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	<title>アラエス &#187; 中世ヨーロッパ史</title>
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		<title>近代ヨーロッパの国際秩序と国際関係と革命</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2520</link>
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		<pubDate>Tue, 04 Mar 2014 19:15:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ウエストファリア条約]]></category>
		<category><![CDATA[エリザベス1世]]></category>
		<category><![CDATA[ルイ14世]]></category>
		<category><![CDATA[三十年戦争]]></category>
		<category><![CDATA[主権国家体制]]></category>
		<category><![CDATA[名誉革命]]></category>
		<category><![CDATA[権利章典]]></category>
		<category><![CDATA[清教徒革命]]></category>
		<category><![CDATA[科学の世紀]]></category>
		<category><![CDATA[近代国家]]></category>

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		<description><![CDATA[16世紀頃に、イギリス、フランス、オランダを中心に、ヨーロッパが近代国家へ向かい始めた &#160; &#160; 〇近代国家への歴史的流れ ・宗教対立をきっかけに、1618年から三十年戦争が起きた ※三十年戦争は、宗教 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2520">近代ヨーロッパの国際秩序と国際関係と革命</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>16世紀頃に、イギリス、フランス、オランダを中心に、ヨーロッパが<strong>近代国家</strong>へ向かい始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>〇近代国家への歴史的流れ</p>
<p>・宗教対立をきっかけに、1618年から<strong>三十年戦争</strong>が起きた</p>
<p>※三十年戦争は、宗教対立であったが途中から国家間の利害対立が争いの中心になった</p>
<p>＝その結果、1648年に<strong>ウェストファリア条約</strong>という、史上初の国際条約が出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※中世では、教皇と皇帝の権力はヨーロッパの全てを支配する秩序だったが、ウェストファリア条約によって、中世での国際秩序が崩れた</p>
<p>＝代わりに、<strong>主権国家体制</strong>が作られ、新しい枠組みとなった</p>
<p>※主権国家体制・・一定の領域と独立した主権を持った国々が、対等な外交関係で結びつくという国際的秩序のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※国家間の対立は、戦争を避けるために、外交や条約、国際会議などで調整されるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>フランスの<strong>ルイ14世</strong>は、絶対君主（王を絶対的な主権者とするというスタイル）の典型となった</p>
<p>→この時にフランスは、以下のようなことを行った</p>
<p>・官僚制や常備軍を用意した</p>
<p>・重商主義政策を進めた</p>
<p>・君主を中心に、君主が前面にたって自国内の政治や経済の一体化を目指した</p>
<p>※他のヨーロッパの国々も、フランスと同様の政策を進め、対外進出を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>イギリスは、<strong>エリザベス1世</strong>の時に、以下のようなことを行い、イギリスの発展の基礎を作った</p>
<p>・国教会を確立した</p>
<p>・東インド会社を作った</p>
<p>・北アメリカ植民地の開拓など、対外進出を行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>エリザベス1世の後、イギリスで<strong>専制政治</strong>（国王が意図的に統治する政治）が強まった</p>
<p>→専制政治によって、議会との対立が強まった</p>
<p>※1649年には、清教徒のクロムウェルが当時の国王チャールズ1世を処刑し、共和制を実現した</p>
<p>＝この動きを<strong>清教徒革命</strong>という</p>
<p>→クロムウェルは、アイルランドを征服し、独裁政治を行った</p>
<p>※ただし、クロムウェルの死で復活した王政（復古王政）も専制的だった</p>
<p>＝そのため1688年に、議会はオランダから新しい王様を迎えた</p>
<p>※この新しい王様を受け入れる動きは、無血で成功したため、<strong>名誉革命</strong>という</p>
<p>→名誉革命の時に、権利章典が定められ、王権に対して議会が優位になった</p>
<p>※<strong>権利章典</strong>・・王が議会に従うことを明らかにしたもの</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※名誉革命によって、王家が断絶した</p>
<p>→その後、18世紀に責任内閣制、その後に憲法と立憲君主制が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※17世紀は、「<strong>科学の世紀</strong>」と呼ばれた</p>
<p>→当時は、ガリレオやニュートンなどによって、自然科学が急激に進歩した</p>
<p>※この進歩の中で、理論（法則）を数学によって正確に表現し、業績を競い合う自然科学のスタイルが生まれた</p>
<p>→理論は、実用的な技術にも応用された</p>
<p>＝そのため、航海術や軍事技術も発展し、ヨーロッパの世界進出に大きな役割を果たした</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2520">近代ヨーロッパの国際秩序と国際関係と革命</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2465</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2465#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 03 Feb 2014 22:06:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ギリシア正教会]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[フランク王国]]></category>
		<category><![CDATA[マグナ＝カルタ]]></category>
		<category><![CDATA[ユスティニアヌス帝]]></category>
		<category><![CDATA[レコンキスタ]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ＝カトリック教会]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>
		<category><![CDATA[封建社会]]></category>
		<category><![CDATA[聖職者]]></category>

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		<description><![CDATA[ゲルマン人の一部は、フランク人として大陸西北部に王国を形成した →フランク人は、西ヨーロッパ全体に支配を広げ、フランク王国を作った ＝その結果、800年にカール大帝という人がローマ教皇からローマ皇帝という位を授かった &#038; [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2465">あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ゲルマン人の一部は、<strong>フランク人</strong>として大陸西北部に王国を形成した</p>
