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	<title>アラエス &#187; 明治時代中期</title>
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		<title>日本の産業革命とその弊害としての社会問題をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2472</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2472#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 06 Feb 2014 11:13:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[八幡製鉄所]]></category>
		<category><![CDATA[労働問題]]></category>
		<category><![CDATA[大逆事件]]></category>
		<category><![CDATA[幸徳秋水]]></category>
		<category><![CDATA[日本銀行]]></category>
		<category><![CDATA[殖産興業]]></category>
		<category><![CDATA[治安警察法]]></category>
		<category><![CDATA[産業革命]]></category>
		<category><![CDATA[田中正造]]></category>
		<category><![CDATA[資本主義]]></category>

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		<description><![CDATA[日本は、明治初年から、殖産興業を始めた ※同時に、日本銀行を設立して紙幣を発行させ、官営の事業を払い下げた ＝民間の産業の育成を目指した &#160; 1880年代後半・・製糸業と紡績業を中心に、民間の産業が急速に発展し [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2472">日本の産業革命とその弊害としての社会問題をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日本は、明治初年から、<strong>殖産興業</strong>を始めた</p>
<p>※同時に、<strong>日本銀行を設立</strong>して紙幣を発行させ、官営の事業を払い下げた</p>
<p>＝民間の産業の育成を目指した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1880年代後半・・<strong>製糸業</strong>と<strong>紡績業</strong>を中心に、民間の産業が急速に発展した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>製糸業</p>
<p>→江戸時代の技術にフランスの技術を取り入れて、長野県などに工場を作った</p>
<p>※生糸の生産は1880年からの20年間で4倍に増え、アメリカなどに輸出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>紡績業</p>
<p>→イギリスの技術を取り入れて、上記による大規模な機械生産を始めた</p>
<p>※<strong>日清戦争後</strong>には、綿糸は盛んに清や韓国に輸出された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>＝結果的に、1900年ころまでに、製糸業や紡績業（主に軽工業）を中心に、産業革命が達成された</p>
<p>※<strong>産業革命</strong>の達成によって、<strong>資本主義</strong>が確立された</p>
<p>※ただし、鉄鋼業などの重工業は遅れていた</p>
<p>→日清戦争後は、鉄鋼の需要が高まり、政府は福岡県に官営の<strong>八幡製鉄所</strong>を作った</p>
<p>＝そのため、日露戦争後に鉄鋼や造船などを中心に、重工業もだんだんと発達していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※産業革命の時に、鉄道と海運が発達した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>鉄道</strong></p>
<p>→1872年：新橋―横浜間で初めて開通</p>
<p>＝これを皮切りに、全国に鉄道網が広がっていった</p>
<p>※日露戦争後に、全国の主な鉄道は国有化された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>海運</strong></p>
<p>→外国航路がどんどん開設された</p>
<p>※貿易の発展に貢献</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>＝鉄道と海運の発達は、以下のような効果をもたらした</p>
<p>・ヒトとモノが短時間で大量に輸送できるようになった</p>
<p>・経済が発展した</p>
<p>・人々の生活範囲が広がった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※産業革命は、一方で<strong>労働問題</strong>も引き起こした</p>
<p>＝産業革命によって、労働時間が長く、給料が少ないという厳しい労働条件になっていった</p>
<p>→そこで、労働者が団結して、労働条件を改善しようとする運動が、片山潜などの指導で進められた</p>
<p>→そのため、労働組合の結成や労働争議が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※労働問題に対して、政府は<strong>治安警察法</strong>を制定して、<strong>工場法</strong>を作った</p>
<p>・治安警察法・・人々を取り締まった</p>
<p>・工場法・・労働条件を改善するための法律</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※一方で、<strong>幸徳秋水</strong>などは社会民主党を結成し、社会主義運動を始めた</p>
<p>→しかし、日露戦争後に明治天皇の暗殺を計画したとして、多くの社会主義者が政府にとらえられた</p>
<p>※加えて、<strong>大逆事件</strong>も起きた（幸徳秋水などが死刑になった）</p>
<p>＝そのため、社会主義運動は厳しく弾圧された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※産業革命は、労働問題に加えて<strong>環境問題</strong>も引き起こした</p>
<p>＝その代表が足尾銅山鉱毒事件だった</p>
<p>→渡良瀬川に鉱毒が流れ込み、流域の住民は被害を受けた</p>
<p>→そこで、<strong>田中正造</strong>が鉱毒防止と被害者救済の運動を進めた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2472">日本の産業革命とその弊害としての社会問題をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>日本の海外展開と日露戦争についてまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2461</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2461#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 02 Feb 2014 17:29:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[ポーツマス条約]]></category>
		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[日露講和条約]]></category>
		<category><![CDATA[満州]]></category>
		<category><![CDATA[社会主義者]]></category>
		<category><![CDATA[義和団事件]]></category>
		<category><![CDATA[開戦論]]></category>
		<category><![CDATA[非戦論]]></category>

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		<description><![CDATA[日露戦争前後の動き &#160; &#160; 日清戦争後に清の力は衰え、欧米の国々が清に力を伸ばしてきた →欧米の国々の清への進出に対抗するため、清の国内で政治の実現など改革を目指す動きが起きた ※ただし、保守派の反撃 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2461">日本の海外展開と日露戦争についてまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日露戦争前後の動き</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日清戦争後に清の力は衰え、欧米の国々が清に力を伸ばしてきた</p>
<p>→欧米の国々の清への進出に対抗するため、清の国内で政治の実現など改革を目指す動きが起きた</p>
