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	<title>アラエス &#187; 戦後・占領期</title>
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		<title>日本は福祉国家型財政なのか―日本財政の4類型との比較から(戦後からバブル崩壊手前まで)</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2007</link>
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		<pubDate>Sun, 24 Nov 2013 04:54:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ルーブル]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>

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		<description><![CDATA[　前回までは、日本と北欧諸国を比較しながら、具体的な福祉国家型財政を概観することで日本の財政運営と北欧諸国のそれとの違いを確認し、それをもとに社会システムと幸福度の関係についても検討しました。本記事では、以前に類型化した [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2007">日本は福祉国家型財政なのか―日本財政の4類型との比較から(戦後からバブル崩壊手前まで)</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>　前回までは、日本と北欧諸国を比較しながら、具体的な福祉国家型財政を概観することで日本の財政運営と北欧諸国のそれとの違いを確認し、それをもとに社会システムと幸福度の関係についても検討しました。本記事では、<a href="http://ahlaes.com/post/733">以前</a>に類型化した日本の財政のあり方と、<a href="http://ahlaes.com/post/2006">ここ</a>で確認した北欧諸国の福祉国家型財政、主に福祉国家型財政の3つの要素(こちら)に焦点を当てて比較し、結局のところ日本は福祉国家型財政なのかどうかを検証したいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1、日本財政の4類型と福祉国家型財政の比較</p>
<p>1-1　戦後復興・経済自立型財政と福祉国家型財政の比較</p>
<p>　まずは戦後復興型財政の特徴から振り返ってみましょう。戦後復興型財政の特徴は、終戦処理と経済再建に注力したことです。<a href="http://ahlaes.com/post/733">過去記事の表3-1</a>を見ればわかるように、終戦直後の膨大な借金返済と、焼け野原からの復興を遂げるために経済再建、とりわけ公共事業に重点的に財政を振り向けました。民生安定費にもそれなりに振り向けられていますが、その中身(表3-1では省略、納富ほか下記参考文献、13頁、表1-4参照)を見ると大半は救済及福祉費に充てられており、あくまで戦後復興にかかわる福祉のため、福祉という名目とはいえ今日における福祉国家型財政とは全く異なる中身です。</p>
<p>　ドッチ来日後は超均衡予算によって公共事業費や失業対策費、地方配付税などが大幅に削減されました。それに加えて超均衡予算を達成するために徴税も強化されました。この徴税強化は、あくまで超均衡を達成するために行われたものであり、福祉国家型財政のような福祉充実のための徴税強化とは目的が異なるものです。</p>
<p>　経済自立型財政も「経済」に注力するという基本的な流れは変わりませんでした。ドッチ・ラインによって経済再建は一応一段落し、経済自立化と国際競争力強化へ向けて、公共事業をはじめとする経済基盤の充実を図りました。この時期の経済自立化に向けた政策は、税制面でも導入され、所得税を中心とした大幅な減税が実施されました。つまり、公共事業と減税を中心に経済自立化を図ったというのが経済自立型財政の大まかな枠組みです。</p>
<p>　このように、戦後復興・経済自立型財政は、戦後復興と経済再建・自立化に焦点を当てた財政運営だったため、社会保障に関しては重要項目ではなかったし、戦後直後だったために社会保障を充実させる余裕もなかったのです。また、ドッチ・ラインにおける徴税強化も、超均衡予算が目的であったという点から、福祉国家型財政の増税の目的とは異なります。したがって、戦後復興・経済自立型財政は福祉国家型財政ではないと言えるでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1-2　開発主義国家型財政と福祉国家型財政の比較</p>
<p>　開発主義国家型財政の特徴は、戦後復興・経済自立型財政で作られた財政運営を土台として、それを一層強化したものでした。改めてまとめると、<a href="http://ahlaes.com/post/744">①</a>公共事業を通じた間接的な雇用保障(=企業支援)<a href="http://ahlaes.com/post/782">②</a>高度成長による負担増を避けることと、強力な租税誘因を目的とした大規模な減税政策<a href="http://ahlaes.com/post/827">③</a>金利的に優遇することでその減税分を貯蓄に回させ、その貯蓄を財政投融資(≒公共事業)に回すという循環によって、高度成長を実現しました。つまり、経済成長を最優先事項としていたため、増大する財源を政府サービスではなく減税に充当したのです。</p>
<p>　一方の福祉国家型財政は、政府サービスを充実させながら国民負担も引き上げるというスタンスをとりました。また、経済成長のプロセスを見ても、日本のような企業を通じた間接的な雇用保障ではなく、社会保障と雇用をうまく結合させた直接的な雇用保障によって経済成長を実現しています。したがって、経済成長のプロセスが全く異なるという点で、開発主義国家型財政は福祉国家型財政とは言えないでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1-3　ケインズ主義型財政と福祉国家型財政の比較</p>
<p>　<a href="http://ahlaes.com/post/1762">ケインズ主義型の特徴</a>は、有効需要を喚起するための大規模な財政出動でした。不況対策としての財政出動という点で開発主義国家型財政とは役割の異なる公共事業ではありますが、公共事業を通じて間接的に雇用を創出・維持しようとする財政のあり方は、社会保障と雇用を結合させた福祉国家型財政とは異なることは明らかです。また、大規模な財政出動によって財政赤字が急増し、財政的な規律が緩んでいると言わざるをえません。この点からも、財政収支の黒字化を実現している福祉国家型財政とは異なると言えるでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1-4　歳出抑制型財政と福祉国家型財政の比較</p>
<p>　最後に<a href="http://ahlaes.com/post/838">歳出抑制型財政の特徴</a>を振り返ります。歳出抑制型財政は、70年代に累増した財政赤字を立て直すことに主眼を置いたもので、増税しないことを前提に、シーリング方式を採用して社会保障や文教、公共事業、地方財政などの経費を抑制しながら、「小さな政府」を志向したことが特徴です。増税しないことを前提にと書いたが、実際には1979年に一般消費税導入の是非を問うた選挙で、与党の自民党が大敗したことを受けての歳出抑制型財政への舵切りでした。この増税案の目的は財政赤字の累増を背景とした財政再建にあったので、自民党の大敗はそれに対してノーを突きつけられたことを意味します。増税を否定されたので、財政赤字を立て直すには歳出抑制しか選択肢がなかったのです。そこで行われたのが第3章で検討した社会保障をはじめとする大規模な歳出抑制でした。</p>
<p>　したがって、社会保障を含めた様々な経費を抑制した点、増税を試みた時の目的が社会保障ではなく財政再建に置かれていたという点から、歳出抑制型財政は福祉国家型財政とは言い難いでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>参考文献</p>
<p>・納富一郎、岩元和秋、中村良広、古川卓萬『戦後財政史』税務経理協会、1988年、13頁</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2007">日本は福祉国家型財政なのか―日本財政の4類型との比較から(戦後からバブル崩壊手前まで)</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>日本財政の類型化―3、ケインズ主義型財政</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1762</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1762#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 17 Nov 2013 02:30:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ルーブル]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[ケインズ主義]]></category>
		<category><![CDATA[地域開発]]></category>
