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	<title>アラエス &#187; 大正時代</title>
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		<title>第一次大戦後の日本の混乱の様子をまとめてみた　－不景気の日本と中国との関係－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2506</link>
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		<pubDate>Thu, 20 Feb 2014 10:33:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[世界恐慌]]></category>
		<category><![CDATA[労働争議]]></category>
		<category><![CDATA[娘の身売り]]></category>
		<category><![CDATA[小作争議]]></category>
		<category><![CDATA[日本の不景気]]></category>
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		<category><![CDATA[満州]]></category>
		<category><![CDATA[蒋介石]]></category>
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		<description><![CDATA[第一次大戦後の日本の混乱の様子　 &#160; &#160; &#160; 第一次世界大戦後の日本は、不景気が続いていた ※1929年に世界恐慌の影響も受けて、日本の不景気がさらに深刻になった →不景気によって、以下のよ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2506">第一次大戦後の日本の混乱の様子をまとめてみた　－不景気の日本と中国との関係－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>第一次大戦後の日本の混乱の様子　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦後の日本は、<strong>不景気</strong>が続いていた</p>
<p>※1929年に<strong>世界恐慌</strong>の影響も受けて、日本の不景気がさらに深刻になった</p>
<p>→不景気によって、以下のようなことが起きた</p>
<p>・都市：多くの企業が倒産、失業者が増えた</p>
<p>・農村：農産物が値下がりし、生糸の輸出が減ったことで、養蚕農家も打撃を受けた</p>
<p>・東北地方や北海道：冷害で凶作になり、「<strong>娘の身売り</strong>」が問題になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→不景気に対して、以下のようなことが起きた</p>
<p>・企業の賃金の切り下げや解雇などに対する<strong>労働争議</strong>が増えた</p>
<p>・農村でも<strong>小作争議</strong>が激しくなった</p>
<p>※労働争議や小作争議は、<strong>治安維持法</strong>によって取り締まられた</p>
<p>・<strong>財閥</strong>が倒産した会社や銀行の合併などによって、さらに勢力を広げた</p>
<p>・財閥と政党政治家が選挙資金などを通して強く結びつき、汚職なども何度か起きた</p>
<p>※汚職は、国民の間で政党政治や財閥に対する不満と不信が強くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>不景気の裏で、中国の<strong>蒋介石</strong>が共産党をおさえ、国民政府の手によって<strong>中国をほぼ統一</strong>した</p>
<p>※日本政府と軍部は中国に介入したが、失敗に終わっている</p>
<p>→一方で、<strong>満州</strong>では、日本に奪われた権益を取り戻そうとする動きが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※加えて、世界恐慌や日本の不景気が、日本の植民地（台湾や朝鮮）に重くのしかかった</p>
<p>＝だから、学生、労働者、農民を中心に、日本に対抗する運動が激しくなった</p>
<p>→1930年には、先住民が警察署や学校をおそっている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→そこで、日本国内では、軍部や国家主義の団体が、恐慌による日本の危機を中国に侵略することで突破していこうとした</p>
<p>※財閥の中にも、<strong>軍部</strong>と結んで大陸進出を目指す動きが起きた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2506">第一次大戦後の日本の混乱の様子をまとめてみた　－不景気の日本と中国との関係－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>大正デモクラシーと政党政治・軍縮について（第一次大戦後の日本の政治的な動き）をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2505</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2505#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 18 Feb 2014 23:21:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[五大国]]></category>
		<category><![CDATA[全国水平社]]></category>
		<category><![CDATA[労働争議]]></category>
		<category><![CDATA[原敬]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
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		<category><![CDATA[日本共産党]]></category>
		<category><![CDATA[普通選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[立憲政友会]]></category>

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		<description><![CDATA[大正デモクラシーと政党政治と軍縮の動きについて &#160; &#160; &#160; 大正時代・・民主主義的な動きが進み、大正デモクラシーの風潮が盛り上がった →この背景によって、政党の力も大きくなってきた &#038;nbs [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2505">大正デモクラシーと政党政治・軍縮について（第一次大戦後の日本の政治的な動き）をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大正デモクラシーと政党政治と軍縮の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>大正時代・・民主主義的な動きが進み、<strong>大正デモクラシー</strong>の風潮が盛り上がった</p>
<p>→この背景によって、政党の力も大きくなってきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>米騒動の後、1918年9月に、<strong>立憲政友会</strong>（当時の衆議院の第一党）の総裁だった<strong>原敬</strong>という人が、内閣を作った</p>
<p>※衆議院議員の首相は初</p>
<p>→原敬は、初めての本格的な<strong>政党内閣</strong>で、政党政治を進めて選挙権を拡大した</p>
<p>※知識人や労働者の間に普通選挙の実現を目指す運動が盛り上がると、時期が早いとして原敬は反対した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦末期から戦後にかけて、民衆が様々な社会運動を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→実際に、労働組合の指導で賃上げや労働時間の短縮を求めて<strong>労働争議</strong>が何度か起きた</p>
<p>※1920年には、日本最初の<strong>メーデー</strong>も行われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→農村では、地主に対して小作料の引き下げや耕作する権利の要求などが行われた（＝<strong>小作争議</strong>）</p>
<p>※この時に、<strong>日本農民組合</strong>も作られている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→女性を社会的差別から解放し、その地位を高めようとする運動が、<strong>平塚らいてう</strong>などによって進められた</p>