<p>※ただし、保守派の反撃で改革は失敗した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→上記の流れの後、1900年に中国各地で義和団（反キリスト教の伝統的な宗教の流れをうけた組織）を中心とする外国人排斥運動が激しくなった</p>
<p>※この時に、鉄道やキリスト教の破壊、宣教師や外交官が殺される、など起きた</p>
<p>→そのため、欧米と日本が共同で軍隊を送って、義和団の動きをしずめた</p>
<p>→1901年には、清は賠償金の支払いと外国軍隊の駐留を認めた</p>
<p>＝これら一連の流れによる事件を、<strong>義和団事件</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日清戦争後に、ロシアは三国干渉によって日本が清に返還したリヤオトン半島の一部を借り、強大な軍事基地を作った</p>
<p>※ロシアは同時に、義和団事件の時に<strong>満州</strong>（中国の東北部）を占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>当時の日本は、韓国（元朝鮮）を支配しようとしていたため、ロシアの満州占領は恐れていた</p>
<p>→そこで日本は、ロシアの動きを恐れていたイギリスと手を組むことを考えた</p>
<p>＝結果的に、1902年に<strong>日英同盟</strong>が成立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>当時のロシアは、満州から撤兵せず、韓国にも勢力をのばそうとした</p>
<p>※そこで日本は、ロシアに以下の２つの交渉をした</p>
<p>・ロシアの満州での権益の拡大を認めさせる</p>
<p>・日本の韓国への支配権を認めさせる</p>
<p>→ロシアの動きを見て、日本国内ではロシアへの反感が高まり、大きく3つの考え方が出てきた</p>
<p>・多くの新聞：<strong>開戦論</strong>（すぐにロシアと戦うべき）</p>
<p>・政府系の新聞と財界：慎重論</p>
<p>・キリスト教徒（内村鑑三）や<strong>社会主義者</strong>（幸徳秋水）：<strong>非戦論</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→結果的に日本は、開戦に踏み切った（＝<strong>日露戦争</strong>）</p>
<p>※戦争は韓国と満州を戦場として行われた</p>
<p>※戦争は基本的に日本に有利だったが、日本もロシアも戦争を続けるゆとりがなくなった</p>
<p>→そこで日本は、アメリカに仲介を求め、1905年9月にアメリカのポーツマスで、日本とロシアとの間で<strong>ポーツマス条約</strong>（<strong>日露講和条約</strong>）を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日露戦争によって、以下の影響が見られた</p>
<p>・日本は大きな犠牲をはらったのに、賠償金が無かったため、国内で不満の声が上がった</p>
<p>・講和反対と戦争継続をさけぶ群集が、大臣の家、講和を支持する政府系新聞社などを襲撃する事件などを起こした</p>
<p>・日露戦争の勝利で、日本の東アジアでの影響力が大きくなった</p>
<p>・欧米が日本の力に対して警戒するようになった</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2461">日本の海外展開と日露戦争についてまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>日本の海外展開と日清戦争をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2460</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2460#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 02 Feb 2014 17:09:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[三国干渉]]></category>
		<category><![CDATA[日清戦争]]></category>
		<category><![CDATA[日英通商航海条約]]></category>
		<category><![CDATA[条約改正]]></category>
		<category><![CDATA[甲午農民戦争]]></category>
		<category><![CDATA[関税自主権]]></category>
		<category><![CDATA[陸奥宗光]]></category>
		<category><![CDATA[領事裁判権]]></category>

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		<description><![CDATA[条約改正の歴史的流れと日清戦争 &#160; &#160; 日本の明治初期の課題・・欧米諸国との不平等条約の改正 →そこで、欧米風の法律や制度を整え、条約の改正を目指したが、日本国内の反対によって失敗した ※この時同時に [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2460">日本の海外展開と日清戦争をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>条約改正の歴史的流れと日清戦争</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日本の明治初期の課題・・欧米諸国との不平等条約の改正</p>
<p>→そこで、欧米風の法律や制度を整え、条約の改正を目指したが、日本国内の反対によって失敗した</p>
<p>※この時同時に、イギリスがロシアの動きを警戒していた</p>
<p>＝だから、イギリスは日本との条約改正に応じた（1894年の陸奥宗光のときに<strong>日英通商航海条約</strong>が結ばれた）</p>
<p>→そのため、1894年に<strong>領事裁判権の制度が撤廃され</strong>、<strong>関税自主権の一部が認められた</strong></p>
<p>⇒最終的に、日露戦争後の1911年に関税自主権が確立されて、対等な条約になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日本は、朝鮮に勢力を広げようとした</p>
<p>→そこで日本は、朝鮮を支配していると考えている清と対立した</p>
<p>→一方で朝鮮国内は、外国や専制的な支配に反対する動きが高まった</p>
<p>※そのため朝鮮では、1894年に東学を信仰する農民を中心とした反乱がおきた（＝<strong>甲午農民戦争</strong>）</p>
<p>→甲午農民戦争に対して、朝鮮は清に軍隊を出すことをお願いした</p>
<p>※この時に、日本も対抗して朝鮮に出兵した</p>
<p>＝その結果、朝鮮で日本軍と清軍とによる戦いが起きた（＝<strong>日清戦争</strong>）</p>
<p>→戦争は、近代化が清は遅れていたこともあって、日本が勝利した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日清戦争後、1895年に下関で日本と清の講和条約が結ばれた</p>
<p>→この時、朝鮮の独立、リャオトン半島、台湾、ポンフー諸島の譲渡、賠償金約3億円の支払いなどを認めた</p>
<p>※しかし、ロシアは日本の勢いを警戒していた</p>
<p>→だからロシアは、ドイツやフランスと一緒に、リヤオトン半島の清への返還を日本に求めた（＝<strong>三国干渉</strong>）</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2460">日本の海外展開と日清戦争をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>明治時代中期を時系列でまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1499</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1499#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 11 Nov 2013 12:32:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[まとめさん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[まとめ]]></category>
		<category><![CDATA[日本史]]></category>
		<category><![CDATA[明治時代]]></category>