<p>→フランク人は、西ヨーロッパ全体に支配を広げ、<strong>フランク王国</strong>を作った</p>
<p>＝その結果、800年に<strong>カール大帝</strong>という人がローマ教皇からローマ皇帝という位を授かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>カール大帝は、<strong>ローマ＝カトリック教会</strong>の守護者になった</p>
<p>→カール大帝は守護者として西ヨーロッパを、東ローマ帝国に対抗するための統一した地域としてまとめた</p>
<p>※東ローマ帝国は、後に<strong>ビザンツ帝国</strong>になる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→その後、フランク王国は分裂し、別々の国として発展した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>時代が進むにつれ、西ヨーロッパでは社会での役割に応じた、以下のような身分制度が確立し、はっきり区別された</p>
<p>・神へ奉仕する<strong>聖職者</strong></p>
<p>・土地を支配して、武力を独占する<strong>戦士</strong></p>
<p>・土地の支配者の所有地で働く生産者（領主の荘園で労働する<strong>農奴</strong>）</p>
<p>※戦士は、国王などから土地を授かって騎馬戦士として仕える騎士（<strong>騎馬戦士</strong>）に分かれた</p>
<p>＝このような、身分階層を持った社会を、<strong>封建社会</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一方で、東ローマ帝国（ビザンツ帝国）は、西ヨーロッパ帝国が滅亡した後も、皇帝の支配のもとで続いた</p>
<p>→東ローマ帝国のトップだった<strong>ユスティニアヌス帝</strong>は、6世紀の時に東ヨーロッパを大帝国へ復興させた</p>
<p>※ただし、その後はだんだんと領土が縮小した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>東ローマ帝国は、<strong>専制君主</strong>（世俗の支配権と最高の宗教的権威を持つ制度）だった</p>
<p>→東ローマ帝国は、11世紀にローマ＝カトリック教会と完全に分けた<strong>ギリシア正教会</strong>を成立させた</p>
<p>※ギリシア正教会の成立によって、東ローマ帝国はギリシア文化を継承した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※東ヨーロッパでは、ゲルマン人が西側に移動したとき、<strong>スラヴ人</strong>という人達が入ってきた</p>
<p>→スラヴ人は、ビザンツ帝国の影響を受け、ギリシア正教会を受け入れていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>11～12世紀には、ヨーロッパの<strong>封建社会</strong>が大きく発展した</p>
<p>※この時に、ローマ＝カトリック教会の勢いも強まってきていた</p>
<p>→そのため、ローマ＝カトリック教会は、以下のようなことを行った</p>
<p>・教皇や司祭などの強固な階層組織を築いて独立した</p>
<p>・教えを整え、民衆の信仰心をローマ＝カトリック教会の教えの中に取り込んだ</p>
<p>・小さな集落に教会堂という高い塔ができ、民衆に支えられるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>教皇（ローマ＝カトリック教会のトップ）は、聖地イエルサレムをイスラームから奪うことを考えて、<strong>十字軍</strong>を作った</p>
<p>※十字軍は、何度も作られながらも、結果的に失敗した</p>
<p>→この失敗によって、教皇の権威が衰えた</p>
<p>→一方で、十字軍をきっかけとして東方との交流が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>10世紀までのヨーロッパ社会は、自給自足的な農業生活に頼ってきた</p>
<p>→11～12世紀には、農業生産力の上昇、人口増加、ヒトとモノとの活発な移動が起きた</p>
<p>※この移動によって、農村から離れる人達が出てきた</p>
<p>→農村から離れた人たちからは、職人などの専門職や商人などが多く出てきた</p>
<p>＝職人や商人などは、農村とは違う別の生活や仕組みが見られるようになり、<strong>都市</strong>が誕生した</p>
<p>※都市は周囲を巻き込んでどんどん発展し、のちのルネサンス文化の誕生に貢献した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ヨーロッパの中でもイギリスは、国王の力が強かった</p>
<p>→そのため、13世紀に国王の暴走を抑えようと考えた貴族の動きが強まった</p>
<p>＝その結果、<strong>マグナ＝カルタ</strong>が発布された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→さらに、14～15世紀になると、凶作、飢餓、<strong>ペスト</strong>の流行などによる人口の激減、民衆の反乱や百年戦争などの危機的な出来事が起きた</p>
<p>＝この結果、以下の2つの動きが見られた</p>
<p>・弱小の領主が没落した</p>
<p>・国王や大諸侯は軍事力を使って危機を克服し、領地を拡大して富と権威を増やした</p>
<p>→そして、富と権威を増やした国王や大諸侯は、<strong>中央集権的な国家</strong>を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※同時に、イベリア半島で<strong>レコンキスタ</strong>を達成した王権の力が強まった</p>
<p>→その勢いは、海外進出にも向けられた</p>
<p>※レコンキスタ・・イベリア半島からイスラーム王朝を追い出して、国土を再征服しようとした運動のこと</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2465">あっさりとした中世ヨーロッパ史　【封建社会と教会】</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>中世ヨーロッパ史を時系列でまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/863</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/863#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 15:22:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[まとめさん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[まとめ]]></category>
		<category><![CDATA[世界史]]></category>
		<category><![CDATA[中世ヨーロッパ]]></category>

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		<description><![CDATA[まとめてみました &#160; &#160; ・ヨーロッパの特徴について　－地理的特徴を中心に－ &#160; &#160; ・ゲルマン人の大移動について &#160; &#160; ・フランク王国の発展とイスラームとの [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/863">中世ヨーロッパ史を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>まとめてみました</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/828" target="_blank">ヨーロッパの特徴について　