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>皇帝ナポレオンとその誕生について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/961</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/961#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 19:39:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[チューペット]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[アミアンの和約]]></category>
		<category><![CDATA[ナポレオン]]></category>
		<category><![CDATA[ナポレオン法典]]></category>
		<category><![CDATA[ナポレオン＝ボナパルト]]></category>
		<category><![CDATA[ブリューメル18日のクーデタ]]></category>
		<category><![CDATA[ロゼッタ＝ストーン]]></category>
		<category><![CDATA[第2回対仏大同盟]]></category>
		<category><![CDATA[第一帝政]]></category>
		<category><![CDATA[統領政府]]></category>
		<category><![CDATA[総裁政府]]></category>

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		<description><![CDATA[皇帝ナポレオンとその誕生について考えてみます &#160; &#160; ・ナポレオンの誕生について &#160; &#160; 　・ジャコバン派が没落した後、穏健共和派が有力になるということが起きた 　　→その後、１７ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/961">皇帝ナポレオンとその誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>皇帝ナポレオンとその誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ナポレオンの誕生について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ジャコバン派が没落した後、穏健共和派が有力になるということが起きた</p>
<p>　　→その後、１７９５年に制限選挙制を復活させた新しい憲法によって、</p>
<p>　　　５人の総裁を中心とした政府が誕生した</p>
<p>　　　＝この政府を総裁政府という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・総裁政府の誕生後も、社会不安は続いた</p>
<p>　　※代表的な例に、１７９６年５月に、私有財産の廃止を提唱して政府の転覆を計画した</p>
<p>　　　バブーフという人などが逮捕された、という出来事がある</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→社会不安に対し、革命ですでに利益を得た有産市民層や農民が社会の安定を願った</p>
<p>　　　＝そこで、混乱を鎮める力を持った軍事の指導者として、</p>
<p>　　　　ナポレオン＝ボナパルトという人に期待をかけた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ナポレオンは、以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・１７９６年に、イタリア派遣軍司令官としてオーストリア軍を破った</p>
<p>　　　　→破ったことで、軍隊と国民のあいだで名声を高めていった</p>
<p>　　　・１７９８年に、敵国であるイギリスとインドの連絡を断つ目的で、エジプトに遠征した</p>
<p>　　　　※ロゼッタ＝ストーンは、エジプト遠征中の１７９９年に発見された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７９９年に、イギリスがロシアやオーストリアなどと</p>
<p>　　第２回対仏大同盟を結ぶということが起きた</p>
<p>　　→すると、第２回対仏大同盟が、フランス国境を脅かし、総裁政府が</p>
<p>　　　国民の支持を失うということが起きた</p>
<p>　　　＝そこで、エジプト遠征から帰国したナポレオンは、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　　・１７９９年１１月に総裁政府を倒した</p>
<p>　　　　・３人の統領からなる統領政府を作った</p>
<p>　　　　・ナポレオン自身が第一統領として事実上の独裁権を握った</p>
<p>　　　　　※これら一連の出来事を、ブリューメル１８日のクーデタという</p>
<p>　　　　　　＝このクーデタの結果、１０年間に及んだフランス革命が終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ナポレオンは、革命以来フランスと対立関係にあった教皇と、１８０１年に和解した</p>
<p>　　→１８０２年に、イギリスとも講和した</p>
<p>　　　※このイギリスとの講和を、アミアンの和約という</p>
<p>　　　＝上のような講和によって、国の安全を確保した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ナポレオンは、内政の面で以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・フランス銀行を作って、財政の安定をはかった</p>
<p>　　　・商工業を振興した</p>
<p>　　　・公教育の制度を誕生させた</p>
<p>　　　・１８０４年３月に、革命の成果を定着させる民法典（ナポレオン法典）を公布した</p>
<p>　　　　※ナポレオン法典の内容</p>
<p>　　　　　→・私有財産の不可侵</p>
<p>　　　　　　・法の前の平等</p>
<p>　　　　　　・契約の自由　　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ナポレオンは、１８０２年に終身統領になった</p>
<p>　　→その後、ナポレオンは１８０４年の５月に、国民投票で圧倒的な支持をうけて、</p>
<p>　　　皇帝に即位した</p>
<p>　　　※この時にナポレオンは、ナポレオン１世と称するようになった</p>