		<category><![CDATA[有効需要の喚起]]></category>
		<category><![CDATA[過疎]]></category>

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]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　以前、50年代半ばから60年代半ばを開発主義国家型財政として議論しました。本記事で検討するケインズ主義型財政は、減税政策や財政投融資の活用という部分では開発型と重複するところがあります。しかしながら、公共事業の役割という観点から見れば、開発型と60年代後半以降のケインズ型は異なった役割を果たしているので、両者を分けるほうがより正確だと思います。したがって、本節では60年代後半以降から70年代をケインズ型として議論を進めていきます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>3-1　過疎化の進行と対策</p>
<p>　1960年代後半からは、「過疎」が問題視され始めた時期です。過疎化の要因としては、所得倍増計画や全国総合開発計画などを軸とする開発型財政が大規模に展開されたことがあります。各地で大規模に展開された地域開発は、地元の農業やその他の産業、雇用や住宅生活に大きな影響を与えました。地域開発は前節で触れたように大都市圏に集中したため、大都市圏では就業構造が第2・3次産業に偏り、求人難が起きました。その結果、若年労働力が大都市圏へと流れ、過疎化が進行したのです。</p>
<p>　そこで過疎対策として、1970年に「過疎地域対策緊急措置法」が施行されました。その目的は、過度の人口減少を抑えるとともに、地域社会の基盤を強化し、地域格差を是正することであり、抜本的な過疎対策は全国的な地域政策の一環として実施すべきとされました(藤田下記参考文献、118頁)。これをきっかけとして、公共投資の重点は大都市圏から地方へと次第にシフトしていきました。これについては1人当たりの公共投資を見ると明らかです。1976年の1人当たり行政投資で見ると、上位が高知、北海道、岩手、茨城、島根、鳥取、下位は埼玉、静岡、大阪、神奈川、長崎、愛知となっており(宮本下記参考文献、209頁)、70年代の公共投資は地方に重点を移していることがよくわかります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>3-2　安定成長への移行と景気対策</p>
<p>　1970年代は、ニクソンショックや石油ショック等を背景に、高度成長は終焉することとなり、いわゆる安定成長へと移行する時期です。この移行に伴い、有効需要喚起ための本格的な財政金融政策、いわゆるケインズ政策が発動されました。70年代最初の課題としては、石油ショックを原因とする急激なインフレをどう終息させるかでした。その手段として使われたのが財政金融政策です。この時の景気引き締めによってインフレは抑制されたものの、経済成長は鈍化し、74年には戦後初めての実質成長率ゼロを記録しました。この景気引き締めによって景気回復は遅れたため、75年には一転して政府は景気刺激策を採用しました(政金融政策の流れについては石下記参考文献、331頁、表10.2が詳しい)。</p>
<p>　日本経済が景気浮揚に苦労していた70年代は、世界的に見ても不況でした。そこで世界同時不況を恐れた国際社会は、78年のボン・サミットでアメリカ、西ドイツ、日本による「機関車論」を打ち出し、不況対策として財政出動を喚起しました。<a href="http://ahlaes.com/post/716">図2-2</a>を見ると、70年代に公共事業や財投急激に伸びているのはこのためです。また、<a href="http://ahlaes.com/post/670">図2-1</a>の70年代の国債急増が示すように、これらの財源は国債発行による調達でした。更に、第2章でも触れたように、70年代は社会保障制度が整備された時期でもあり、これも歳出増加圧力となったことで財政赤字が累積していきました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>3-3　小結</p>
<p>　本記事では、60年代後半から70年代のケインズ主義型財政について検討しました。ポイントとしては、①過疎の進行を背景に公共事業の重点が大都市集中から地方へとシフトしたこと②国の不況対策としての公共投資の増大が挙げられます。ここで注目したいのは、開発主義国家型財政とケインズ主義型財政の違いです。開発型もケインズ型も、公共事業を活用しているという点では同じです。しかしながら、開発型は民間の旺盛な需要に応えるための公共事業であったのに対し、ケインズ型は過疎地域の経済活性化や国の不況対策としての公共事業、すなわち有効需要を喚起するための公共事業であったという点で決定的な違いがあります。したがって、①有効需要の喚起としての公共事業②有効需要の喚起としての公共事業を後押しする財政投融資③70年代に入っても続いた<a href="http://ahlaes.com/post/782">減税政策</a>という3つの特徴を持つ60年代後半から70年代の財政運営は、ケインズ主義型財政と呼ぶことができます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>参考文献、資料</p>
<p>・石弘光『現代税制改革史』東洋経済新報社、2008年</p>
<p>・藤田武夫『現代日本地方財政史(下巻)』日本評論社、1984年</p>
<p>・宮本憲一『現代資本主義と国家』岩波書店、1981年</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1762">日本財政の類型化―3、ケインズ主義型財政</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>戦後・占領期を時系列でまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1503</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1503#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 11 Nov 2013 13:09:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[まとめさん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[占領期]]></category>
		<category><![CDATA[戦後]]></category>

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		<description><![CDATA[まとめてみました &#160; &#160; ・戦後の世界の様子について &#160; &#160; ・戦後の占領と改革について &#160; &#160; ・GHQの民主化政策について &#160; &#160; ・日 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1503">戦後・占領期を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>まとめてみました</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1316" target="_blank">戦後の世界の様子について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1317" target="_blank">戦後の占領と改革について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1318" target="_blank">GHQの民主化政策について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1320" target="_blank">日本国憲法について　－出来るまでの流れと内容－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1321" target="_blank">戦後経済による人々の生活と大衆運動の活発化について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1322" target="_blank">冷戦の開始と東アジアの様子について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1323" target="_blank">アメリカの占領政策の変化について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1324" target="_blank">朝鮮戦争について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1325" target="_blank">サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1326" target="_blank">戦後・占領期の文化について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/1327" target="_blank">戦後の政党政治の復活について</a></p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1503">戦後・占領期を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>戦後の政党政治の復活について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1327</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1327#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 14:23:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[公職追放指令]]></category>