<p>※大戦後は、市川房枝などによる婦人参政権の実現を目指す運動も起きていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→部落差別に苦しんでいた人々が、1922年に<strong>全国水平社</strong>を作って、団結した上で差別からの解放や自由などを求める運動を進めた</p>
<p>※1922年に、<strong>日本共産党</strong>がひっそりと結成され、労働者階級による独裁を目指す活動を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→北海道では、アイヌの人々を差別から解放する運動が起こった</p>
<p>※実際に、1930年に<strong>北海道アイヌ協会</strong>が設立された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1920年代に入って、普通選挙を求める運動が、民衆運動として活発になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→<strong>第二次護憲運動</strong>によって、1924年に護憲派の政党の連立によって加藤高明内閣が出てきた</p>
<p>※ここから五・一五事件までの8年間、衆議院を土台とする政党内閣が続いた</p>
<p>＝1925年に、加藤内閣のもとで、25歳以上の男子に選挙権を与える<strong>普通選挙法</strong>が成立した</p>
<p>※ただし、女性の参政権は認められなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→一方で、同じ1925年に、天皇中心の国の在り方を変えたり、<strong>私有財産制の廃止</strong>を目指したりする運動を取り締まろうとした</p>
<p>＝そのため、<strong>治安維持法</strong>を成立した</p>
<p>※治安維持法によって、社会主義運動が制約を受けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦の後、日本は世界の<strong>五大国</strong>の一つとなった</p>
<p>※実際に、国際社会における日本の地位と責任は大きくなった</p>
<p>→1920年代に、日本は以下のようなことを行っている</p>
<p>・日本は国際協調外交を進めた</p>
<p>・アメリカやイギリスなどと協力して軍縮を行った</p>
<p>・中国に対して、武力的干渉を避ける政策をとった</p>
<p>※ただし、日本の中国に対する外交が弱いと非難する意見が日本国内で出てきた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2505">大正デモクラシーと政党政治・軍縮について（第一次大戦後の日本の政治的な動き）をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>第一次世界大戦後の朝鮮と中国の民族運動をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2474</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2474#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 07 Feb 2014 06:05:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[三・一独立運動]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
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		<category><![CDATA[同化]]></category>
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		<category><![CDATA[封建主義]]></category>
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		<description><![CDATA[大戦後の朝鮮と中国の民族運動について →代表的なものとして、三・一独立運動と五・四運動があげられる &#160; &#160; 日本の植民地とされた朝鮮の人たちは、1919年3月1日に、ソウルなどの都市で朝鮮の独立を宣言 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2474">第一次世界大戦後の朝鮮と中国の民族運動をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大戦後の朝鮮と中国の民族運動について</p>
<p>→代表的なものとして、<strong>三・一独立運動</strong>と<strong>五・四運動</strong>があげられる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日本の植民地とされた朝鮮の人たちは、1919年3月1日に、<strong>ソウル</strong>などの都市で朝鮮の独立を宣言した</p>
<p>※運動自体は、平和的に非暴力で進められた</p>
<p>→日本は、軍隊や警察の力で運動を弾圧した</p>
<p>→日本の弾圧に対して、朝鮮の人々は各地で立ち上がり、独立運動が朝鮮全体に広がっていった</p>
<p>※日本が朝鮮をおさえつけていたため、多くの犠牲者が出た</p>
<p>→結果的に、運動は3カ月にわたって続けられ、約200万人が参加し、自由と独立を求める朝鮮の力を内外に示した</p>
<p>＝これら一連の独立運動を、三・一独立運動という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※三・一独立運動の後、学校での朝鮮語の授業がだんだん少なくなり、<strong>日本への同化</strong>が進められた</p>
<p>※1929年に朝鮮で、日本人の中学生が朝鮮人の女学生を侮辱した、という出来事によって、争いが起きたが、結果的に朝鮮人学生ばかりが非難された</p>
<p>→この非難をきっかけに、再び日本の支配に反対する運動が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1919年5月4日に中国で、<strong>ペキン</strong>の学生が日本の侵略に反対する運動を起こした</p>
<p>※この時に、労働者や商人もストライキで参加した</p>
<p>→結果的にこの運動は、外国の<strong>帝国主義</strong>と国内の<strong>封建主義</strong>に反対する革命運動になって、各地に広がった</p>
<p>＝これら一連の運動を、五・四運動という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※この時に<strong>孫文</strong>が<strong>中国国民党</strong>を作って、革命運動を進めた</p>
<p>→この勢いもあって、労働者や農民の運動も高まり、1921年に<strong>中国共産党</strong>が作られた</p>
<p>＝孫文は結果的に、ソ連や中国共産党と手を結んで、革命運動を発展させた</p>
<p>※ただし、孫文が死ぬということが起きた</p>
<p>→その後、<strong>国民党</strong>の<strong>蒋介石</strong>は、資本家や地主、外国の勢力などと手を結んだ</p>
<p>＝結果的に1927年に、ナンキンに国民政府を作って、中国共産党と対立した</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2474">第一次世界大戦後の朝鮮と中国の民族運動をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>第一次世界大戦の時の日本の様子をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2473</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2473#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 06 Feb 2014 16:05:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[シベリア出兵]]></category>
		<category><![CDATA[ロシア革命]]></category>
		<category><![CDATA[二十一カ条の要求]]></category>
		<category><![CDATA[吉野作造]]></category>
		<category><![CDATA[大戦景気]]></category>
		<category><![CDATA[桂太郎]]></category>
		<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[第一次護憲運動]]></category>
		<category><![CDATA[米騒動]]></category>
		<category><![CDATA[西園寺公望]]></category>

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		<description><![CDATA[第一次世界大戦の時の日本 &#160; &#160; 第一次世界大戦が始まると、1914年8月に、日本は日英同盟を理由にして、連合国側に立って、ドイツに宣戦した ※その後、ドイツ領の南洋諸島、ドイツ軍基地のチンタオを占領 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2473">第一次世界大戦の時の日本の様子をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>第一次世界大戦の時の日本</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦が始まると、1914年8月に、日本は日英同盟を理由にして、連合国側に立って、ドイツに宣戦した</p>