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		<description><![CDATA[まとめてみました &#160; &#160; ・自由民権運動について① &#160; &#160; ・自由民権運動について② &#160; &#160; ・松方正義財政について &#160; &#160; ・自由民権運動 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1499">明治時代中期を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>まとめてみました</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1254" target="_blank">自由民権運動について①</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1255" target="_blank">自由民権運動について②</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1256" target="_blank">松方正義財政について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1257" target="_blank">自由民権運動について③</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1258" target="_blank">大日本帝国憲法について　－出来るまでの流れ－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1259" target="_blank">大日本帝国憲法の内容について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1260" target="_blank">明治時代の法典の編纂について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1261" target="_blank">初期議会とその動きについて</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1264" target="_blank">明治時代の条約改正について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1265" target="_blank">明治時代の朝鮮の問題について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1266" target="_blank">日清戦争と三国干渉について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1267" target="_blank">三国干渉による日本の変化と立憲政友会の誕生について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1268" target="_blank">中国分割と日英同盟について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1269" target="_blank">日露戦争について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1270" target="_blank">日露戦争後の国際情勢について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1271" target="_blank">桂園時代の日本について</a></p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1499">明治時代中期を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>桂園時代の日本について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1271</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1271#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 00:37:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[地方改良運動]]></category>
		<category><![CDATA[大逆事件]]></category>
		<category><![CDATA[工場法]]></category>
		<category><![CDATA[帝国在郷軍人会]]></category>
		<category><![CDATA[戊申詔書]]></category>
		<category><![CDATA[桂園時代]]></category>
		<category><![CDATA[桂太郎]]></category>
		<category><![CDATA[立憲政友会]]></category>
		<category><![CDATA[西園寺公望]]></category>
		<category><![CDATA[鉄道国有法]]></category>

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		<description><![CDATA[桂園時代の日本について考えてみます &#160; &#160; ・桂園時代の日本について &#160; &#160; 　・１９０１年に、第１次桂太郎内閣が誕生した 　　→この内閣は、日英同盟の成立や日露戦争など様々な出来 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1271">桂園時代の日本について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>桂園時代の日本について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・桂園時代の日本について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９０１年に、第１次桂太郎内閣が誕生した</p>
<p>　　→この内閣は、日英同盟の成立や日露戦争など様々な出来事があった時期を担当していた</p>
<p>　　　※第１次桂太郎内閣は１９０５年の終わりに終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第１次桂太郎内閣の時に、野党だった立憲政友会は、</p>
<p>　　鉄道や港を充実させていくことを目標にして、</p>
<p>　　地方で力のある人達の支持を得ながら勢いを伸ばしていった</p>
<p>　　＝その結果、第１次桂太郎内閣が終了した時の、次の内閣を立憲政友会のトップの</p>
<p>　　　西園寺公望という人が担当することになった</p>
<p>　　　※西園寺公望内閣は、１９０６年に鉄道国有法という法律を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西園寺公望内閣は、１９０７年に起きた恐慌によって、行き詰まってしまった</p>
<p>　　→そのため、次の年の総選挙で圧勝したにも関わらず、桂太郎に政権を渡した</p>
<p>　　　＝結果的に、第２次桂太郎内閣が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次桂太郎内閣は、１９０８年に戊申詔書という詔書を出すと同時に、</p>
<p>　　内務省を中心にして地方改良運動という運動を行うことを推奨していった</p>
<p>　　※地方改良運動・・江戸時代からあった村落共同体である旧町村を、</p>
<p>　　　　　　　　　　　新しい町村に組み替え直して、税金を負担する力を</p>
<p>　　　　　　　　　　　高めさせようとした運動のこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　→地方改良運動によって、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・旧村落のお金が新しく組み替えられた町村に吸収された</p>
<p>　　　　・旧村落の青年会が新しく組み替えられた町村の青年会に組み替えられた</p>
<p>　　　　　→この結果、青年会が内務省や文部省とのつながりを強めることになった</p>
<p>　　　　・１９１０年に帝国在郷軍人会というものが出来た</p>
<p>　　　　　→そのため、町村ごとにあった在郷軍人会というものが、</p>
<p>　　　　　　帝国在郷軍人会の下に編成されることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次桂太郎内閣は、１９１０年に起きた大逆事件という出来事をきっかけとして、</p>
<p>　　社会主義者と無政府主義者を抑えつけるという行動を取った</p>
<p>　　※しかし、工場法という法律を作るなど、社会的な配慮をちょっとだけ行っている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次桂太郎内閣は、韓国併合を行った後、１９１１年にもう一度西園寺公望に内閣を渡した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→以上のように、１０年以上も桂太郎と西園寺公望が交互に内閣を担当した</p>
<p>　　　＝そのため、この２人が中心になって動いていた時代を、</p>
<p>　　　　２人の苗字から一文字ずつとって、桂園時代と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・桂園時代の政治とその様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1271">桂園時代の日本について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>日露戦争後の国際情勢について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1270</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1270#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 00:31:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[ハーグ密使事件]]></category>