		<category><![CDATA[吉田茂]]></category>
		<category><![CDATA[日本共産党]]></category>
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		<category><![CDATA[衆議院議員選挙法]]></category>
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		<category><![CDATA[ＧＨＱ]]></category>

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		<description><![CDATA[政党政治の復活について考えてみます &#160; 　 ・政党政治の復活について &#160; 　 　※民主化の政策が行われている裏で、様々な政党が復活するようになってきた &#160; &#160; 　・１９４５年１０月 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1327">戦後の政党政治の復活について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>政党政治の復活について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>・政党政治の復活について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　※民主化の政策が行われている裏で、様々な政党が復活するようになってきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年１０月に、ＧＨＱの指令によって牢屋を出た徳田球一という人などを中心に、</p>
<p>　　日本共産党という政党が合法の政党ということで行動を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年１１月に、以下のような政党が出てきた</p>
<p>　　→・昔の無産政党を組み合わせてできた、日本社会党</p>
<p>　　　・昔の立憲政友会の系統で、翼賛選挙の時に推薦されなかった議員を</p>
<p>　　　　中心にして作られた、日本自由党</p>
<p>　　　・昔の立憲民政党の系統で、翼賛体制の時期に大日本政治会に所属していた議員を</p>
<p>　　　　中心に作られた、日本進歩党</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年１２月に、以下のような政党ができた</p>
<p>　　→労使協調（労働者と資本家がお互いに協力し合うこと）を</p>
<p>　　　方針として作られた、日本協同党</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→上のような状況の中で、ＧＨＱは総選挙の時に、戦争に協力した人が</p>
<p>　　立候補することを嫌がった</p>
<p>　　＝そのため、１９４６年１月に公職追放指令というものを出し、</p>
<p>　　　翼賛選挙の時に推薦された議員を全員失格にした</p>
<p>　　　※公職追放指令によって、政治界は大混乱になってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年１２月に、衆議院議員選挙法という法律を大きく改正した</p>
<p>　　＝その結果、女性参政権が認められるようになり、満２０歳以上の成人男女に</p>
<p>　　　選挙権が与えられるようになった</p>
<p>　　　→そのため、有権者数（選挙権を持っている人の数）は、</p>
<p>　　　　今までの３倍近くにまで拡大した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４６年４月に戦後初の総選挙が行われ、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　→・３９人の女性議員が誕生した</p>
<p>　　　・日本自由党が第一党になった</p>
<p>　　</p>
<p>　・１９４６年５月に、戦前から親英米派の外交官だった吉田茂という人が、</p>
<p>　　進歩党の協力をもらいつつ、第1次吉田茂内閣を誕生させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・戦後の政党政治に復活の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1327">戦後の政党政治の復活について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>戦後・占領期の文化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1326</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1326#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 14:17:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[マルクス主義]]></category>
		<category><![CDATA[文化庁]]></category>
		<category><![CDATA[文化財保護法]]></category>
		<category><![CDATA[日本学術会議]]></category>
		<category><![CDATA[湯川秀樹]]></category>
		<category><![CDATA[美空ひばり]]></category>
		<category><![CDATA[考古学]]></category>
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		<category><![CDATA[ＮＨＫ]]></category>

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		<description><![CDATA[戦後・占領期の文化について考えてみます &#160; &#160; ・戦後・占領期の文化について &#160; &#160; 　・占領改革によって、言論や思想に対して、国家の圧力がかからなくなったため、 　　今までの考え [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1326">戦後・占領期の文化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>戦後・占領期の文化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・戦後・占領期の文化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・占領改革によって、言論や思想に対して、国家の圧力がかからなくなったため、</p>
<p>　　今までの考え方や価値観が否定されることになった</p>
<p>　　→一方で、以下のような新しい変化が起きた</p>
<p>　　　・個人の尊重や民主化という考え方が、ＧＨＱによって広められた</p>
<p>　　　・アメリカ的な生活スタイルや大衆文化が広まっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・出版の分野が活発になった</p>
<p>　　→そのため、印刷用紙が足りないのにも関わらず、多くの新聞や雑誌が出てきて、</p>
<p>　　　民主化を促した</p>
<p>　　　※総合雑誌の分野では、「中央公論」の復活や、「世界」「思想の科学」などの</p>
<p>　　　　雑誌が作られるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・天皇制に関するルールのようなものが無くなり、マルクス主義が復活してきていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・人文や社会科学の分野の研究で、新しい分野が開かれ、以下のようなことが行われた</p>
<p>　　→・岩宿遺跡や登呂遺跡の発掘など、考古学の研究が盛んに行われるようになった</p>
<p>　　　・以下のような学問が、学生や知識人などに大きな影響を与えた</p>
<p>　　　　→・近代ヨーロッパと比べた時に、日本が遅れていることを批判する</p>
<p>　　　　　　丸山真男という人の政治学　</p>
<p>　　　　　・大塚久雄という人の経済史学</p>