<p>※その後、ドイツ領の南洋諸島、ドイツ軍基地のチンタオを占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1915年に、日本は<strong>二十一カ条の要求</strong>を中国政府に出した</p>
<p>→その結果、以下のようなことが起きた</p>
<p>・多くの要求を中国に認めさせた</p>
<p>・中国国内では強い反発が起きて、反日の風潮が高まった</p>
<p>・欧米の国々も日本を警戒した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦自体は、連合国側に有利に進められた</p>
<p>※ただし、1917年に連合国側のロシアで<strong>ロシア革命</strong>が起きて、社会主義政権（<strong>ソビエト政府</strong>）が成立した</p>
<p>＝結果、ロシアは単独でドイツと講和条約を結んで、連合国から脱退した</p>
<p>→そこで、連合国側は社会主義が広がることを恐れて、<strong>シベリアに出兵</strong>して革命に介入した</p>
<p>※このときに日本も派兵している</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次大戦が終わって、ロシアの内戦がおさまると、連合国はどんどん兵を引き揚げた</p>
<p>※日本軍は兵を引き揚げなかった</p>
<p>→そのため、様々な国から非難を受け、1922年に撤兵した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次大戦前の日本（1912年）は、陸軍の軍備拡張をおさえようとした<strong>西園寺公望</strong>内閣が、陸軍の反対によって終了した</p>
<p>→そこで、陸軍大将の<strong>桂太郎</strong>が3度目の内閣を作った</p>
<p>※ただし、政党政治家や言論人は、3度目の桂太郎内閣を立憲政治に反したやり方だと考えていた</p>
<p>＝そのため、桂太郎内閣打倒の運動を起こした（＝<strong>第一次護憲運動</strong>）</p>
<p>→第一次護憲運動は民衆に支持されたため、1913年に内閣は総辞職に追い込まれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦中は、世界的に民主主義の風潮が高まった</p>
<p>→この時に、日本国内で<strong>吉野作造</strong>が<strong>民本主義</strong>を提唱した</p>
<p>※民本主義は広く支持され、政党内閣制と普通選挙制の理論的な根拠になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦中に、日本は<strong>大戦景気</strong>が起きた</p>
<p>→具体的に、以下のようなことが起きた</p>
<p>・東アジアの国々に工業製品を輸出した</p>
<p>・大戦の時に各国で船が不足して、日本の船が積極的に使われた</p>
<p>・薬品、染料、化学肥料などの国産化が進んだ</p>
<p>・生糸や綿糸、綿織物の輸出が増えた</p>
<p>・電力が広く使われるようになり、水力発電所が各地で作られた</p>
<p>＝これらの動きがあったので、日本は好景気になった</p>
<p>※三井や三菱などの大企業は、莫大な利益を上げて財閥となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>好景気で、以下のようなことが起きた</p>
<p>・国民の生活水準が上がった</p>
<p>・物価も一緒に上がった</p>
<p>・大戦の長期化やシベリア出兵などの影響で、1918年の夏に米価が急上昇した</p>
<p>→米価については、富山県の漁村の女性たちが、コメの安売りを要求した</p>
<p>※この動きを新聞が報道したため、要求が全国に広がっていき、各地で米商店や精米会社を襲う動きが起きた</p>
<p>＝これを<strong>米騒動</strong>という</p>
<p>→結果、政府は安売りを実施し、軍隊を出動させて米騒動をしずめた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2473">第一次世界大戦の時の日本の様子をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>大正時代を時系列でまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1501</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1501#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 11 Nov 2013 12:49:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[まとめさん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[まとめ]]></category>
		<category><![CDATA[大正]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>

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		<description><![CDATA[まとめてみました &#160; &#160; ・大正時代の始まりと大正政変について &#160; &#160; ・第一次世界大戦について　－流れと内容－ &#160; &#160; ・第一次世界大戦の時の日本と中国につい [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1501">大正時代を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>まとめてみました</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1284" target="_blank">大正時代の始まりと大正政変について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1285" target="_blank">第一次世界大戦について　－流れと内容－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1286" target="_blank">第一次世界大戦の時の日本と中国について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1287" target="_blank">第一次世界大戦の時の大戦景気について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1288" target="_blank">政党内閣の誕生について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1289" target="_blank">パリ講和会議と中国・朝鮮の民族運動について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1290" target="_blank">ワシントン会議と協調外交について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1291" target="_blank">大正時代の様々な社会運動について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1292" target="_blank">護憲三派内閣の誕生について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1293" target="_blank">大正時代の都市化と人々の生活の変化について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1294" target="_blank">大正時代の学問と芸術について</a></p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1501">大正時代を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>大正時代の学問と芸術について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1294</link>
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		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 04:51:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[プロレタリア文学運動]]></category>
		<category><![CDATA[マルクス主義]]></category>