		<category><![CDATA[中華民国]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[朝鮮総督府]]></category>
		<category><![CDATA[桂・タフト協定]]></category>
		<category><![CDATA[満鉄]]></category>
		<category><![CDATA[第1次日韓協約]]></category>
		<category><![CDATA[辛亥革命]]></category>
		<category><![CDATA[韓国併合]]></category>
		<category><![CDATA[韓国統監府]]></category>

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		<description><![CDATA[日露戦争後の国際情勢について考えてみます &#160; &#160; ・日露戦争後の国際情勢について &#160; &#160; 　・日本は、日露戦争の勝利によって得た大陸に、進出するための拠点を確保しようとした &#038;nb [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1270">日露戦争後の国際情勢について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日露戦争後の国際情勢について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日露戦争後の国際情勢について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、日露戦争の勝利によって得た大陸に、進出するための拠点を確保しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そのために、日本は以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９０５年に、アメリカと非公式で桂・タフト協定という協定を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・イギリスと、日英同盟を改定した</p>
<p>　　　　＝これを第２次日英同盟という</p>
<p>　　　　　→この改定で、日本とイギリスに日本の韓国保護国化を認めさせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９０５年に、日本は第２次日韓協約を結んだ</p>
<p>　　　　→この協約によって、韓国の外交権を奪い、</p>
<p>　　　　　漢城に韓国の外交を仕切る韓国統監府というものを置いた</p>
<p>　　　　　※初代統監府には、伊藤博文が選ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※日露戦争中の１９０４年には、第１次日韓協約が結ばれていた</p>
<p>　　　　→この協約によって、日本が推奨する財政と外交の顧問を韓国政府に置いて、</p>
<p>　　　　　重要な外交の問題については事前に日本の政府と協議することが決められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・このような状況の中、韓国の皇帝の高宗という人が、</p>
<p>　　１９０７年にオランダのハーグというところで開かれた</p>
<p>　　第２回万国平和会議という会議に密使（秘密の使い）を送って、</p>
<p>　　第２次日韓協約に抗議をした</p>
<p>　　→この抗議に対して、他の国々は無視をした、という出来事が起きた</p>
<p>　　　＝この出来事をハーグ密使事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、ハーグ密使事件をきっかけに以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・韓国の皇帝の高宗を皇帝から降ろさせた</p>
<p>　　　・第３次日韓協約を結んで、韓国の政治に関する権利を日本が持った</p>
<p>　　　・韓国の軍隊を解散させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※今までも植民地化に抵抗して、韓国で義兵運動が行われていたが、</p>
<p>　　　日本が解散させた軍隊にいた兵士が義兵運動に参加したため、</p>
<p>　　　義兵運動が本格的になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、１９０９年に韓国へ軍隊を派遣して義兵運動を鎮圧した</p>
<p>　　→しかし、その時に初代統監の伊藤博文がハルビン駅という場所で　</p>
<p>　　　韓国の安重根という人に暗殺されるという事件が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、憲兵隊という軍隊を韓国に置くなどの準備を行った上で、</p>
<p>　　１９１０年に韓国併合条約という条約に強制的に調印させた</p>
<p>　　→この条約によって、韓国が日本の植民地になった</p>
<p>　　　＝この出来事を韓国併合という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・韓国併合の後、日本は首都の漢城を京城という名前に変えて、</p>
<p>　　京城に朝鮮総督府という機関を置いて韓国を統治した</p>
<p>　　※初代総督に、寺内正毅という人が選ばれた</p>
<p>　　※朝鮮総督は、最初は現役の軍人だけしか選ばれなかった</p>
<p>　　　→そのため、警察のような仕事は日本の憲兵が担当した</p>
<p>　　　　＝こうすることで、警備も総督も軍人になる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝鮮総督府は、地税の基礎となる土地の測量と所有権の確認を朝鮮全てで行った</p>
<p>　　＝この出来事を土地調査事業という</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※土地調査事業の時に、所有権があいまいということを理由に</p>
<p>　　　　多くの農地や山林が没収された</p>
<p>　　　　→その一部は、東洋拓殖会社や日本人の地主などに売られた</p>
<p>　　　※土地を取り上げられた朝鮮の人達は貧乏になったため、</p>
<p>　　　　一部の人が職を求めて日本に来ていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、日本の満州への進出が本格的になり、以下のようなことが行われた</p>
<p>　　→・１９０６年に、関東州（旅順と大連を含む遼東半島の南側の</p>
<p>　　　　一定期間借りている土地）を治めるために、関東都督府という機関が旅順に置かれた</p>
<p>　　　・半官半民の南満州鉄道株式会社（満鉄）が大連に作られた</p>
<p>　　　　※半官半民・・国と民間が共同で出資すること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※満鉄は、ロシアがゆずってくれた長春・旅順間の</p>
<p>　　　　　旧東清鉄道という鉄道を始めとして、鉄道の周りにある炭鉱なども経営した</p>
<p>　　　　　→満鉄は、日本が満州の経済に進出するきっかけになったと言われている　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本の満州への動きに対して、満州の市場に興味があったアメリカが</p>
<p>　　門戸開放を提唱して、日本が南満州の利益を独占することに反対した</p>
<p>　　→そこでアメリカは、ハリマンという人を中心にして、</p>
<p>　　　日本とアメリカの共同で満鉄を経営することを提案したが</p>
<p>　　　日本は、この提案を拒否した</p>
<p>　　　＝その結果、１９０９年にアメリカが満鉄を中立した会社にするべきだということを</p>
<p>　　　　様々な国に訴えると同時に日本とアメリカの関係が悪くなってしまった</p>
<p>　　　　※清の内部でも、利益を返すべきだという考え方が広まっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで日本は、第２次日英同盟協約と４回の日露協約を武器に、</p>
<p>　　　満州の利益を国際社会で認めさせた</p>
<p>　　　※日露協約を繰り返すにつれて、日本とロシアは近づいていくようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・１９１１年に、清で辛亥革命という革命が起きた</p>
<p>　　※辛亥革命・・専制と他の民族が支配することに反対して起きた革命のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・辛亥革命の後、１９１２年に三民主義という考え方を提唱する革命の指導者の</p>
<p>　　孫文という人を臨時大統領にして中華民国という国が誕生した</p>
<p>　　※三民主義・・民族主義、民権主義、民生主義の３つの考え方をまとめた呼び方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※この時に、清が終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※孫文は、軍閥の首相である袁世凱という人の圧力を受けて、</p>
<p>　　　袁世凱に臨時大統領の位をゆずった</p>
<p>　　　→これ以降、中国では周りの国の支援を受けたそれぞれの軍閥政府が</p>
<p>　　　　お互いに張り合いつつ争うという、非常に不安定な国内の状況が続いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中華民国の誕生を知って、日本の陸軍は南満州の利益をより多く得るために、</p>
<p>　　中国の軍事に介入するべきだと提案した</p>