<p>　　　　　・川嶋武宜という人の法社会学　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・自然科学の分野で、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　→・１９４９年に、理論物理学者の湯川秀樹という人が日本人で初めて</p>
<p>　　　　ノーベル賞を受賞した</p>
<p>　　　・１９４９年に、様々な分野の科学者を代表する機関ということで、</p>
<p>　　　　日本学術会議という機関が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・文化の分野で、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　→・１９４９年に法隆寺金堂壁画が焼けるという出来事が起きた</p>
<p>　　　　→この失敗を反省して、伝統的な価値がある文化財を保護するために、</p>
<p>　　　　　１９５０年に文化財保護法という法律が作られた</p>
<p>　　　・１９６８年に、文化財を保護して、文化を復興させるという目的から、</p>
<p>　　　　文化庁という機関が作られた</p>
<p>　　　・１９３７年に、学問や芸術の発達を勧めるために作られ、</p>
<p>　　　　中断していた文化勲章の授与というのが１９４６年に復活した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・文学の分野で、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　→・太宰治や坂口安吾などの人達が、社会の常識や今までの現実主義に</p>
<p>　　　　立ち向かう作品を書いた</p>
<p>　　　　※太宰治や坂口安吾などの作品は、敗戦で精神的につらい人達に衝撃を与えた</p>
<p>　　　　　と言われている</p>
<p>　　　・大岡昇平と野間宏という人が、自分の戦争の時の体験をヨーロッパの現代文学で</p>
<p>　　　　勉強した方法で表現した</p>
<p>　　　　※大岡昇平と野間宏は、戦後文学の頂点だったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・以下のような様々な大衆文化が流行した</p>
<p>　　→・日々の生活は苦しいのにも関わらず、明るく伸びやかな大衆文化が</p>
<p>　　　　流行したと言われている</p>
<p>　　　・歌謡曲の分野で、「リンゴの唄」というのが流行り、美空ひばりという人が出てきた</p>
<p>　　　・映画の分野が黄金時代を迎えたと言われ、黒澤明や溝口健二などの人達は</p>
<p>　　　　世界でも高い評価を得ていた</p>
<p>　　　・ＧＨＱの指導によって、ＮＨＫ（日本放送協会）が再スタートした</p>
<p>　　　　※ＮＨＫのラジオは、ドラマやスポーツ中継などで多くの人気を集めた</p>
<p>　　　・１９５１年から、民間でのテレビ放送が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・戦後・占領期の文化について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1326">戦後・占領期の文化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1325</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1325#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 12:42:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[サンフランシスコ平和条約]]></category>
		<category><![CDATA[サンフランシスコ講和会議]]></category>
		<category><![CDATA[ダレス]]></category>
		<category><![CDATA[全面講和]]></category>
		<category><![CDATA[冷戦]]></category>
		<category><![CDATA[吉田茂]]></category>
		<category><![CDATA[日米安全保障条約]]></category>
		<category><![CDATA[日米行政協定]]></category>
		<category><![CDATA[日華平和条約]]></category>
		<category><![CDATA[賠償協定]]></category>

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		<description><![CDATA[サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について考えてみます &#160; &#160; ・サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について &#160; &#160; 　・アメリカは、朝鮮戦争の時に、思った以上に日 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1325">サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカは、朝鮮戦争の時に、思った以上に日本に価値があることを改めて感じた</p>
<p>　　→そのため、アメリカは日本の占領を終わらせて、日本を冷戦の西側に取り入れる</p>
<p>　　　動きを早めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカのダレスという外交顧問などは、日本との講和からソ連などを除外し（単独講和）、</p>
<p>　　講和後もアメリカ軍が日本に留まることを条件に、日本の占領を終わらせる準備を進めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※日本で南原繁や大内兵衛という人や日本社会党、日本共産党などは、ソ連や中国とも</p>
<p>　　　講和をするべき（全面講和）という考え方を持っていた人達もいた</p>
<p>　　　→特に、日本社会党については党の内部で対立が激しくなり、</p>
<p>　　　　１９５１年に左派と右派に分かれている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→当時の内閣だった第３次吉田茂内閣は、様々なことを考えたが、</p>
<p>　　　以下のような結論を出した</p>
<p>　　　・日本の独立や講和の時期に関する問題は、アメリカ軍の基地にあると考えた</p>
<p>　　　・アメリカ軍に日本に留まってもらえると、日本が軍備をわざわざ用意する必要が無い</p>
<p>　　　・軍事を用意する分の時間や資金を、日本経済の復活に充てて、</p>
<p>　　　　全力で経済を復興させたいと考えた</p>
<p>　　　　＝このような考え方から、ソ連や中国などとの講和をやめて、</p>
<p>　　　　　アメリカを中心とした西側の国々とだけ講和をすることにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→第３次吉田茂内閣の考えによって、西側とだけ講和を行った結果、</p>
<p>　　　以下のようなことになった</p>
<p>　　　・西側との講和によって、日本の占領が終わることが考えられるようになった</p>
<p>　　　・日本がアメリカ軍に基地を提供することになった</p>
<p>　　　・基地の提供の代わりに、独立した後の日本の安全保障を</p>
<p>　　　　アメリカに任せることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５１年９月に、サンフランシスコ講和会議という会議が開かれた　　　</p>
<p>　　→この会議で、日本とその他４８カ国との間で、サンフランシスコ平和条約</p>
<p>　　　という条約を結んだ</p>
<p>　　　＝１９５２年４月に条約がスタートして、アメリカの日本占領は終了し、</p>
<p>　　　　日本は独立国になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※サンフランシスコ平和条約について</p>
<p>　　　・ソ連などは、サンフランシスコ講和会議には出席したが、調印はしなかった</p>
<p>　　　・インドやビルマ（現在のミャンマー）などは、サンフランシスコ平和条約の内容に</p>
<p>　　　　不満があったため、会議に出席しなかった</p>
<p>　　　・中華人民共和国と中華民国は、両方とも会議に呼ばれなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※日本は、サンフランシスコ平和条約とは別に、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　　　・１９５２年に中華民国と日華平和条約という条約を結んだ</p>
<p>　　　　　・１９５２年にインドと、１９５４年にビルマとも平和条約を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※サンフランシスコ平和条約の内容について</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・領土について様々なルールが決められた</p>
<p>　　　　→・朝鮮を独立させた</p>
<p>　　　　　・台湾、南樺太、千島列島などを放棄させた</p>
<p>　　　　　・奄美諸島が１９５３年に日本に返された　</p>