<p>　　　　＝この時に誕生した政治体制を、第一帝政という</p>
<p>　　　　　　</p>
<p>　</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ナポレオンの概要をおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/961">皇帝ナポレオンとその誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>フランスの戦争と共和政について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/960</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/960#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 19:35:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[チューペット]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[8月10日事件]]></category>
		<category><![CDATA[ジャコバン派]]></category>
		<category><![CDATA[ジロンド派]]></category>
		<category><![CDATA[ピルニッツ宣言]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[ロベスピエール]]></category>
		<category><![CDATA[立法議会]]></category>
		<category><![CDATA[第1回対仏大同盟]]></category>
		<category><![CDATA[第一共和政]]></category>
		<category><![CDATA[革命暦]]></category>

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		<description><![CDATA[フランスの戦争と共和政について考えてみます &#160; &#160; ・フランスの戦争と共和政について &#160; &#160; 　・１７９１年１０月に、立法議会が開かれた 　　→立法議会では、立憲君主派とジロンド派 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/960">フランスの戦争と共和政について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>フランスの戦争と共和政について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・フランスの戦争と共和政について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７９１年１０月に、立法議会が開かれた</p>
<p>　　→立法議会では、立憲君主派とジロンド派の２つに分かれた</p>
<p>　　　※・立憲君主派・・革命がこれ以上進まないことを願う派閥のこと</p>
<p>　　　　・ジロンド派・・大商人の利害を代表して共和政を主張する派閥のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国内外で反革命の動きが活発になるということが起きた</p>
<p>　　→すると、共和政の勢力が増えた</p>
<p>　　　※そして、１７９２年の春にはジロンド派が政権を握った</p>
<p>　　　　＝結果的に、革命に敵対的なオーストリアに宣戦した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※オーストリアは、１７９１年８月に、オーストリアはプロイセンと共同で</p>
<p>　　　　　ルイ１６世の救援を各国に呼びかけていた</p>
<p>　　　　　＝この呼びかけを、ピルニッツ宣言という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・オーストリアへの宣戦の時、軍隊は士官に王党派が多く含まれていて戦意が欠けていた</p>
<p>　　※そのため、オーストリアとプロイセンの連合軍がフランス国内に侵入した</p>
<p>　　　→この危機の時に、パリの民衆と全国から集まった義勇軍は、</p>
<p>　　　　１７９２年８月に王権を停止させた</p>
<p>　　　　＝この出来事を８月１０日事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※現在のフランスの国家である「ラ＝マルセイエーズ」は、</p>
<p>　　　　当時の義勇軍によって歌われた軍歌に由来している</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７９２年の９月に、新しく男性普通選挙による国民公会というのが成立した</p>
<p>　　※この時に、王政の廃止、共和政の樹立、などが宣言された</p>
<p>　　　＝これを、第一共和政という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※第一共和政が誕生する直前には、フランス軍が国境に近い小村のヴァルミー</p>
<p>　　　というところで、プロイセン軍に初めて勝利した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国民公会では、急進共和主義のジャコバン派という派閥が勢いを増してきた</p>
<p>　　※この裏で、１７９３年１月にルイ１６世が処刑された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時イギリスの首相だったピットという人がいた</p>
<p>　　→ピットは、フランス軍がベルギー地方に侵入したのに対抗して</p>
<p>　　　フランス包囲の大同盟を作った</p>
<p>　　　＝この同盟を、第１回対仏大同盟という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この大同盟を作ったため、フランスは全てのヨーロッパを敵に回すことになった</p>
<p>　　　※これに加えて、国内でも王党派が指揮をする農民反乱が広がっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ジャコバン派は、国内外の危機を乗り切るために、以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・１７９３年６月にジロンド派を議会から追放した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・都市の民衆や農民の支持を確保するための政策を採用した</p>