<p>　　→しかし、政府は周りの国々の意見と日本国内の財政を考えて、</p>
<p>　　　中国の軍事には介入しないことにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日露戦争後の国際情勢について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1270">日露戦争後の国際情勢について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>日露戦争について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1269</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1269#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 00:22:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[セオドア＝ローズヴェルト]]></category>
		<category><![CDATA[ポーツマス条約]]></category>
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		<category><![CDATA[旅順]]></category>
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		<description><![CDATA[日露戦争について考えてみます &#160; &#160; ・日露戦争について &#160; &#160; 　・１９０４年に、日本とロシアの交渉は決裂した 　　→そこで、１９０４年２月に日本とロシアはお互いに宣戦布告した  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1269">日露戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日露戦争について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日露戦争について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９０４年に、日本とロシアの交渉は決裂した</p>
<p>　　→そこで、１９０４年２月に日本とロシアはお互いに宣戦布告した</p>
<p>　　　＝この宣戦布告によって日露戦争が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争では、ロシアの満州の占拠に反対するアメリカとイギリスの</p>
<p>　　経済的な援助を日本が受けていたため、日本が有利な状況で進んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→日露戦争はどのような内容だったのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９０５年の初めに、半年以上の時間をかけて大量の兵を失いつつも、</p>
<p>　　　　旅順を攻め落とした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９０５年の３月に奉天会戦という戦いが起きて、ギリギリ勝利した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９０５年の５月に日本海海戦という戦いが起きて、</p>
<p>　　　　日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を全滅させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は一応勝利したものの、日露戦争が長引いたことによる</p>
<p>　　日本のダメージは大きかった</p>
<p>　　※約１７億円の軍事費のうちの約１３億円は借金でまかなっていた</p>
<p>　　　→そのため、国民の負担と生活が限界に近い状況だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、ロシアは国内で革命運動が起きたため、戦争を続けることが困難になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで、当時のアメリカ大統領だったセオドア＝ローズヴェルトという人が仲介して、</p>
<p>　　　１９０５年に、アメリカのポーツマスという場所で、</p>
<p>　　　日本の小村寿太郎という人とロシアのヴィッテという人が</p>
<p>　　　ポーツマス条約という講和条約に調印した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ポーツマス条約の内容</p>
<p>　　　　・ロシアは、日本が韓国を指揮・監督する権利を全面的に認める</p>
<p>　　　　・清にある旅順と大連を一定期間借りる権利と、</p>
<p>　　　　　長春という場所より南側の鉄道とその周りの権利を日本に譲る</p>
<p>　　　　・北緯５０度より南側のサハリン（樺太）とその周りの島々を日本に譲る</p>
<p>　　　　・沿海州とカムチャッカという場所で漁業をする権利を日本に認める</p>
<p>　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※日本国民は、苦しい生活と増税に耐えて戦争を行ってきたものの、</p>
<p>　　ポーツマス条約で賠償金が全く取れないことについて怒りが爆発した</p>
<p>　　→そのため、ポーツマス条約に調印した日に、講和反対国民大会というものが開かれ、</p>
<p>　　　暴動が起きた</p>
<p>　　　＝この出来事を、日比谷焼き打ち事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日露戦争の内容について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1269">日露戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>中国分割と日英同盟について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1268</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1268#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 00:18:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[モンロー宣言]]></category>
		<category><![CDATA[中国分割]]></category>
		<category><![CDATA[北京条約]]></category>
		<category><![CDATA[北清事変]]></category>
		<category><![CDATA[対露強硬方針]]></category>
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		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[機会均等]]></category>
		<category><![CDATA[義和団の乱]]></category>
		<category><![CDATA[門戸開放]]></category>

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		<description><![CDATA[中国分割と日英同盟について考えてみます &#160; &#160; ・中国分割について &#160; 　 　・欧米の国々は、日清戦争の様子を見て清が弱いことを知った 　　→そこで、欧米の国々は清に勢力をどんどん広げていっ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1268">中国分割と日英同盟について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中国分割と日英同盟について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中国分割について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・欧米の国々は、日清戦争の様子を見て清が弱いことを知った</p>
<p>　　→そこで、欧米の国々は清に勢力をどんどん広げていった</p>
<p>　　　＝この出来事を中国分割という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国分割の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１８９８年に、ドイツが山東半島の膠州湾というところを一定期間借りた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・その後、ロシアが遼東半島の旅順と大連港を一定期間借りた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・その後、イギリスが九竜半島と威海衛を一定期間借りた</p>
<p>　　</p>
<p>　　　・１８９９年に、フランスが広州湾というところを一定期間借りた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→それぞれの国は、借りた場所を拠点にして鉄道の建設などを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※アメリカは中国分割を直接は行わなかった</p>