<p>　　　　　・沖縄と小笠原諸島はアメリカが支配することになった</p>
<p>　　　　　　※アメリカは、国連に相談しないで沖縄と小笠原諸島を支配した</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　　・日本の戦争に対する賠償について決められた</p>
<p>　　　　→・日本が戦った国の戦争被害については、サービスや生産物の提供という形で</p>
<p>　　　　　　賠償を払う義務を定めた</p>
<p>　　　　　　※ただし、冷戦が激しくなったこともあり、アメリカを始めとして</p>
<p>　　　　　　　多くの国は日本の賠償を拒否した</p>
<p>　　　　　・日本に占領されたフィリピン、インドネシア、ビルマ、南ベトナムの４カ国は、</p>
<p>　　　　　　日本と賠償協定という協定を結んだ</p>
<p>　　　　　　→そのため日本は、１９７６年までにトータルで１０億ドルの賠償を支払った</p>
<p>　　　　　　　※ただし支払い方法は、現金ではなく、サービスや生産物の提供だった</p>
<p>　　　　　　　　＝この支払い方法が、日本の商品や企業が東南アジアに進出するきっかけ</p>
<p>　　　　　　　　　でもあったと言われている</p>
<p>　　　　　・直接は戦っていないタイや韓国に対しては、賠償と同じような支払いを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・サンフランシスコ平和条約の調印と同じ日に、日米安全保障条約（安保条約）</p>
<p>　　という条約が調印された</p>
<p>　　→この条約によって、日本が独立した後も日本国内にアメリカ軍が</p>
<p>　　　「極東の平和と安全」のために、留まることで、日本の防衛に貢献することが決められた</p>
<p>　　　※さらに、条約の中では、アメリカが必要だと考えれば、日本のどの地域でも</p>
<p>　　　　基地として求めることが出来た</p>
<p>　　　※日本に留まるアメリカ軍の行動範囲である「極東」は、定義があいまいだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→日米安全保障条約にもとづいて、１９５２年２月に日米行政協定という協定が結ばれた</p>
<p>　　　＝この協定によって、日本は日本に留まっているアメリカ軍に基地を提供することと、</p>
<p>　　　　アメリカ軍が留まるための費用をある程度負担することが決められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・サンフランシスコ平和条約の内容と概要について押さえる</p>
<p>・日米安全保障条約の内容について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1325">サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>朝鮮戦争について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1324</link>
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		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 11:22:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
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		<category><![CDATA[休戦会談]]></category>
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		<category><![CDATA[安全保障理事会]]></category>
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		<description><![CDATA[朝鮮戦争について考えてみます &#160; &#160; ・朝鮮戦争について &#160; &#160; 　※朝鮮半島は、冷戦の影響で南北に分断されている状況だった 　　→そこで、１９５０年６月に中国革命の成功に刺激を受 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1324">朝鮮戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>朝鮮戦争について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・朝鮮戦争について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※朝鮮半島は、冷戦の影響で南北に分断されている状況だった</p>
<p>　　→そこで、１９５０年６月に中国革命の成功に刺激を受けた北朝鮮が、</p>
<p>　　　武力の統一を目指すために北緯３８度線を越えて、韓国に侵略して攻撃を始める</p>
<p>　　　という出来事が起きた</p>
<p>　　　＝この出来事を朝鮮戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北朝鮮軍は韓国のソウルという地域を占拠して、韓国をどんどん攻撃していった</p>
<p>　　→しかし、アメリカ軍が国連軍ということで朝鮮戦争に介入した結果、</p>
<p>　　　北朝鮮軍の勢力を弱らせることに成功した</p>
<p>　　　※北朝鮮への武力による制裁は、ソ連がいない状態での国連の安全保障理事会で</p>
<p>　　　　決められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５０年９月にアメリカ軍は、仁川上陸作戦という作戦をきっかけにして</p>
<p>　　北緯３８度線を越えて、中国の国境に近づくという出来事が起きた</p>
<p>　　→このようなアメリカの行動に対して、中国人民義勇軍という軍が北朝鮮側について</p>
<p>　　　戦争に参加した</p>
<p>　　　＝そのため、戦争が北緯３８度線の近くで、ダラダラと続いてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※この時の戦争の状況について、国連軍のトップだったマッカーサーは、</p>
<p>　　　　戦争に動きを見せるために中国の東北地方を爆撃するべきだと主張していた</p>
<p>　　　　→この主張に対して、当時のアメリカ大統領だったトルーマンという人は、</p>
<p>　　　　　爆撃によって戦争が広がるのを恐れて、マッカーサーを国連軍のトップから降ろした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>　→１９５１年の７月から朝鮮戦争の休戦会談という会談が始まった</p>
<p>　　＝そして、１９５３年７月に板門店というところで休戦協定が調印された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝鮮戦争が始まった時に、日本にいるアメリカ軍の人が朝鮮戦争のために呼ばれて、</p>
<p>　　朝鮮に向かった</p>
<p>　　→その時に、アメリカ軍が日本からいなくなることで、日本の軍事が弱くなってしまうと</p>
<p>　　　ＧＨＱが考えた</p>
<p>　　　＝そこでＧＨＱは、日本に指令を出して警察予備隊という機関を作らせた</p>
<p>　　　　※当時は、元軍人の公職追放が無くなっていき、元軍人が警察予備隊に</p>
<p>　　　　　採用されていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※警察予備隊・・日本の治安維持と防衛を行った機関のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この後ＧＨＱは、日本共産党の幹部の公職追放を指令して、共産主義の人達を追放する</p>
<p>　　ということを行った</p>
<p>　　＝共産主義の人達を追放することを、レッドパージという</p>
<p>　　　※レッドパージは、後にマスコミ、民間企業、官公庁などにも広がっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・労働運動については、左派の産別会議の勢いが弱くなってきた</p>
<p>　　→そこで、１９５０年に、産別会議に反対する人達が、ＧＨＱの後押しもあって、</p>
<p>　　　日本労働組合総評議会（総評）という組織を作った</p>
<p>　　　＝総評は、労働運動の主導権を握ったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※総評は、後に起きた講和問題というのをきっかけに考え方を変えた</p>
<p>　　　→その結果、日本社会党と手を組んで、アメリカに反抗的な態度を取る姿勢を見せた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・朝鮮戦争の内容と、それによる影響を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1324">朝鮮戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>アメリカの占領政策の変化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1323</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1323#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 11:16:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[シャウプ勧告]]></category>