<p>　　　　※・男性普通選挙を定めた１７９３年憲法の制定（施行は延期）</p>
<p>　　　　　・封建地代の無償廃止の確定</p>
<p>　　　　　・亡命貴族たちから没収した土地（国有財産）の競売</p>
<p>　　　　　・最高価格令による強力な価格の統制　　など</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・ロベスピエールという人を中心としたジャコバン派政権が成立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・強大な権力を握る公安委員会が出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・徴兵制を実施した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・革命暦（共和暦）を制定した</p>
<p>　　　　※・反キリスト教の立場からグレゴリウス暦を否定したもの</p>
<p>　　　　　・１７９２年９月２２日（共和政樹立の日）が第１年第１日とされ、</p>
<p>　　　　　　１８０５年の終わりまで続いた</p>
<p>　　</p>
<p>　　　・理性崇拝の宗教を創始するなどの、急進的な施策を強行した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・一方で、反対派を多く処刑した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・恐怖政治を行った</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　→上のような政策は、外敵を撃退して対外的な危機が遠のくようになった時に、</p>
<p>　　　　　小土地所有農民や、経済的な自由を求める市民層が保守化した</p>
<p>　　　　　＝そのため、独裁への不満が次第に高まっていった</p>
<p>　　　　　　※さらに、ロベスピエールはパリの民衆の支持も失って孤立した</p>
<p>　　</p>
<p>　　</p>
<p>　＝結果的に、１７９４年７月、テルミドールのクーデタというので、</p>
<p>　　ロベスピエールが権力を失って処刑された</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　</p>
<p>ポイント</p>
<p>・フランスの戦争と共和政の様子と内容についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/960">フランスの戦争と共和政について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>フランスの立憲君主制の成立について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/959</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/959#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 19:31:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[チューペット]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[バスティーユ牢獄]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[ヴァレンヌ逃亡事件]]></category>
		<category><![CDATA[ヴェルサイユ]]></category>
		<category><![CDATA[三部会]]></category>
		<category><![CDATA[人権宣言]]></category>
		<category><![CDATA[国民議会]]></category>
		<category><![CDATA[球戯場の誓い]]></category>
		<category><![CDATA[立憲君主制]]></category>

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		<description><![CDATA[フランスの立憲君主制の成立について考えてみます &#160; &#160; ・立憲君主制の成立について &#160; &#160; 　・フランスの国家は、イギリスとの戦争を繰り返していたために、財政が行き詰まってしまった [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/959">フランスの立憲君主制の成立について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>フランスの立憲君主制の成立について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・立憲君主制の成立について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フランスの国家は、イギリスとの戦争を繰り返していたために、財政が行き詰まってしまった</p>
<p>　　→そこで、ルイ１６世という人は、テュルゴーやネッケルなどの改革派を起用して、</p>
<p>　　　特権身分に対する課税などの財政改革を行おうとした</p>
<p>　　　※しかし、この財政改革に特権身分が抵抗するということが起きた</p>
<p>　　　　＝そのため、１６１５年から開かれていなかった三部会が招集されることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７８９年の５月に、ヴェルサイユで三部会が開かれた</p>
<p>　　※しかし、この三部会で議決の方法をめぐって特権身分と第三身分が対立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→６月に、第三身分の議員は、自分たちが本当の国民を代表する国民議会であると宣言した</p>
<p>　　　※そのため、国民議会は憲法の制定までは解散しないことを誓った</p>
<p>　　　　＝この誓いを、「球戯場（テニスコート）の誓い」という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→特権身分からも「球戯場の誓い」に対して同調する人が現れるようになった</p>
<p>　　　※そのため、国王も譲って同調の動きを認めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国民議会は、憲法の起草を始めた</p>