<p>　　　　→その代わり、１８９８年にハワイとフィリピンをアメリカのものにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況で、アメリカの国務長官のジョン＝ヘイという人が中国について、</p>
<p>　　門戸開放と機会均等を提案してそれぞれの国の勢力が広がっている範囲での</p>
<p>　　貿易の自由を求めた</p>
<p>　　※・門戸開放・・港や市場を開放して、経済活動の制限を無くすこと</p>
<p>　　　・機会均等・・外国との経済活動の時に、どの国に対しても同じ待遇をすること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※アメリカは、１８２３年に当時の大統領のモンローという人が、</p>
<p>　　　ヨーロッパの問題に介入しない代わりにアメリカに対してヨーロッパの国々が</p>
<p>　　　介入してくることを拒否するという宣言を出した</p>
<p>　　　＝この宣言をモンロー宣言という</p>
<p>　　　　→しかし、アメリカは門戸開放宣言によって、モンロー宣言の外交スタイルを変えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９００年に、清で「扶清滅洋」（清を救って西洋を倒す）という考え方を</p>
<p>　　持っている義和団という団体が勢力を広げてきた</p>
<p>　　→義和団は清の様々な場所で外国人を襲って、北京にあった列国公使館を包囲する、</p>
<p>　　　ということを行った</p>
<p>　　　＝この出来事を義和団の乱という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→清の政府は、義和団を推奨して、多くの国々に宣戦布告した</p>
<p>　　　＝この出来事を北清事変という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北清事変に対して、日本を含む多くの国々は、連合軍を作って清に派遣した</p>
<p>　　→その結果、義和団を北京から追い出して清に敗北宣言をさせた</p>
<p>　　　＝そこで、１９０１年に清は北京条約という条約を結んだ</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※北京条約について</p>
<p>　　　　→この条約によって、以下のようなことが決まった</p>
<p>　　　　　・清は多くの国々に、賠償金を払う</p>
<p>　　　　　・首都の北京にある公使館の地域で治外法権を認める</p>
<p>　　　　　・公使館を守るための兵隊を置く　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・清が敗北したことによって、清についていっていた朝鮮に影響を与えることになった</p>
<p>　　→朝鮮は、ロシアに支援されて日本と対立する動きが強まった</p>
<p>　　　＝そのため、朝鮮で親露政権（ロシアに友好的な政権）が誕生した</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　※親露政権はどのようにして出来たのか</p>
<p>　　　・親日政権が三国干渉の後に、閔妃という人を中心とした親露派に倒された</p>
<p>　　　・韓国に駐在する日本の公使の三浦梧楼という人は親日派を擁護しようとして、</p>
<p>　　　　公使館の兵隊に王宮を占拠させて、閔妃を殺すという事件を起こした</p>
<p>　　　・そこで、王妃を殺された朝鮮の王様の高宗という人はロシア公使館に逃げた</p>
<p>　　　　＝この時に親露政権が出来た</p>
<p>　　　　　※親露政権は日本に対抗するという意味もあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝鮮は、１８９７年に国号を大韓帝国（韓国）に変えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日英同盟について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北清事変をきっかけにロシアは中国東北部（満州）を占領して、</p>
<p>　　満州の権益をロシアが独占するようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、韓国とつながっている中国東北部がロシアのものになると、</p>
<p>　　日本の韓国での利益が奪われる可能性があると考えるようになった</p>
<p>　　→そこで、日本はロシアとどのような関係を保つべきかということについて</p>
<p>　　　議論されるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※議論はどのようになったのか</p>
<p>　　　・ロシアとの関係については、２つの考え方が出てきた</p>
<p>　　　　→・日露協商論・・ロシアとの「満韓交換」を交渉しようとする考え方</p>
<p>　　　　　　※満韓交換・・ロシアに満州を自由にさせる代わりに、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　日本が韓国に対する優越権を渡すという考え方</p>
<p>　　　　　・対露強硬方針・・イギリスと同盟を結んで実力で韓国の権益をロシアから守る考え方</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→日本は、対露強硬方針を取った</p>
<p>　　　　　＝そこで、日本は１９０２年に日英同盟協約（日英同盟）を結んだ</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p>
<p>　　※日英同盟で決められた内容</p>
<p>　　　・日本とイギリスがお互いに清と韓国の独立と領土の維持を認めあう</p>
<p>　　　・清における日本とイギリスの利益と、韓国での日本の政治、経済、産業</p>
<p>　　　　などの利益を認める</p>
<p>　　　・もし日本とイギリスのどちらかが他の国と戦った場合、</p>
<p>　　　　もう一方の同盟国は中立の立場を守り、</p>
<p>　　　　もし第三者の国が参戦してきたら、もう一方の同盟国も参戦する</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日英同盟を結んでも、ロシアは満州に兵隊を置き続けた</p>
<p>　　→そのため、日本はロシアとの交渉を続ける裏で、</p>
<p>　　　ロシアとの戦争を始める準備を行っていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本国内の一部で、キリスト教徒の内村鑑三や社会主義者の幸徳秋水、堺利彦などの人達が、</p>
<p>　　非戦論や反戦論（戦争に反対する考え方）を提唱していた　　</p>
<p>　　※日本の世論も、最初は戦争に反対だったが、対露同志会などの団体が</p>
<p>　　　戦争を行うことを宣言していたこともあり、</p>
<p>　　　段々と開戦論（戦争に賛成する考え方）に向かっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※どのように開戦論に向かっていったのか</p>
<p>　　　・１９０３年に作られた対露同志会や、戸水寛人などを中心とした</p>
<p>　　　　七博士と呼ばれる人達が主戦論を提唱した</p>
<p>　　　・「万朝報」を書いた黒岩涙香や「国民新聞」を書いた徳富蘇峰という人などが、</p>
<p>　　　　主戦論を推していった</p>
<p>　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※戦争が始まってからは、与謝野晶子という人が、「君死にたまふこと勿れ」と</p>
<p>　　　うたう反戦の詩を「明星」という雑誌で発表している</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中国分割と北清事変の様子を押さえる</p>
<p>・日英同盟とロシアとの関係を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1268">中国分割と日英同盟について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>三国干渉による日本の変化と立憲政友会の誕生について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1267</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1267#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 00:09:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[三国干渉]]></category>
		<category><![CDATA[共和演説事件]]></category>
		<category><![CDATA[大隈重信]]></category>
		<category><![CDATA[憲政党]]></category>
		<category><![CDATA[文官任用令]]></category>
		<category><![CDATA[治安警察法]]></category>
		<category><![CDATA[立憲政友会]]></category>
		<category><![CDATA[超然主義]]></category>
		<category><![CDATA[軍部大臣現役武官制]]></category>
		<category><![CDATA[隈板内閣]]></category>