		<category><![CDATA[ドッジ＝ライン]]></category>
		<category><![CDATA[三鷹事件]]></category>
		<category><![CDATA[下山事件]]></category>
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		<category><![CDATA[民主自由党]]></category>
		<category><![CDATA[経済安定９原則]]></category>
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		<description><![CDATA[アメリカの占領政策の変化について考えてみます &#160; &#160; ・アメリカの占領政策の変化について &#160; &#160; 　※中国の内戦で共産党が勝つことが分かった１９４８年から、アメリカは 　　日本への [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1323">アメリカの占領政策の変化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>アメリカの占領政策の変化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・アメリカの占領政策の変化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※中国の内戦で共産党が勝つことが分かった１９４８年から、アメリカは</p>
<p>　　日本への占領政策を変えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカは占領政策を変えて、日本を政治的に安定した工業国にとして</p>
<p>　　復興させることで、冷戦の西側陣営において東アジアでの主な友好国にする</p>
<p>　　という政策を取ることにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※政策の変化は、１９４８年１月にロイヤルという陸軍の長官が演説で</p>
<p>　　　方針を変えることを発表したことではっきり分かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→そのため、ＧＨＱは最初の目標だった非軍事化・民主化は達成されたとして、</p>
<p>　　　　日本の工業の生産能力を抑える方針を変えることで、</p>
<p>　　　　経済の復活を日本に求めるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカは、日本の経済復興を本格的に行うための前段階として、</p>
<p>　　以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・日本の外国に対する戦後の賠償が減らされた</p>
<p>　　　・過度経済力集中排除法による大企業の分割が大幅に緩和された</p>
<p>　　　・国家公務員法を改正して、官公庁の労働者は争議権を持つことが出来なくなった</p>
<p>　　　・公職追放が解除された</p>
<p>　　　・民間企業の育成に力が入れられた</p>
<p>　　　・日本の行政の権利をＧＨＱから大幅に日本政府に渡す　など</p>
<p>　　　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・アメリカの占領政策が変わる時に、１９４８年１０月に芦田均の中道連立政権が終了した</p>
<p>　　→すると、民主自由党によって第２次吉田茂内閣が誕生した</p>
<p>　　　※民主自由党・・日本自由党が、民主党を抜けてきた人を吸収して出来た政党のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　→民主自由党は１９５０年に自由党になった</p>
<p>　　</p>
<p>　　→１９４９年１月の総選挙では、民主自由党が圧倒的な議席で勝利した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ＧＨＱは、日本の経済を復興させるために、以下のような本格的な行動を始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→※日本は、アメリカの経済政策の前に、傾斜生産方式を行っていた</p>
<p>　　　　→傾斜生産方式は、生産を活発にするための起爆剤にはなったが、</p>
<p>　　　　　赤字財政で大量の資金をつぎ込んでいた</p>
<p>　　　　　＝そのため、傾斜生産方式にお金をつぎ込むことによるインフレが起きていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・そこで、ＧＨＱは１９４８年１２月に第２次吉田茂内閣に対して、</p>
<p>　　　　日本の経済の安定のために、徴税の強化、インフレの抑制などが含まれた、</p>
<p>　　　　経済安定９原則という原則を出した</p>
<p>　　　　※経済安定９原則は、インフレを抑えて輸出を中心に日本を成長させることを</p>
<p>　　　　　考えて出した</p>
<p>　　</p>
<p>　　　・また、経済安定９原則を実施させるために、１９４９年に占領軍の経済担当である</p>
<p>　　　　ドッジという人を日本に送って、ドッジ・ラインというものを指示させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※ドッジ・ライン・・復興金融金庫債の中止、補助金の削減、課税の強化などを行って</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　インフレの抑制をする、１ドル＝３６０円の単一為替レートを</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　設定して貿易をより行うようにする、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　全く赤字を出さない予算を作って、財政支出を減らす、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　などを目指すような政策のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　　→第３次吉田茂内閣は、ドッジ＝ラインを忠実に行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９４９年に、シャウプ勧告が行われた</p>
<p>　　　　※シャウプ勧告・・シャウプという人が団長だったアメリカの税制調査団</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　というところが出した勧告のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　→シャウプ勧告によって、税制の大改革が行われたため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　直接税を中心に取ることや累進所得税制度などが採用された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ドッジ＝ラインによって、インフレは収まったものの、収まりすぎて</p>
<p>　　逆にデフレになってしまった</p>
<p>　　→そのため、中小企業の倒産やリストラなどによる失業者の増加などが起きてしまった</p>
<p>　　　※強引なリストラは、共産党を始めとして労働側が抵抗した</p>
<p>　　　　＝しかし、１９４９年に起きた下山事件、三鷹事件、松川事件の影響もあって</p>
<p>　　　　　労働側は使用側に押し切られた　</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※・下山事件・・リストラを行っていた下山定則という当時の国鉄のトップが</p>
<p>　　　　　　　　　　　疑いのある死に方をした事件のこと　　　　　　　　　　　　　</p>
<p>　　　　・三鷹事件・・中央線三鷹駅の構内で無人電車が暴走するという事故が起きた</p>
<p>　　　　　　　　　　　事件のこと</p>
<p>　　　　・松川事件・・東北本線松川駅の近くで列車の脱線と転覆が起きた事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→これら一連の事件は、国鉄の労働組合や共産党が関係して起きた事件だと</p>
<p>　　　　　世間では発表されたため、労働側にとってはダメージだったが、</p>