－地理的特徴を中心に－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/829" target="_blank">ゲルマン人の大移動について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/830" target="_blank">フランク王国の発展とイスラームとの関係について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/831" target="_blank">ローマ＝カトリック教会の流れについて</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/832" target="_blank">カール大帝と当時のヨーロッパの様子について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/833" target="_blank">フランク王国の分裂について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/834" target="_blank">西ヨーロッパの混乱について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/835" target="_blank">封建社会の誕生について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/836" target="_blank">封建社会の時の教会について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/841" target="_blank">ビザンツ帝国について①　－ビザンツ帝国の歴史－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/842" target="_blank">ビザンツ帝国について②　－ビザンツ帝国の社会－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/843" target="_blank">スラヴ人と周辺民族の動きについて①　－スラヴ人の概要と東スラヴ人－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/845" target="_blank">スラヴ人と周辺民族の動きについて②　－南スラヴ人・西スラヴ人・スラヴ人の周辺の様子－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/846" target="_blank">十字軍の動きについて　－十字軍が出てくるまでの流れと出てきたときの社会の様子について－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/849" target="_blank">中世ヨーロッパの商業の復活について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/850" target="_blank">中世ヨーロッパの都市について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/851" target="_blank">中世ヨーロッパの封建社会の衰退について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/852" target="_blank">教皇権の衰退について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/853" target="_blank">中世のイギリスとフランスについて</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/854" target="_blank">百年戦争とバラ戦争について</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/855" target="_blank">中世ヨーロッパの国々について①　－ドイツ・スイス－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/856" target="_blank">中世ヨーロッパの国々について②　－スペイン・ポルトガル・イタリア・北欧－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/857" target="_blank">中世ヨーロッパの文化について①　－教会と修道院－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/858" target="_blank">中世ヨーロッパの文化について②　－美術と文学－</a></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・<a href="http://ahlaes.com/post/859" target="_blank">中世ヨーロッパの文化について③　－中世のルネサンス－</a></p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/863">中世ヨーロッパ史を時系列でまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>中世ヨーロッパの文化について③　－中世のルネサンス－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/859</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/859#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 06:02:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[12世紀ルネサンス]]></category>
		<category><![CDATA[ウィリアム＝オブ＝オッカム]]></category>
		<category><![CDATA[カロリング＝ルネサンス]]></category>
		<category><![CDATA[スコラ哲学]]></category>
		<category><![CDATA[スコラ学]]></category>
		<category><![CDATA[トマス＝アクィナス]]></category>
		<category><![CDATA[ボローニャ大学]]></category>
		<category><![CDATA[ロジャー＝ベーコン]]></category>
		<category><![CDATA[中世ルネサンス]]></category>
		<category><![CDATA[大学]]></category>

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		<description><![CDATA[中世ヨーロッパの文化について、中世のルネサンスを中心に考えてみます &#160; &#160; ・中世のルネサンスについて &#160; &#160; 　・カール大帝という人は、宮廷にアルクインなどの学者を多く招いた 　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/859">中世ヨーロッパの文化について③　－中世のルネサンス－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中世ヨーロッパの文化について、中世のルネサンスを中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中世のルネサンスについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カール大帝という人は、宮廷にアルクインなどの学者を多く招いた</p>
<p>　　→この時に、ラテン語による文芸の復興が起こった</p>
<p>　　　＝この出来事を、カロリング＝ルネサンスという</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※この時期には、以下のようなことも起きた</p>
<p>　　　　　・アルファベットの小文字が発明された</p>
<p>　　　　　・スコラ学が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※スコラ学について</p>
<p>　　　・スコラ学・・教会の権威を理論的に確立するために、信仰を論理的に</p>
<p>　　　　　　　　　　体系化しようとする学問のこと</p>
<p>　　　・スコラ学は、中世特有の学問だと言える</p>
<p>　　　・スコラ学の中で、実在論と唯名論とのあいだの普遍論争という論争は、</p>
<p>　　　　その中心的議論だった</p>
<p>　　　　※普遍論争について</p>
<p>　　　　　・普遍論争・・普遍（個別のものを超えてあらゆるものに共通するもの）は、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　現実に実体として存在するのか、それとも思考のなかに存在するに</p>