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		<description><![CDATA[大正時代の学問と芸術について考えてみます &#160; &#160; ・大正時代の学問について &#160; &#160; 　※当時は、様々な学問や文学が欧米から入ってきたが、 　　その中でも知識人に大きな影響力を持って [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1294">大正時代の学問と芸術について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大正時代の学問と芸術について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・大正時代の学問について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※当時は、様々な学問や文学が欧米から入ってきたが、</p>
<p>　　その中でも知識人に大きな影響力を持っていたのがマルクス主義という考え方だった</p>
<p>　　→マルクス主義は、学問の研究の方法にも、影響を与えたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※マルクス主義・・マルクスとエンゲルスという人が考えた理論や活動のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→マルクス主義については、以下のようなことがあった</p>
<p>　　　・河上肇という人が「貧乏物語」という本以降、マルクス経済学を紹介した</p>
<p>　　　・野呂栄太郎、羽仁五郎、山田盛太郎などによって、</p>
<p>　　　　「日本資本主義発達史講座」というのが編集や出版がされた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>・大正時代の自然科学と人文・社会科学の分野について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　・自然科学では、第一次世界大戦の時に染料や薬品などの輸入が途絶えた</p>
<p>　　　→日本は、これをきっかけに自然科学で独自の研究が始まるようになった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　※この時に、以下のようなことが起きている</p>
<p>　　　　・理科学研究所などの施設が作られた</p>
<p>　　　　・野口英世という人が黄熱病を研究した</p>
<p>　　　　・本田光太郎という人がＫＳ磁石鋼を研究した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・人文・社会科学では、日本独自の学問的な結果を残すようになっていった</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※代表的な功績について</p>
<p>　　　　・西田幾多郎という人が「善の研究」という本を書いて、</p>
<p>　　　　　自分なりの哲学のスタイルを作った</p>
<p>　　　　・津田左右吉という人が「古事記」や「日本書紀」を科学的に分析した</p>
<p>　　　　・柳田国男という人が民族学という無名の民衆（常民）の生活の歴史を</p>
<p>　　　　　研究する学問を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・大正時代の文学について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・文学では、自然主義が衰退していく中で、森鴎外や夏目漱石などを中心に</p>
<p>　　新しい作家が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時、どのような文学が出てきたのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・人道主義や理想主義という考え方を提唱する「白樺」という雑誌を中心に、</p>
<p>　　　　都会的な感覚とヨーロッパ的な教養を得た、有島武郎、志賀直哉、武者小路実篤</p>
<p>　　　　などの人達が出てきた</p>
<p>　　　　＝この人達を白樺派という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・永井荷風、谷崎潤一郎、芥川龍之介、菊池寛などの人達が出てきた</p>
<p>　　　　＝この人達を新思潮派という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・横光利一、川端康成などの人達が出てきた</p>
<p>　　　　＝この人達を新感覚派という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・新聞や大衆雑誌などによって、大衆小説が読まれるようになった</p>
<p>　　　　→当時は、中里介山という人の「大菩薩峠」という小説をきっかけに、</p>
<p>　　　　　吉川英治や大佛次郎などの時代小説、江戸川乱歩などの探偵小説などが人気だった</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大正時代の終わりから昭和の初めまで、社会主義運動や労働運動が</p>
<p>　　活発になったことが後押しをして、プロレタリア文学運動が出てきた</p>
<p>　　</p>
<p>　　→その時に、以下のような文学が出てきた</p>
<p>　　</p>
<p>　　　・「種蒔く人」や「戦旗」などの機関誌が出てきた</p>
<p>　　　　→これらの機関誌は、労働者（プロレタリア）の生活に注目して</p>
<p>　　　　　階級闘争について触れた作品を載せていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・小林多喜二という人が「蟹工船」という作品を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・徳永直という人が「太陽のない街」という作品を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・大正時代の演劇、音楽と美術について　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・演劇の分野では、１９２４年に小山内薫や土方与志などが</p>
<p>　　築地小劇場という劇場を作った</p>
<p>　　→この劇場が新劇運動という運動の中心になったと言われている</p>
<p>　　　※新劇運動は、知識人層の人達に大きな影響を与えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・音楽の分野では、洋楽が著しく発展していった</p>
<p>　　→そのため、小学校の唱歌と一緒に、童謡が成長していった</p>
<p>　　　※この時に、山田耕作という人が交響曲の作曲や演奏を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・美術の分野では、文展に対抗する形で二科会や春陽会などの団体が作られた</p>
<p>　　→これらの団体は洋画を推進する形で作られた</p>
<p>　　　※岸田劉生、安井曽太郎、梅原竜三郎などが当時活躍した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本画の分野では、横山大観という人などが日本美術院を復活させて、院展を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・当時の学問を押さえる</p>
<p>・大正時代のの自然科学と人文・社会科学の分野について</p>
<p>・大正時代の文学について押さえる</p>
<p>・大正時代の演劇、音楽と美術について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1294">大正時代の学問と芸術について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>大正時代の都市化と人々の生活の変化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1293</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1293#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 04:45:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[マスメディア]]></category>
		<category><![CDATA[円本]]></category>
		<category><![CDATA[大衆文化]]></category>
		<category><![CDATA[日本放送協会]]></category>
		<category><![CDATA[洋風化]]></category>
		<category><![CDATA[総合雑誌]]></category>
		<category><![CDATA[職業婦人]]></category>
		<category><![CDATA[近代化]]></category>
		<category><![CDATA[都市化]]></category>
		<category><![CDATA[高等学校令]]></category>