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		<description><![CDATA[三国干渉による日本の変化と立憲政友会の誕生について考えてみます &#160; &#160; ・三国干渉による日本の変化と立憲政友会の誕生について &#160; &#160; 　・日清戦争に勝利して、三国干渉が行われたこと [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1267">三国干渉による日本の変化と立憲政友会の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>三国干渉による日本の変化と立憲政友会の誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・三国干渉による日本の変化と立憲政友会の誕生について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日清戦争に勝利して、三国干渉が行われたことによって、様々な変化が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・自由党は、第２次伊藤博文内閣を支持して、板垣退助を内務大臣として内閣に入れた</p>
<p>　　→この時に、軍備を拡張するための予算を認めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次伊藤博文内閣の後を継いだ第２次松方正義内閣は、</p>
<p>　　１８９６年に進歩党と手を組んで、大隈重信を外務大臣として内閣に入れた</p>
<p>　　→この時に、軍備を拡張させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８９８年に出てきた第３次伊藤博文内閣は、自由党が総選挙で</p>
<p>　　あまり票を取ることができなかったために、自由党と手を組むことをやめて、</p>
<p>　　超然主義の考え方に戻った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・そこで、自由党は進歩党と手を組んで、憲政党という党を作った</p>
<p>　　※自由党と進歩党は衆議院でそれぞれ多くの議席を持っていた</p>
<p>　　　→そのため、自由党と進歩党が手を組むことで、</p>
<p>　　　　衆議院のかなり多くを憲政党が占めることになった</p>
<p>　　　　＝結果的に伊藤博文内閣は議会を運営するための方向性を見失ってしまい、退陣した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第３次伊藤博文内閣が終わった後、日本で初めての政党内閣として、</p>
<p>　　第１次大隈重信内閣（隈板内閣）が出てきた</p>
<p>　　※この時は、首相が大隈重信、内務大臣が板垣退助、</p>
<p>　　　陸軍と海軍以外の全ての閣僚が憲政党の人達だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大隈内閣が出来てすぐに、旧自由党と旧進歩党が対立するようになった</p>
<p>　　※尾崎行雄という人が共和演説事件という事件で文部大臣を辞めた時に、</p>
<p>　　　次を誰が担当するかということで対立が激しくなった</p>
<p>　　　→結局、憲政党は憲政党（旧自由党）と憲政本党（旧進歩党）に分裂してしまった</p>
<p>　　　　＝そのため、第１次大隈内閣は４ヵ月で終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※共和演説事件とは・・</p>
<p>　　　・尾崎行雄文部大臣は、絶対にあり得ない仮定だとした上で、</p>
<p>　　　　「仮に日本に共和政治が行われるとしたら、三井・三菱が大統領の</p>
<p>　　　　有力候補になるだろう」という発言で金権政治（お金で動く政治）を批判した</p>
<p>　　　　→この時に、宮中、貴族院、枢密院などから批判された</p>
<p>　　　　　＝この出来事を共和演説事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第１次大隈内閣の後に、第２次山県有朋内閣が出てきた</p>
<p>　　→山県内閣は、憲政党に支持されていた</p>
<p>　　　＝そのため、憲政本党の反対を抑えて、地租を増やす案を誕生させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次山県有朋内閣は、さらに以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・政党が官僚に影響を与えるのを防ぐために、</p>
<p>　　　　１８９９年に文官任用令という法律を改正した</p>
<p>　　　　※その結果、文官に任用される資格のなかった各省の次官や高級官吏などに</p>
<p>　　　　　資格を与えたり、官僚としての知識や経験が無い人が、</p>
<p>　　　　　政党の力などで高級官吏になれないようにしたりした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※文官任用令を改正した時に、同時に文官懲戒令と文官分限令という法律を作った</p>
<p>　　　　　→この法律によって、国務大臣以外の行政官の身分を保障しようとした</p>
<p>　　　　　　＝そうすることで、官僚が政党から影響を受けることを防ごうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・政党が軍部に影響を与えるのを防ぐために、</p>
<p>　　　　１９００年に軍部大臣現役武官制という制度を作った</p>
<p>　　　　→この制度によって、現役の大将や中将以外は、</p>
<p>　　　　　陸軍と海軍の大臣になれないことになった　</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　　・治安警察法という法律を作って、政治や労働運動などの規制を強くした</p>
<p>　　　　※治安警察法・・政治集会やデモなどを取り締まる法律のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第２次山県有朋内閣の政策に対して、憲政党が批判的だった</p>
<p>　　→そこで憲政党は、政党を作ろうとしていた伊藤博文に近づいた</p>
<p>　　　＝その結果、憲政党を潰して、伊藤博文派の官僚と一緒に</p>
<p>　　　　１９００年に立憲政友会という政党を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・伊藤博文は、立憲政友会を連れて第４次伊藤博文内閣を作った</p>
<p>　　→しかし、貴族院が伊藤博文内閣に反対し続けたため、結局ダメになってしまった</p>
<p>　　　＝そこで、１９０１年に第１次桂太郎内閣が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・桂太郎内閣が出てきてからは、山県有朋の後継者である桂太郎を中心とした</p>
<p>　　軍部、貴族、官僚と、伊藤博文の後を受け継いだ西園寺公望という人を</p>
<p>　　トップに置いた立憲政友会の２つが対立する形になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※年を取っていた山県有朋や伊藤博文は、政治から離れたものの、</p>
<p>　　　元老として首相を選ぶ権利を持った</p>
<p>　　　→このようにして、山県有朋や伊藤博文は内閣を裏で動かしていた</p>
<p>　　　　・元老・・非公式で天皇を補佐する役職のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・三国干渉後の日本の状況を立憲政友会を中心に押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1267">三国干渉による日本の変化と立憲政友会の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>日清戦争と三国干渉について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1266</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1266#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 00:04:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[三国干渉]]></category>
		<category><![CDATA[下関条約]]></category>
		<category><![CDATA[台湾総督]]></category>
		<category><![CDATA[日清戦争]]></category>
		<category><![CDATA[東学]]></category>
		<category><![CDATA[樺山資紀]]></category>
		<category><![CDATA[甲午農民戦争]]></category>
		<category><![CDATA[臥薪嘗胆]]></category>
		<category><![CDATA[遼東半島]]></category>
		<category><![CDATA[防穀令]]></category>

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		<description><![CDATA[日清戦争と三国干渉について考えてみます &#160; &#160; ・日清戦争とその流れについて &#160; &#160; 　・天津条約が結ばれた後に、日本は朝鮮に対する影響力を強くしようとした 　　→そこで日本は、軍 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1266">日清戦争と三国干渉について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日清戦争と三国干渉について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日清戦争とその流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・天津条約が結ばれた後に、日本は朝鮮に対する影響力を強くしようとした</p>