<p>　　　　　　　　　　　　すぎないのか、という論争のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　実体として存在するのを実在論、思考の中に存在するのを唯名論という</p>
<p>　　　　　　→実在論の代表はアンセルムス、唯名論の代表はウィリアム＝オブ＝オッカム</p>
<p>　　　　　　　という人だと言われている</p>
<p>　　　　　　　※ウィリアム＝オブ＝オッカムは、近代合理思想の基礎を作ったと言われている</p>
<p>　　　・スコラ学は、アリストテレス哲学の影響を受けて、大きな体系になった</p>
<p>　　　・スコラ学は、トマス＝アクィナスという人によって大成され、</p>
<p>　　　　教皇権の理論的な支柱になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・十字軍をきっかけに東方との交流が盛んになる１２世紀は、</p>
<p>　　ビザンツ帝国やイスラーム圏から来たギリシアの古典が、</p>
<p>　　ギリシア語やアラビア語から本格的にラテン語に訳されるようになった</p>
<p>　　→この動きに刺激されて、学問や文芸も大いに発展していった</p>
<p>　　　＝これを、１２世紀ルネサンスという</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イスラーム科学も学問に反映されるようになった</p>
<p>　　→特に、実験を重視するロジャー＝ベーコンという人の自然科学は、</p>
<p>　　　のちの近代科学の前段階にもなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１２世紀ころから、大学も誕生してきた</p>
<p>　　→今までは、教育と学問の中心は田園地域の修道院だった</p>
<p>　　　※しかし、商業の復活によって教育と学問の中心が都市の大学に移動した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大学は、教会付属学校を土台にして、教授や学生の組合として出来たのが始まりだった</p>
<p>　　※大学は、教皇や皇帝の特許状によって自治権を与えられた一種のギルドであったと言える</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の主な大学には、神学、法学、医学の３学部があった</p>
<p>　　※この３学部の下に一般教育を行う人文学部が置かれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→最古の大学と言われるイタリアのボローニャ大学は法学で、</p>
<p>　　　パリ大学は神学でそれぞれ有名だった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→イギリスでは、パリ大学を模範にして作られたオクスフォード大学と、</p>
<p>　　　そこから分かれてきたケンブリッジ大学が独自の学寮（コレッジ）制をもとにして</p>
<p>　　　発展していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中世ルネサンスの流れと内容についておさえる</p>
<p>・スコラ学についておさえる</p>
<p>・大学についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/859">中世ヨーロッパの文化について③　－中世のルネサンス－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>中世ヨーロッパの文化について②　－美術と文学－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/858</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/858#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 05:54:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ゴシック様式]]></category>
		<category><![CDATA[シャルトル大聖堂]]></category>
		<category><![CDATA[ノートルダム大聖堂]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ様式]]></category>
		<category><![CDATA[ピサ大聖堂]]></category>
		<category><![CDATA[ロマネスク様式]]></category>
		<category><![CDATA[吟遊詩人]]></category>
		<category><![CDATA[教会建築]]></category>
		<category><![CDATA[騎士道物語]]></category>

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		<description><![CDATA[中世ヨーロッパの文化について、美術と文学を中心に考えてみます &#160; &#160; ・中世ヨーロッパの美術と文学について &#160; &#160; 　・中世ヨーロッパの美術で代表的なものは、教会建築とその壁画だと [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/858">中世ヨーロッパの文化について②　－美術と文学－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中世ヨーロッパの文化について、美術と文学を中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中世ヨーロッパの美術と文学について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中世ヨーロッパの美術で代表的なものは、教会建築とその壁画だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中世初期には、ビザンツ様式の模倣が行なわれた</p>
<p>　　→１１世紀にはロマネスク様式が生み出された</p>
<p>　　　※ロマネスク様式・・厚い石壁に小さな窓を持つ様式のことで、</p>
<p>　　　　代表的なものにピサ大聖堂がある</p>
<p>　</p>
<p>　・１２世紀には、建築美術にとっても転換期だったと言われている</p>
<p>　　→このころ登場してきたのが、ゴシック様式だった</p>
<p>　　　※ゴシック様式・・頭部のとがった尖頭アーチと空高くそびえる塔を特徴とする様式のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時は、壁を薄くする技術が進歩した</p>
<p>　　→そのため、広くなった窓は、美しいステンドグラスでかざられ、</p>
<p>　　　外壁や柱には彫刻が施された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ゴシック様式の教会は、天上の神をたたえるあつい信仰心を象徴していた</p>
<p>　　※この教会は、繁栄する商人の経済力を背景に、各都市に設置された</p>
<p>　　　→典型的なものに、パリのノートルダム大聖堂やシャルトル大聖堂は</p>
<p>　　　　その典型だとされている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中世ヨーロッパの文学で、口語（俗語）で表現された代表的なものが、騎士道物語だった</p>
<p>　　※中世の文学は口語だが、学問はラテン語だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※騎士道物語について</p>
<p>　　　・騎士・・中世の西欧の人間の理想像</p>
<p>　　　・騎士道・・武勇と主君への忠誠、神への信仰、女性や弱者の保護などを</p>
<p>　　　　　　　　　重視する騎士の道徳のこと</p>
<p>　　　　→このような騎士の、武勲や恋愛をテーマにした文学を騎士道物語という</p>
<p>　　　　　※騎士道物語の代表的な作品に、「ローランの歌」「ニーベルンゲンの歌」</p>
<p>　　　　　　「アーサー王物語」などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・吟遊詩人というのも流行した</p>
<p>　　※吟遊詩人・・おもに宮廷を巡り歩いて、騎士の恋愛を叙情詩としてうたったもののこと</p>