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		<description><![CDATA[大正時代の都市化と人々の生活の変化について考えてみます &#160; &#160; ・当時の都市化について &#160; &#160; 　※大正から昭和初期の文化の特徴は、大衆文化が出来て発達したことだと言われている &#038; [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1293">大正時代の都市化と人々の生活の変化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大正時代の都市化と人々の生活の変化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の都市化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※大正から昭和初期の文化の特徴は、大衆文化が出来て発達したことだと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次世界大戦の後に、工業化が進んだことを背景に、</p>
<p>　　都市化や社会の大衆化などがはっきりと表れるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争後の１９０７年に、学校に行く率が９７％を超えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中学校の生徒の数がものすごく増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・高等教育機関が増えた</p>
<p>　　※原敬内閣の時に、１９１８年に高等学校令という法律が作られて、</p>
<p>　　　高等学校が増やされた</p>
<p>　　　→さらに、１９１８年に大学令という法律が作られて、帝国大学だけでなく、</p>
<p>　　　　公立・私立・単科大学なども認められるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・都市を中心に高学歴の人（インテリ）が増えてきた</p>
<p>　　→そのため、事務の系統で働く給与生活者（サラリーマン）が大量に出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・女性は、タイピストや電話交換手などの仕事で活躍するようになった</p>
<p>　　→このような女性は、職業婦人と呼ばれるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・サラリーマンや職業婦人などが楽しむ文化として、新聞、雑誌、映画、ラジオの</p>
<p>　　マスメディアが出てきた</p>
<p>　　→このようにして、一部の上流階級の人達だけでなく、</p>
<p>　　　労働者やサラリーマンなどの一般労働者（大衆）が楽しむ文化が出てきた</p>
<p>　　　＝この文化を大衆文化という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の大衆文化の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・新聞や雑誌の発行部数が爆発的に伸びた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時の新聞や雑誌の動向について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・大正時代の終わりに、「大阪毎日新聞」や「大阪朝日新聞」などの新聞が</p>
<p>　　　　発行部数１００万部を超えるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・「中央公論」や「改造」などの総合雑誌（様々な分野のことが書いてある雑誌）が</p>
<p>　　　　発展した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・昭和初期に、円本（シリーズになっている本が１冊１円で売られている本）や</p>
<p>　　　　岩波文庫が出てきた</p>
<p>　　　　→これらの本は大量出版や低価格の先駆けだと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・大衆娯楽雑誌の「キング」という雑誌が、発行部数で１００万部を超えるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９１８年に「赤い鳥」という雑誌を出したことで、児童文学のブームが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような活字の文化に加えて、１９２５年に東京、大坂、名古屋でラジオ放送が始まった</p>
<p>　　→次の年の１９２６年に、東京、大坂、名古屋のそれぞれの放送局が組み合わさって、</p>
<p>　　　日本放送協会（ＮＨＫ）が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ラジオ劇やスポーツ実況などが人気になり、ラジオの放送網が全国にまで拡大した</p>
<p>　　※当時人気だったスポーツ実況に、以下のようなものがある</p>
<p>　　　・１９１５年に始まった全国中等学校優勝野球大会</p>
<p>　　　・１９２５年に始まった東京六大学野球　　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、映画が出てきたが、映画は最初は活動写真と呼ばれていた</p>
<p>　　※最初の方は、無声映画を弁士という人が解説していたものを上映していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大正時代に、大衆娯楽の一つとして観客数が増えた</p>
<p>　　※この時に、日活や松竹などと呼ばれる映画会社が国産映画を作るようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３０年代に、トーキー（有声映画）が作られて、上映されるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の人々の生活の変化にについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・都市を中心にして、人々の生活スタイルが変わり、洋風化や近代化を遂げたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・洋服が普及した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・トンカツやカレーライスなどが入ってきて、食生活が洋風に変わっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・都心で鉄筋コンクリートを使った建物が作られるようになった</p>
<p>　　※一方で、都心以外の地域では、中流階級の人達の間で和洋折衷の</p>
<p>　　　文化住宅という住宅が流行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・農村部も含めて一般家庭で電灯が普及した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・都市では、ガスや水道を供給する事業が本格的に始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※ただし、大衆文化の普及や生活様式の洋風化・近代化は農村には十分に普及しなかった</p>
<p>　　→そのため、都市と農村との文化的な格差は残ったままの状態だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・当時の都市化について押さえる</p>
<p>・当時の大衆文化の様子について押さえる</p>
<p>・当時の人々の生活の変化にについて押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1293">大正時代の都市化と人々の生活の変化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>護憲三派内閣の誕生について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1292</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1292#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 04:40:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[加藤高明]]></category>
		<category><![CDATA[憲政の常道]]></category>
		<category><![CDATA[憲政会]]></category>
		<category><![CDATA[日ソ国交樹立]]></category>
		<category><![CDATA[普通選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[治安維持法]]></category>
		<category><![CDATA[清浦奎吾]]></category>
		<category><![CDATA[立憲政友会]]></category>
		<category><![CDATA[第二次護憲運動]]></category>
		<category><![CDATA[護憲三派]]></category>