<p>　　※しかし、国王と保守的な貴族は、武力で議会を弾圧しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、パリの民衆はパンの値上がりに苦しんでいた</p>
<p>　　→そのため、パリの民衆はパンの値上がりに反発して、圧政の象徴とされた</p>
<p>　　　パリのバスティーユ牢獄を７月１４日に攻撃した</p>
<p>　　　＝この事件の後に、全国で農民蜂起が起き、貴族領主の館が襲撃された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国会議会は、８月４日に自由主義的な貴族の提案で、封建的特権の廃止を決めた</p>
<p>　　→この時に、領主裁判権や教会への十分の一税が無償で廃止になった</p>
<p>　　　※ただし、生産物や、貨幣で領主におさめる封建地代の廃止は有償だったため、</p>
<p>　　　　農民が土地を得ることは難しかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、８月２６日に、議会は人権宣言を採択した</p>
<p>　　→この人権宣言は、全ての人間の自由や平等、主権在民、言論の自由、私有財産の不可侵など、</p>
<p>　　　近代市民社会の原理を主張するものだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１０月の初めに、女性を先頭にしたパリの民衆が、ヴェルサイユに行進し、</p>
<p>　　改革に否定的な王家をパリに移転させた</p>
<p>　　※この時に、国民議会もパリに移った</p>
<p>　　　→そして、次の年の１７９０年には、国民議会が以下のようなことを行なわせた</p>
<p>　　　　・全国の行政区画を改めた</p>
<p>　　　　・教会財産を没収した</p>
<p>　　　　・ギルドを廃止して、営業の自由を確立した</p>
<p>　　　　・度量衡統一の方向を打ち出した　　など</p>
<p>　　　　　※１７９９年には、メートル法が正式に採用された</p>
<p>　　　　　＝以上のようにして、１７９０年には市民層が求める様々な改革を行った　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７９１年の９月に、以下のような内容を含んだ憲法が発布された</p>
<p>　　→・一院制の立憲君主制を定めた</p>
<p>　　　・選挙権を有産市民に限定した</p>
<p>　　　　＝この憲法の発布によって、国民議会が解散となった</p>
<p>　　　　　※しかし、この時すでに国王はヴァレンヌ逃亡事件という事件で</p>
<p>　　　　　　国民の信頼を失っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※ヴァレンヌ逃亡事件</p>
<p>　　→１７９１年６月に、ルイ１６世が王妃のマリ＝アントワネットの実家のオーストリアに</p>
<p>　　　逃亡しようとしたが失敗した事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・フランスで立憲君主制が出来るまでの流れとその内容についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/959">フランスの立憲君主制の成立について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>フランス革命について　－フランス革命の構造－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/956</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/956#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 19:28:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[チューペット]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[アンシャン＝レジーム]]></category>
		<category><![CDATA[サンキュロット]]></category>
		<category><![CDATA[シェイシス]]></category>
		<category><![CDATA[フランス革命]]></category>
		<category><![CDATA[ブルジョワ]]></category>
		<category><![CDATA[平民]]></category>
		<category><![CDATA[聖職者]]></category>
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		<category><![CDATA[農民]]></category>
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		<description><![CDATA[フランス革命の構造について考えてみます &#160; &#160; ・フランス革命の構造について &#160; &#160; 　・アメリカ独立革命に続いて、有力な絶対王政の国であったフランスで、 　　旧制度（アンシャン＝ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/956">フランス革命について　－フランス革命の構造－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>フランス革命の構造について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・フランス革命の構造について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカ独立革命に続いて、有力な絶対王政の国であったフランスで、</p>
<p>　　旧制度（アンシャン＝レジーム）をくつがえす革命が起きた</p>
<p>　　※アンシャン＝レジームという言葉は、革命前のフランスの政治や社会の体制の</p>
<p>　　　総称として使われる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・革命以前の国民は、聖職者が第一身分、貴族が第二身分、平民が第三身分として区別された</p>
<p>　　※ただし、人口の９割以上は第三身分だった</p>
<p>　　※一方で、少数の第一身分と第二身分は、広い土地と全ての重要な官職を握り、</p>
<p>　　　免税などの特権を得ていた</p>
<p>　　　</p>
<p>　・当時は、それぞれの身分のなかにも貧富の差があった</p>