<p>　　　　　　　　　→最盛期は、１２世紀だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中世ヨーロッパの美術と文学についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/858">中世ヨーロッパの文化について②　－美術と文学－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>中世ヨーロッパの文化について①　－教会と修道院－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/857</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/857#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 05:49:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[キリスト教]]></category>
		<category><![CDATA[ドミニコ修道会]]></category>
		<category><![CDATA[フランチェスコ修道会]]></category>
		<category><![CDATA[ベネディクトゥス]]></category>
		<category><![CDATA[モンテ＝カシノ]]></category>
		<category><![CDATA[中世ヨーロッパ]]></category>
		<category><![CDATA[修道院]]></category>
		<category><![CDATA[大開墾時代]]></category>
		<category><![CDATA[托鉢修道会]]></category>
		<category><![CDATA[教会]]></category>

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		<description><![CDATA[中世ヨーロッパの文化について、教会と修道院を考えてみます &#160; &#160; ・中世ヨーロッパの教会と修道院について &#160; &#160; 　※前提として、西ヨーロッパ中世はキリスト教の時代であり、人々の日 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/857">中世ヨーロッパの文化について①　－教会と修道院－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中世ヨーロッパの文化について、教会と修道院を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・中世ヨーロッパの教会と修道院について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※前提として、西ヨーロッパ中世はキリスト教の時代であり、人々の日常生活全般に</p>
<p>　　教会の権威が広がっていたということをおさえておく必要がある</p>
<p>　　</p>
<p>　・教会には、以下のような機能があった</p>
<p>　　→・出生、結婚、臨終など人生の重要な節目の時に、信徒に儀式をさずける</p>
<p>　　　・魂の救済が出来るのは、教会だけだとされた</p>
<p>　　　　※教会の外に追放される破門は、きわめて重い罰だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・世俗を離れた修行の場所だった修道院も、文化的に大きな役割を果たした</p>
<p>　　→修道院には、以下のような種類と特徴がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・６世紀にベネディクトゥスという人がイタリアのモンテ＝カシノというところに</p>
<p>　　　　開いたベネディクトゥス修道会</p>
<p>　　　　→・清貧、純潔、服従の厳しい戒律を修道院に課して、段々と各地に広がっていった</p>
<p>　　　　　・「祈り、働け」というモットーがあった</p>
<p>　　　　　　※ベネディクトゥス修道会のモットーは、生産労働を奴隷の仕事と考えていた</p>
<p>　　　　　　　古典古代からの労働観を大きく変えたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１２～１３世紀は、大開墾時代であった</p>
<p>　　　　→その先頭に立ったのが、シトー教会を始めとする修道院だった</p>
<p>　　　　　※大開墾時代・・森林を切り開いて、耕地を広げていった時代のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１３世紀に、フランチェスコという人がフランチェスコ修道会を作った</p>
<p>　　　・ドミニコという人がドミニコ修道会を作った</p>
<p>　　　　※特にこの２つの修道会は、民衆の中に入って教化したため、</p>
<p>　　　　　托鉢修道会とも呼ばれる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のような中世の中では、学問もキリスト教の支配下に置かれた</p>
<p>　　※当時は神学が最高の学問とされ、その下に哲学や自然科学が置かれた</p>
<p>　　※当時の知識人や学者は、聖職者や修道士だった</p>
<p>　　　→聖職者や修道士は、知識会の国際的共通語であるラテン語を使っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※キリスト教文化は、現在でもヨーロッパ文化の重要な要素であると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中世ヨーロッパの教会と修道院についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/857">中世ヨーロッパの文化について①　－教会と修道院－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>中世ヨーロッパの国々について②　－スペイン・ポルトガル・イタリア・北欧－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/856</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/856#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 05:41:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[イタリア]]></category>
		<category><![CDATA[カスティリヤ]]></category>
		<category><![CDATA[カルマル同盟]]></category>
		<category><![CDATA[スペイン]]></category>
		<category><![CDATA[ポルトガル]]></category>
		<category><![CDATA[レコンキスタの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[中世ヨーロッパ]]></category>
		<category><![CDATA[北欧]]></category>
		<category><![CDATA[同君連合]]></category>
		<category><![CDATA[大航海時代]]></category>

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		<description><![CDATA[中世のヨーロッパの国々について、スペイン・ポルトガル・イタリア・北欧をそれぞれ考えてみます &#160; &#160; &#160; ・スペインについて &#160; &#160; 　・イベリア半島では、８世紀の初めにイ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/856">中世ヨーロッパの国々について②　－スペイン・ポルトガル・イタリア・北欧－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中世のヨーロッパの国々について、スペイン・ポルトガル・イタリア・北欧をそれぞれ考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・スペインについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イベリア半島では、８世紀の初めにイスラーム教徒が西ゴート王国を滅ぼして</p>
<p>　　後ウマイヤ朝を作るということが起きた</p>
<p>　　→その後、北部のキリスト教徒は約８００年の間、</p>
<p>　　　国土回復運動（レコンキスタ）の戦いを続けた</p>
<p>　　　＝その結果、１２世紀までにイベリア半島の北半分がキリスト教圏に入った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※回復された領土には、カスティリヤ、アラゴン、ポルトガルという３王国が建てられた</p>