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		<description><![CDATA[護憲三派内閣の誕生について考えてみます &#160; &#160; ・護憲三派の登場のその様子について &#160; 　※護憲三派とは・・憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の３つの政党をまとめた呼び方のこと　 &#160;  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1292">護憲三派内閣の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>護憲三派内閣の誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・護憲三派の登場のその様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※護憲三派とは・・憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の３つの政党をまとめた呼び方のこと　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２４年に貴族院や官僚などの力を武器に、清浦奎吾という人が超然内閣を作った</p>
<p>　　→その時に、憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の３党が、超然内閣に反対して、</p>
<p>　　　憲政擁護のための運動を行った</p>
<p>　　　＝この運動を、第二次護憲運動という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・政府は、立憲政友会を抜けた人達が作った政友本党という政党を味方にして、</p>
<p>　　議会を解散させた</p>
<p>　　→しかし、総選挙の結果は護憲三派の圧勝だったため、</p>
<p>　　　清浦奎吾内閣は総辞職をすることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→清浦奎吾内閣に代わって、衆議院第一党の憲政会トップの加藤高明という人が</p>
<p>　　　３党の連立政権で内閣を作った</p>
<p>　　　＝この内閣を護憲三派内閣という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・加藤高明内閣は、以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・幣原喜重郎外務大臣が行っていた協調外交を展開していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１９２５年に普通選挙法という法律を作った</p>
<p>　　　→この法律によって、満２５歳以上の男性が全て有権者として、</p>
<p>　　　　衆議院議員選挙で投票するこという、普通選挙制になって、有権者が約４倍に増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１９２５年に治安維持法という法律が作られた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※治安維持法について</p>
<p>　　　　・治安維持法とは・・「国体」の変化や私有財産制を否定することを目的とする</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　団体を作った人とその団体に参加した人を処罰することを</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　決めた法律のこと</p>
<p>　　　　　※国体・・国家の主権がどのように存在しているかによって区別される</p>
<p>　　　　　　　　　　国家のスタイルのこと</p>
<p>　　　　　　　　　　→当時の場合は、天皇制を指す</p>
<p>　　　　・治安維持法を作った目的には、大きく以下の２つがあったと言われている</p>
<p>　　　　　→・１９２５年の日ソ国交樹立によって、共産主義の考え方が</p>
<p>　　　　　　　日本で広まるのを防いだ</p>
<p>　　　　　　・普通選挙法によって、労働者が政治に与える影響力が大きくなるのを</p>
<p>　　　　　　　防ごうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２５年に、立憲政友会が陸軍と長州藩の長老だった田中義一という人を</p>
<p>　　トップに置いて、革新倶楽部を吸収するということが起きた</p>
<p>　　→この時に、護憲三派の政治は終了し、憲政会が単独で行う内閣になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１９２６年に、加藤高明が病気で亡くなると、憲政会の後を継いだ</p>
<p>　　　若槻礼次郎という人が内閣を担当した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２６年（大正１５年）の終わりに、大正天皇が死去し、</p>
<p>　　摂政の裕仁親王（昭和天皇）という人が天皇に就いた</p>
<p>　　＝そのため、元号が昭和になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２７年に第１次若槻礼次郎内閣が、金融恐慌という恐慌の処理に失敗したため、終了した</p>
<p>　　→その後、立憲政友会のトップの田中義一という人が次の内閣を作った</p>
<p>　　　※この時、野党だった憲政会が政友本党と組み合わせて、立憲民政党という政党を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→その後、１９２４年の第１次加藤高明内閣が出来てから、</p>
<p>　　１９３２年の五・一五事件という事件で犬養毅内閣が終了するまでの８年間は、</p>
<p>　　立憲政友会と憲政会（後の立憲民政党）という２大政党のトップが交代で内閣を</p>
<p>　　行うという状態だった</p>
<p>　　＝この状態を「憲政の常道」という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※立憲政友会と憲政党はどのような政策を考えていたのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・立憲政友会</p>
<p>　　　　→・インフラの整備や産業の推奨などの積極政策を行った</p>
<p>　　　　　・地域で利益が出るようにすることに対して熱心だった</p>
<p>　　　　　・中国に対する政策については、軍に合わせる形での積極的な方針を取った</p>
<p>　　</p>
<p>　　　・憲政会</p>
<p>　　　　→・普通選挙の実現や軍備の縮小など、デモクラシー的な政策を行った</p>
<p>　　　　　・政友本党と組み合わさって立憲民政党になってからも、「議会中心主義」を提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・護憲三派を中心にした当時の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1292">護憲三派内閣の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>大正時代の様々な社会運動について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1291</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1291#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 04:35:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[全国水平社]]></category>
		<category><![CDATA[友愛会]]></category>
		<category><![CDATA[小作争議]]></category>
		<category><![CDATA[平塚らいてう]]></category>
		<category><![CDATA[日本共産党]]></category>
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		<category><![CDATA[総力戦]]></category>
		<category><![CDATA[虎の門事件]]></category>
		<category><![CDATA[鈴木文治]]></category>
		<category><![CDATA[関東大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[様々な社会運動について考えてみます &#160; &#160; ・なぜ、社会運動が起きるようになったのか &#160; &#160; 　・第一次世界大戦は、総力戦の戦争だと言われるようになった 　　※総力戦・・国民全員を [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1291">大正時代の様々な社会運動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>様々な社会運動について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・なぜ、社会運動が起きるようになったのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次世界大戦は、総力戦の戦争だと言われるようになった</p>
<p>　　※総力戦・・国民全員を動かし、資源や生産力など全てを使う戦争のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そのため、総力戦だったらと、戦時中から戦後にかけて戦争に参加した国では</p>