<p>　　→特に、第三身分では、第三身分の大部分を占める農民が領主への地代や税の負担のために</p>
<p>　　　苦しい生活を送っていた</p>
<p>　　→一方で、商工業者などの有産市民層は、しだいに富を蓄えて実力を向上させていった</p>
<p>　　　※そのため、商工業者はその実力にふさわしい待遇を受けないことに不満を感じていた</p>
<p>　　　※さらに、産業革命下でのイギリスの商品が流入し、国内産業の発展が妨げられる</p>
<p>　　　　という問題もあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第三身分の商工業者の間に、啓蒙思想が広まった</p>
<p>　　※１７８９年の初めには、シェイエスという人が「第三身分とはなにか」という小冊子で、</p>
<p>　　　第三身分の権利を主張した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝フランス革命は、以上のような状況のもとで、王権に対する貴族の反抗をきっかけに始まった</p>
<p>　　　※しかし、結果的には、有産市民層が旧制度を廃棄して、</p>
<p>　　　　その政治的発言力を生み出すことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・農民や都市の民衆は、旧制度の廃棄に重要な役割を果たしたと言われている</p>
<p>　　→農民や都市の民衆は、同時に有産市民層が推進した資本主義経済にも反対した</p>
<p>　　　※当時、革命派の民衆は、富裕者の服装の半ズボン（キュロット）を</p>
<p>　　　　持っていないという意味で、「サンキュロット」（半ズボンなし）と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝フランス革命は以上のように、貴族、ブルジョワ（有産市民）、農民、都市民衆という</p>
<p>　　　四つの社会層による革命が絡み合って進んでいった</p>
<p>　　　→そのため、複雑な経過をたどることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・フランス革命の時の構造についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/956">フランス革命について　－フランス革命の構造－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>アメリカの独立について③　－合衆国憲法の制定－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/955</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/955#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 19:25:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[チューペット]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[アメリカ]]></category>
		<category><![CDATA[アメリカ独立革命]]></category>
		<category><![CDATA[フィラデルフィア]]></category>
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		<category><![CDATA[連邦政府]]></category>

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		<description><![CDATA[アメリカの独立について、合衆国憲法の制定を考えてみます &#160; &#160; ・合衆国憲法の制定について &#160; &#160; 　・アメリカ合衆国は、独立はしたものの、まだ１３の独立した州のゆるい連合でしかな [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/955">アメリカの独立について③　－合衆国憲法の制定－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>アメリカの独立について、合衆国憲法の制定を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・合衆国憲法の制定について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカ合衆国は、独立はしたものの、まだ１３の独立した州のゆるい連合でしかなかった</p>
<p>　　※そのため、中央政府の権力が弱く、政治的かつ経済的な困難が続いた</p>
<p>　　　→そこで、強力な中央政府を作ろうとする運動が高まってきた</p>
<p>　　　　＝その結果、１７８７年にフィラデルフィアの憲法制定会議で合衆国憲法が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・合衆国憲法は、共和政の民主主義（人民主義）を土台にし、連邦主義を採用した</p>
<p>　　※連邦主義・・それぞれの州に大幅な自治を認めながらも、</p>
<p>　　　　　　　　　中央政府の権限を強化する仕組みのこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・合衆国憲法は、お互いが抑制しあうことで権力が一つに集中することを避ける</p>
<p>　　三権分立の原則を定めた</p>
<p>　　※アメリカ合衆国の三権分立</p>
<p>　　　→・行政権・・大統領をトップに置く政府が握った</p>
<p>　　　　・立法権・・連邦議会（各州２名ずつの代表からなる上院と人口比例による</p>
<p>　　　　　　　　　　代表が集まる下院）にあった</p>
<p>　　　　　　　　　　→ただし連邦議会では、上院が条約の批准権などの強い権限を持っていた</p>
<p>　　　　・司法権・・最高裁判所が行使した</p>
<p>　　　→憲法については、支持をする連邦派と、支持をしない反連邦派がいた</p>
<p>　　　　※連邦派と反連邦派の対立は、後の政党のもとにもなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７８９年に、合衆国憲法にもとづく連邦政府が発足した</p>
<p>　　※この時、ワシントンという人が初代の大統領に就任した</p>
<p>　　　→ワシントンは、以下のような動きを見せた</p>
<p>　　　　・戦後の復興と建設の努力をした</p>
<p>　　　　・フランス革命戦争で中立政策を取った</p>
<p>　　　　・連邦派を連れたハミルトンという人が財務長官として財政の基礎を固めた</p>