<p>　　　→その後、カスティリヤの王女であるイサベルという人と、</p>
<p>　　　　アラゴンの王子であるフェルナンドという人が結婚した</p>
<p>　　　　＝その結果、カスティリャとアラゴンが１４７９年に統合され、</p>
<p>　　　　　スペイン（イスパニア）王国が成立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→イサベルとフェルナンドは、共同で統治を行い、</p>
<p>　　　１４９２年にイスラーム勢力の最後の拠点であるグラナダを陥落させて、</p>
<p>　　　国土統一を果たした</p>
<p>　</p>
<p>　　→さらに、国内の貴族の勢いをおさえ、海外にも積極的に出ていくようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ポルトガルについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ポルトガルは、１２世紀にカスティリャから独立した</p>
<p>　　→その後、１５世紀の後半に国王のジョアン２世という人が</p>
<p>　　　貴族の反乱をしずめて王権を強化した</p>
<p>　　　※この時に、インド航路の開拓の援助なども行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝結果的にポルトガルは、スペインと一緒に大航海時代が始まることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イタリアについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イタリアは、ドイツと同様で、中世の末期に多くの国、諸侯、都市に分かれていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・南部では、両方のシチリア王国がシチリア王国とナポリ王国に分裂するということが起きた</p>
<p>　　→中部には、教皇領があった</p>
<p>　・北部では、ヴェネツィア、フィレンツェ、ジェノヴァ、ミラノなどの</p>
<p>　　都市共和国が分立していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ドイツがイタリア政策によって介入してくるということが起きた</p>
<p>　　→すると、様々な都市の内部では、教皇党（ゲルフ）と皇帝党（ギベリン）がお互いに争った</p>
<p>　　　※この動きは、国内の統一をさらに困難なものにしたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・北欧について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・北ヨーロッパでは、１４世紀の終わりにデンマークの女王のマルグレーテという人が出てきた</p>
<p>　　→マルグレーテは自分が中心になって、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの</p>
<p>　　　北欧３国の間にカルマル同盟という同盟を結んだ</p>
<p>　　　＝結果的に、同君連合の王国が誕生して、一大勢力になった</p>
<p>　　　　※同君連合・・二つ以上の独立した国々が、１人の君主を中心にして連合していること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・バルト海の北東に住むウラル語系のフィン人という人達は、</p>
<p>　　１３世紀にスウェーデンによって征服合併された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中世のスペインについておさえる</p>
<p>・中世のポルトガルについておさえる</p>
<p>・中世のイタリアについておさえる</p>
<p>・中世の北欧についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/856">中世ヨーロッパの国々について②　－スペイン・ポルトガル・イタリア・北欧－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>中世ヨーロッパの国々について①　－ドイツ・スイス－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/855</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/855#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 05:35:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ウェストファリア条約]]></category>
		<category><![CDATA[カール4世]]></category>
		<category><![CDATA[シュタウフェン朝]]></category>
		<category><![CDATA[スイス]]></category>
		<category><![CDATA[ドイツ]]></category>
		<category><![CDATA[ハプスブルク家]]></category>
		<category><![CDATA[中世ヨーロッパ]]></category>
		<category><![CDATA[大空位時代]]></category>
		<category><![CDATA[東方植民]]></category>
		<category><![CDATA[神聖ローマ帝国]]></category>

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		<description><![CDATA[中世の時のヨーロッパの国々ついて、ドイツとスイスを中心に考えてみます &#160; &#160; &#160; ・ドイツについて &#160; &#160; 　・ドイツは、政治的な分裂と不統一が深まっていった 　　※ドイ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/855">中世ヨーロッパの国々について①　－ドイツ・スイス－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中世の時のヨーロッパの国々ついて、ドイツとスイスを中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ドイツについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ドイツは、政治的な分裂と不統一が深まっていった</p>
<p>　　※ドイツは、神聖ローマ帝国ともいう</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ドイツは、大諸侯の力が強く、自由都市も大諸侯と並ぶ独立勢力となった</p>
<p>　　→一方で、歴代の皇帝はイタリア政策を追求して国内を留守にしがちだったため、</p>
<p>　　　帝国の統一は不安定だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、シュタウフェン朝が断絶するということが起きた</p>
<p>　　※政治的混乱は、事実上皇帝不在の「大空位時代」という時代の時に、頂点に達した</p>
<p>　　　→その後も皇帝の権力は奮わず、皇帝のカール４世という人は</p>
<p>　　　　１３５６年に「金印勅書」を発布した</p>
<p>　　　　＝「金印勅書」の発布によって、ドイツ皇帝選挙の手続きが定められ、</p>
<p>　　　　　皇帝選出権を聖俗の七選帝候に認めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１４世紀以降のドイツでは、帝国ではなく、それぞれの領邦（大諸侯の領地）で</p>
<p>　　集権化が進められた</p>
<p>　　→そして、それぞれの領邦は地方主権を伸ばしていった</p>
<p>　　　※有力な領邦は、自ら身分議会制を開いて、独自に絶対王政への道を進んでいった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１５世紀前半から、皇帝はハプスブルク家から出されるようになった</p>
<p>　　※ハプスブルク家は、帝国の統一を目指したが、失敗に終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→結果的に、国内には大小の諸侯や自由都市など、あわせて３００ほどの領邦が</p>
<p>　　　分立するようになった</p>
<p>　　　※そのため、統一はますます難しくなったと言える</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、かつてスラヴ人やマジャール人が住んでいたエルベ川以東の場所では、</p>