<p>　　→そこで日本は、軍事力を高めると同時に、清の軍事力を武器にして</p>
<p>　　　日本に抵抗する朝鮮との対立を深めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※どのような軍事力の強化を行ったのか</p>
<p>　　　・１８７８年に、参謀本部という機関を作って、</p>
<p>　　　　統帥部（軍事を指揮する部）を強化した</p>
<p>　　　・１８８２年に軍人勅諭を出して、軍人が天皇に誓う気持ちを高めさせた</p>
<p>　　　・１８８８年に陸軍が鎮台から師団という軍隊に変わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※朝鮮との対立が深まったことで、日本と朝鮮はどのような行動を取ったのか</p>
<p>　　　・朝鮮は１８８９年から、防穀令（穀物の輸出を禁止した法律のこと）を出した</p>
<p>　　　・日本は防穀令を廃止させた上で、輸出を禁止していた間の損害賠償を要求した</p>
<p>　　　　→１８９３年に要求が通った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８９４年に、甲午農民戦争（東学の乱）という反乱が起きた</p>
<p>　　</p>
<p>　　※甲午農民戦争・・朝鮮で東学の信徒を中心に、農民が朝鮮の政府に対して</p>
<p>　　　　　　　　　　　減税と日本の排除を求めた反乱のこと</p>
<p>　　　東学・・キリスト教（西学）に反対する民族宗教のこと</p>
<p>　　　→農民の反乱は、東学の幹部によって指導されて、</p>
<p>　　　　朝鮮半島の南部を制圧するほどの勢いになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・甲午農民戦争が起きた時に、清は朝鮮の政府にお願いされて朝鮮に兵隊を送ると同時に、</p>
<p>　　天津条約のルールに従って日本に兵隊を送ったことを報告した</p>
<p>　　→日本は、この報告を受けて朝鮮に兵隊を送った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→上のように、両方の国から軍が来てしまうような状況だったので、</p>
<p>　　　農民の反乱軍はすぐに朝鮮の政府と和解した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、日本と清は朝鮮の政治改革について揉めてしまい、</p>
<p>　　結果的に日本と清が戦う状態になってしまった</p>
<p>　　※イギリスは、最初は日本の出兵に批判的だった</p>
<p>　　　→しかし、日英通商航海条約に調印してからイギリスは態度を変えて、</p>
<p>　　　　日本に友好的になった</p>
<p>　　　　＝そのため、世界での地位や国際情勢は日本の方が有利だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８９４年８月に日本は清に宣戦布告をした</p>
<p>　　＝この動きによって、日清戦争がはじまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日清戦争の状況について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日清戦争が始まったらすぐに、政党が政府の批判を中止した</p>
<p>　　→そのため、議会は戦争に関する予算や法律案などを全て承認していった</p>
<p>　　　※日清戦争にかかった費用は約２億円で、</p>
<p>　　　　当時の国家予算の２倍ほど使ったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・戦争は、軍隊の育成や新しい兵器の使用などを多く行っていた日本が</p>
<p>　　圧倒的に有利な状況になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、清の軍隊を朝鮮から追い出した</p>
<p>　　→その後、遼東半島という半島を占領した</p>
<p>　　→さらにその後、黄海という場所での海戦（海での戦い）を行い、</p>
<p>　　　清の北洋艦隊という艦隊を撃破した</p>
<p>　　→最終的に、清の拠点である威海衛という場所を占領した</p>
<p>　　　＝結果、日本の勝利に終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・勝利の結果、１８９５年４月に、日本の伊藤博文・陸奥宗光と清の李鴻章という</p>
<p>　　人達との間で、下関条約という条約が結ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※下関条約の内容について</p>
<p>　　　　・清は朝鮮の独立を認める</p>
<p>　　　　・遼東半島、台湾、澎湖諸島という場所を日本にゆずる</p>
<p>　　　　・賠償金として２億テール（当時の日本円で３億１０００万円）を日本に支払う</p>
<p>　　　　・新しく、沙市、重慶、蘇州、杭州という４つの港を開く　　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・三国干渉について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・遼東半島を日本にゆずるという内容に、ロシアが反応した</p>
<p>　　※ロシアは、東アジアに進出することを考えていたため、</p>
<p>　　　遼東半島が日本に移ることに反応した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・そこでロシアは、フランスとドイツを誘って、遼東半島を清に返すことを日本に求めた</p>
<p>　　＝この動きを、三国干渉という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、３つの国に反抗することは無理だと考えた</p>
<p>　　→そのため、日本は遼東半島を清に返した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※この時に日本は、「臥薪嘗胆」という考えがあった</p>
<p>　　　→そのため、国民のロシアに対する怒りが増えてきた風潮を使って、</p>
<p>　　　　日本は軍備を拡大させていった</p>
<p>　　　　・臥薪嘗胆・・復讐したり、目標を達成したりするために辛く苦しい思いをして</p>
<p>　　　　　　　　　　　努力をすること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本政府は、遼東半島を返してしまった分、新しく得た台湾を治めることに力を入れた</p>
<p>　　→そこで、日本は１８９５年に樺山資紀という人を台湾総督に任命した</p>
<p>　　　※樺山資紀は台湾の人の抵抗を武力で抑えつけることを行っていた　　　</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※台湾総督・・行政などを指揮する台湾総督府のトップの人のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・台湾の統治について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・台湾総督は、基本的に陸軍か海軍の大将か中将が任命された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・台湾総督には、軍事を指揮する権利、行政や司法や立法を動かす権利などがあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１８９８年から、台湾総督の児玉源太郎という人の下で、</p>
<p>　　　後藤新平という人が台湾の人々の幸福度を</p>
<p>　　　高めるような政治を目指して、以下のような行動を取った</p>
<p>　　　→・土地調査事業を行い、土地制度を近代化させようとした</p>
<p>　　　　・台湾銀行や台湾製糖会社などを作って、産業を成長させようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・台湾の支配は、現地の商人や地主などのようなお金を持っている層を</p>
<p>　　　納得させて上手く取り込みながら行われた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　・一方で、お金が無い農民などは、日本の支配に対して抵抗し続けた</p>
<p>　　　※そのため、時々日本に反抗するような乱を起こすことがあった</p>
<p>　　　　→日本は、反乱に対しては徹底して弾圧していった</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　※日本が台湾を支配する状況は１９４５年まで続いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日清戦争までの流れを押さえる</p>
<p>・日清戦争の内容を押さえる</p>
<p>・日清戦争のその後を、三国干渉を中心に押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1266">日清戦争と三国干渉について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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