<p>　　　民主主義を求める声が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※日本でも、ロシア革命や米騒動などをきっかけにして社会運動が起きるようになった</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日本の社会運動の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次世界大戦の時に産業が急激に発展していったため、</p>
<p>　　労働者が大量に増えると同時に、物価も大きく上昇していった</p>
<p>　　→そのため、賃金を上げてもらうことを要求するしかなかく、</p>
<p>　　　労働争議がものすごく増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９１２年に、労働者の地位の向上と労働組合の育成を目的に、</p>
<p>　　鈴木文治という人が友愛会という団体を作った</p>
<p>　　→友愛会は、１９１９年に大日本労働総同盟友愛会という名前に変えた</p>
<p>　　→友愛会は、１９２０年に第１回メーデーを開催した</p>
<p>　　→友愛会は、１９２１年に日本労働総同盟という名前に変えた</p>
<p>　　　※この時に、労働者が資本家と仲良くなろうとする考え方から、</p>
<p>　　　　資本家と戦う考え方に変えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→友愛会は、第一次世界大戦の後の不況の状況での労働運動を</p>
<p>　　　引っ張っていったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この時期から農村で、小作料の減免を求めて、小作人が小作争議</p>
<p>　　という争いをたくさん起こした</p>
<p>　　→その後、１９２２年に杉山元治郎や賀川豊彦などによって、</p>
<p>　　　日本農民組合という組合が作られた</p>
<p>　　　※日本農民組合・・各地にある小作人の組合の全国的な組織のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、民本主義を提唱する吉野作造は、１９１８年に黎明会という団体を作った</p>
<p>　　→この時に吉野作造は、時代の流れは平和や協調にあると考えて、</p>
<p>　　　多くの知識人などに影響を与えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・吉野作造の影響を受けた学生は、東大新人会などの団体を作って、</p>
<p>　　労働や農民の運動などとの関係を深めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この時期に、「冬の時代」と言われていた社会主義者たちが活動を再開した</p>
<p>　　→１９２０年に、労働運動家や学生運動家、様々な社会主義者たちを集めて、</p>
<p>　　　日本社会主義同盟を作った</p>
<p>　　　※しかし、この同盟は次の年の１９２１年に禁止された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・社会主義の研究にも制限がかかるようになった</p>
<p>　　※代表的なものに、１９２０年に東京帝国大学の助教授だった森戸辰男という人が</p>
<p>　　　クロポトキンという人の研究をしていたことを指摘されて</p>
<p>　　　休職処分を受けた、ということがあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・社会主義の内部では、大杉栄という人などの無政府主義と、</p>
<p>　　堺利彦という人などの共産主義が対立していた</p>
<p>　　→その状況の時にロシア革命が起きたため、ロシア革命の影響によって</p>
<p>　　　社会運動の中で共産主義の影響力が急激に高まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※１９２２年７月には、堺利彦や山川均という人たちなどによって、</p>
<p>　　　　日本共産党という組織が作られた</p>
<p>　　　　→日本共産党は、コミンテルンという国際組織の支部として作られ、</p>
<p>　　　　　違法にも関わらず作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・女性解放について</p>
<p>　</p>
<p>　　・女性開放運動は、１９１１年に平塚らいてうという人などによって</p>
<p>　　　作られた青鞜社という女性の文学者の団体を作ったことによって始まった</p>
<p>　　　※平塚らいてうなどは、この時に「青鞜」という雑誌を作っていた</p>
<p>　　　　→最初は女性の文芸誌だったが、段々と女性問題を専門的に扱う雑誌に</p>
<p>　　　　　変わっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・平塚らいてうと市川房江という人などが、１９２０年に</p>
<p>　　　新婦人協会（１９２４年に婦人参政権獲得期成同盟会に変化）という</p>
<p>　　　団体を作って、女性の地位を高めるための運動を行った</p>
<p>　　　※新婦人協会の影響によって、１９２２年に治安警察法が改正され、</p>
<p>　　　　女性も政治演説会に参加できるようになった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　・山川菊枝や伊藤野枝などの人達によって、赤瀾会という団体が作られた</p>
<p>　　　→赤瀾会は、社会主義の立場から女性運動を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・被差別部落について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・被差別部落の住民にある社会的な差別を、政府の政策ではなく、</p>
<p>　　　自主的に無くしていこうとする運動が起きた</p>
<p>　　　→この運動は、西光万吉という人などを中心に本格的になり、</p>
<p>　　　　１９２２年に全国水平社という団体が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・男性普通選挙権について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・普選運動（男子普通選挙権を得るための運動）は、</p>
<p>　　　１９１９～１９２０年の時に、世界的にデモクラシーが叫ばれたこともあり、</p>
<p>　　　友愛会の労働者や学生などを中心にして盛り上がった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・普通選挙制については、加藤友三郎内閣の時に、</p>
<p>　　　本格的に取り入れることを検討するようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１９２３年に誕生した第２次山本権兵衛内閣は普通選挙制を取り入れることに賛成だった</p>
<p>　　　→しかし、内閣が出来た直後に起きた関東大震災と虎ノ門事件が原因で、</p>
<p>　　　　第２次山本権兵衛内閣が総辞職をしてしまったため、</p>
<p>　　　　普通選挙を取り入れることが出来なかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※虎の門事件とは・・</p>
<p>　　　　　・１９２３年に、無政府主義者の一人だった難波大助という人が、</p>
<p>　　　　　　摂政宮裕仁親王（後の昭和天皇）を</p>
<p>　　　　　　虎ノ門というところの近くで狙撃するという出来事が起きた</p>
<p>　　　　　・摂政宮は難を逃れたものの、難波大助は大逆罪で死刑にさせられる</p>
<p>　　　　　　という事件が起きた</p>
<p>　　　　　　＝この出来事を虎の門事件という</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　　　→内閣は、この責任を取るために総辞職をした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・当時の様々な社会主義を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1291">大正時代の様々な社会運動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>ワシントン会議と協調外交について</title>
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		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 04:23:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[ワシントン会議]]></category>
		<category><![CDATA[ワシントン体制]]></category>
		<category><![CDATA[ワシントン海軍軍縮条約]]></category>
		<category><![CDATA[九カ国条約]]></category>
		<category><![CDATA[五・三十事件]]></category>
		<category><![CDATA[協調外交]]></category>
		<category><![CDATA[四カ国条約]]></category>
		<category><![CDATA[在華紡]]></category>