<p>　　１２世紀から１４世紀にかけて大規模な植民が行なわれた</p>
<p>　　※この植民を、東方植民という</p>
<p>　　　→そして、ブランデンブルク辺境伯領やドイツ騎士団領などの諸侯国が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→エルベ川以東の地方では、１５世紀以降にイギリス、フランス、西南ドイツなどの</p>
<p>　　　地域とは違い、以下のような動きが見られた</p>
<p>　　　・領主が農奴への身分的束縛を強めた</p>
<p>　　　・直営地を広げて大農場を経営した</p>
<p>　　　・西ヨーロッパ向けの穀物生産を大規模に行うようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・スイスについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・スイス地方の農民は、１３世紀の終わりにハプスブルク家の支配に反抗して</p>
<p>　　独立闘争を始めた</p>
<p>　　＝この動きは、今日のスイス連邦の母体を作ったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、スイスは何度かの戦いに勝利した</p>
<p>　　　＝そして、１４９９年にスイスは神聖ローマ帝国から事実上独立した</p>
<p>　　　　※独立は、１６４８年のウェストファリア条約という条約で国際的に承認された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中世の時のドイツについておさえる</p>
<p>・中世の時のスイスについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/855">中世ヨーロッパの国々について①　－ドイツ・スイス－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>百年戦争とバラ戦争について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/854</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/854#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 05:29:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[オルレアンの包囲]]></category>
		<category><![CDATA[クレシーの戦い]]></category>
		<category><![CDATA[シャルル7世]]></category>
		<category><![CDATA[ジャックリーの乱]]></category>
		<category><![CDATA[ジャンヌ＝ダルク]]></category>
		<category><![CDATA[バラ戦争]]></category>
		<category><![CDATA[ヘンリ7世]]></category>
		<category><![CDATA[ヴァロワ朝]]></category>
		<category><![CDATA[星室庁裁判所]]></category>
		<category><![CDATA[百年戦争]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=854</guid>
		<description><![CDATA[百年戦争とバラ戦争について考えてみます &#160; &#160; &#160; ・百年戦争について &#160; &#160; &#160; 　※百年戦争までの流れについて &#160; 　　・フランスの国王は、毛織物 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/854">百年戦争とバラ戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>百年戦争とバラ戦争について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・百年戦争について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※百年戦争までの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・フランスの国王は、毛織物山地として重要とされていたフランドル地方を</p>
<p>　　　直接支配下に置こうとした</p>
<p>　　　→一方で、イギリスの国王がフランドル地方に羊毛を輸出して利益を上げていた</p>
<p>　　　　＝そこでイギリス国王は、フランスがフランドル地方に</p>
<p>　　　　　勢力を伸ばすのを阻止しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・その後、カペー朝が断絶してヴァロワ朝という王朝が作られた</p>
<p>　　　→すると、当時のイギリスの国王だったエドワード３世という人は、</p>
<p>　　　　母がカペー家の出身であったことから、フランス王位の継承権を主張した</p>
<p>　　　　※この動きをきっかけに、イギリスとフランスとの間で戦争が始まった</p>
<p>　　　　　＝この戦争を、百年戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※百年戦争の内容について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・最初は、イギリス軍が長弓兵を使ってクレシーの戦いでフランス騎士郡を破るなど、</p>
<p>　　　イギリス軍が優勢な状況だった</p>
<p>　　　※さらに、エドワード黒太子という人の活躍によってフランス南西部を奪った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・フランス国内は、黒死病の流行やジャックリーの乱による混乱などがあった</p>
<p>　　　→そのため、シャルル７世という人の時には、フランスの王国は崩壊寸前の危機だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・その後、国を救えとの神の信託を信じた、</p>
<p>　　　農民の娘であるジャンヌ＝ダルクという人が出てきた</p>
<p>　　　※ジャンヌ＝ダルクは、フランス軍を引き連れてオルレアンの包囲を破り、</p>
<p>　　　　イギリス軍に勝利までした</p>
<p>　　　　→この動きによってフランス軍は息を吹き返した</p>
<p>　　　　　＝結果的に、カレーをのぞく全ての国土からイギリス軍を追い出し、</p>
<p>　　　　　　フランスの勝利で戦争が終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ジャンヌ＝ダルクについて</p>
<p>　　　・ジャンヌ＝ダルクは、イギリスの捕虜になった</p>
<p>　　　・ジャンヌ＝ダルクは、宗教裁判で異端とされ、１４３１年に火刑になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※百年戦争後のフランスとイギリスについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・フランスでは、百年戦争の影響によって、諸侯と騎士が没落した</p>
<p>　　　→その後シャルル７世は、大商人と手を組んで財政を立て直し、常備軍を設置した</p>
<p>　　　　＝結果的に、中央集権化が一層進んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・イギリスでは、百年戦争後にランカスター家とヨーク家との間で、</p>
<p>　　　王位継承のための内乱が起きた</p>
<p>　　　＝この内乱をバラ戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・バラ戦争について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※なぜバラ戦争と呼ばれるのか・・両方の派閥の記章がそれぞれ赤バラと白バラだったという</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　後世の想像があったから</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・バラ戦争でイギリスの諸侯や騎士は両方の派閥に分かれて戦った</p>
<p>　　→しかし、その結果諸侯や騎士は没落することになった</p>
<p>　　　＝結局、内乱をおさめたランカスター派のヘンリ７世という人が１４８５年に即位し、</p>