<p>　　　　・反連邦派の指導者だったジェファソンという人が国務長官を務めた</p>
<p>　　　　・１８００年に、首都としてワシントン特別区が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカの独立には、以下のような意味と動きがあったと言われている</p>
<p>　　→・大国でも共和政が実現できることを示した</p>
<p>　　　・信仰の自由、アパラチア山脈以西への移住解禁によって自由農民の発展をもたらす</p>
<p>　　　　などの社会改革でもあった</p>
<p>　　　・黒人奴隷や先住民の権利は無視された</p>
<p>　　　・アメリカ独立革命は、１８世紀後半から１９世紀前半の「大西洋革命」の</p>
<p>　　　　一つだとして考えることもある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・合衆国憲法の制定とその内容についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
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		<title>アメリカの独立について②　－アメリカ独立戦争－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/954</link>
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		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 19:21:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[チューペット]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[アメリカ独立戦争]]></category>
		<category><![CDATA[トマス＝ジェファソン]]></category>
		<category><![CDATA[トマス＝ペイン]]></category>
		<category><![CDATA[パリ条約]]></category>
		<category><![CDATA[ヨークタウンの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[ワシントン]]></category>
		<category><![CDATA[大陸会議]]></category>
		<category><![CDATA[武装中立同盟]]></category>
		<category><![CDATA[独立宣言]]></category>

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		<description><![CDATA[アメリカの独立について、アメリカ独立戦争を考えてみます &#160; &#160; ・独立戦争について &#160; &#160; 　・１７７４年に、植民地側が大陸会議を開いてイギリスに抗議した 　→１７７５年には、レキ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/954">アメリカの独立について②　－アメリカ独立戦争－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>アメリカの独立について、アメリカ独立戦争を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・独立戦争について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７７４年に、植民地側が大陸会議を開いてイギリスに抗議した</p>
<p>　→１７７５年には、レキシントンとコンコードで武力衝突が起こった</p>
<p>　　※植民地側は、ワシントンという人を総司令官に任命して戦った</p>
<p>　　　＝そして、１７７６年７月４日に、１３植民地の代表はフィラデルフィアというところで</p>
<p>　　　　独立宣言を発表した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・独立宣言は、ロックの思想的な影響と植民地時代の体験をもとにして、</p>
<p>　　トマス＝ジェファソンなどが作った</p>
<p>　　→内容は、人間の自由や平等、圧政に対する反抗の正統性を主張したものだった</p>
<p>　　　※独立宣言は、フランス革命の人権宣言とともに、近代民主政治の基本原理が</p>
<p>　　　　述べられていると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・植民地には、独立派、独立反対の国王派、中立派も存在していた</p>
<p>　　※そのような中で、１７７６年の初めに出したトマス＝ペインという人の</p>
<p>　　　「コモン＝センス」（「常識」）は独立の必要性を訴えて、大きな反響を呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・独立軍は、最初は苦戦した</p>
<p>　　→しかし、イギリスと対立していたフランス、スペインの参戦、北欧諸国を中心とする</p>
<p>　　　武装中立同盟の結成などに助けられて、独立軍がしだいに優勢になっていった</p>
<p>　　　※中には、フランスのラ＝ファイエットやポーランドのコシューシコなど、</p>
<p>　　　　独立軍に積極的に参加した人もいた</p>
<p>　　　※武装中立同盟は、ロシアのエカチェリーナ２世が提唱し、中立国船舶の航行の自由と</p>
<p>　　　　禁制品以外の物資輸送の自由を主張していて、イギリスは外交的に孤立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、１７８１年のヨークタウンの戦いというのでイギリスが負けるということが起きた</p>
<p>　　＝そこでイギリスは、１７８３年のパリ条約でアメリカ合衆国の独立を承認した</p>
<p>　　　※この時にイギリスは、ミシシッピ川以東の領地を譲った</p>
<p>　　　　→イギリスは、フランスやスペインとも条約を結んで、それぞれに領土を譲った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・独立戦争についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/954">アメリカの独立について②　－アメリカ独立戦争－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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