<p>　　　　　事件が実際どうだったのかはまだ分かっていない</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・アメリカが変えた占領政策の内容とその理由、動機を中心に押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1323">アメリカの占領政策の変化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>冷戦の開始と東アジアの様子について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1322</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1322#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 11:08:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[トルーマン＝ドクトリン]]></category>
		<category><![CDATA[マーシャル＝プラン]]></category>
		<category><![CDATA[中ソ友好同盟相互援助条約]]></category>
		<category><![CDATA[中華人民共和国]]></category>
		<category><![CDATA[冷戦]]></category>
		<category><![CDATA[北朝鮮]]></category>
		<category><![CDATA[封じ込め政策]]></category>
		<category><![CDATA[韓国]]></category>
		<category><![CDATA[ＧＡＴＴ]]></category>
		<category><![CDATA[ＩＭＦ]]></category>

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		<description><![CDATA[冷戦の開始と東アジアの様子について考えてみます &#160; &#160; ・冷戦の開始の様子について &#160; &#160; 　※戦後はアメリカが世界の中心になったという背景がある 　　→アメリカは、ＩＭＦ（国際通 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1322">冷戦の開始と東アジアの様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>冷戦の開始と東アジアの様子について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・冷戦の開始の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※戦後はアメリカが世界の中心になったという背景がある</p>
<p>　　→アメリカは、ＩＭＦ（国際通貨基金）や世界銀行を作ったり、</p>
<p>　　　ＧＡＴＴ（関税及び貿易に関する一般協定）を結んだリしていた</p>
<p>　　　＝これは、アメリカ中心の経済体制を作ろうとした背景があると言われている</p>
<p>　　　　※実際にアメリカは、ドルを基軸通貨とする固定相場制と自由貿易を中心とした</p>
<p>　　　　　資本主義の世界経済を作ることを考えていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※一方で、ソ連に占領された東欧の国々（ヨーロッパの東側）では、ソ連によって</p>
<p>　　共産主義の体制が作られ、ソ連が小さな国を支配するという</p>
<p>　　「衛星国」化という動きが進んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→この時に、アメリカの考え方とソ連の考え方が違っていて、対立するようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況でアメリカは、以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９４７年以降に、トルーマン・ドクトリンやマーシャル・プランというものを</p>
<p>　　　　通して、ヨーロッパの西側にある自由主義の国々を団結させるようにした</p>
<p>　　　・共産主義の範囲が広がらないように、「封じ込め政策」というものを使った</p>
<p>　　　・北大西洋条約機構（ＮＡＴＯ）というものを作って、ヨーロッパの西側の</p>
<p>　　　　軍事的な団結力を高めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※・トルーマン・ドクトリン・・アメリカのトルーマン大統領という人が、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ギリシャとトルコに軍事的な</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　援助を議会でお願いした演説で明らかになった、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　冷戦の時のアメリカの外交の基本的なルールのこと</p>
<p>　　　　　・マーシャル・プラン・・マーシャルというアメリカの国務長官が提唱した、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　ヨーロッパの戦後の復興を支援するための計画のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　→このプランに、ソ連とヨーロッパの東側の国々が</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　参加しなかったため、ヨーロッパが東西に</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　分裂してしまう大きな原因の一つとなった</p>
<p>　　　　　・封じ込め政策・・アメリカが資本主義の国と協力をして、ソ連と共産主義の勢いを</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　抑えつけようとした政策のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　→結果的には失敗に終わっている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方でソ連は、以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１９４９年に原爆の開発に成功した　</p>
<p>　　・１９５５年にワルシャワ条約機構（ＷＴＯ）というものを作り、</p>
<p>　　　ヨーロッパの東側の国々とソ連の軍事の面での団結力を高めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のような状況になり、結果的にアメリカをトップに置く西側（資本主義・自由主義）と</p>
<p>　　ソ連をトップに置く東側（社会主義・共産主義）という二大陣営が誕生した</p>
<p>　　※二大陣営は政治面（イデオロギー的）や軍事面など対立することになってしまった</p>
<p>　　　＝これを、冷戦体制という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の東アジアの様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国では、農民に熱く支持された共産党と、アメリカに支援された国民党との間で</p>
<p>　　内戦が起きた</p>
<p>　　→この戦いは共産党が勝利した</p>
<p>　　　＝その結果、１９４９年１０月に毛沢東という人をトップに置いて、</p>
<p>　　　　北京で中華人民共和国の成立を宣言した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→次の年の１９５０年に、中ソ友好同盟相互援助条約という条約が成立した</p>
<p>　　　＝この結果、中国は冷戦の東側陣営に参加した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、負けた国民党は台湾に逃げて、蒋介石をトップに置くことで</p>
<p>　　中華民国政府を続けさせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝鮮半島は、１９４８年にソ連軍とアメリカ軍によって南北に分けられてしまった</p>
<p>　　→・ソ連軍は、ソ連軍の占領地域に金日成という人をトップに置いて</p>
<p>　　　　朝鮮民主主義人民共和国（北朝鮮）という国を作った</p>
<p>　　　・アメリカ軍は、アメリカ軍の占領地域に李承晩という人をトップに置いて</p>
<p>　　　　大韓民国（韓国）という国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この結果、南北に分断された状態が固定してしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・冷戦の開始について押さえる</p>
<p>・東アジアの様子について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1322">冷戦の開始と東アジアの様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>戦後経済による人々の生活と大衆運動の活発化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1321</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1321#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 11:02:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