		<category><![CDATA[幣原喜重郎]]></category>
		<category><![CDATA[高橋是清]]></category>

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		<description><![CDATA[ワシントン会議と協調外交を中心に、当時の様子を考えてみます &#160; &#160; ・ワシントン会議と協調外交について &#160; &#160; 　・第一次世界大戦後、ドイツは賠償金が多額になり、イギリス、イタリア [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1290">ワシントン会議と協調外交について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ワシントン会議と協調外交を中心に、当時の様子を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ワシントン会議と協調外交について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次世界大戦後、ドイツは賠償金が多額になり、イギリス、イタリア、フランスの</p>
<p>　　戦勝国が、戦争のためにアメリカから借りたお金を返さなければいけない、</p>
<p>　　という状況になり、多くの国が勝ち負けに関わらず苦しくなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→上のような状況のため、アメリカは、ドイツを援助して復興させて、</p>
<p>　　　　ドイツから賠償金をもらったイギリス、イタリア、フランスが</p>
<p>　　　　賠償金でアメリカから借りたお金を返して、</p>
<p>　　　　そのお金でドイツを援助して・・</p>
<p>　　　　という状況が必要だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、日本の中国進出、ソビエトの状況、中国や朝鮮での民族運動の登場など、</p>
<p>　　極東をどうするかを考える必要が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→このような状況に本格的に対応していくために、１９２１年にアメリカが国際会議を開いた</p>
<p>　　＝この会議をワシントン会議という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ワシントン会議でのアメリカの目的</p>
<p>　　　　・アメリカ、イギリス、日本で軍艦を作る競争のようなことを行っていたが、</p>
<p>　　　　　その競争を終わらせてアメリカの財政の負担を減らす</p>
<p>　　　　・東アジアでの日本の力が拡大し過ぎるのを防ぐ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ワシントン会議に、日本は加藤友三郎や幣原喜重郎などの人達を送った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ワシントン会議の内容について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・アメリカ、イギリス、フランス、日本の間で、太平洋諸島の現状の維持と、</p>
<p>　　　太平洋に関する問題を戦争などではなく、話し合いで決めることを決めた</p>
<p>　　　＝この条約を四カ国条約という</p>
<p>　　　　※この条約が出きたことで、日英同盟が無くなった</p>
<p>　　</p>
<p>　　・１９２２年に、四カ国条約の国に、中国と中国で権益を持っている</p>
<p>　　　４つの主要国との間で、中国の領土と主権の尊重と、</p>
<p>　　　中国でそれぞれの国が経済面で門戸開放と機会均等を認めることを決めた</p>
<p>　　　＝この条約を九カ国条約という</p>
<p>　　　　※この条約が出来たことで、石井・ランシング協定が無くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１９２２年に、アメリカ、イギリス、イタリア、フランス、日本の５カ国の間で、</p>
<p>　　　今後１０年間は主力艦（戦艦、巡洋戦艦、航空母艦）を作らないこと、</p>
<p>　　　主力艦をそれぞれの国が持つ比率を</p>
<p>　　　アメリカとイギリスが５、日本が３、フランスとイタリアが１．６７とすることを決めた</p>
<p>　　　＝この条約をワシントン海軍軍縮条約という</p>
<p>　　　</p>
<p>　　・１９２２年に、ワシントン会議の場で日中間の交渉が行われた</p>
<p>　　　→九カ国条約にもとづいて、山東半島のドイツの利益を中国に返す条約も結ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のような国際協定は、戦争が再発することの防止と、</p>
<p>　　　国どうしの間での協調を意識されていて、</p>
<p>　　　それらにもとづいてアジアと太平洋地域の新しい国際の秩序を作ろうとした</p>
<p>　　　＝この体制のことを、ワシントン体制という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、原敬が暗殺された後にできた立憲政友会の高橋是清内閣が</p>
<p>　　ワシントン体制を積極的に受け入れていった</p>
<p>　　→高橋是清は、協調外交（周りの国と協力し合う）の土台を作ろうとした　　　</p>
<p>　　　※この後に出てきた加藤友三郎内閣と第２次山本権兵衛内閣も</p>
<p>　　　　協調外交のスタイルを引き継いだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※日本が協調外交を取った背景に、以下のようなことがあったと言われている</p>
<p>　　　・アメリカがウィルソン大統領の理想主義的な外交から、</p>
<p>　　　　現実を意識した外交に方針を変えた</p>
<p>　　　・１９２０年代の日米関係が非常に優れていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９２４年に、護憲三派によって加藤高明内閣という内閣が出来た</p>
<p>　　→その時に、今まで立憲政友会側の協調外交に反対していた憲政会が</p>
<p>　　　賛成の立場に回った</p>
<p>　　　＝その結果、当時の外務大臣だった幣原喜重郎という人を中心に</p>
<p>　　　　幣原外交という協調外交を進めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幣原外交は、平和と正義を基本にして、「世界の大勢」に合わせるようにすることで、</p>
<p>　　経済面を重視した外交が特徴だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※幣原外交は以下のことを意識して行った</p>
<p>　　　・１９２２年に北樺太という場所を除いて、シベリアに出兵した兵隊を日本に連れ戻した</p>
<p>　　　・ソ連との関係を改善することを意識して、１９２５年に日ソ基本条約を結んで、</p>
<p>　　　　ソ連との国交を作った</p>
<p>　　　　→その時に、北樺太から兵隊を日本に戻す代わりに、</p>
<p>　　　　　北樺太の油田の半分を開発する権利を日本が得た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※中国に関しても干渉しないようにしていたが、経済的な問題については、</p>
<p>　　　中国に介入することも考えた</p>
<p>　　　→さらに、反日運動が中国で起きることがあったため、</p>
<p>　　　　日中の関係が決して安定したとは言い切れなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※１９２５年には、上海で日本人が経営している在華紡という紡績工場で、</p>
<p>　　　中国人労働者の待遇を改善することを求めるストライキが起きたが、</p>
<p>　　　この時のストライキが流血するレベルまでの騒動になってしまった</p>
<p>　　　→そのため、この出来事をきっかけに、労働者や学生などが</p>
<p>　　　　大規模な反帝国主義のための運動が起き、中国全土にまで広がっていった</p>
<p>　　　　＝この出来事を五・三十事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・協調外交の時に海軍軍縮が成功したが、この影響は非常に大きかったと言われている</p>
<p>　　→この時に、古い軍艦の処分や、戦艦を作ることの中止などが決まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・陸軍では、加藤友三郎内閣の時に、山梨半造陸軍大臣の山梨軍縮が行われたり、</p>
<p>　　加藤高明内閣の時に、宇垣一成陸軍大臣の宇垣軍縮が行われたりした</p>
<p>　　→その結果、兵員を９万３０００人削ったり、兵器を近代化させることができたりした</p>
<p>　　　※当時は、５０％近くあった軍事費が、２７％にまで下がった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ワシントン体制の内容を押さえる</p>
<p>・強調外交の状況を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1290">ワシントン会議と協調外交について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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