<p>　　　　テューダー朝を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヘンリ７世は、星室庁裁判所というところを作って、王権に反抗する人を処罰した</p>
<p>　　→この動きをきっかけに、絶対王政の道が始まったと言われている</p>
<p>　　　※星室庁裁判所・・裁判がウェストミンスター宮殿の「星の間」で</p>
<p>　　　　　　　　　　　　行われたから名前が付けられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、ケルト人の国であるウェールズは１３世紀にイギリスに併合された</p>
<p>　</p>
<p>　・しかし、同じくケルト系のアイルランドとスコットランドは独立を保った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・百年戦争までの流れ、内容、その後の様子についておさえる</p>
<p>・バラ戦争の内容についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/854">百年戦争とバラ戦争について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>中世のイギリスとフランスについて</title>
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		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 05:25:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ウィリアム1世]]></category>
		<category><![CDATA[エドワード1世]]></category>
		<category><![CDATA[シモン＝ド＝モンフォール]]></category>
		<category><![CDATA[ジョン王]]></category>
		<category><![CDATA[ヘンリ2世]]></category>
		<category><![CDATA[マグナ＝カルタ]]></category>
		<category><![CDATA[三部会]]></category>
		<category><![CDATA[中世のイギリス]]></category>
		<category><![CDATA[中世のフランス]]></category>
		<category><![CDATA[身分制議会]]></category>

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		<description><![CDATA[中世のイギリスとフランスの様子について考えてみます &#160; &#160; ※中世のヨーロッパの様子 　・１３～１４世紀以後のそれぞれの国王は、課税などを要請するため、 　　貴族、聖職者、都市の代表が出席する身分制議 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/853">中世のイギリスとフランスについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中世のイギリスとフランスの様子について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※中世のヨーロッパの様子</p>
<p>　・１３～１４世紀以後のそれぞれの国王は、課税などを要請するため、</p>
<p>　　貴族、聖職者、都市の代表が出席する身分制議会を開いて、</p>
<p>　　話し合いを行うことで国内の統一を目指していった</p>
<p>　　※身分制議会・・三身分の代表者からなる議会のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・王権の勢いと中央集権化の動きは、それぞれの国でも独特の動きを見せていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イギリスについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※イギリスの封建社会は、ウィリアム１世のノルマン朝が征服王朝だったことから、</p>
<p>　　例外的に最初から王権が強かった</p>
<p>　　</p>
<p>　※血統の関係上、フランスから入ったプランタジネット朝の初代の王様だった</p>
<p>　　ヘンリ２世という人は、フランスの西半部を領有して、</p>
<p>　　大きな勢力を作っていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→ところが、その後にヘンリ２世の子どものジョン王という人が、以下のような動きを見せた</p>
<p>　　・フランスの国王であったフィリップ２世と戦って、フランスの領地の多くを失った</p>
<p>　　・教皇のインノケンティウス３世と戦って、破門された</p>
<p>　　・財政困難になって、重い税を課したため、貴族が結束してジョンに反抗した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝上のような動きの結果、１２１５年に大憲章（マグナ＝カルタ）というのを</p>
<p>　　　　王に認めさせることになった</p>
<p>　　　　※大憲章が置かれたことで、イギリス立憲政治の最初の基礎が置かれたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ジョン王の後に出てきたヘンリ３世という人は、大憲章を無視した</p>
<p>　　→そこで、シモン＝ド＝モンフォールという人は、</p>
<p>　　　貴族を引き連れて反乱を起こし、王を倒した</p>
<p>　　　＝その結果１２６５年から、今まであった高位聖職者や大貴族の会議に</p>
<p>　　　　州や都市の代表を加えて、国政を協議した</p>
<p>　　　　※この動きがイギリス議会の起源だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１２９５年からは、エドワード１世という人によって、模範議会というのが</p>
<p>　　招集されるようになった</p>
<p>　　→その後、１４世紀半ばに模範議会の内容が以下のように変わっていった</p>
<p>　　　・上院と下院に分かれるようになった</p>
<p>　　　　※上院・・高位聖職者と大貴族を代表する団体のこと</p>
<p>　　　　※下院・・州と都市を代表する団体のこと</p>
<p>　　　　→そして、法律の制定や新しい課税には下院の承認が必要になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※イギリスでは、騎士が早い段階で軍事的な性格を失って、</p>
<p>　　　　地方のジェントリ（郷紳）になった</p>
<p>　　　　＝そのため、騎士は州を代表して都市の市民と並んで下院と同じ扱いになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・フランスについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フランスのカペー朝のもとでは、最初は王権が北フランスの一部を</p>
<p>　　領有するだけのきわめて弱い勢力だった</p>
<p>　　※一方で、当時は大諸侯の勢いが強かった</p>
<p>　　</p>
<p>　　→しかし、１２世紀の終わりに即位したフランス国王のフィリップ２世という人は、</p>
<p>　　　ジョン王と戦って国内のイギリス領の大半を奪った</p>
<p>　　</p>
<p>　　→また、ルイ９世という人は、南フランス諸侯の保護を受けていた</p>
<p>　　　異端のアルビジョワ派（カタリ派）を征服して、王権を南フランスにも広げていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらに、フィリップ４世という人は、ローマ教皇であるボニファティウス８世という人</p>
<p>　　　との戦いの時に、１３０２年に三部会を開いいた</p>
<p>　　　＝結果的に三部会の支持を得て教皇をおさえ、フィリップ４世は</p>
<p>　　　　王権をさらに強化していった</p>
<p>　　　　※三部会・・聖職者、貴族、平民の代表者が出席する会議のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中世ヨーロッパの様子をおさえる</p>
<p>・当時のイギリスの様子についておさえる</p>
<p>・当時のフランスの様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/853">中世のイギリスとフランスについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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