		<category><![CDATA[二・一スト]]></category>
		<category><![CDATA[傾斜生産方式]]></category>
		<category><![CDATA[吉田茂]]></category>
		<category><![CDATA[平和主義]]></category>
		<category><![CDATA[復興金融金庫]]></category>
		<category><![CDATA[日本社会党]]></category>
		<category><![CDATA[片山哲]]></category>
		<category><![CDATA[芦田均]]></category>
		<category><![CDATA[金融緊急措置令]]></category>
		<category><![CDATA[闇市]]></category>

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		<description><![CDATA[戦後経済による人々の生活と大衆運動の活発化について考えてみます &#160; &#160; ・戦後経済による人々の生活について &#160; &#160; 　※戦争によって、人々の生活がボロボロになった、という前提がある [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1321">戦後経済による人々の生活と大衆運動の活発化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>戦後経済による人々の生活と大衆運動の活発化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・戦後経済による人々の生活について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※戦争によって、人々の生活がボロボロになった、という前提がある</p>
<p>　　→実際に、空襲によって様々なモノを失った人達は、防空壕や焼け跡に建てた</p>
<p>　　　バラック小屋で雨風をしのいだり、鉱工業の生産額が戦前の３分の１にまで</p>
<p>　　　下がっていたりした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・兵隊の復員（兵隊の生活を普通に戻して兵隊の招集をやめること）や</p>
<p>　　引揚げなどによって、人口が一気に増えた</p>
<p>　　→そのため、人口が増えたのにもかかわらず仕事は無く、失業者が急激に増えた</p>
<p>　　　※さらに、平和主義をかかげていたことがあり、軍事に関する工場が閉鎖されため、</p>
<p>　　　　さらに失業者が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年に、お米が記録的な凶作になったため、食糧不足がかなり深刻なものに</p>
<p>　　なっていった</p>
<p>　　※お米の収穫量は、戦前と比べると約３割も落ちた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・お米の配給が足りなくなって、さつまいもやとうもろこしなどの代用食に</p>
<p>　　かえられたり、配給の遅配や欠配が続いた</p>
<p>　　→そのため、都市の人々は農村に買い出しに行ったり、闇市で買ったり、</p>
<p>　　　自宅で自給したりして飢えと戦っていた</p>
<p>　　　※闇市・・闇取引（裏でひっそりと売買すること）の商品を扱う店が</p>
<p>　　　　　　　　集まっている場所のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・極度の物不足だけでなく、敗戦の時に支払うための軍事費や日本銀行が民間へ貸し出す</p>
<p>　　お金の増加などのような終戦に関する処理を行うために、通貨が大量に発行された</p>
<p>　　→そのため、ものすごいインフレーションが起きた</p>
<p>　　　※物不足にインフレーションというかなり苦しい状況だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで、幣原喜重郎内閣は、１９４６年に金融緊急措置令という法律を作って、</p>
<p>　　　貨幣の量を減らそうとしたが効果が一時的だった</p>
<p>　　　※金融緊急措置令・・預金の出し入れをできないようにしつつ、旧円（昔のお金）の</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　使用を禁止して新円（旧円に変わる新しいお金）を使わせるように</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　した法律のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　→ただし、新円も引き出す量を制限したため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　世の中に出回る貨幣の量が制限された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況を見て、第１次吉田茂内閣は、経済安定本部という組織を作って</p>
<p>　　対応することを考えた</p>
<p>　　→そこで吉田茂内閣は、傾斜生産方式を採用して、復興金融金庫（復金）を作った</p>
<p>　　　※傾斜生産方式・・生産の土台を立て直すために、資金や労働力を鉄鋼や石炭などの</p>
<p>　　　　　　　　　　　　基幹産業（その国の生命の源のような、特に重要な土台の</p>
<p>　　　　　　　　　　　　産業のこと）に投入する方式のこと</p>
<p>　　　※復興金融金庫・・第２次世界大戦後の日本経済を復興させるために作られた</p>
<p>　　　　　　　　　　　　金融機関のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・大衆運動の活発化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※戦後の日本経済が不安定で、国民の生活自体が苦しかったため、</p>
<p>　　大衆運動が活発になるようになった</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・敗戦直後に、労働者たちが自主的に生産や業務などを組織する生産管理闘争</p>
<p>　　というのが活発になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・全官公庁共同闘争委員会に集まった官公庁の労働者を中心に、吉田茂内閣を倒すことが</p>
<p>　　目標とされた</p>
<p>　　→そこで、１９４７年２月１日に、基幹産業を含めたゼネラル・ストライキに入ることが</p>
<p>　　　計画された</p>
<p>　　　＝この時の、２月１日に企画されていたゼネラル・ストライキを二・一ストという</p>
<p>　　　　※二・一ストは、決行する前日にＧＨＱの指令によって中止になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４７年４月に、日本国憲法での新しい政府を作るため、</p>
<p>　　衆議院と参議院の両方の議員の選挙が行われた</p>
<p>　　→その結果、大衆運動が活発になったこともあり、日本社会党がギリギリで勝利して</p>
<p>　　　衆議院の第一党になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本国憲法になって最初の内閣として、日本社会党の委員長だった片山哲という人が</p>
<p>　　選ばれた</p>
<p>　　→さらに、片山哲は民主党と国民協力党を誘った</p>
<p>　　＝そのため、片山哲による民主党と国民協同党の連立政権が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→ＧＨＱは、日本が保守でも改革でもない「中道」を進んでいることが</p>
<p>　　　新しい内閣によって証明されたので片山哲内閣を評価していた</p>
<p>　　　※しかし、片山哲内閣は、連立政権が原因で政策を簡単に決めることが出来なかった</p>
<p>　　　　＝その後、炭鉱国家管理問題という問題が出てきて、左派の人達から攻撃されたため、</p>
<p>　　　　　１９４８年２月に内閣を総辞職した</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・片山哲内閣の後に、民主党のトップだった芦田均という人が、片山哲内閣と同じように</p>
<p>　　３つの政党での連立政権で芦田均内閣を作った</p>
<p>　　※しかし、昭和電工事件という政界からＧＨＱまで巻き込んだワイロの事件が起きた</p>
<p>　　　＝そのため、結果的に芦田均内閣が終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・戦後経済による人々の生活について押さえる</p>
<p>・大衆運動の活発化について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1321">戦後経済による人々の生活と大衆運動の活発化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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